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REBIRTH・エピローグ




 時がそこまで来ている、それを予感してからどのくらいたっただろうか。
 変化の時を迎える長に、自分がなれるのかもしれない。そんな期待を抱いてフィンは生涯の半分を過ごしてきた。しかし予感は予感であって、それがいつなのかはっきりとはわからない。ましてや、自らの力で時を早めることはできない。待つうちに彼は年をとり、病を得た。そしてなかなか暖かくならない名ばかりの春は、弱った体をさらに痛めつけた。
 洞窟の入口のすだれを上げて、いっこうに降りやまない雨を彼はあきらめの思いで見ていた。自分の心を次の世代に託すことでよしとしなければならないのか、と。
「長、何してるんですか。こんな雨が降りこむとこで」
フィンは顔をあげた。頭からすっぽりと雨よけの油布をかぶった青年が前に立っていた。人の気配に気づかないことが増えたな、彼は自嘲気味に思った。
「そう思うんでしてら、無理はしないでください。酒もらってきました。温まりますよ」
青年は押し込むようにしてフィンを奥に行かせ、服をもう一枚無理矢理着せた。
 その青年ラスは、フィン自身が彼の次の長に選んだ男だ。彼がそうだったようにラスも、大地の言葉を聞き、種族の記憶を次世代に伝える大役を十分に果たしてくれるだろう。しかし−−−−近づいている時への彼個人の思いを青年がきちんと受け止めてくれるのか、彼には何とも言えなかった。
 ラスはフィンと違い、ひげを持たない。
「長」ラスは酒を木の器に注ぎ、フィンにすすめた。「また、『あの人』のことを考えていたんですか」
「−−−−ああ」フィンはほんのりと温められた木の実酒をすすった。「いいかげん、長の役目をおまえに渡さなければな。本当なら、もっと早くにそうすべきだったのだが。それを私のエゴで、今までのばしのばしにしてしまった」
「それは、誰よりも濃いあなたのひげゆえ、ですね?」
フィンは真っ白になった自分のひげを、いとおしそうになでた。
 本来、村の男たちはひげを持たない。それはフィンから数えて13代前の先祖がよその土地から来てこの村に住みつき、彼らの血の中に残していったものだった。だがその血もすっかり薄くなった。一目でそれとわかるほど明白な特徴を現す者が出なくなって久しい。そんな中でフィンは大人になると、先祖そのままに濃いひげをたくわえるようになった。
「長たる者は、覚えておかなければならないことはすべて覚えている。あの人が村にもたらした変化も、小さいものではあったが、決して忘れられてはならない大切な記憶だ。そのことを、あの人の血を持たない長も心に刻んできた。だが私は、あの人のことを語りつがれたものなどではない、私自身の体験のように、そう、私の父のように感じてきた。膝に抱かれ、愛されて育った子供のように。あの人の悲しみも、怒りも、安らぎも、あの人の短い生涯のすべてが私のものだ。しかし、今までの長で私と同じ感慨をもってあの人の記憶を受けた者はいない。おそらく、おまえも」
「長−−−−−」
「もう、そこまで来ているのだよ。あの人が遺した、新たな変化が。それをこの私が見届け、その記憶をみなに残していけると思ったんだが。しかしそれは、私の思い上がりだったのかも知れんな。私はもう長くない。あとは若いおまえに託すべきなのだろう」
「長。そんな気弱な」
「事実だ。ラス、おまえも長になればわかる。長が何よりもよく知っているのは、自分がいつ死ぬかだ」
ラスはまゆをかすかに上げた。
「先祖の記憶を子に伝えるのが長の最も大切な役目。記憶がとぎれぬよう、大地が長たる者に与えた一番大きな力が、それだ。村人をたばねる者としての長、それも大事な役目だが、決して重いものではない。だが、預言者としての、そして語り部としての長は−−−−。ラス、そのような役目を継ぐ者におまえを選んだことを、申し訳なく思っている」
 フィンはまた一口、酒を含んだ。これを味わうことのできるのも、あとわずかだ。
 彼らふたりは、長い間黙りこくって座っていた。雨の音だけが洞窟の中に響く。
 突然、フィンは頭を上げた。
「私を呼びに来る者がいるな」
「え?」
ラスは長い耳をそばだてた。
「ホントだ」ラスは立ち上がった。「まだオレなんかよりずっと敏感じゃないですか。エンギの悪いことを並べて、おどかさないでくださいよ。ちょっと様子を見てきます」
 ラスはひとりの男を連れて戻ってきた。壮年のその男は、冷たい雨が降るというのに雨具を使わず、全身びしょぬれになっていた。
 彼はすだれのところで立ち止まった。そして、今にも引き返して行ってしまいそうな様子で長の顔色をうかがった。
「エッツ、そんなところで濡れたままつったっていては、おまえがいかに頑丈でも体をこわす。入りなさい」フィンは言った。「それに、黙っていたところで、おまえの心を私に隠しておくことはできん。しかし、私は無理に心をこじあけることを好まん。体を拭いたら、私に言うべきことを自分の意思で言葉にしなさい」
 ラスは乾いた布を男にさしだした。エッツはいったんは布を受け取ったが、使わずに青年に返した。そして雨が避けられるだけ奥に入るとひざまずき、頭を下げた。
「私の3番目の息子が、長の命を破りました。耳の小さい一族の娘を、村に連れてきてしまったんです」
「なぜ」
「川でおぼれていたのを助けた、と言っております。息子はまだ成人前ですが、それでも耳の小さい連中に近づいてはいけないことは繰り返し教え、理解しているものと思っていたのに−−−−」
フィンはエッツの心に触れた。ほんのわずか触れただけで、彼の心が長の厳命にそむいたことへの罪悪感で一杯になっているのがわかった。それは当然のことだった。代々の長と同じように、似て非なる耳の小さい一族への禁をフィンも村人に与えてきたのだから。
 だが、それを破らせる何かが、起こった。
「おまえの子と、その娘に会おう」
フィンはゆっくりと立ち上がった。
「長、ご自分で行かれるつもりですか」ラスはびっくりして言った。「外はぬかるんで、足場が悪くなっています。ころびでもしたら。オレが代わりに行って−−−−」
「私の油布をよこしなさい、ラス」
 ラスがしぶしぶ渡した雨よけの布を体に巻き、フィンは雨の中に出ていった。その足取りはしっかりしていて、冬の間ずっと家にこもっていた年寄りのものとは思えなかった。



