もうひとつの形・2
Another One
ラグナはウィンヒルの村はずれの空き地に車を止めた。 そして車から降りあたりの風景をゆっくりと見回すと、村の方へと歩き出した。中まで車を乗り入れられないわけではないが、よほど急いでいるとか天気が悪いとかでない限り、歩いて村に入るのを彼は好んだ。またここに帰ってきた−−−−その想いをゆっくりと楽しみたかった。ウィンヒルで暮らしたのは3年に満たない。それにもかかわらず、生まれ故郷のデリングシティ以上にここを故郷と感じていた。 村の道に吹く風は冷たかった。しかし、風がやむと日射しは暖かだった。道ばたには、気の早い雑草がところどころで芽吹いていた。春の兆しがそこにあった。 春か・・・・・・・・・・・。 ここに来て最初の春は、まだベッドにくくりつけられているような状態だった。しかしようやく人の手を借りれば起きあがれるようになり、医者の許可をもらって、家の外まで連れ出してもらった。戸口に置いた椅子に座っていただけだった、それだけでも、何ヶ月かの間狭い部屋がすべてだった世界が一気に広がった。日の光はきらめき、風は甘く香った。世界ってのはこんなに美しいんだ−−−−今思い出すと自分でも気恥ずかしくなるほど大げさに感動したものだった。 2度目の春には、レインと結婚した。かわいい娘まで一度にできた。50年、今まで生きてきた中で一番幸せだった春。 そして3度目−−−最後の春。村祭でエルオーネが春の妖精役に選ばれ、彼は妖精を村の広場で出迎える役目を頼まれた。それは普通、妖精役の少女の父親がやるものと聞いていたから、当然のこととして引き受けた。しかし祭の世話人が帰った後、レインがにこにこしながら耳打ちした。その年の豊作を約束する妖精を迎えるのは村の男の大事な役目、よそものにまかせられるようなことじゃないのよ、と。それを聞いて、自分が村の一員と認められたと知った。本当に、うれしかった。 ウィンヒルの春は、暖かい思い出と共にあった。 今年の春は、どんな思い出をオレの心に残していくんだろう・・・・・・・・・? ラグナはやがて、村の広場に着いた。そこに面して、かつて住んでいた家がある。パブの看板こそなくなっていたが、それ以外はあの頃と変わらないように見えた。 彼はそっと家に近づくと、窓から中をのぞいた。時々集会所として使われているという1階の店はがらんとしてどことなくほこりっぽかったが、内装はほとんどあの頃のままだった。 カウンターの中には、いつもレインの姿があった。ラグナも取材に出かけていない時には、よく店の手伝いをした。お客さんとおしゃべりばかりしてぜんぜん働かないんだから、と彼女にたびたび文句を言われたが、それを楽しみに店に来る客が増えてくることを喜んでくれてもいた。 かつて確かにここにあった、楽しい日々。 −−−−やっぱりオレはここに帰ってきたいんだ。この村に、この家に。 彼はあらためて、その想いを強く感じた。 エルオーネとふたりで帰ってくれば、あの頃のような日々がまた戻ってくるだろうか? エルオーネだけでもここに帰ってくれれば、彼女がここで幸せに暮らす姿が見られれば、それが自分にとっても幸せなことだと彼は思っていた。 しかしどうしたって、やはり自分はごまかせない。 エルオーネとの関係がこれからどう変わっていくのかはわからないが、家族であることだけは変わらない。それならば、どちらかが我慢したり自分を押さえてみたところで、相手が幸せになれるわけじゃない。 本当にエルオーネを幸せにしたいのならば、まずは自分が幸せにならないとな・・・・・・・・・・・。 ラグナは広場を通り過ぎると、さらに道を進んだ。そして、一見倉庫のようにも見える一軒の店のドアを開けた。そこは、村で一番大きな花問屋だった。 「あら、ラグナさん」 中で仕事をしていた中年の女性が顔を上げた。 「どうも、お久しぶりです」 「ほんとに。2ヶ月ぶりかしら。新年の挨拶に来て以来だから。−−−−あら?今日はエルオーネちゃんは?」 「今日はひとりで来ました。レインに話したいことがあって。