『今日』と言う日
「あーもうっ、腹たつなぁ!」 「‥‥‥一体何があったんだ?」 帰り道、しきりに腹を立てている樋口に、壱哉はけげんそうな顔をした。 「俺の誕生日が一番遅いから、みんな俺のこと、ガキだって。そりゃあ今一番チビだけど、同い年の奴にガキって言われる筋合いってないよな?!」 「‥‥‥あぁ。そう言えばそんな話をしていたな」 休み時間、何がきっかけだったかは覚えていないが、誕生日の話になった。 壱哉は加わらなかったが、樋口が巻き込まれて、結局からかわれるネタにされてしまったらしい。 「そういや、黒崎は誕生日、いつだっけ?」 何の気なしの樋口の言葉に、壱哉は僅かに表情を歪めた。 「六月‥‥六日、だ」 それを口にした時の壱哉は、父親の話になった時と同じ、苛立たしげな、しかしどこか寂しげな表情をしていた。 どうして自分の誕生日が嫌なのか、樋口には判らなかった。 触れてはならない話だったのだろうかと、樋口は慌てて話題を変えたのだ。 そして、その六月六日。 どこからか聞きつけてきた女子達は、小さなプレゼントを用意していた。 しかし壱哉は、その日はいつにも増して近寄りがたくて、結局、声を掛けられた子はいなかった。 放課後も、用事があると言って、樋口の誘いも断ってさっさと帰ってしまった。 家族が待っているのだろうと思って樋口は引き止めなかったのだが、父の用事で夕方、商店街に買い物に出た時、一人で本屋にいる壱哉を見掛けた。 立ち読みをしているなど、今まで殆ど見た事はなかったのだが、辺りが暗くなっても、壱哉は本棚の前を動かなかった。 壱哉に、誕生日を祝ってくれる人はいないのだろうか。 どこか寂しげに見える後姿に、樋口はそんな事を思った。 だったら、自分が。 誰も祝ってくれないのだとしても、自分だけは、壱哉の誕生日が嬉しいのだと、そう伝えたい。 しかし、樋口はどうしても、壱哉に声を掛ける事が出来なかった。 それ程までに、壱哉の後姿は、誰の手も拒んでいるように感じられた。 結局、何をする事も出来なくて、樋口は逃げるように家へと帰った。 だから樋口は、密かに心に決めた。 来年こそは、壱哉に『誕生日おめでとう』と言ってやろうと。 しかし、壱哉と知り合ってからの一年ちょっとは本当に短くて。 学校が別になってしまってからは、もう会う事はなかった。 あの時の決意は、結局、果たされる事はなかったのだ―――。 「‥‥‥‥‥」 目を覚ました時、一瞬、自分がどこにいるのか判らなかった。 薄暗い、もう見慣れてしまった地下室の天井。 夢の中にあった頭が、徐々に現実へと戻って来る。 そう‥‥‥今の自分は、全てを失って、壱哉の『所有物』としてここに飼われているのだ。 「‥‥‥っ」 切ないような、悲しいような、そんな感情が唐突にこみ上げて来て、樋口はきつく拳を握り締めた。 どうして今頃、あんな夢を見たのだろう。 自問するまでもなく、その答えは判っていた。 昨日‥‥と言っても、この前の食事が運ばれて来た後の事だけれど。 いつものように、薄笑いを浮かべた壱哉がやってきた。 その時、何の弾みか、壱哉の腕時計が目に留まった。 六月五日。 その日付が頭に引っ掛かって、しかしそれが何故なのか判らないまま、いつものように犯される短い時間が過ぎ去った。 だからきっと、あんな夢を見たのだろう。 とっくに忘れてしまったはずの、辛いだけの昔の事を。 時計も窓もないこの部屋では、時間を知る術はないけれど、もう、六日になっているのだろうか。 六月六日―――壱哉の誕生日。 まだ自分が、そんな事を覚えているとは思わなかった。 もし、この日がなかったら。 自分は、今も薔薇を作っていたろうか。 学生時代を、たくさんの友達と、何となく、大した思い出もなく過ごして。 一人の人間に、こんなにも強い感情を抱く事も知らずに。 「黒崎‥‥‥」 金も、力も、あらゆるものを持っている今の壱哉は、どんな風に自分の誕生日を過ごすのだろうか。 今の彼を祝ってくれる人は、きっといるのだろう。 そう、例えば、常に壱哉の傍にいるあの人とか。 今は‥‥きっと壱哉は、あんな寂しそうな背中をしてはいないのだろう‥‥‥。 「は‥‥はは‥‥‥‥」 樋口は、思わず声を上げて笑った。 どうして自分は、壱哉の誕生日の事など考えているのだろう。 金の力で自分から全てを奪い、まるで獣か物のように扱う、あんな奴の。 自分の馬鹿さかげんがおかしかった。 と、その時。 重いドアが、音を立てて開いた。 そこから入って来たのが壱哉である事に気付いて、樋口は驚きに目を見開いた。 買われて来た直後は毎日のように犯されていたが、もう今は、こんな風に続けて来る事などなかったのに。 見上げた壱哉の顔は、いつもとは少し違って見えた。 