REBIRTH・8章
イルクーツク空港は、はちの巣をつついたような騒ぎになっていた。しかし騒いでいる誰もが、この事態にどう対処したらいいのかわかっていなかった。シティ間の航空網が整備されて500年、その間にハイジャックが起こったのは一度だけ。これが2度目だった。対処のノウハウなどないに等しかった。 犯人は搭乗口で乗客のエリートを襲い、人質にして操縦室にひきずっていった。近くにいた客も、事件時の訓練を受けていない乗員たちも、何度か威嚇発砲されると抵抗することなく道を開けた。 「空港警備をどうにかする必要があるようだ。あとで関係者に進言してやれ」 操縦室にたてこもると、彼は人質の手足をベルトで縛りあげた。 「きちがいめ!こんなマネをしてただですむと・・・・・・・・・・・」 「やかましい」 彼は人質の手首をさらにきつく縛った。 操縦席の通信機がガタガタと音を立て始めた。やがて、うわずった声が流れてきた。 『キリエ・クリュセ、聞こえるか?』 クリュセは苦笑いした。 「オレもずいぶん有名になったもんだ。おかげで名乗る手間がはぶける」 マイクの向こうでは、おきまりの説得が始まった。クリュセは操縦室の設備を確認しながら、一段落するまで好きに言わせておいた。 「そっちの言いたいことは済んだな?では、今度はオレの話を聞いてもらおう。まだ機内に残っている者がいたら、ひとり残らず降ろせ。それから、パイロットを一名要求する。目的地は、ソルト・レイク・シティだ」 『だが、その機はラサ行きだ。ソルト・レイク・シティまでは飛べん』 「だったらさっさと追加給油しろ。こいつは長距離飛行の可能な機種だろう。オレの要求はそれだけだ。ここにころがっている奴はオレにとっては何の価値もないことを忘れるな」 管制室ではまだ何かわめいていたが、クリュセはそれを無視した。マイクの向こう側は、やがてあきらめて沈黙した。 「ということで、しばらくつきあってもらう。運が悪かったと思って、がまんしてくれ」 クリュセはどことなく楽しげに人質の頭をこづいた。生乾きの血に汚れた顔で微笑まれ、人質になった男は頬をひきつらせた。 パイロットがそちらに向かうと、かなり時間がたってから連絡がきた。クリュセは窓際に寄って様子をうかがった。アタッシェ・ケースを持ったパイロットは要求どおり、たったひとりタラップを登ってきた。パイロットは一度立ち止まると、操縦室を見上げた。その顔を確認して、クリュセは眉間にしわをよせた。 「・・・・・・・・・・犯人があなただと聞いて、志願しました」 コックピットのドアの前で、エドベリは青ざめてそう言った。 「カバンを開けて、中をかき回して見せろ」 クリュセはドアのすきまから銃をエドベリに向けた。エドベリは言われた通りにした。チャートや書類しかないとわかると、クリュセは彼を中に入れた。 「お願いです、すぐにこんなことはやめてください!あなたは本当に犯罪者に−−−−」 「やかましい!」彼はエドベリの足元を狙って撃った。「気に入らないなら、すぐ出ていけ!誰か別の奴に代わってもらってこい!」 エドベリは唇をかみしめた。彼はそれ以上何も言わず、操縦席に座った。 エドベリは手際よく離陸準備を進めた。その姿を眺めながら、クリュセは考えこんでしまった。ただでさえ狂いっぱなしの予定が、余計に面倒になった。その解決方法もひねりださなければならない。 準備が整うと、エドベリは管制室を呼んだ。 「DA452ラサ変更ソルト・レイク・シティ1500離陸します。VIA、PO及びPB」 「VIAポイント変更。PQ及びPBだ」 クリュセは言った。 「しかし、今日の気象条件では−−−−」 「変更しろ」 彼はポイントを管制室に伝え直した。少々の押し問答の後、離陸許可が下りた。 クリュセとエドベリ、そして人質の3人を乗せた飛行機はイルクーツクを離れた。 20分後、機体は安定し、オート・パイロットに切り替わった。エドベリは操縦席からそっと振り向いた。人質の男は上昇時のショックで隅の方にころがっていっていた。クリュセは補助席に座り、窓の外を眺めていた。 眼下には低い山々が連なっていた。 「キリエ、その・・・・・・あの、頬は、どうされたんです?」 