墓参りだけ済ませたらすぐに帰ります。それで、また少し花を分けてもらえませんか?」 ラグナは何本か花を選び小さな花束を仕立て、代金を払うと、帰る前にもう一度寄りますと言って出ていった。 それと入れ違うように、村長を務める彼女の夫が帰ってきた。 「なんだ?あの男、また来ていたのか?」 「ええ。レインと話したいことがあるんですって」 「なにをしらじらしい。そんなに話したいことがあるのならば、レインが生きているうちに帰ってくればよかっただろう。それを、今頃になって−−−−−」 「ねえ、あんた・・・・・・・・・・・・。そろそろあの人のことを許してあげてもいいんじゃない?」彼女は諭すように言った。「本当にレインを捨てて逃げたんだったら、十何年もたってからわざわざ帰ってきたりしないんじゃないかしら。私たちにもどこに行ったんだかわからなくなってたエルオーネちゃんまで探し出して。20年前に帰ってこなかったのは、あの人は何にも言わないけど、何か事情があったんじゃないかなあって私には思えるのよ」 「それならそれで、その理由をはっきり言えばいいんだ」 「そしたら今度は、くだらんいいわけをするな、とかなんとか言うんじゃないの?」 「しかしだな・・・・・・・・・!」 彼はそこでぷいっと顔をそむけると、そのまま家の奥にひっこんだ。 彼女はため息をついた。夫もまた、ラグナを許してもいいと心のどこかで思ってはいるのだ、彼女はそう思った。エルオーネには、彼女と、レインが産んだ幼い息子を村の者がひきとってやらなかったことをわびていた。あの男がエルオーネをエスタから取り返してきたのは事実なのだし、子供たちを村で育てていたのなら事情は変わっていたのかも知れない、そうもらしたこともあった。しかし、ここで生まれ育ったわけではない『よそもの』のラグナには、どうしてもそう言えずにいた。そのことは、彼女も人のことを強く責められたものではなかった。彼女自身も、十何年かぶりにラグナがひょっこり帰ってきた時、彼のことをさんざんなじってしまったのだから。 しかし今では、ラグナがもう一度ウィンヒルに住みたいというのなら、喜んで迎え入れようと思っていた。小さな頃からいっしょに育った幼なじみのレイン、その彼女が死の間際まで信じていた人を自分がもう一度信じてあげたかった。そして、さっき自分自身が言った言葉−−−−レインを捨てたのなら今頃帰って来るはずがない、それを口先ではなく本当にそう思っていた。 今、レインの家に住んでいる人は、もうすぐ引っ越すことになっている。冬になる頃には決まっていたのに黙っていたこと。あとでまた寄ると言っていたから、その時にでもこのことを話して、まだ家を買い戻す気があるか聞いてみよう。彼女はそう決めた。 |
× |
ラグナはレインの墓の回りを掃除した。そして花束を供えると、墓の前に座り込んだ。 彼はしばらく黙り込んだまま、墓石に彫られた彼女の名前を見つめていた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・スコールだけどさ」彼はやがて、ぽつりと言った。「この間、リノアから手紙が来たんだ。あいつ、正式に彼女にプロポーズしたんだってさ。少尉になったら結婚しようって。あいつ、同期の中では出世頭だし、リノアの家族ともうまくやってて彼女の親父さんの許しもとっくにもらってるっていうから、このままいけばあと1年ってとこかな。子供たちが生きてるかどうかすらわかんなかった頃のこと考えると、息子の結婚式に出られるなんて、夢のよう−−−−−−」 ラグナはふいに言葉を切った。そして、ため息をついた。 「−−−−−−いや、今日はそんなことを言いに来たんじゃないんだよな。このことは、そのうち自分たちでおまえに報告するってことも手紙に書いてあったから、その時まで取っておこうか。そうじゃなくって・・・・・・・・・・・・オレのことを話に来たんだ」 そのために、他に用事があったわけでもないのにそのことのためだけに、わざわざウィンヒルまで出向いてきた。 「・・・・・・・・・・・・・・オレな。