クリスマスプレゼント
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 十二月は、生花店にとって忙しい月のひとつだ。
 特に今日はクリスマスイブ――いつもより倍近く仕入れた花と、丹精込めた薔薇達を綺麗に整え、これを手にした人が少しでも楽しんでくれるようにと思いを込めて送り出す。
 おかげで樋口は、昼食も取らずに忙しく立ち働いていた。
 いつもは新も手伝ってくれるのだが、今日はクリスマスイブだ。
 色々予定もあるだろうと、樋口の方から手伝いを遠慮したのだ。
「今日みたいな日は、自由にさせてあげなきゃな」
 束の間、客足が途切れた時、樋口はふと、新の事を考える。
 壱哉の誕生日のびっくりパーティーでまともに知り合って以来、予備校に通う傍ら、ずっとバイトとして来てくれていた。
 自分の事はあまり気にしない樋口を見かねてか、時々泊まって食事を作ってくれたりする事もあって。
 最近は、新が自分の家に帰る時間の方が少なくなって来ているような気がする。
 新はとても真面目で、何にでも良く気がついて、働き者だ。
 樋口から見ても、優しくて、頼り甲斐があって格好いいと思う。
 まだ学生だからいつもは子どもっぽい顔をしているが、時々酷く大人びて見える。
 ずっと苦労して来た境遇がそうさせるのだろうが、それにも関わらす、新には暗い陰りなど全くなかった。
 時折見せる、満面の笑顔はとても眩しくて、暖かくて。思わずどきりとしてしまった事もあった。
「‥‥新‥‥‥モテるタイプだもんなぁ」
 何故か赤面してしまった自分を誤魔化すように、樋口は声にして呟いた。
 多額の借金を抱え、バイトに明け暮れていた頃は、彼女どころか友人すらいなかったらしい。
 しかし、今はそれから解放され、予備校にも行けるようになってからは、友人がかなり増えて来たと言う話だ。
 元々、人好きのする性格をしているのだから、それも無理はない。
 多分もう、彼女などもいるのだろう。
『ごめん‥‥俺、明日はちょっと用事があるんだ』
 昨日、新が申し訳なさそうにそう言ったのを思い出す。
 今日はイブなのだし、もしかすると彼女とデートかも知れない。
 そうでなくても、友人とクリスマスパーティーとかあるかも知れないし。
 さすがに今日は、新は来ないのだろう。
 そんな事を考えた時、何故か胸がちくりと痛んだ。
 寂しいような、切ないような、そんな気持ちになって戸惑う。
 別の事を考えようとしたら、押入れの中に隠して置いた紙袋の事を思い出してしまう。
「あ‥‥また渡しそびれちゃったな‥‥‥」
 新の誕生日に、と買ったものの、丁度模試の勉強が忙しくて渡し損ねてしまった。
 クリスマスプレゼントにしようかと思って包みなおしたのだが、また渡せずに終わってしまいそうだった。
 そんな事を考えると、益々気持ちが落ち込んでしまう。
 思わす深いため息をついた時、店の扉が軽やかな音を立てた。
「いらっしゃいませー!」
 客相手の顔になって、樋口はもやもやした気持ちを振り払った。


 クリスマスイブだけあって、外が真っ暗になり、閉店する頃には殆どの花が売れてしまった。
 店を閉めると、樋口はほんの僅か、売れ残った花を花束にする。
「クリスマス、かぁ‥‥」
 母を早く亡くし、父一人子一人で育った樋口は、誕生日とかクリスマスとかにそれ程特別な事があった記憶はない。
 商店街の色々な店のおばさんなどから、売れ残りの惣菜などを分けてもらったりして、いつもより食卓が賑やかになる程度だった。
 勿論、薔薇に全てをつぎ込んでいた樋口の家はそれ程裕福ではなく、クリスマスプレゼントが父の作った自信作の薔薇、などと言う事も本気であったりしたのだ。
 父を亡くし、薔薇園を継いでからは、ずっと一人だったから、そんな風に何かを祝うような事はなかった。
