ほとんど揺れもなく、列車は進んでいく。深夜でも、一応休みなくこれは稼働している。十台ほど存在し、交代交代で充電、稼働を繰り返しているのだ、とディエラスは聞いていたが、そのあたりのことは普段はあまり気にしない。
 一応の窓は設置されているが、流れていくのはべったりと塗られたような黒の一面に細いオレンジ色の照明がつくるラインだけだ。
 乗客は二人だけ。偶然にも、どの車両にもだれも乗り合わせていなかった。
 ディエラスはイルセナと並んで席について、彼女の話を聞いていた。
「じゃあ、君はリナルド氏に送り出されてきたのか」
「はい、修正作業はおわったので、一刻も早くマスターのもとへ、と」
 無表情に、淡々と彼女は語っていた。
 そういわれて、ディエラスは軽く眉をひそめる。
「その、『マスター』ってのなんとかならないかな。その、堅苦しいし、呼ばれ慣れてないからさ」
「そうですか?」
 イルセナが驚いたような顔をする。機技巧人は一概に表情に乏しいことが多い(そもそも表情そのものがない機種のほうが圧倒的に多い)のだが、彼女は比較的例外な部類にはいるようだった。
「呼び捨てはさすがにちょっとイヤだから、ディエラスさん、程度でいいよ。しゃべり方も、もうちょっと砕けてていいし」
「本当に?」
 ディエラスの一言に対し、目を輝かせてイルセナは反応した。上目づかいにディエラスの顔を覗き込んでくる姿は、見た目の年相応の少女のようだ。
「……変わり身早いね」
「ああ、いえ。やっぱり私機技巧人だから、クールに従順にって感じで振舞わなきゃだめかなーって思ってたものですから」
 恥ずかしそうに答える彼女は、もはや人間にしか見えないような気さえした。
「素じゃなくて演技だったのか……」
「素はこっちです。実はちょっと不安だったんですよ。あのままずーっと振舞わなきゃいけないのかなーとか」
 訂正。彼女は間違いなく例外である。
 安堵したように彼女は胸をなでおろした。人間らしさを感じるのは、こうした人間独特の無駄な動作を、彼女がしていることにもありそうだった。
(いっくらなんでも、ここまで細かく作る必要あったのかな……)
 そのあたりは製作者のリナルド氏に問い詰めなければいけないのだろうが、生憎そんな時間もないし、機会もないことだろう。
「……君は、僕がここから逃げ出すことを止めようとはしないのかい?」
 ディエラスは気になっていることを口にしてみる。先ほどは助けられたが、彼女は一応この軍の備品である。信用していいものなのかどうか、少々自信をもてないのも確かだった。
「私はディエラスさんに従うことのみしかプログラムされていませんよ。軍属であり、軍の規律を守る、といったようなものは命令として設定されていません。それに……」
 そこまで言って、彼女の表情が陰った。
「おいていかれたら、私壊されちゃいますから」
 それを聞いて、ディエラスは息を呑んだ。
「……ごめん」
「気にしないでください。もともとそうなる予定だったみたいだから」
 確固としてそこに存在している彼女を前にして、気にするなというほうが無理な話だ、とディエラスは自分の無責任さを痛感させられていた。
 相手に自分を止める気がないとなると、正直、彼女をどう扱うべきか、ディエラスにはよく分からなかった。
彼女をもらうといったとき、あの時は、まだこの軍に残るであろうと思っていたからそうしたわけで、逃げ出してしまうことを決意したときに彼女をどうするべきかを考えていなかった己の安直さが少々情けなかった。まあ、行き当たりばったりでそうなったときはそのときで考えるだろう、などと思っていたのがこの有様である。
(利用できるものは何でも使うつもりでいたけどなあ。さすがに……)
 もうちょっと機械然としていてくれれば悩むこともなかったのだろうが、先ほどから自分を従順に慕い、そして妙に人間然とした態度をとられてしまうと、意味もなく揺らいでしまう。物として扱ってはいけないような気がしてならない。そもそもこんな会話をしている時点で明らかに対人対応をしてしまっているわけだが。
「……悩むほどのことでもないか」
 ここまで来た以上、連れて行こうと行くまいとそんなに結果は変わらないだろう、と彼は考える。ここから先は、完全な強行突破だ。カズンズに悟られた時点で、ある程度計画していたことがすべて無になってしまったのだから、強引に押し通る以外の道が残されていない。そうなったら、同行者の一人や二人増えたってたいした変わりもないのは確かだった。
「どうかしましたか?」
 どうやら同行することを当たり前のように考えている隣人を見て、いまさら悩むのが馬鹿らしくなってしまった。
「いや、なんでもないよ」
 そういうと、ディエラスは座ったまま軽く背伸びをした。
「たぶんついたらすぐに戦闘になると思う。君に気をまわしている暇もないかもしれないからそのつもりで」
「ご心配なく。四宝剣相手でなければ、殺さずに切り抜ける自信はあります」