そのうち、再婚しようと思う。前から・・・・・・子供たちが見つかっていろんなごたごたもおさまって、落ち着いてきた頃から、考えていたんだ。だからって、おまえのことを忘れたわけじゃない。忘れられるわけがない。ただ、さ・・・・・・・・・・。スコールにはもう、結婚を前提につきあっている相手がいる。エルオーネもいずれ結婚して、オレのそばから離れていくだろう。これからもずっと、あのふたりと家族としてなかよくやっていこうとは思ってる。でも、小さな子供のように、いっしょに暮らして世話焼いてって関係は、もうどうやったって望めないんだ。そして、子供たちが巣立っていったあと、あの子たちの幸せを遠くからいっしょに見守るはずだったおまえはいない。そう考えたら、すっげー淋しくなっちまってさ。それは、わかってくれるよな?」 オレはまた、レインにわがままを言ってるだけなのかな・・・・・・・・・。 だけど、いつまでも後ろばかり向いてはいられない。 「だからって、誰でもいいやなんて思ってない。おまえを女房にした時のように、この人を失いたくない、どこに行ってもこの人のところに帰りたい、そう思える相手を真剣に選ぶつもりだ。そして、そんな相手と出会えたら、おまえにもきちんと紹介する。その時が来たら−−−−−おまえには心から祝福して欲しいんだ。それで、その・・・・・・・・実は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 次の言葉をどう言おうか、ラグナは迷った。空を見上げ、腕を組み、さんざん考え込んだ。 そして結局、彼は言った。 「・・・・・・・・・・やっぱ、今はこれ以上話せそうにないや。このことは、もっときちんとしてから続きを話すよ。とにかくさ。オレがおまえと過ごした時間はあまりにも短かったけど、おまえは多くのものをオレに遺していってくれた。それを大事に育てて、もう一度幸せになるのがおまえへの何よりのたむけだと思ってる。本当に、そう思ってる」 幸せになること、幸せを守り通すこと、それがどんなに大変なことか、身にしみて知っているのだから。 「えっと、それからさ。オレさ、ウィンヒルに帰ることを一度はエルオーネのためにあきらめようと思った。だけど、それはやめた。結局村の人たちに拒絶されてダメだったってことになるかも知れないけれど、それでも努力だけはしてみようと思う。ここはエルオーネだけの故郷じゃない。スコールにとっても、生まれ故郷なんだ。あいつがいつでも帰って来られるように、ここで待っていてやりたい。それになんて言ってもウィンヒルは−−−−−オレの、かけがえのない故郷なんだから」 |
××× |
エスタシティにもまた、春の足音が聞こえていた。 広大な都市の上に、毎日のように小雨が降り続いていた。乾燥がちのエスタで一番雨の降る時期。ラグナは濡れそぼるエスタの街を、自宅の窓から眺めていた。 この長雨が止めば、街は一度に暖かくなる。そして、すっかり春になる頃には、ラグナはエルオーネと共にデリングシティに引っ越すことになっていた。 そのあともエスタにはひんぱんに来ることになりそうだから、この家は処分せずそのままにしていくつもりだった。しかしここはあくまでも仮の宿となり、生活の拠点はガルバディアに移る。そしてエルオーネは、彼女自身の夢を叶えるための一歩を踏み出そうと、小さなレストランに勤めることになっていた。 春から、新しい生活が始まる。 その前に、このことははっきりさせておいた方がいいかもな。自分の気持ちは決まった。これ以上、ひとりであれこれ考えていてもしかたがない。 「エルオーネ」 ラグナは意を決すると、振り返った。 「なあに?」 エルオーネは荷造りをする手を止めずに言った。 「おまえの気持ち、キロスに聞いた」 彼女は一瞬、ラグナが何を言おうとしているのかわからなかった。しかしすぐに、何のことか思い当たった。 「そう・・・・・・・・・・・・・・」彼女は目をふせた。「やっぱり・・・・・・・・あきれてるよね」 「まあ・・・・・・・・・・・最初は、な」 「やっぱりね・・・・・・・・・・・・・・。