それもまた、ありふれた日々(1)
Odd and Ordinary days
「腹が減ったな・・・・・・・・・・・・・・」 細長く切り取られた空をビルの谷間から見上げながら、アーロンは力なくつぶやいた。 死人になってから、彼の体は食べること、眠ることを必要としなくなった。空腹も疲れも感じはしたが、それは生前の姿をとどめているのと同様に、生きていた頃の感覚を再現しているだけ。 それが、ザナルカンドに来てからは、食べて眠らなければ体がもたなくなっていた。 海で魚や貝を獲ったり、人の好意にすがったり、時にはプライドをかなぐり捨てたことをして、なんとか飢えをしのいできた。いつまでもこんなことをしてはいられないと思いながら。しかし彼は、ザナルカンドでまともな暮らしを成り立たせる方法を知らなかった。学ぶ余裕もなかった。それよりも、何か食べるものを手に入れるのが先だった。 もう一度死んだりしたら、笑い話にもならない。 動けなくなる前になんとかしないとな・・・・・・・・・・・。アーロンは立ち上がると、のろのろと街の方へ歩き出した。 繁華街の方へと向かう。 今ではどこからみても立派な浮浪者になってしまった彼に不審げな目を向ける人、避けるように足早に遠ざかる人。そんな回りの人の反応にはもう慣れてしまい、あまり気にならなくなった。それがいいことか悪いことかわからなかったが。 しかし、食べ物をめぐんでくれる人たちへの感謝と屈辱、相反するふたつの感情、そういったものまで感じなくなったら終わりだろうな、と思っていた。乞食のまねをしてなんとか暮らしていくこともできるだろう。だが、それがあたりまえのことになって、何も感じなくなったら・・・・・・・・・・・・・・。 ふくれあがる不安に彼は足を止めた。 その時。 悲鳴が街角に響いた。 アーロンは顔を上げた。 先の通りから、何人もの人たちが恐慌状態になって駆け出してきた。それを追って現れたのは、巨大な鳥。 −−−−魔物?ザナルカンドにも魔物はいるのか?! アーロンはとっさに背に手をやった。しかし、剣などあるはずがない。何か代わりになるものは−−−−あたりを見回す彼の目に、改築工事中の店が見えた。機械や建材にまじって、手頃な長さの金属の棒が何本かころがっていた。 彼はそのうちの一本を拾い上げた。ずっしりとした感触が手に心地よい。それを2度3度とふりかざすうち、かつて数えきれぬほどの魔物と戦ってきた僧兵の、ガードのカンがよみがえった。 「どけ!!」 アーロンは逃げまどう人々の間を駆け抜け、魔物の前に飛び出した。魔物が襲いかかろうとしていた若い女をとっさにつきとばす。魔物の爪がわずかにアーロンの肩をかすめた。 魔物の目は、自分に立ち向かってきた者に向けられた。いったん空に舞い上がると、風をきってアーロンに飛びかかった。彼はそれをすばやい身のこなしでよけ、棒で魔物に殴りかかった。しかしやはり剣のようにはいかず、魔物はなかなかひるむ気配すらみせない。何度もするどい爪に捕らえられそうになりながらも、なんとか逆に攻撃をしかける。 そして、一瞬のすきを彼はみのがさなかった。彼は魔物の急所めがけて、棒をつきだした。それは敵の体を貫いた。魔物は断末魔の叫びをあげ、幻光虫となって飛び散った。 回りから一斉に歓声があがった。 −−−−−勝てた・・・・・・・・・・・・のか? 急に目の前が真っ暗になった。 アーロンは、そのままその場に倒れ込んだ。 |
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「お、気がついたか?」 アーロンの目の前に、心配そうにのぞきこむ40がらみの男の顔があった。その回りには、人だかりができていた。 「いやー、あんた、強いよなあ。棒っきれ一本であんなデカい魔物を倒しちまうなんてよ」 その男は、いかにも感じ入ったという面もちで彼を見つめていた。 「俺は・・・・・・・・・・・?」 立ち上がろうとすると、肩に痛みが走った。反射的にそこに手をやると、血で汚れた上着はぬがされ、何かよくわからないものが貼られていた。 