×××



 村はずれの空き家で少女は眠っていた。そばには彼女を助けた少年と村の薬師、そして女長がついていた。
「フィン、いらっしゃいましたの」若き女長ラルがまっさきにフィンを迎えに出た。「エッツが戻りしだい、私がくわしくお話ししにまいろうと思っていましたのに」
「絶対に自分で出向いて来ると思っていたくせに。幸いまだ、ここまで歩けないほど老いてしまったわけじゃない」
ラルはくすりと笑った。
「さ、どうぞ。あの娘ですわ。さっき一度目を覚ましたんですが、今はまた眠ってます」
「助かるのか?」
フィンは薬師に訊いた。
「水は吐かせました。大きな傷もないし、殺さなければ死にませんよ」
少々乱暴な物言いで、薬師は答えた。
 少女は年の頃12、3。赤っぽい短い髪、見慣れない仕立ての服。そしてなによりも違うのは、耳が村の人間の半分くらいの長さしかないことだった。
「おまえ」フィンは少年に語りかけた。「この娘は、最近この近くにやってきた一族の娘だ。子供のおまえでも、私たちと違うことは一目でわかるだろう。私は村の者に、彼らに私たちの存在を知られないよう行動するよう命じた。それは、おまえも父から固く言い渡されていたはずだ。だがおまえはこの娘を、自分から私たちの暮らしの場に引き入れてしまった」
「この子たちに近よっちゃいけないことは知ってました。だけどぼくは−−−−悪いことをしたなんて、思ってません」
少年は臆することなく言った。
「なぜだね?」
「だってこの子は、ぼくが助けなければ死んじゃってたんですよ。それでも、ぼくはいけないことをしたんですか?」
「ならば、なぜこの娘がおぼれていたことがわかった?川は水が増えて大人でも危ないというのに、何の用があって川に行った?」
「この子の声が聞こえたんです。助けてって声が」
「おまえは、長にウソをつくつもりか!」エッツがどなった。「耳の小さい連中の声が聞こえるはずがないだろう!」
「エッツ、おまえには息子が嘘など言っていないことがわからんのか」フィンは男をたしなめた。「おまえは黙っていなさい。−−−−それから?」
「声のする方に行ったら、この子が流されているのをみつけました。しばらく追っかけてたら、いつも水を汲んでいる岩場にちょうどひっかかって。大人を呼ぼうかなとも思ったんだけど、そんなことをしているうちにまた流されちゃいそうな気がして。・・・・ぼくひとりでもなんとか助けられて、よかった」
少年は照れくさそうに言った。
「そうか。よくわかったよ」
フィンは少年の頭をそっとなでた。
「しばらく私とラルだけにして欲しい。いや、ラスはここにいなさい。あとの者は外に」
だが少年は座り込んだままだった。父親が息子を力ずくで連れていこうとするのを、フィンは制した。
 そして、少年に優しく言った。
「心配するな。せっかくおまえが救った命だ。それを無にしようというのではないよ」