エドベリはこわごわクリュセに声をかけた。 「かすり傷だ」 クリュセはうわの空で返事をした。 「なぜソルト・レイク・シティに−−−−いえ、それよりも、なぜこんなことを?着いてすぐ、逮捕されるに決まっています。そうしたら、今度こそ・・・・・・・・・!」 「ソルト・レイク・シティには行かん」 「今ごろ目的地変更ですか?!これからだとベイジン(北京)にしか−−−−」 「少し黙ってろ」 二度とシティに戻るつもりはなかった。イルクーツクだけでなく、どこの都市にも。クリュセが目指しているのは、親友や妻のいる村。彼が指定したコースならば、彼らの行動範囲の上空を飛ぶはずだった。 シティでなすべきことはやり終えた。そして妻や子のところに帰ろうとしている。しかしクリュセの心は重かった。 シティには絶対に戻れない。そこまで自分を追いつめた後になって思い当たった、ひとつの可能性。 村の人々が以前と同じように自分を受け入れてくれる保証が、どこにある? 彼らの仲間になるきっかけをつくってくれたサーク、家族を愛する喜びを取り戻してくれた妻のリン、そしてたったひとりの息子。いろいろあったが、結局は自分を受け入れてくれた村の人々。きびしくも楽しい日々。そのすべてを突然捨てて、シティに帰ってしまったのだ。そんな自分を、彼らは拒絶するのではないか?結局は自分たちとは違う一族、交わることなど初めから無理だったのだと。 彼らに見捨てられたら、オレはどこに行けばいい? 人質の男は、クリュセが自分にまるっきり注意を払っていないと見て取ると、エドベリに目配せした。彼はそっと操縦席を離れた。クリュセは頬杖をついたままだった。エドベリはもう少し人質の方に近づいた。 「それ以上動くな」 ふたりは凍りついた。クリュセは姿勢はほとんど変えずに、銃口だけを彼らふたりに向けていた。 「余計なことはするな。オレは操縦できん。パイロットを殺すわけにはいかないんだ」 クリュセは人質の方に歩み寄った。 「わ、私ならいいと言うのか?」 男は体をよじらせ、逃げようとした。 「状況による」 クリュセは男の頭を床に叩きつけた。男はあっけなく気を失った。 「こ・・・・・殺したんですか」 「この程度で死ぬもんか。あまり妙な行動はするな。オレはおまえを殺したくない」 「だったら、教えてください!どうしてこんなことをなさったんですか?あなたはご自分の命をどう思っておられるんですか?僕はあまり頭のいい方ではありませんけど、刑務官のはしくれです、ただで済まないことくらいはわかります。僕もこの人も無傷で解放されたとしても、その後あなたはどうなるんですか?追放で済めばまだしも−−−−−!」 「よくわかっているじゃないか。だけどな、シティでおとなしくしていたとしても、同じことだったんだ」 「どういうことです?」 「エドベリ、おまえがハイジャック機に乗る、と言った時、泣いて止めた人間がいたか?」 「僕のことはどうだっていいじゃないですか!」 「答えろ。大事なことだ」 「ええ、まあ・・・・・・・・・・いましたよ」 「恋人か?」 エドベリは真っ赤になった。 「そうか。うらやましいな」 「あなたが?僕を?うらやましいのは僕の方です。ローワー出身というハンデを乗り越えて、シティに重用され、好きな研究に専念できて−−−−−」 「つまりおまえは、こんなもんが欲しいのか?」 クリュセは人質の耳からセルを取った。そしてエドベリに、指先でひらひらと揺らして見せた。 「シティが勝手に判断した、『能力を最大限に生かす仕事』をさせられていただけだ。父を殺され、母を捨てさせられ、友人も、貧しくてもそれなりに満たされていた毎日も奪われ−−−−−その代わりに、人のうらやむ地位と生活を与えられた」 クリュセはセルを握りつぶし、エドベリの目の前に捨てた。 「だけど、オレが欲しかったのは、恋をして、家庭を持って、時には家族とケンカして−−−−。平々凡々な暮らし。バカみたいだろう?」 「それは・・・・・・・・・・」 エドベリは口ごもった。 「おまえにはわからないだろうな。それをあたりまえのものとして持っている人間には。だが、そんなことがエリートには許されない。