Home NovelTop



もうひとつの形・1
Another One




 淡い雲がゆるやかに流れる、透き通るような秋の空がエスタシティの上に広がっていた。気持ちのいい、旅立ちの朝だった。今日から、3週間の予定の取材旅行が始まる。
 ラグナは多くはない荷物を手早く車のトランクに積み込んだ。そして、マンションの玄関口まで見送りに出てきていたエルオーネの方に振り向いた。
「ホントにオレが留守の間、ウィンヒルに帰らなくてもいいのか?」
「先月も帰ったばかりだから、今度はいいの。せっかく学校に通わせてもらってるのに、そうそう休んでもいられないでしょ。私ね、小さな頃ちゃんと勉強できなかったから、こういうのにあこがれてたんだ。友だちもできたし、ご近所の人たちにもよくしてもらってるから、おじさんが心配しているほど淋しくってしょうがないってことはないわ。下の階の奥さんにはまたエスタ料理を教えてもらう約束してるの。帰る日が決まったら教えてよ。新作料理を作って待ってるからね」
「そいつは楽しみだ。エルの料理は絶品だからな」ラグナは出かける前にいつもするようにエルオーネの頭をくしゃくしゃなでると、運転席に乗り込んだ。「んじゃ、行ってくる。3日にいっぺんは電話するからな。なんかあったら教えといた出版社の方に連絡くれよ。そいから−−−−−」
「いつもと同じことをいつまでくどくど言ってるんだ、ラグナくん。そんなに心配しなくても、君なんかよりエルオーネの方がよっぽどしっかりしている」
助手席のキロスがつっけんどんに口をはさんだ。
「ほんとそうよ。おじさんこそ、道に迷ったりケガしたりしてキロスさんたちに迷惑かけないようにね」
「へいへい」ラグナは肩をすくめた。「そんじゃ、今度こそ行くな。やっぱり淋しくなったらウィンヒルに帰ってろよ。外務省に声かけりゃ誰かつけてくれるからさ」
 まだ朝早く、ハイウェイはすいていた。ラグナたちが乗った車は快適に国境のゲートへと向かった。
 他国との国交が回復してようやく1年。まだ出入りできる場所は1カ所しかなく、通行に少々面倒な手続きが必要とはいえ、以前と違いエスタへの道は秘密でもなんでもなくなっていた。国交のなかった頃にも何度となく他国との行き来をしていたラグナたちだったが、あの頃に比べると国境越えは格段に楽になっていた。それでもやはりエルオーネをひとりで安心して出せるほどではなく、仕事でエスタを出る時に彼女も連れていき、ウィンヒルに里帰りさせていた。そして今度もそのつもりだったのだが彼女は、エスタに残ると言い出した。
「あのさあ、エルだけどさあ・・・・・・・・・・・。なんか最近、あんましウィンヒルに帰りたがらないような感じがするんだけど、気のせいかな?」
今まで−−−特に初めの頃は、ウィンヒルに滞在できるのがほんの1日2日でも必ずついてきていた。エスタへの帰り道ではいつも、楽しげに村でのできごとをラグナに話していた。村人の彼への態度や悪口に心を痛めてはいたが、だからこそみんながラグナおじさんのことをわかってくれるように自分ががんばらなきゃねとも言っていたのだが。
「ホテル暮らしってのは落ち着かないのかな?そろそろ思い切ってウィンヒルに家を買うか。エルの親父さんが建てた家ならずっと空き家のまんまだから、あそこを直してさ。もともと住んでた家を買い戻せたらいいなと思って待ってたけど、どうやらしばらくはムリっぽいもんな」
今あの家に住んでいるのは画家で、田舎の風景を描くために長期滞在していた。そして当初は来年初めには別の土地に行く予定だったのがもう1、2年いることになったと、前回ウィンヒルに寄った時に聞いた。あそこを気に入って住んでいる人を追い出してまでなんてことは考えていない。
「あ、それともさ。ウィンヒルに帰ったら食堂を始めたいようなこと言ってたから、本気なら修行に出るかって訊いてみようか。確かにエルは料理がうまいけど、それだけじゃ商売にならんもんな。めんどう見てくれそうな知り合いも何人かいるしな」
そのためにも1階が店舗になっているあの家を買い戻したいと思っていた。もしかしたらエルオーネが店を始められるようになるまでに売りに出てくれるかも知れないし、そうでなくても1階だけ借りることはできるだろう。
「・・・・・・・・・って、そーゆー話をしたのはもうずいぶん前のことだったような気がするな。ここんとこ自分のことにかまけてて、エルの将来のことはあんまし考えてやってなかったなあ・・・・・・・・・」
ラグナは頭をかいた。大統領職をしりぞいても結局はエスタ政府の仕事を主にやっていたうちは、エルオーネとよく今後の話をした。しかしジャーナリストとしての仕事が増え家を空けることが多くなると、必然的に彼女と話をする時間が減っていた。
「−−−−−それで、君はこれからどうするんだ、ラグナくん」今まで黙っていたキロスが言った。「ずっとエスタで暮らしていくつもりはないんだろう?私とウォードはこちらで家庭を持ってしまったから、今さらガルバディアには帰れないが」
