現代人にとっての武蔵のイメージは、昭和10年から朝日新聞夕刊に連載された吉川英治
の小説「宮本武蔵」で描かれた武蔵である。
実はその武蔵像は吉川英治の創作なのだが、今やそのイメージですっかり定着している。
その理由は小説が秀作で広く人々に読まれたことに加えて、ほとんどの以後発表される
武蔵を描いた映画、ドラマ、小説、漫画等の原型となっているからである。
それでは実際の武蔵はどうだったのか?出世地や両親についても諸説有る。
名を馳せていた割に、その経歴は不明の部分が多いという。
晩年、肥後(熊本)に現れる以前のことは、全く謎に包まれているといっても過言ではない。
寛永17年(1640)57歳の時、武蔵は細川忠利公の客分として肥後に移り住む。
此処熊本においても武蔵は数多くの謎と伝説を残してはいるが、不明の経歴の中にあって
唯一光のあたっている時期といえる。
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