エリートも結婚する。子供も造る。しかしそれは、シティに有用な子供を生産するための、計算づくの掛け合わせだ。心はそこには、ない。エリートは血の一滴までシティのものだ。権力はある。しかし、個人はない。セルでひとつに結びつけられた、シティの言うなりに動く愚鈍な機械にすぎない。−−−−そう、セルという言葉自体が、オレには耐えがたかった。現代語では小型の機械の意でもっぱら使われている言葉だが、語源をたどれば『細胞』という意味があった。それを知った時オレは、エリートとは何なのか、わかったと思った。−−−−オレはそういう身分に、価値を見いだすことができなかった。生きている、と感じることができなかった。オレはそんな小市民なんだ。並よりちょっとばかり頭の回りが早いだけの。どうだ、がっかりしたか?」 「そんな・・・・・そんなこと・・・・・・・。それより、ちゃんと説明してください!あなたは何の理由もなくこんなことをする人ではないでしょう?!」 「仕方がなかったんだ。イルクーツクにいるのが危険になった。文字通りの意味で」 クリュセは頬の傷にそっと手をやった。血はすっかり乾いていたが、喋るたびに痛んだ。救急箱を出そうとするエドベリを制し、クリュセは続けた。 「シティに帰ったら、どんな理由をつけてでもいいから、しばらく休暇を取れ。イルクーツクから離れろ。もうすぐエリートたちの間に恐慌が起こる。ミドル・ノーマルには直接影響はないと思うが、念のためだ」 「どういうことですか?」 「市民登録コンピューターに、ちょいと細工をしてきた。オレが行方不明になれば、プログラムが動きだす。もう少し時間が欲しかったな・・・・・・・・・。完璧なものをしあげるまではシティにいるつもりだったんだが。こんな派手ないざこざを起こすつもりもなかった。−−−−−だが、そうも言っていられなくなってしまった。中途半端なしかけだ、それほどの影響力はないかも知れん。しかし、少なくともしばらくは行政がマヒするはずだ」 「行方不明、って・・・・・・・・・!」 「今、どのあたりを飛んでいる」 エドベリはさらに質問を重ねようとした。しかしクリュセはそれを許さなかった。エドベリは操縦席に戻り、どもりながら緯度と経度を読み上げた。目的地へあと50キロぐらいだった。 もう一刻の猶予も許されなかった。 しかしクリュセの心は、今だ大きく揺れていた。 シティに戻れば、警備庁は彼を逮捕し、今度はあとくされなく処刑してしまうだろう。それがわかっていても、もうひとつの道に身をゆだねる決心がつきかねた。 村人たちに拒絶される。家族を失う。その可能性をクリュセは恐れた。シティに戻れば間違いなく命を断たれる、その確実性以上に。 クリュセはもう一度、現在位置を訊いた。 ほんの少し考え事をしているうちに山岳地帯を抜け、目的地上空にさしかかっていた。 クリュセはオートパイロット解除を命じた。そしてその近辺を低空で旋回させた。 「キリエ、おっしゃる通りにしましたが・・・・・・・・・」 「オレはこのあたりで発見されたんだよ、エドベリ」 「ここ、ですか?」 草原が風に波うっていた。川が初夏の日差しをはねかえしていた。小高い山がところどころにこぶのように突き出していた。 そのうちのどれかに、サークたちの村がある。妻と息子がそこにいる。変わらぬ心で待っていてくれるかどうかはわからない。しかしこの風景のどこかに、いる。すぐそばに。 クリュセの心から、迷いが消えた。 拒絶でもいい。彼らの本当の気持ちを知りたい。妻と子にもう一度会いたい。そうしたら、殺されたってかまわない。 オレの選択は、成人の儀を受けたあの夜に済んでいる。そしてそれを後悔などしていない。 オレは帰りたい。彼らの輪の中に。 オレは心から望む。大地よ、オレの想いを受け止めてくれるのなら・・・・・・・・・。 その時、声が届いた。 ・・・・・・・クリュセ・・・・・・・ クリュセは耳をそばだてた。 「エドベリ・・・・・呼んだか?」 「は?いえ」 クリュセは窓にはりついた。草原にばらまかれたように生える木々がかろうじて分かる。 その中の一本が、突如クリュセの目を捕らえた。 「−−−−−−!」 