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推古天皇が登場するおススメの小説 | 第33代 | |||||||||||||||||
黒岩重吾 『聖徳太子 日と影の王子』 |
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理想国家建設を目指す聖徳太子の前に立ち塞がる推古天皇・蘇我連合。 現在、神様のように思われている聖徳太子が人間味溢れる魅力的な青年として描かれている。 |
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黒岩重吾 『紅蓮の女王 小説 推古女帝』 | ||||||||||||||||||
蘇我氏の血を引く推古天皇が、蘇我馬子を操り・操られ、我が国最初の女帝となった物語。 | ||||||||||||||||||
黒岩重吾 『斑鳩王の慟哭』 | ||||||||||||||||||
聖徳太子の寂しすぎる晩年と、その一族滅亡の悲劇・・・。 推古天皇を取り巻く権力争いの光と影に迫る。 |
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黒岩重吾 『磐舟の光芒』 | ||||||||||||||||||
ストーリーは物部氏VS蘇我氏の対決。 それは廃仏派VS崇仏派の戦いというだけでなく、やはり天皇家を巻き込んだ覇権争いだった。 滅んでいく物部一族、側近達の懸命さに泣ける。 |
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6世紀頃、有力氏族の一角であった蘇我氏は、娘達を次々に天皇家へ嫁がせて外戚になるという手法で実質政権を握っていった。 その勢いたるや、軍事・財政面においても天皇家を凌ぐ程であった。 崇峻(すしゅん)天皇暗殺後、大臣(おおおみ)蘇我馬子は姪である推古天皇を即位させた。 この時、女帝を補佐する形で摂政となった聖徳太子と推古・馬子との関係が非常に興味深い。 聖徳太子が遣隋使の派遣時に持たせた書簡等から、対外的に倭国王は聖徳太子であったという説が有力だ。 聖徳太子は憲法十七条や冠位十二階の制定等、我が国が律令国家としての基盤を築く上で重要な役割を果たしてきた。 しかし、憲法十七条は、法律という意味合いよりも儒教や仏教を基礎とした精神論的内容であるし、冠位十二階は家臣であるはずの蘇我馬子がどの冠位も授かっていないことから、聖徳太子が推古天皇の摂政としてどこまで政治に関与できたかが謎である。 推古天皇はシャーマン(巫女)としてとても高い能力を備えていた女性だと思われる。 黒岩重吾先生も著書で述べられているが、和風諡号を「豊御食炊屋姫」といい、当時最も重要であった「食」に由来している点がおもしろい。 推古は天皇の儀式として、豊作祈願や天候の祈願を神がかり的に行い、その強大なシャーマン・パワーで倭国を治めていたのだと思う。 この力には聖徳太子や蘇我馬子も及ぶことはできなかった。 よって、推古天皇は蘇我馬子の傀儡(かいらい)としての天皇だった可能性もあるが、一方、神に最も近い人間として絶大なる存在感を示していたことは間違いないだろう。 推古天皇にはたくさんの皇子、皇女がいた。 莵道貝蛸皇女は聖徳太子の妻である。(蘇我馬子の娘、刀自古郎女も聖徳太子の妻である) しかし、皇子、皇女の誰も次の天皇とならなかったことに、男系優先というよりも、当時の血生臭さを感じ取ることができるだろう。 |
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