いつもの薄笑いはなく、怖い程の無表情だった。 嬲るような言葉を口にする事もなかった。 腕を掴んで引き寄せられ、唇を奪われる。 「ん‥‥‥」 こんな風に、壱哉からキスして来るのは随分久しぶりだ‥‥‥。 ぼんやりと霞が掛かり始めた頭の中でそう思う。 熱いキスに朦朧となった樋口を、壱哉は俯伏せに組み敷いた。 ―――え‥‥‥? 一瞬、視界の端を掠めたそれに、樋口は自分の目を疑う。 高価な物と一目で判る腕時計。 その文字盤は、確かに六月六日を示していた。 「ぁ‥‥!」 昨日も受け入れた場所に指が差し込まれ、樋口は小さく声を上げた。 易々と侵入を受け入れるそこを指でかき回され、慣らされた体はいとも簡単に快楽に流されて行く。 何故、こんな日に壱哉はここに来ているのだろう。 爛れた快楽に飲み込まれて行きそうな思考の中で、樋口は不思議に思った。 樋口は、壱哉に買われた『モノ』なのだ。 壱哉から見れば、気紛れに、いつでも性欲の捌け口として『使う』道具でしかないはずなのに。 「っ、あ、黒崎‥‥っ!」 背筋を突き上げる強烈な快感に、樋口の体は一気に昂ぶって行く。 熱にぼやけた頭が望むまま、解放を求めて無意識に呻く。 縋る言葉が聞き届けられた事はない。 抗えば気絶するまで嬲られ続け、求めれば突き放されて焦らされる。 それでも樋口には、壱哉の許しを乞う事しか許されていないのだ。 だが、今日は。 「あ‥っ、ああぁっ!」 壱哉の手が快楽を煽り立て、樋口は一気に昇り詰めた。 焦らされる事もなく、許された解放に樋口の頭の中は真っ白になる。 「あ‥‥‥」 全身の力が抜け、樋口の膝が崩れた。 倒れそうになる腰を壱哉の手が引き寄せる。 「んあぁぁ‥っ!」 一度達して弛緩した体を、熱い滾りが犯して行く。 激しく突き上げられ、樋口の体は再び昂ぶり始める。 弱い場所も、感じる責められ方も、既に壱哉には全部知られている。 煽り立てられ、突き上げられ、立て続けに与えられる快感に、樋口の意識は飛んでしまいそうになる。 しかし。 何故だろう。 いつもと同じように、一方的に犯され、嬲られているはずなのに、今日は、壱哉の手が少しだけ優しいように感じる。 あんな夢を見たから、そう錯覚しているのだろうか? 与えられる快感にぼやけかけている頭の中で、樋口は壱哉の事を考える。 こんな日に、わざわざこんな場所に足を運ぶ壱哉が判らなかった。 今の壱哉は『社長』なのだから、いくらでも祝ってもらえるだろう。 それに、昨日樋口を抱いたのだから、今日もここに来る理由など、何一つないはずなのに。 「っ、あ‥‥!」 「く‥‥!」 壱哉の動きが早くなり、体内を犯すものが膨れ上がる。 熱い迸りが体内を叩き、樋口もまた、もう何度目か判らなくなっている絶頂を迎えた。 ぐったりと力が抜けた樋口の体を、壱哉は仰向けに組み敷いた。 いつものように、嬲る言葉も、嘲る表情もそこにはなかった。 真っ直ぐな瞳で見下ろされ、樋口はドキリとした。 無表情な壱哉の瞳が、どこか寂しげに見えたのは、きっと、朦朧とした視界のせいに違いない。 「くろ‥さき‥‥」 半ば無意識に呼ぶと、壱哉の表情が僅かに歪んだ。 「くろ‥‥‥」 もう一度呼ぼうとした言葉は、壱哉の唇に飲み込まれて消えた。 再び、突き上げられて、樋口は熱い喘ぎを洩らした。 六月六日。 もし、今日と言う日がなかったら。 自分は、ここにはいなかった。 壱哉と知り合う事はなかった。 そして、自分が‥‥‥。 樋口は、ゆっくりと壱哉を見上げた。 軽い気持ちで、自分から、全てを奪った相手。 夢を潰され、人としての矜持すら踏みにじられ。 絶対に許せない、憎い相手だけれど。 でも、今日は。 今日と言う日だけは‥‥‥。 「黒崎‥‥‥」 きっと、今も寂しげに見えるのであろう背中に、ゆっくりと腕を回した。 驚いたように動きを止める、その唇に、樋口はそっと口付けた。 六月六日。 今日は―――特別な日なのだから。 |
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どっちかとゆーと蛇足なおまけはこちら。
一応、壱哉様お誕生日おめでとうございますと言う事で(今が何日かは突っ込まないよーに。一応、珍しくも六月中に出来たんだし)。
体調があまり良くないせいか、読み直すと、何となく、ぷちすらんぷな気がします(ネタがと言うんじゃなくて、文章と言うか何と言うか)。
しかし、丁度いいタイトルを、既に今までヤケになって使ってしまっていたので(もーちょっと残しておくんだった‥‥)、今回もよくわかんないタイトルです(涙)。
でも、鬼畜EDの樋口って書いてて楽しいなー。なんかもう、いぢめ甲斐がありすぎて(笑)。