 そう言うと、ちょっと眉根を寄せながら彼女は軽く拳をつくって見せた。どうやら格闘でもする気らしい。一般の兵士が携帯できる武器のどれを用いても、彼女を破壊することはできないのくらいは理解しているので問題はないのだろうとディエラスは結論する。
 と、表情を戻したイルセナはふたたび彼の顔を覗き込んできた。
「そういえば、ディエラスさん」
「なに?」
「体内のナノマシンの設定変更は行いましたか?」
「……へ?」
 また間の抜けた顔で答えてしまった。ただ、今回は彼女の言っていることが一体何を指しているのか理解できていないところに問題がありそうだ。
「やっぱり。どうしよう……」
 あからさまに、彼女は困ったような表情をした。
「どうしようって、なにが?」
「……えと、ちょっと目を瞑っていただけますか?」
 表情をほぐして彼女は言う。
「ほいさ」
 そして何の疑いもなく彼は目を瞑る。それはこの状況ではある意味危険な行為ではあるのだが、いま敵に襲われることはありえないと判断してのことだ。
「そのまま」
 そういうと、突如イルセナの右手がディエラスの頬に寄せられた。左手は頭の後ろに回されて、半ば固定されるような形になる。
 と、何をされるんだろうという思考は一瞬で吹っ飛んだ。
「!」
 声にならない。否、声が出せない。なにしろ口がふさがれているのだから。
 キスされていた。
 しかも、舌が口を割って入れられる。
 目を開いて唖然とするディエラスをよそに、唾液に濡れた舌が絡められる。何かがどろどろに混ざり合うような混濁感を感じながら、ぼんやりとした妙な感覚が全身をぬけていく。
 そのまま十秒ほど、目を瞑ったままの彼女の舌による口内の愛撫が続いた。
 ゆったりとした動作で唇が離れる。
 なすがままにされたディエラスは、口を閉じると、そのまま喉をならしてつばを飲んでしまった。
 しばらく、彼の視線は宙を泳いでいた。上気した顔が収まり始めると、その目はイルセナの顔に向く。と、彼女は慌てたように顔を背けた。
「えと……」
 頭がぼやけて言葉が続かない。軽く首を振って、何とか意識を戻す。
「うばわれてしまいました……」
 出てきた言葉は一体だれに向けていったのか、ディエラスは自分でもよく分かっていなかった。
「そんなにみないでください。恥ずかしいんですから……」
 イルセナは顔を背けたまま言う。機技巧人でも恥ずかしいものなのか、とかそんなことを考えてしまっていた。
「えと、これは一体どういう意図?」
 なんとかまともな意識がもどってきたところで、妙な恥ずかしさをこらえて聞いてみる。
「ナノマシンの設定を書き換えるために、別のナノマシンを入れさせてもらいました」
 顔をこちらに向けてくれたものの、うつむき加減で目は下をみたまま、イルセナは答えた。
 さっきの唾かな、と、相変わらず少しぼんやりした頭で考える。
「それってどういうことなん?」
「ファマルダから出ると体内のマシンが反応を起こして死に至るように設定されていたのはご存知でしたか?」
 それを聞いてディエラスは驚愕する。
「知らされてない……保険をかけられてたわけか」
 おかげで意識が鮮明に戻った。恐らく知らされていなかったのは自分だけではないはずだと思い当たる。
「強化人間でも耐えられないものになるはずでした。ですから、私の体内でプログラム改変用のマシンを合成したわけでして……」
 口ごもるイルセナをみて、ディエラスは微笑んだ。
「ありがとう。危うく知らぬ間に殺されるところだった」
 それを聞き、彼女は安堵したように顔を上げた。
「でもキスじゃなくてもよかったんじゃない?」
 微笑んだままディエラスが言うと、慌てたようにふたたびイルセナは顔を背ける。
「あ、あれはその、一番手っ取り早かったからというか……そ、そんなにみないでください」
 横目でちらちらと自分のほうを見るイルセナを、面白そうにディエラスは見ていた。
「まあ、アレはアレでよかったよ」
 そういうと、彼は突如ジャケットを脱いでインナー姿になり、恥ずかしそうにしているイルセナの前に差し出した。
「え?」
 その意図を理解しかねる、といった表情をするイルセナ対し、今度はディエラスが顔を背けた。
「いやその、いままで意識しなかったし、君自身どう思ってるかわからないんだけどさ。いくらなんでも、その恰好は、ちょっと僕には刺激が強い……」
 言われて、イルセナは確認するように自分の姿を見る。今朝からかわらず、ぴっちりとしたラバースーツだ。ただ、比較的薄い素材のため、明確なまでにボディラインが見えてしまっている。
 あからさまな追い討ちだ。
 彼女はひったくるように上着を受け取ると、それを抱え込んだ。
「…………」
 無言のまま、それを羽織る。サイズは若干大きかったが、腕をまくって正常な動作は可能なようにしたらしい。
「……ひどいです」
 拗ねたように、彼女は一言つぶやいた。


第十四節



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