通路の突き当たりにある四つ目の部屋だけは、しっかりと扉が閉じられている。扉の隣にある操作卓には光がともっており、黄緑色の発光灯が点灯しているところから、部屋の中には人がおり、扉はロックされているらしい。
先行する研究員が操作卓に近寄り、操作している。すると、操作卓上にディスプレイが現れた。どうやら人が映っているらしいが、研究員の背後から見ているディエラスにはよく見えなかった。研究員がいくらかの会話を交わしている。今までの部屋よりも、若干対応がちがってみえた。
「扉開きます」
 そう言うと、研究員が操作卓から一歩下がった。
 軽い駆動音を立てながら、目の前の鉄色をした扉がスライドしていく。隙間から通路より少し強い光が漏れ出してきて、ディエラスは目を細めた。
 瞬時に目が慣れる。
 部屋の中は今までの三つと違い、さらに広く、円形をしていた。通路よりも空気がひんやりとしている。構造こそ違うものの、部屋の構成自体は、いままでと大体同じだ。
 そして、ディエラスはその部屋の中心から目が離せないでいた。
 斜めに倒したシートのような形状の大きな黒い機械の中心にそれはいた。
 見た目は、間違いなく少女だった。ひざの辺りまである長い金髪が銀色の装飾管でまとめられている。年のころは十台半ばといった感じだ。透き通るような白い肌をした体は、首の辺りから下が黒くぴっちりとしたスーツで覆われている。
 それは眠ったように目を閉じたまま、動こうともしなかった。胸元のふっくらとした双丘は通常ならある呼吸による上下をすることなく、まるで時が止まっているかのような印象を受ける。
「ようこそ。F‐4研究室へ」
 低めの男の声が自分の左方から聞こえ、慌てたようにディエラスは振り返った。そこには長方形型のメガネをかけた、金髪の中年男性が、操作卓に右手を置いたままこちらに向いていた。
「始めまして、ここの室長のリナルドです」
 落ち着いた彼の雰囲気にディエラスはちょっと気おされて、
「あ、えと、四宝剣のディエラス・ウォークライス特別争爵であります」
 えらくかしこまった自己紹介になってしまった。
 それに対し、リナルドは微笑した。
「そうでしたか、あなたが……まあ、ご自由に見ていってください」
 口調は割と砕けている。今までの研究員たちと違い、この人から畏怖などの感じをを感じることはなかった。
(なんか、不思議な空気を持った人だな……)
 そう、ディエラスは思っていた。それはまるで、なにかが抜けているかのようなけだるさであった。
 リナルドは操作卓から手を離し、近くに備えられている椅子に腰掛けた。
「えと、この娘は一体……」
 ディエラスは先ほどから気になっていたことを単刀直入に聞いてみる。
「ここが何を研究開発している場所か、あなたはよく分かっているはずでは?」
 少々いたずらっぽい表情をして彼は言う。
「それじゃあ……」
 ディエラスは少女に向き直る。
「言い方が悪かったね、申し訳ない。お察しの通り、これは機技巧人だ」
 とは言われたものの、ディエラスはそれを認めていいのかわからなかった。そう思えるほどに、それは美しく、精巧に作られていた。
「各種潜入工作、破壊活動をスムーズに行うために作成された機体でね。こんななりはしているが、性能はDA並みなんだよ」
「DA並みって……」
 たとえ話だろうが、かなりスケールの違うものを引き合いにだされてもよくわからない、とディエラスは思う。
 リナルドは椅子の隣にある机から流れるような動作で数枚の紙の束を取り、ゆったりと立ち上がってディエラスに近づき、それを手渡した。
「この機体のスペックです」
 すかさず渡されたそれに目を通す。
「……これは、なんというか……」
 絶句物だった。今まで見せられた数機の、倍近い運動能力、処理演算能力のほか、
「小型の血精炉を用いたアストラルドライブに、生体金属による外装って……」
「霊子小片を用いた半永久機関、それによるエネルギーで自己再生可能な生体金属装甲。破壊兵器として極限まで絞り込まれた機能をありったけ詰め込んだ、量産性を考えないコスト度外視のワンオフ機。それが、このLKF‐4『イルセナ』です」