「肩の傷はたいしたことないってさ。さっき、医者だってヤツが通りかかって手当してくれたよ。ぶっ倒れたのはケガじゃなくって腹減ってたせいだってか?まー、カッコイイんだか情けねえんだか」 男はそう言って苦笑した。 「あの・・・・・・・・・・・・・。さっきはありがとうございました」 その声のした方に顔を向けると、彼が魔物の前からつきとばした女がいた。 「これ、薬代の足しにでもしてください」 彼女はどことなくとまどっているような表情でそう言うと彼に何枚かの紙切れを渡し、そそくさと立ち去った。 −−−−なんだろう、これは? 「なんだよあのねーちゃん、命の恩人に向かってそれだけかい?」 「いいさ。当然のことだ。俺のような奴とはあまりかかわりあいになりたくないんだろう」 「まあ・・・・・・・・・わからんでもないけどさ」 礼を言うために気がつくまで待っていてくれた。それだけで十分だった。 おもしろい見物は終わった。集まっていた人たちも散っていった。 「−−−−−んでもまあ、これで腹いっぱいメシが食えるぜ。よかったじゃねーか」 アーロンは手渡された紙切れを見つめた。メシが食えるって・・・・・・・・・それならば、これは金なのか?ザナルカンドの? 最後まで残っていたその男も、その場から離れた。そして街は何ごともなかったかのように動き始めた。 アーロンは座り込んだまま、ぼんやりと考え込んだ。 金、か。ザナルカンドに来て初めて手に入れた。 しかし、これはどのくらいの価値のあるものなんだ? これでどのくらい暮らせるものなんだ? 今すぐ使ってみるべきか、それとも、本当にどうしようもなくなった時のためにとっておくべきか・・・・・・・・・・・・・。 「とはいえ、そんなナリじゃあ、どこのメシ屋も入れてくれそうにねえな」はっとして頭をあげると、あの男が戻ってきていた。「な、オレんちに来ないか。なんか食わせてやるからよ」 「え?」 男はアーロンの返事を待たずにすたすた歩き始めた。 「おい、こら、どうした。さっさと来いよ」 「あ・・・・・・・・・・・・・ああ」 どうするか考える暇もなかった。アーロンは言われるままに男のあとをついていった。 |
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途中、食料品店でいろいろと買い込んだあと、男はアーロンを自分の家に連れていった。 少々古びたビルの一室。まばゆいばかりの照明。見たこともない形の家具。どんなことに使うのかわからない数々の物。 これが、ザナルカンドの住人が暮らす家。 「ちいっとばかし汚ねえが、まあ気にすんな」男は床にちらかっていたものを片づけながら言った。「てゆうか、あんたの方が汚ねえぞ。−−−−まずは風呂だな。出てくるまでにメシと着替えは用意しといてやる」 アーロンは、男が指したドアを開けた。 風呂だ。 それはわかる。 しかし・・・・・・・・・・・・。 「おい、着替え・・・・・・・・・って、いつまでそこにつったってんだよ。さっさと脱げって。こう言っちゃなんだがあんた、くせえんだからよ。心配せんでも、オレには男を襲う趣味はねえぞ」 「その・・・・・・・・・・・。わからない」 「何が」 「どうやって湯をわかすんだ?」 「はあ?」男はあっけにとられた。「こんなんはどこんちでも使ってる・・・・・・・・・・・・・ま、いいや」 男は壁に埋め込まれた何かをいじった。それだけで浴槽に湯がわき出てきた。アーロンもさすがに何にでも驚くということはなくなってきていたが、それでもやはり、どうしてたったこれだけの手間でと、不思議でならなかった。 熱い湯に身を沈めると、生き返った心地になった。 生き返った、か。まさにその通りだな。彼は皮肉っぽい気持ちでそう考えた。 死人になってからも、生きていた頃と変わらぬ『生活』をしていた。しかしそれは、生者にまぎれこむため、奇妙に思われないため。そして自分自身、生きていた頃の感覚をひきずっていたため。 それがどうして、ザナルカンドに来てからは『生活すること』が必要になったのか・・・・・・・・・・。 考え込んでいると、またも空腹で胃のあたりが痛んだ。 考えるよりもまずは食うことが先か。アーロンは苦笑いをしながら湯からあがった。 |