×

 少女は眠りつづけていた。女長は彼女のひたいに触れて、さらに深い眠りにとさそった。
「長、何をするつもりなんですか?村の記憶を消して、帰してやるんですか」
ラスが訊いた。
「違う。いや、ことの次第によってはそうなるが。−−−−黙って見ていなさい」
 フィンは左手を少女のひたいにあて、右手で彼女の左手を握った。目を閉じ、精神を集中する。
やがて彼の心は、少女の中にすべりこんだ。




 最初に見えたのは、川に落ちる少女の姿だった。
 長雨に困っていたのは彼らも同じだった。食料や薪は不足しがち。そしてまだ子供の彼女は、家にこもっているのに飽きてしまった。彼女はほんのわずか雨が小降りになったと見ると、野草を取りがてら遊びに出た。そしてこわいもの見たさで水かさの増した川に近寄り、あやまって足をすべらせたのだ。
 彼女はわずか7家族の小さな集落に住んでいた。集落といっても、ようやくそれらしきものになったに過ぎない。住むに適した場所を求めてやって来た彼らが居をさだめ、家を建て、わずかばかりの農地を作りだしたのがやっと2、30年前のことだった。
 フィンは少女の心のさらに奥へもぐり込もうとした。少女自身の記憶ではない、潜在意識のそのまた奥の方へ。もしそれができなければ、ラスが言った通りここでのことをすべて忘れるように暗示をかけて、終わりにしなければならない。
 だが思いもかけずすんなりと、少女の心はフィンを受け入れた。そして彼女が生まれるずっと昔へと彼を導いた。彼女の父の、祖母の、そしてそのまた前の先祖の心の中へと。



 やがてフィンはひとりの男の心の中で立ち止まった。



 そこはかなり大きな町だった。荒れ地の中に突然沸きだした町。何十キロも離れた湖から流れる川の水、そしてそのほとりに生える少しばかりの植物がほとんど唯一の資源だ。たいした数の人間を養うことのできない環境、それなのに家はせせこましく建ち並び、狭い道路は人でいっぱいだった。
 彼は、近々町を離れる開拓団に加わるため、身の回りの整理を済ませていた。自分自身で決めたことではあったが、それでも彼の心は今だ揺れていた。
 それまでにも多くの開拓団が町を出ていき、いくつかは新たな町を作りあげることに成功した。しかし、行方知れずになってしまった人の方が多い。その中のひとりに自分がなってしまうかもと思うと、怖くないはずがない。
 だが、このまま町にとどまっていたところで先は知れていることもわかっていた。これまで町の生活を支えてきた地下廃墟の物資は底をつきかけている−−−−−



