地図はこの辺です




万世大路 新沢橋周辺






国道13号線。山形方面に向かい、大滝第二トンネルを抜けるとまもなくパーキングがある。
そこから、北側に昭和11年12月竣工の新沢橋を見ることができる。
いわゆる昭和の大改修で新たに架けられた橋で、橋長42M、幅員6Mの鉄筋コンクリート製である。国道を走っただけでは視界に入らない奥まった所に今でもひっそりとその姿を現している。



橋が見える地点から数十M山形側よりに、国土交通省のプレハブ小屋があり、その後ろからこのルートに取り付くための小道がある。でなければ、藪こぎを覚悟しなければならない。



その小道はこの「殉職警察官之碑」をお参りするための道であるらしい。
関係者が今でも焼香に訪れるようだ。



明治21年1月4日、当時二つ小屋隧道に設けられていた駐在所から、囚人を飯坂警察署まで護送。翌5日、帰任の途中、六尺を越える猛雪に阻まれ、遭難した森元源吾巡査の碑である。
元々はここから北西500M離れた遭難現場に建てられたものらしいのだが、廃道になって久しく、雑木に埋もれるのが忍びないため、ここに移動したものであるという。



碑から東へ20Mほど藪をかき分けると、橋柱が現れる。
プレートはあった痕跡はあるが、はがされて久しいようだ。



橋の周辺は雑草や松の木が生えているが、中心部はコンクリートがむきだしになって、空間が広がる。



完成当時の写真を見ると、欄干は鉄製の現代でも通用するしゃれた物のように見えるが、味気ないガードレールに取って代わられている。戦時中に供出されたのだろうか。



明治に架けられた橋(やはり新沢橋という。新沢は地名であるらしい。)はこれより上流200Mにあるので、福島側たもとより登り始める。昭和の大改修からもれた明治の道である。



ほどなく枝沢にかかる。当時は数Mの橋が架けられていたであろうが、わずかにコンクリート片があるのみ。ここは沢を横断するしかない。



去年の探索の時は、枯れ沢に近かったのだが、長雨のせいか、滝のようになっているのには驚いた。ちょっとした見ものである。



釣りが出来る様な沢ではないと思うのだが、歩く人がいるのか、今でも道らしい痕跡がある。



いよいよ草木が生い茂る道となる。落石と崖くずれの跡があるので注意が必要。



雑木の間から姿を現す、明治の橋脚。
資料によると木造土橋とあるが、橋脚は一つだけではあるが、コンクリートである。
ここに全長20M、幅員5Mの橋が架けられていた。



何度か改修があって、コンクリート製の橋脚になったと思われるが、この上を明治14年の完成から昭和12年まで、人々が往来したのかと思うと感慨深いものがある。

去年の探索の時は、ここから降りて、向こう岸に渡ったのだが、雨でぬかるんでいるので、本日は戻ることにする。
昼なお暗い所であるが、向こう岸はさらに暗い。
そのためか樹木が道に茂っておらず、背丈の低い草だけであるので、道としてはきれいに痕跡が残っている。
ただし、そのまま万世大路に向かうには、山側から崩れたガレ場のような危険箇所がある。
落差30Mはあるだろう。石を踏外すと、命があっても、5箇所くらい骨折しそうである。



帰りがけ、橋の下に回ってみる。
この橋は下から見上げたほうがきれいである。
見事なアーチ橋で、今でも充分通用しそうである。



この新沢橋の完成後の写真である。
当時としては最もモダンな橋であったろう。
橋上に集う人々の驚きと歓声が聞こえてくるような気さえする。


この写真は東北建設協会発行の本より借用したものです




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