 淡々とリナルドは語った。
 ディエラスは顔をあげ、再び『イルセナ』に向き直る。
 はたからは、どう見ても眠っている人間の少女にしか見えない。その寝顔はひどく穏やかだ。
「いまは、炉の出力を落としてスリープ状態にしてあります」
 ディエラスはふたたびリナルドに向き直る。
「……これほどのスペックの機体が、今回の選考からはずされた理由は、量産性の問題だけなんですか?」
 何かを伺うように、ディエラスは問う。その質問に対し、リナルドの表情が崩れた。いままでかすかな微笑をたたえていたその顔が、一瞬だけ悲しみを写したようだった。しかし、すぐにまたもとの微笑に戻る。
「そうですね、確かに問題になったのは、それだけではない」
「では、どういった……」
「この機体は『戦えない』んですよ」
 そういうと、彼はイルセナが眠る機械の椅子の横までゆっくりと歩み寄った。
「この機体には、状況判断能力を強化するために、プログラム面で従来とはちがった処置をほどこしてあるんです」
「違った処置?」
「ええ、この機体には、人間と同等の人格データをプログラミングしてあります。OSも、それを円滑に処理できるように独自のものを開発しました」
「人格データ……それに、バグでもあったのですか?」
「バグ、といっていいのかはわかりませんが、ちょっとした事故がありましてね」
「事故?」
「実地テスト中に、この機体の人格は人を攻撃することを拒絶しました」
 そういうと、リナルドはイルセナの髪を軽くなでた。
「割と温和な人格になってしまったようでね、戦闘の際に非情になれなかった。敵を殺せない戦闘機械は用なしですからね。プログラムの改変も試みたのですが、結局3日前に廃棄処分が決定したところなんですよ」
 その顔から、すでに微笑は消えていた。あるのは、ただ無表情。
ディエラスはさきほどから感じていた空気、なにかか抜け落ちているような、がらんどうな虚脱感の理由が、なんとなくわかったような気がしていた。
ディエラスもイルセナに歩み寄ってみる。もう少し近くで、この消え行く機体をみてみたかった。
一体どういった作りになっているのかはわからないが、この生体金属の外装はとてつもなく精巧だった。きめ細やかな白い肌は血管こそ見えないものの、「人の皮膚」に酷似したつくりになっている。血の代わりに通っている循環液が、肌に赤みを与えているようだった。髪は極細の柔軟な金属製のファイバーで構成されているようで、つややかに光を返してきてる。
 それは本当に兵器としてつくられたのか、という疑念がぬぐえないほどに、美しかった。
 その顔をじっと見つめてみる。
 その時だった。
 突如、機械の椅子にケーブルで接続された部屋の隅にある箱型の機械が、耳につくようなざらついた警告音を発した。ディエラスは驚いてそちらに顔を向けた。
「何事ですか?」
 つきそいの研究員が声をあげる。
「炉の出力が勝手に上がっている……」
 箱型機械の計器を見たリナルドの驚いたような表情を見た流れで、ふたたびイルセナの顔を見る。
 見た目の変化はない。駆動音がするわけでもない。しかし。
 その目が、ゆっくりと開いた。
 エメラルドグリーンの瞳が、天井を見ていた。瞳の中の機械的な構造がかすかに動いている。焦点を合わせているようだった。
 その動きが止まり、軽く上半身が起き上がる。
 ディエラスとリナルドは、半歩退いた。
 イルセナは、軽く首を左右に動かしている。周囲をみまわしているようだった。
 そして、その首はディエラスに向いた。
 ディエラスは軽く息を呑む。どう対応していいのかわからず、ただ見つめ返していた。
 それに対し、イルセナが行動を起こす。
 微笑んだのだ。
 ディエラスは、動けなかった。
 その薄紅色の唇が、よどみなく動き出す。
「おはようございます、我が主(マイマスター)」


第六節


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