 フィンはその男から離れ、さらに時をさかのぼっていった。



 死にかけた地下都市で、彼女は自分自身の生をも終えようとしていた。
 よどんだ空気。薄暗い空間。水も食料も、命をつなぐに必要なものはほとんど手に入らない。十分な制御の及ばなくなった地下都市は、そこが人間の住む場所ではないという事実を今さらのように露呈していた。
 生活の糧を今までと同じように地下に求めることはできなくなり、人々は次々に地上へと出ていった。彼女の3人の子供たちも。太陽を恐れぬ世代が育ち始めていた。
 しかし年老いた彼女は、だだっぴろい空間への恐怖にとうとう打ち勝てなかった。それに、無理して地上に出ていったところで、自分の生きられる時間はたかが知れている。それならば、いっそのこと早く死んでしまいたい。子供たちにこれ以上心配をかけたくない−−−−−



 彼はずいぶん久しぶりに一息ついた。
 水、食料、空気、照明、日用品。それを供給するための電力が少なくともあと半年、ぎりぎりまで節約すれば1年は持たせられるだけのエネルギーが確保できたのだ。
 必要な電力量が減ったのも、余裕ができた一因だった。人口がまたも一度に大量に減り、いくつかの居住区が閉鎖された。彼はほっとしながらも、やりきれない思いで発電所の制御パネルを見つめていた。
 減った人間たちはどこに行ったか?その大半は、電力に姿を変えたのだ。大量に供給された、人間の死体という資源。昔から利用してきた−−−−しかし割り切って使うには、あまりにもいたましい。あるべき形の生を終え、順当に死んだのならともかく。
 生活不安から繰り返される暴動、そして死ななくてもよかったはずの人々の体を食いつぶさなければ残った者も生きていけない。彼が物心ついた時にはすでに人間はこうして暮らしていて、それ以外の社会など知らない。しかし、これが決して素晴らしい世界ではないことぐらい彼にもわかっていた。
 地上に出ていこうか。彼は一度ならず、そう考えた。外にならとりあえず空気はある。水もある。一日の半分は電気を使わなくても明るいし、食料もなんとかなるだろう。昔、人間は地上で暮らしていたそうだ。なんとかならないはずがない。今だって、まだほんの千人くらいだが、地上に住んでいる人もいる。彼の曾祖父にあたる人も、晩年を地上ですごしたそうだ。そして亡くなると、大昔の人々と同じように、土に埋葬されたとも聞いた。
 ひいおじいさんに一度会ってみたかったな。そうしたら、もう少し勇気が持てたかも知れない。自分が地上に出て行けない理由を家族のせいなどにせずに−−−−−−−



 自分の足の下に200万もの人が住んでいたのが、ほんの4、50年前のこととは。
 若かった時分を、彼はついこのあいだのことのように鮮明に思い出せた。だからこそ、信じられなかった。これほどまでに世界が変わってしまったことが。
 彼が20代の頃だった。つなわたりのようにかろうじてバランスをとってきた地下都市が、つなから足を踏み外したのは。
 それは、ほんのささいなことから始まった。
 管理階級にあったある人物の不正が突然明るみに出た。それがたったひとりのことだったならば、何も変わらなかっただろう。しかし時間をおいて思いついたように2人、3人とどこからともなく秘密が漏れ、それがいつ終わるともわからずに続いた。
 管理階級の人間で、自分の利益のためになんらかの不正行為を行っていなかった者はむしろ、少ない。次は自分の番かも知れない。苦しい立場に追い込まれる前にある者は中流市民の中に紛れ込み、ある者は自らの命を断った。
 そしてある者は、不正の証拠を消すために管理コンピューターを機能不全に陥らせ、他の都市へと逃げていった。
 コンピューターによる完璧な管理の上に成立していた社会は、ひとたまりもなかった。権力者たちは大混乱におちいった都市からあっという間に他の都市へ移住してしまい、それがかなわぬ人達が後に残された。そして他の4都市はこの街を−−−−イルクーツク市を見捨てたのだ。
 一応の平静を取り戻すまでに、人口は半分以下に激減した。もっとも、人口調査などできなかったのだから、推定にすぎないのだが。
 彼は妻を早くに亡くし、5人の子供も、うち3人を混乱の中、病気、暴動で失った。残ったふたりは無事成人し、それぞれ家庭を持った。彼が子育てをしていた時期に比べれば都市の環境はまだましになり、孫はひとりを欠いただけであとは順調に育っている。
 それでも、地下都市は二度と人間の世界にはならない。なる必要はない。
 地上という、人間がやって来るのを待っている世界がここにあるのだから−−−−−。
 そのことに、どうしてあの時、気がつかなかったのか。
 年を取り体力の衰えた今では、地上に出て行こうにも、もう遅かった。かつての航空機発着口のそばで、結局は地下都市につながれたまま形ばかり地上に住むのがやっとだった。そして彼の子供はふたりとも父親を変人扱いするばかりで、ついて来てはくれなかった。
 しかし、地下の暮らしにさっさと見切りをつけた若い人たちが彼の新しい『子供』になった。そして、彼らが地上に最初の足場を作るのを見とどけることができた。
 それだけでも幸せだった、と彼は思う。
 いつか人類は、地上へと還っていく。
 あの人が還っていったように−−−−−−