「オレ?−−−−−そーなんだよな。これからはブン屋一本でやってくとなると、やっぱガルバディアに拠点を移した方がいいと思ってるんだ。エスタとの腐れ縁は切れそうにねえから行ったり来たりにはなるだろうけどさ。そんでもめでたくエスタ大統領の座からは下りたんだし、政府の仕事でお呼びがかかることも減ってきたし、ぼちぼち本気でデリングシティに家を探すことにすっかな」
「ウィンヒルには、帰らないのか」
「う〜〜〜〜ん・・・・・・・・・・・・・・。そりゃ、帰りたいのはやまやまだけどなあ。村の人たちの反応があんましよくないんだよ。せっかくエルにはよくしてくれてるのに、オレなんかがくっついてたらあの子もいづらいんじゃねえかと思うとさ。ま、デリングシティでも今よりウィンヒルにちょこちょこ寄れるようにはなるし、なんつってもあそこにはスコールもいるしな。あいつ、ガーデン卒業したあと引く手あまたの中から脇目もふらずにガルバディア軍の士官候補生になっちまって。おかげで、オレなんかよりリノアの親父さんとの方がよっぽどうまくやってるらしいじゃんか。まったく、あのくらいの年頃にはカノジョの存在ってのは大きいねえ・・・・・・・・・・・・」
スコールは今も、照れくさいから以外の理由でラグナを『父さん』と呼ぼうとはしなかった。しかしリノアの計らいで、互いの都合がつく限り会うことはできていた。がんこでかたくなで融通のきかないところはあいかわらずだが、そんなスコールにも惚れた弱みというものは通用するらしい。もっとも、会うには会っても、スコールはそっぽを向いたままろくに話もしなかった。それでも元気そうな息子の姿、なかよくやっている恋人たちの様子を見るのはラグナのなによりの楽しみだった。この調子ならリノアを『息子の嫁』と呼べる日はそう遠くないかもな、そう考えるとその日が待ち遠しくてならなかった。
「あ、今ちょいと思いついたんだけどさ。エルにも、エスタで好きな男でもできたんじゃねーか?あの子ももう25・・・・・いや、先週の誕生日で6になったか、その年ならそういう話のひとつやふたつない方が不思議なくらいだよな。もしそうなら、故郷よりもエスタの方がよくなっちまうよな。オレにも覚えがあるもんなあ」
「・・・・・・・・・・・・・まあ、そんなところだ」
「そっかあ、そんなところかあ−−−−−−−って、マジ?!」
ラグナはびっくりして訊き返した。キロスはフロントガラスの向こうに目をやったままだった。
「なんだよ〜〜〜、おまえがなにかとあの子の相談に乗ってることは知ってたけど、そんな大事なことまでオレに黙ってるワケ?!それならそれで、オレにちゃんと相手を紹介してくれればいいんだよ。エルが真剣に好きになった男ならオレは反対なんかしねーぞ。・・・・・・・・・・・・しねーぞ、って・・・・・・・・・・・ちょっと自信ねえな、あはははは」
ラグナはそういうシーンをひとりで想像してひとりで照れた。
「・・・・・・・・・・・・・君に言えるわけがないだろう」キロスはため息混じりに言った。「エルオーネは、君が好きなんだよ。父親代わりとしてではなく、男としてな」
「そりゃそーだ、オレだってエルが大好き・・・・・・・・・・・・・って、おい、今なんて言った!?」ラグナはおもわずブレーキを踏んでいた。「男として好きって・・・・・・・・・・・何をまたまじめくさった顔して冗談かましてんだよ!ありゃあオレの娘だぞ!?」
「君と血がつながっているわけでもなければ、君があそこまで育てたわけでもない。君が娘だと思っているだけの、ひとりの年頃の女性だ。−−−−−いいから車を出せ。こんなところで止まったりしては通行の邪魔だ」
おりしも一台の車がクラクションを鳴らしながら追い抜いていくところだった。
 ラグナはゆるゆると車を動かした。
 キロスは話を続けた。
「エルオーネはウィンヒルに帰りたいと思っている。しかしそれ以上に、君の帰りを待っていたい、君が帰る場所を守っていたい、そう思っている。そして君は、ウィンヒルに帰ることを半分あきらめかけている。−−−−−−つまりは、そういうことだ」
「いつからそんな・・・・・・・・・。ウォードも、知ってたのか?」
後部座席にはウォードも乗っていた。しかし、キロスの発言に驚いた気配はない。
「気がついてないのは君くらいのもんだ。もっとも私たちにしても、彼女の口から聞き出すまで確信は持てなかったがな」
キロスの口調は、どことなく気が重そうだった。
「前々から気にはなっていたんだ。それで一ヶ月ほど前、思い切って訊いてみた。最初は笑ってごまかしていたが、自分の胸だけにしまっておくのはやはりつらかったのだろう、結局話してくれたよ。再会してまもなく、君のことを『父親』とは思えなくなっている自分に気がついたとな。これは私見だが・・・・・・・・君がエルオーネといっしょに暮らしたのは本当に短い時期で、その当時、君は彼女に自分のことを『パパ』と呼ばせることもなかった。それゆえ彼女には君が『父親』だという意識はもともと薄かったのだろう。そして、彼女が知っていた君は、今の彼女とつりあうくらいの年だった。あの頃のことを思い返しているうちにいつの間にか−−−ということもあるのかも知れない」