ずっと・・・・・・・・ずっと、娘として大事にしてもらってきた。娘としてなのに・・・・・・・・私ったら、それをかんちがいして」エルオーネはこぼれそうになった涙をぬぐった。「いいの。はっきり言ってもらって、よかった。私、このことは忘れるから。ラグナのこと、『お父さん』として好きになるから。だから・・・・・・・・・」 「んだからさ、最初は、って言ってるだろ」ラグナは言った。「最初は、何をバカなことを言ってんだって思った。くだんないことを考えてんじゃないってどうやっておまえに言おうか、そればっかり考えてた。だけど、頭が冷えてきたらさ・・・・・・・・・・そんなにあっさり切り捨てちまっていいもんかなって気もしてきた。気分的にはいろいろ抵抗もあるけど、オレとおまえは血は一滴もつながってない。つまり、絶対ダメってもんじゃないんだ。だったらせめて、おまえが何年も真剣に考えてきたように、オレもきちんと考えようって思った。この話さ、実はもう半年も前に聞いたんだよ。−−−−−−そんでまあ、結論を言うとさ。3年間、おまえといっしょに暮らしてきた。オレが仕事から帰るのを、おまえはいつも待っててくれた。誰かが待っててくれるってのはやっぱりいいな、こんな生活がこれからもずっと続くのもいいな、なんてさ・・・・・・・・・・・・・・」 ラグナは頬をかきながらそう言った。 遠回しな言い方ではあったが、ラグナが『結婚しようか』と言っていることがエルオーネにはわかった。しかし彼女の表情は、いちだんと沈んだだけだった。 「いいのよ、無理しなくっても。私はラグナに、今までさんざん無理をさせてきた。これ以上、私のためにって我慢してもらっても、私はうれしくもなんともない」 「エルオーネ・・・・・・・・・・・・。自分がオレを不幸にしたって考えをどうしても捨てられないってのはオレもいいかげんわかったから、自分ひとりでそう思ってるのはいいことにしよう。だけど、頼むからオレの前でそう言うのだけはやめてくれねえか」ラグナは少々いらつきながら言った。「オレは人よりちょっとばかし好奇心が強くておせっかいがすぎるから、そのせいで人より多くやっかいごとやいらんことをかかえこんじまう。そんでもって、困ったことに、他人の目にはそれが自己犠牲に見えちまうことがあったりするんだ。だけどそれは、結果的にそうなっちまっただけで、最初っから我が身を犠牲にしてでもなんてご立派な考えで動いたことはねえんだ。これでもオレは、自分のやりたいようにやってるんだよ!20年前のことだってそうだ。オレはおまえのためと言うより、第一に自分がそうしたかったからアデルにケンカを売ったんだ。それが結局あんなことになっちまったのは、おまえのせいなんかじゃ全然ない、ただ、運が悪かっただけなんだ。どんなにがんばってもうまくいかないことってのはあるもんなんだよ!」 そこでラグナは我に返った。いつの間にか、口調が怒鳴り声のようになっていた。 自分自身のささやかな幸せを守るためだったはずの行動ゆえに『エスタの英雄』と奉られて過ごした年月−−−−再び表舞台に立つハメになった第二次魔女戦争終結以後極力表立ったことはせず、ようやくエスタ市民の彼を特別視する目を感じなくなりつつあった今になって、エスタの大統領というのはやりがいのある仕事だったし時には楽しくもあったが、それ以上に自分にとって重荷だったことに彼はいまさらのように気づいた。 ラグナは頭をかくと、エルオーネの前に座り込んだ。 そして、静かに言った。 「エルオーネ・・・・・・・・・・・・。オレ、な。この間、ウィンヒルに行ってきた」 「ウィンヒルに?」 エルオーネは驚いて顔を上げた。3年前、18年ぶりにウィンヒルに帰って以来、ラグナはウィンヒルには彼女を送り迎えするために行くだけで、ひとりで行ったことはなかった。ましてや彼女に黙って行くなんて考えられなかった。 「昔住んでた家を見てきた。そんでな。オレはここに帰りたい、あらためてそう思った。