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「おー、にーちゃん、みがけばけっこういいオトコじゃねえか。目がかたっぽしかないのがちいっとばかし惜しいが。−−−−メシ、できてんぞ。とりあえず、食え。一流レストランの味にはほど遠いが、腹減ってりゃなんでもうまいだろ」 テーブルの上には鍋がひとつ。中では、あるものを適当にぶちこんだという風情のごった煮スープが湯気をたてていた。 洗練されたところはどこにもない。しかし食事というものは温かいだけでうまいものだということをアーロンは初めて知った。こうして人間らしく食事をするのは何日ぶり−−−−いや、何年ぶりと言った方がいいだろうか。腹だけでなく、心まで満たされていくような気がした。 「満足したか?」 皿をさげると、男は訊いた。 「ああ。・・・・・・・・・・・・うまかった。ありがとう」 「なに、いいってことよ。あんたが体をはって稼いだ金で買ったもんだ。オレはそれを食えるようにしただけ」男は空になった鍋をのぞきこんだ。「しっかしまあ、よく食ったな。ちょいと作りすぎたと思ったんだが」 男はそう言って笑った。アーロンは急に気恥ずかしくなった。 「さて、落ち着いたところで。−−−−ちょっとつっこんだことを聞いていいか?」ずっとにこにこしていた男の顔が少し真剣になった。「あんた、キオクソーシツかなんかか?」 ・・・・・・・・・・・・・・・・記憶喪失? 「オレがやることなすこと珍しそうに見てるし、エレベーターに乗ればやたらびびるし、さっきも風呂でちいこいガキでも知ってるようなことをわからんなんて言うしさ。キオクソーシツってのは自分のことはきれいさっぱり忘れても常識は覚えてるもんだっつう話だが、ひどい時にはあたりまえのことまで忘れちまうもんなんかなー・・・・・・・・・・・・なんてさ」 忘れたのではない。知らないだけだ。小さな子供ですら知っているようなことさえも。 「気ィ悪くしたんならごめんな。オレ、学がねえから回りくどい言い方ってのができなくってよ。そんでも、どーしても聞いてみたかったんだ。気になってしょうがなかったんだよ。なんであんたみたいに腕のたついい若いモンが、腹減りでぶっ倒れるような暮らしをしてるんだろうなってさ」 本当のことは言えない。誰にも、言えない。 しかし適当な作り話を考えつかず、かといってあからさまに拒絶するようなことも言えず黙りこくっていると、男はひとりで自分の推測に納得したようだった。 「・・・・・・・・・・・・・悪かったよ。何がどうなってんだかさっぱりわかんなくってあんたの方が聞きたいくらいだよなあ」彼はアーロンの前にいくらかの金を置いた。「これ、あのねーちゃんがくれた金の中から食いもんを買った残りな。こんだけあれば2、3日は大丈夫だろ。−−−−とりあえず、今夜は泊まってけや。服の洗濯もせんといかんからよ」 男は、茶でもいれてくると言って別の部屋にひっこんだ。 アーロンは、目の前の金を見つめた。 2、3日か・・・・・・・・・・・・。これを使い果たしたら、またその日食べる物にも困る暮らしに逆戻りだ。 しかし、他にどうしようもない・・・・・・・・・・・・。 アーロンは部屋の中を見回した。考えてみれば、ザナルカンドで普通の人が普通に暮らす家に入ったのは初めてだった。せめて、ここでの暮らしというのがどんなものか見ておこうと思った。 あまり金持ちそうには見えない部屋。それでも、生活に必要な物は十分ある。ただ楽しみのためだけと思われるものもいろいろある。そして、思い出の品らしきものも。思い出の品、か。スピラではそういうものを持とうにも、『シン』が思い出ごとすべて・・・・・・・・・・・・。 ふと、壁に何枚か貼られたポスターの一枚が彼の目に止まった。 アーロンは立ち上がった。 