「そんで・・・・・・・・・・・おまえはあの子になんて言ったんだよ?」
「何も。ただ、人に話すだけで気が楽になることもあるから、つらくなったらまた話し相手になってあげるとだけな。−−−−−−たった今、彼女の心の動きを推測するようなことは言ったが、正直なところ、あんなに若くてきれいな娘が50過ぎのじいさんがいいなどと言い出す気持ちはわからん。同世代の若い男といっしょになった方がよっぽどいいとも思っている」
「そりゃそうだよ。あれだけ美人で気だてのいい子なんだ、大事にしてくれる男はいくらでもいるだろうに何も好きこのんで−−−−−」
「しかしだな。年齢差がこういう感情を否定する決定的な理由ではないというのも本当のことだろう。再会してすぐの頃からと言うともう3年にもなるのか、その間、なんとか忘れようあきらめようとしてきたそうだ。君が自分のことを『娘』としか思っていないことは彼女もわかりすぎるほどわかっていたし、レインへの遠慮もあったのだろうな。しかし、それでも気持ちが変えられなかったというのは、それだけ真剣な証拠なのだろう。君にしても、この間それとなく訊いてみたら、20年前のことにはひとくぎりついたのだし再婚を考えるにやぶさかじゃないようなことを言っていたな?そして、レインのいない今、誰よりも君のことを理解している女はエルオーネだというのも間違いないことだろうとも思う」
「どっちだよ!そんで、オレにどうしろってんだよ!?」
「どうしろと言う気はない。思春期の子供じゃあるまいし、他人がとやかく口出しする問題じゃないだろう?しかし、君がこのことを誰かに相談するとしたら私たちしかいないからな。それで、無視するかのように黙っているのもどうかと思って、私とウォードの考えを参考までに言っているだけだ」
「そりゃそうだけどさ・・・・・・・・・・・・・!」
もっともだった。キロスはだいたいに於いて、もっともなことを言う。しかしもっともすぎて、時には腹がたつ。
「誤解のないように言っておくが、私はエルオーネとの再婚を勧めているわけじゃない。ウォードはどちらかというと賛成だそうだが、私はどうも、な。私にもエルオーネは君の娘としか見えないし、四半世紀の年齢差にも抵抗がある。それならば黙っていればよかっただろうと君は言うかも知れないが、それでも話したのは、君も彼女の気持ちを知っておくべきだと思ったからだ。その上で、受け入れるのも拒否するのも君次第だ。あるいは知らないふりをして通すのもいいだろう。実のところ、エルオーネに、君には黙っていてくれと言われていたんだ」
「そんなこと、言っても・・・・・・・・・・・」
「しかし、君がうろたえるのは想像するまでもなかったからな。へたに話をこじらせて、彼女と親子として接することすらできなくなるのは、君も不本意だろう?帰るまでに結論を出せとは言わん。でも、動揺だけは鎮めておけ。そのために、少なくとも半月はエルオーネと顔を合わさずに済む今を選んで話したのだから」
「・・・・・・・・・・・・・・・そんなこと、言っても、さ・・・・・・・・・・・・・・・・」
 ラグナにとってエルオーネはずっと、気持ちの上では5才かそこらの子供のままだった。しかし、3年近くをいっしょに暮らし、ようやく彼女を一人前の大人と自然に思えるようになってきたところだった。このことでも、キロスとウォードにはあの子をいつまでも子供扱いするなとさんざん言われてきたものだった。
 それが今度は、再婚相手として考えてみろ、だって??
 ウォードは賛成だと言う。キロスにしても、いちおう反対ではあっても、考えるまでもないこととまでは思っていないらしい。
 しかしラグナには、これは『考えるまでもないこと』だった。20年以上も実の娘同然に思ってきたエルオーネを、今さら『女』として考えられるわけがないだろう!
 このまま家に引き返してエルオーネにはっきりと−−−−と彼は一瞬考えた。しかし、それはやめた。こればかりは、キロスの配慮に感謝すべきだと思った。今彼女と話をしたら、確かに『娘』を失うようなことをしでかしかねない。
 ダメならダメで、言い方があるだろう。必要以上に彼女を傷つけず、自分の考えをわかってもらい、彼女の気持ちをもっと前向きな方向に変える言い方ってもんが。
 この仕事には最低でも2、3週間、長引けば1ヶ月くらいかかるかもとエルオーネには言ってある。つまり、考える時間がそれだけあるということだ。
 その間に、考えておけばいい・・・・・・・・・・・・・・・。
 やがて国境のゲートが見えてきた。旅はまだ、始まったばかりだった。




Home NovelTop Next