低速とはいえ飛行機、その木はあっという間に遠く離れていく。それにもかかわらず、どの木か鮮明に識別できた。 クリュセは窓に額を押し当てた。そして声にならない声を、のどの奥から漏らした。 「キリエ、どうなさったんです?気分でも?少し揺れましたから・・・・・」 「気分−−−−−最高だよ!」 あの木のそばに、村の男たちがいる。クリュセにはそれが見えた。彼らの声が、聞こえた。 −−−−−帰ってこい。おまえが、望むなら。 「・・・・・・エドベリ、オレは、もう行くよ」 「行くよ、って・・・・・・」 クリュセは黙って地上を指した。 「なぜですか?!死ぬおつもりなんですか?!せっかく生きて帰ったというのに!そりゃあ、シティに戻ればあなたのお立場は・・・・・でも何か方法が・・・・・・僕だって、及ばずながら・・・・・・・・」 「オレが帰るのは、やっぱり、ここだ。シティにはやり残したことをかたづけるために、一時的に戻ったに過ぎない」 「キリエ、あなたは自分が何を言っているのかわかっておられるのですか?!あなたは・・・・・・・・・」 「狂ったのか、とでも?そう思うなら、それでいい。そういうことにして、オレのことは忘れろ。しかしその前に、ちょっとやっかいなことがあるだろう。警備庁があっさりとおまえを解放してくれるとは思えん。さんざんオレにまとわりついていたから、余計にな。そこでだ」 クリュセは人質をちらりと見た。まだ気を失ったままのようだった。念のため銃を鼻先に突きつけてみた。何の反応もなかった。 「キリエ!やめてください!」 勘違いをして、エドベリが叫んだ。 クリュセは銃を投げ捨てた。 「オレが今から言うことを、しっかり頭に叩きこんでおけ。いいか。−−−−あんまりうるさいんで、オレは人質を殺そうとした。それをおまえが止めようとしてとっくみあいになった」 クリュセはいきなりエドベリを殴った。青年は壁に叩きつけられた。頬が見る間に腫れた。やりすぎたか、とクリュセは額を打った。 「・・・・・・・・・で、その最中に非常用ハッチがショックで開いた。オレはそこから外に吸い出され、行方がわからなくなった。−−−−−それが、事実だ」 クリュセは人質を椅子に座らせ、シートベルトを締めた。エドベリにもそうするよう言った。そして座席下のパラシュートを引っ張り出し、背負った。 「キリエ・・・・・・本当に、外へ」 エドベリはまともに動かない口で言った。 「おまえには、感謝している。しかし、オレには何もしてやれない。シナリオ通りにうまくやれ。そしてオレのことはきれいさっぱり忘れて、恋人と幸せに暮らせ。あんな街でも、居場所があるのなら−−−−−。それがオレの望みだ」 クリュセはエドベリの口の端の血を拭った。 「−−−−−−すまなかった」 クリュセはハッチの前に立った。早くシートベルトをしろ、とエドベリをせかす。しかし言うことを聞きそうにないと見ると、やむを得ずクリュセはハッチの開閉ボタンのカバーを叩き割った。 風が舞い込んだ。一瞬吹き飛ばされそうになった。クリュセは手すりを握りしめた。後ろを見れば、エドベリは必死になって座席にしがみついていた。 クリュセは地上を見下ろした。飛行機は旋回を繰り返し、また元の所に戻ってきていた。あの木へと、少しずつ近づいている。 −−−−−帰ってこい。おまえが、望むなら。 声が再び、彼の心に響いた。 クリュセは照れくさそうにエドベリに手を振った。そして宙に身を踊らせた。 |
××× |
上には青、下には緑。何にも束縛されない。あるのは、大地の意志だけ。 恐れ、不安が何ひとつないわけではない。寒さ、ひもじさ、獣との命を賭けた真剣勝負。5年の間に目の当たりにした自然の冷たい仕打ちは、これからも繰り返されるだろう。 それでも。 どうにも埋められぬ村の人々との間の溝に苦しむこともあるだろう。シティを捨てたことを後悔することすらあるかも知れない。 それでも。 それでも、かまわなかった。自分の望みを知り、道を選択する。それが許されただけで。 −−−−クリュセ、おのれの欲するところを心から望め。それが大地の心に適うならば、おまえは自由だ! パラシュートが開いた。 大地は大きな手で、クリュセを迎え入れた。 |