一度は、おまえがウィンヒルに帰るさわりになっちゃいけないと思って、オレが帰るのはあきらめようと考えた。でも、やっぱり、それはできないよ。オレは自分にウソをつきたくない。ウソをつけない。がんばってみても結局ダメだったんならしょうがないって納得するけど、はなっから誰かのためにって身を引くことはできない。それがたとえ、おまえのためだと思ってもな。−−−−だから、おまえと夫婦になるってのはおまえが言い出さなきゃ考えつかなかったことではあるけれど、今はオレもそれを望んでいるんだ。そのことは、素直に信じてくれればいいんだぞ。おまえが望んでいるものとオレが望んでいるものが同じところにあるんなら、そんないいことはねえじゃないか」 エルオーネはかすかに顔を赤らめた。 「でも・・・・・・・・・・・・・・・・」 彼女はそう言ったきり、また口をつぐんだ。ラグナの言葉に嘘や無理はないとはわかっても、まだ胸につかえるものがあるようだった。 「でも、な」彼女の言葉に続けるように、ラグナは言った。「やっぱやめとけって声も自分のどっかから聞こえてくるんだ。このことをおまえと話したことは一度もないから、それにどう答を出したらいいのかわからない。それで、ホントに結論を出す前に、おまえに聞いておきたいことがある。そんで結局、やっぱり気が変わったとか、考え直してみたいってんなら正直に言ってくれればいい。オレは今まで、おまえが誰かいい男と幸せな結婚をして孫のひとりも抱かせてくれればいいな、そう思ってきた。オレはそれでもいいんだからさ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・なに?」 「オレはおまえより、25も年が上だ。このあとおまえといっしょにいられるのは・・・・・・そうだな・・・・・・これからのおまえの人生のせいぜい半分ってとこだろう。長生きしたならしたで、そのうち体の自由がきかなくなってきて、まだまだ若くて元気なおまえの足手まといになる。若くったってそんなことは絶対ないって保証はないんだろうが、オレの場合は、必ずそうなる。そのことは、考えたことがあるか?」 「そんなこと、最初に考えたわ。ラグナはひとりでさっさとおじいちゃんになって、さっさと私を置いて死んじゃうんだ、そんなひどいことを自分に言い聞かせて、あきらめる理由にしようとした。でも、だめだったの。どんなに短くてもいい、いっしょにいられるうちはいっしょにいたいのよ」 「まあ、オレだって、まだ当分はくたばるつもりはねえけどさ・・・・・・・・」確かに最近白髪が増えてきた気はするが、だからってそこまでキョーレツに言われたらミもフタもねーな、とラグナは内心困りながら頬をかいた。「−−−−でもな。元気なうちは、少なくともあと10年、できれば15年は今までのような旅暮らしを続けたい。結局はおまえをほったらかして、好き勝手したいなんてこともオレは考えてる」 「私はもう3年もそういう暮らしをしてきたのよ。それがいやなら、こんな気持ち、とっくにさめてる!どこに行ってもいいの。何をしててもいいの。ちゃんと私のところに帰ってきてくれれば、それだけで・・・・・・・・・・・・!」 私のところに帰ってきてくれればそれでいい−−−−かつて、彼にそう言ってくれた人がもうひとりいた。 彼の心は今も、その人のところへ帰っていく。 そして、ラグナは言った。 「エルオーネ・・・・・・・・・・・・・・。オレは今でも、レインを愛してるよ」 「うん・・・・・・・・・・・・」 「そんでも、独り身ってのはやっぱ淋しくってさ、再婚しようかなとは前々から考えてた。そんで、新しい女房ができたら、そいつをレインと比べたり、レインの代わりなんてもんにはするまいと思ってた。そんなんは、せっかくいっしょになってくれた相手を傷つけるだけだもんな。だけどおまえは、レインとの思い出にあまりにも近いところにいるからさ。相手がおまえでは、ちょっと・・・・・・・・・いや、かなり、自信がない。おまえにレインの面影をかさねてしまうかも知れない。おまえの中にレインを見てしまうかも知れない。