これは・・・・・・・・・・・・! 「おーい、茶ぁ入ったぞ。−−−−−−ん?どした?なんか珍しいモンでもあったか?」 「これは・・・・・・・・ジェクト?」 アーロンはそのポスターを指して言った。ブリッツボールを小脇にかかえスフィアプールの前でポーズをとる、彼が知るのよりはいくぶん若いジェクト。 「そうそう!」男はすごくうれしそうに答えた。「なんだよ〜〜〜〜、あんた、ジェクトのことは覚えてんのか??なんもかも忘れちまってるくせによ!!」 男はポスターを見つめた。その顔はまるで少年のようだった。 「オレ、ジェクトがデビューした時からの大ファンでさ〜〜〜〜〜〜。もう15年も前のことだっつーのに、ヤツがデビュー戦ですっげーシュートをキメたのを生で見たかんどーは今でも忘れられんよ。3年前、行方知れずになっちまった時にはほんとショックだったぜ。メシものどを通らなくなっちまってさ。あんな選手はもう二度と出てこんよなあ・・・・・・・・・・・」男は腕を組み、しみじみと言った。「あ、そうそう、その試合のスフィアがそのへんにしまってあるんだ。見るか?えっと、どこだったかなあ・・・・・・・・・・」 男はいろんなものがごちゃごちゃに押し込んである棚をひっかきまわし始めた。ちらかっていた床がさらにちらかって足の踏み場もなくなってきた時、彼は唐突にくるっと振り向いた。そして、言った。 「決めた!あんたのめんどうはオレがみる!!」 「は?」 「今晩だけなんて言わん。昔のことを思い出すまでずっといろ。わからないことはオレが教えてやる。どうだ?」 「しかし・・・・・・・・。そこまで迷惑はかけられない」 「ニョーボにはとうの昔に逃げられて気ままなひとり暮らしだ、そのオレがいいと言ってんだからエンリョするな。どうせ寝るトコもねえんだろうが。素直に助かりますありがとうって言えって」 あまりにも突然で強引な申し出。脅しにも似た好意。アーロンは思わずたじろいだ。 しかし、これはまたとない機会だった。 スピラにはいつ帰れるかわからない。二度と帰れないかも知れない。それならばザナルカンドでの暮らし方を学び、『生活』できるようにしなければならない。こんな人の情けにすがり道ばたで眠る毎日を続けていたのでは、いつまで体と、それ以上に心がもつかわからない。 この申し出を断ったら、こんなことはもうあるかどうか・・・・・・・・・・・・・・・。 「−−−−わかった。・・・・・・・・助かる。ありがとう」 「おっし!そんじゃ、決まり!!」男はにかっと笑うと、また探し物を続けた。「あ、オレ、セプトってんだ。あんた名前は・・・・・・・・って、そいつも忘れてるか?なんにしても名前がないと不便だな。そんならなんか」 「アーロン」 「なんだ、名前は覚えてんだ。そんなら大丈夫、じきに全部思い出すさ。−−−−おー、あったあった。んじゃ見ようぜ、アーロン。オレもこれ見るのは久しぶりなんだ〜〜〜〜〜〜〜」 セプトはスフィアをテーブルに置き、再生した。 スフィアが映し出したのは壮麗なブリッツボールスタジアム。多くの照明に照らされて美しく輝くスフィアプール。 そしてその中を自在に泳ぎ回る、まだ20かそこらの若き日のジェクト。 あいつにもこんなういういしい頃があったんだ−−−−−。そんなあたりまえのことに気がついて、アーロンはちょっとおかしくなった。あいつはこの頃から傲慢で尊大な奴だったんだろうか?それとも、新人選手らしく少しはひかえめだったのか? アーロンはふっとセプトの顔を見た。どうして自分が彼の言うままについてきたのか、ようやくわかった気がした。 この男は、ジェクトに似ているんだ。顔かたちがではなく、性格が。マイペースでがさつであけっぴろげで。 かつての自分ならば、受け入れることのできなかった性質の人間。 しかし、今ならわかる。粗野な行動や外見に隠れて時には見えなくなってしまう純粋なまでの優しさが。 アーロンはジェクトに感謝していた。 この男に巡り会わせてくれたことに。 人の心根がわかるように自分を変えてくれたことに。 |