 そう、今年も、売れ残ってしまった数本の花を抱え、店を閉めて誰も待つ人のいない家に戻るはずだったのだが。
「あれ?」
 家の窓から明かりが洩れているのに気付き、樋口は目を見張った。
 昨夜、電気を消し忘れていたろうか。
 首を傾げながらドアに手を掛けると、開いている。
 店と同じ敷地にあるからと言って、戸締りをしないで出た覚えはないのだが。
 不審に思いながら家に入ると。
「崇文さん、おかえりー」
 台所の暖簾から顔を出したのは、新だった。
「あ、新?なんでここに?」
 あまりの意外さに、樋口は目と口を大きく開いて呆然とする。
「なに、俺がいちゃ悪かった?」
 少し不満そうな新に、樋口は慌てた。
「い、いや、そう言う意味じゃなくて‥‥‥」
 樋口は、少し赤くなって目を伏せた。
「新の事だから、今日みたいな日は女の子とデートとかに行くのかと思ってた」
「はぁ?何言ってんの崇文さん。俺、彼女なんかいないぜ」
 新は、呆れたように言った。
 しかし、すぐに何故か少し赤くなって言葉を継ぐ。
「まぁ‥‥好きな人は、いるけどさ」
 ぼそり、と新が口にした言葉に、何故かショックを受けてしまった樋口は戸惑った。
 どうして、新に好きな人がいたと聞いて胸が苦しくなったりするのだろう。
 頭を捻る樋口をどう取ったのか、新は慌てたように手を振った。
「ま、まぁそれはともかく。もうすぐ、特製のスペシャルディナーができるからさ!崇文さん、皿とか並べるの手伝ってよ」
「あ、う、うん」
 我に返った樋口は頷いた。


 大好きなとんかつと、キャベツ始め野菜がいっぱいの『スペシャルディナー』を平らげて、樋口は上機嫌だった。
「ほんとに新って料理うまいよなー。店とか開いてもやっていけるんじゃないか?」
 真顔で言う樋口に、新は苦笑した。
 樋口が後片付けを手伝ってくれたから、今は二人で茶の間でお茶など啜っているのだ。
「俺はそんなに料理のレパートリーがあるわけじゃないし。料理の勉強とかしたことないから、全然ダメだよ」
「そうかなー?」
「そうだって。‥‥ま、でも、崇文さんみたいに豪快に食べてもらえると作り甲斐があるけどさ」
 樋口の大食いを承知している新だったが、それでも多めに作ったはずの料理を全て平らげてしまったのにはちょっと呆れた。
「だって、新の作ってくれるメシってうまいから。いくらでも入っちゃうんだよな」
「それにしたってさ‥‥」
 毎日園芸で肉体労働しているせいだと思えば納得出来ない事もないが、それでも食べる方だと思う。
 逆に、借金に追われていた時は特売のキャベツと米だけで生活していたと言うから、その時には一体どうやってこの体を維持していたのかがとても不思議だった。
 他愛ない話をしながら、二人は何となく時間を過ごす。
 新が時々ここに泊まって行ってくれるようになってから、樋口は久しぶりに一人ではない夜を過ごせるようになった。
 二人で、こうしてちゃぶ台をはさんで座ってくつろいでいると、とても心が暖かく満たされる気がするのは何故だろう。
「なに、崇文さん。俺の顔、なんか付いてる?」
 思わず見詰めてしまっていたのか、新が怪訝そうに首を傾げた。
「い、いや、別に。なんでもない」
 思わず、樋口は目を伏せた。何故か自分の顔が赤くなっているのが不可解だった。
「あ、そうだ。今日、クリスマスイブだから‥‥ほんのちょっとなんだけど、プレゼントあるんだ」
 話を逸らすように、樋口は押入れから、小さな紙袋を引っ張り出した。
「ほんとに?俺も、崇文さんに渡そうと思って用意したんだぜ」
 と、新も自分のナップザックから綺麗に包装された大きな箱を出す。
「プレゼント交換なんて、ほんとにクリスマスっぽいよな♪」
 新は、まるで小学生のような無邪気な顔で笑った。
 渡された包み紙に、樋口は覚えがあった。
 東京の、ある模型メーカーの直営店だ。
「え‥‥これって、まさか‥‥‥」