−−−−むかしむかしひとびとは、土の上にすんでいたんだよ・・・・・




 フィンは自分の体の中に戻った。彼の右手はすっかりこわばり、少女の手とくっついてしまったかのようになっていた。
「フィン」ラルは彼の手をさすってほぐしてやった。「ようございましたわね」
「−−−−−ああ」
 フィンは少女の寝顔を見つめた。あどけない、小柄な娘。この娘が、ひとつのしるしなのだ。彼はもう一度少女の手を握り、感謝した。私が生きているうちによく来てくれた、と。
 彼はずいぶん長い間、少女の寝息に耳を済ませていた。が、やがて名残惜しそうに立ち上がった。
「では、ラル、あとは頼んだよ」
「はい」
 フィンはラスをしたがえて外に出た。それを待ちかねていたかのように、一番近い家からあの親子が彼らの前に飛び出してきた。
「あの、長、その、・・・・・・・・・うちの息子はどうしたら」
「どうしたら?」
「どんなおとがめでも受けます。なんなりとおっしゃってください」
「・・・・・・・・・・そうだな」
フィンは気難しげな顔で、父の背中から頭をのぞかせている少年を見つめた。
が、ふいににこりとして、言った。
「あの子はもうすぐ、目を覚ます。元気になるまで村で世話するから、おまえが最初の友達になってやりなさい」
少年の心の色がぱっと明るくなった。それがフィンにはたまらなくうれしかった。



×××



 雨はまだ降り続いていた。フィンの足取りは、行きとはまるで違い、おぼつかなかった。水たまりに足を取られ、彼はよろめいた。ラスはあわてて彼をささえた。
「ありがとう。・・・・・・・・・さすがに、疲れたな。あんなこと、この年になって、することじゃない」
「何をなさったんです、長?あなたが娘の手を握ってすぐ、あなたの心がどこにも見えなくなって、気が気じゃなかった」
フィンは青年に向き直り、言った。
「ラス。あの娘が元気になったら、家族のところへ送り届けてやりなさい。それがおまえの長としての、最初の仕事だ」
「帰すんですか?あのまま?それとも、オレが彼女の記憶を消すということですか?」
「今夜、長の役目をおまえに託す。そうしたら、おまえはすべての答をおまえ自身の中に見つけられるようになる。命を救った少年と、命を救われた少女。あの子供たちがいったい誰なのか、も」
「長・・・・・・・・・・」
 ラスからの言葉はそれ以上なかった。フィンが青年から感じたのは、とまどい。長の名の重さを初めて実感する−−−−。それは彼自身、覚えのあることだった。
 長であるというのは、つらいことだ。忘れることができないというのは。自分自身のものだけでなく、何百年、何千年、何万年もの人間の記憶を背負わなければならないというのは。
 だが時には、他の者には味わえない至福を感じることもできる。
 忘れることができないがゆえに。



 私はあなたのことを覚えている。一度も会ったことのないあなたのことを覚えている。
 大地をないがしろにしたことに対する罰を受け、ふたつに引き裂かれた私たちが再びひとつになる、その最初の人となったあなたのことを覚えている。−−−−クリュセ。
 あなたは今も、ここにいる。




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