そんでまあ・・・・・・・その・・・・・・・なんだ。おまえをレイン以上には愛せないと思う。−−−−−−それでも、いいか?」 エルオーネはうるんだ目でラグナを見つめた。しかしその目に浮かぶのは、暗く悲しい涙ではなかった。 「いいの・・・・・・・・・・。いいに決まってるじゃない!」エルオーネはラグナの胸に飛び込んだ。「だって、レインはもうここにはいないんだから。私はこうしてラグナを抱きしめられるのに、レインにはもうそれができないんだから。その上、私がラグナにとって一番になったりしたら、レインがあんまりにもかわいそうだもの−−−−−!」 「エルオーネ・・・・・・・・・・・・・」 『娘』としての自分の立場、それが、彼女が自分の気持ちを素直に表に出せなかった一番の理由だと、ラグナは今まで思っていた。しかしそれは間違いだったことに彼は気づいた。 もちろんそれも理由のひとつではあっただろう。しかしそれ以上に恋心を強く彼女の胸の奥底に押し込めていたのは、幼い自分を慈しんでくれた今は亡き人への想い、ラグナの心からレインの居場所を奪ってしまうことへの恐れ。 そしてラグナの心もまた揺れていた。亡き妻への想いと、また誰かを愛したいという想いとの間で。新しい妻を迎えたとしても、かつての妻への想いをこうも強く残したままでは、時には相手の女性をいらだたせることにもなるだろう。そう考えると、なかなか本気で再婚に踏み出せずにいた。 しかしエルオーネなら、それを許してくれる。それだけじゃない。時にはいっしょに過去を振り返ることができる。そうすることで、いっしょに前に歩いていくこともできる−−−−−。 ラグナはエルオーネを抱き寄せた。そして、そっと唇を重ねた。彼女もそれに応えた。彼女の体のぬくもりが、心の中にまで流れ込んできた。 ずっと忘れていた温かみ。 エルオーネと結婚しようと決めたあとにもまだ残っていたわだかまりは消えた。 これからは、エルオーネを女として愛してやれる。 レインのようにではなく、レイン以上にでもなく、彼女とは別の、ひとりの成熟した女性として。 「・・・・・・・・・・・・・・・・しかしまあ、このことをスコールが知ったらなんて言うことやら」長い抱擁のあとようやく唇を離すと、ラグナはエルオーネの顔を照れくさそうに見つめながら言った。「親父が再婚するってゆってもあいつのこった、相手がオレとどっこいの年のばあさん予備軍なら我関せずでな〜んも言わねえと思うんだ。だけど、新しい嫁さんがこ〜んなに若くて美人のお嬢さんで、それだけならともかく、あいつの大事な『おねえちゃん』だと知ったらさあ」 「いいじゃない。スコールには言いたいことを言わせておきましょうよ。『文句があるならオレをとーちゃんって呼んでから言え』ってね」エルオーネはくすくす笑いながら彼の胸にもたれかかった。「そうそう。ラグナと結婚したら、あの体ばかり大きくなったような無愛想な子が私の『息子』になるのよねえ」 「たいして年の違わん『息子』ってのは、いやか?」 「私はそれも考えたことがあるわよ。あの子のことは『弟』としか思えないだろうなあって。スコールもきっといやがるだろうな。でもね、あの子と『親子』にはなれなくっても、今まで通りの『姉』と『弟』としてなら、これからもうまくやっていけるわよ。だって私たち、これでも小さな頃はけっこうなかよしだったもの。私がそれで幸せなんだとわかれば、あの子も認めてくれるわ」 「そだな。なかよくやってけりゃ、それでいいよな。そうなるように、がんばろうな」 「・・・・・・・・・・・・・・そうね」 ラグナとエルオーネは肩を寄せあい、あたりが薄暗くなるにつれてエスタの街が無数の明かりに彩られていくのを眺めながら、いろいろな話をした。この3年の間にあったこと、これからのこと、そして、レインのこと。彼女の思い出をこんなにゆっくりと話したのは初めてだった。 引っ越しが済んで落ち着いたら、結婚するってレインに話しに行こう。彼らはそう決めた。 レインもきっと、喜んでくれる。 今なら心から、そう思えた。 |