 もどかしげに包みを解く。
 中から出て来たのは、少し前、雑誌で見てからずっと欲しいと思っていた、店舗のみでの限定販売のプラモデルだった。
 数量限定な上、発売日が丁度今日だった為に、樋口は泣く泣く諦めたのだ。
「新‥‥まさか、今日はこれ買いに行ったのか?」
「うん‥‥まぁ、別な用事もあったんだけど」
 新は、照れたように笑った。
「でも、これ数量限定だから‥‥並んだだろ?」
「まぁな。でも、早目に行ったからそんなに長い時間待ってたわけじゃねえし」
 そう言えば今日は、新は本当に朝早くから出掛けて行った。
 それがこれを買う為だったとすると、ありがたくも申し訳ない気がする。
「ありがとう。凄く嬉しい」
 箱を抱えた樋口はちょっと涙ぐんでさえいて、その顔はまるで子どものようだった。
 樋口のプラモ好きを目の当たりにした新は、ちょっと笑ってしまいそうになる。
 可愛い、と言ったら年上の男性に対して悪いだろうか。
 子どもの頃は童顔だったと聞いた事があるが、今もあんまり変わっていないのかも知れない。
 笑いを堪えて見守っている新の視線にも、樋口は全く気付いていないようだ。
 しばらく幸せを噛み締め、樋口はやっと我に返ったらしい。
 箱をそっとちゃぶ台に置いた樋口は、慌てたように紙袋に手を伸ばした。
「ご、ごめん、やっぱりそのプレゼントなし!」
 しかしその紙袋は、手が届く前にひょいと取り上げられてしまう。
「ダメだよ。これはもう俺がもらったもんだぜ?」
「だってそんな、俺のは全然大したもんじゃないし‥‥」
 更に手を伸ばして来る樋口から、新は自分の体で紙袋をガードする。
「いいじゃん。これ、崇文さんが俺に選んでくれたんだろ?」
「そうだけど‥‥」
「これくれないなら、俺のプレゼントもなしだぜ」
「う‥‥‥」
 命と薔薇の次くらいに大切なプラモを盾に取られ、樋口は固まった。
「‥‥‥わかったよ」
 やっと観念して、樋口は下を向いてしまう。
 息をついて、新は紙袋を手に座りなおした。
 緑の紙袋に赤と金のリボン。
 その袋とリボンは店にあるのと同じもので、店を手伝っている新には、一目見ただけで樋口が自分で包んだのだと判った。
「ほんとは、誕生日に渡そうと思ったんだけど、新、模試でそれどころじゃないみたいだったし‥‥だから、今日はクリスマスイブだと思って‥‥‥」
 下を向いて、ぼそぼそと言い訳めいた言葉を口にする樋口が、やっぱり可愛く見えてしまった新である。
 紙袋を開くと、中には柔らかいクリーム色のマフラーと手袋が入っていた。
 生成りの色をそのまま生かしたらしいマフラーは、手編みらしく太い毛糸で編まれた分厚いもので、とても暖かかった。
「ごめん‥‥ほんとに、大したものじゃないんだけど。新、予備校とか出掛けるのに、これから寒いかなと思って‥‥」
 樋口は、益々下を向いてしまい、声も小さくなって行く。
 一体どんな顔をして樋口はこれを買ったのだろう。
 マフラーを巻いてみた新は、その暖かさに、思わず涙が出そうになってしまう。
 誰かにプレゼントなどもらうのは、本当に小さい時以来で。
 まだ両親の会社も順調で、何の不安もなかった、あの幸せな頃が甦る。
「ありがと‥‥崇文さん。ほんとに‥‥俺、嬉しいよ」
 少し涙声になってしまった新に、樋口は驚いて顔を上げた。
「こんな風に‥‥プレゼントもらうなんて、もう随分なかったから‥‥‥」
 腕で強く目を擦った新は、照れたように笑った。
「新‥‥」
「やだな、崇文さん!そんな変な顔すんなよ!」
 思い切るように大声で言った新は、とても大事なもののようにマフラーを置くと、樋口の隣りに座った。
「崇文さん‥‥俺、もうひとつ、今日言おうと思った事があるんだ」
 新は、姿勢を正し、酷く真面目な顔で言った。


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