種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種53『永遠が意味するところ』

 図書館の中は常に一定の温度と湿度を保っていて、快適だ。
 学生のために設けてある区間は、静かにみんな勉強に集中できるように、パーティションで区切られていて、人目も気にならない。

 私の最近のお気に入りの一角は、午後の日差しが心地良く降り注いでくる。日焼け防止のためにここにはあまり本がない。だから、基本的に人も少ない。
超私向けだ。

 私は、机の上に一応レポートの資料にと持ち寄った、本と紙を広げてページを捲る。
 カナイと待ち合わせをしているのだけど、少し遅くなるとちっちゃなシマリスさんが教えてくれた。

「……難しい」

 というか、この部分。一体どこから引っ張ってきてるんだ? 頭良い人が書いた本なんて私にはさっぱり。同じ思考回路持ってないと理解出来ないんじゃないの? 開いた本の上に突っ伏して、ペンの後ろで端っこをぐりぐりと苛める。
 カナイが来ないと進みそうにないなぁ。

「ふわぁぁぁ……眠ぃ……」

 ぼんやりと、腕の間からカナイのシマリスさんが、ヒマワリの種とかカリカリしているのを見ていたら、私の瞼は重力に逆らえなくなった。



 お日様、暖かい。
 庭に出たら多分、ひんやりするくらいなのに、凄く気持ち良いな……まどろむ幸せ。

「―― ……ねぇ、君。ねぇ、マシロ、さん?」

 誰だ。私の至福のときを邪魔するのは。
 気遣わしげに肩を突かれ、私は唸った。それなのに、尚、掛けられる声は途切れることなくて……。

「うるさいなぁ」

 と機嫌悪く覚醒した。ごしごしと、目を擦りながら顔を上げる。どうせ、カナイかアルファあたりだろう。エミルならそのまま寝かせてくれると思うから。

「えっと、その、おはよう?」

 でも、私の視線の先には知らない生徒が立っていた。

「……誰?」
「え、ああ。俺は……」

 いいながら、抱えていた本を片腕に抱きなおして、制服のポケットを探り、私にわざわざ学生証を提示してくれる。几帳面な人だ。

「んー……マルク……さん? って、あ!」

 ぼんやり名前を読み上げて私は声を上げた。知っている人ではないけれど、知っている人ではない人に、私という奴は、寝顔を見られた上に、こんなぼっさり顔をしてしまった。
 慌てて立ち上がり、適当に髪を梳いてぺこりと頭を下げる。

「わ、私は」
「マシロさんでしょ?」
「あ、はい、そうです」

 そっか、そうだよね。ここの学生なら、私とアリシアしか居ないの知ってるし、名前くらい知ってても問題ないのか。私は赤くなる顔を押さえつつ用件を尋ねる。

「ごめんね。気持ち良さそうに寝てたのに、起こして……珍しいね、一人で居るなんて?」
「あ、ええと、すみません。誰かに用事だったんですか? それなら、もう直ぐカナイがくると思うから」
「俺が用あるのは、マシロさんが枕にしていた本なんだけど」

 いって、机上にある本を指差され、私は慌てて、開いた本のページを叩いた。

 汚れてないよね?
 よもや涎とか、ないよねっ!
 よし、よーし、大丈夫。
 綺麗綺麗。

 私の慌てっぷりが可笑しかったのか、マルクさんは、ふふっと口元を覆って笑った。

「それ、使えた?」
「え、えーと、枕には最適でした」
「……ぷ。マシロさんって面白い子だね? いつも傍に王子たちが居るから、もっと、つんとしているイメージが合ったよ」

 褒められてる? 貶されてる? 首を傾げてしまった私にマルクさんは「褒めてます」と付け足した。多分、貶されたのだろう。うん。

「そうそう、それで、俺が持ってるのが上巻で、君が持ってるのが下巻なんだ。持ち出しの履歴調べたら君になってたけど、こっち借りた形跡なかったから、もしかして、間違えたかなー……と、思って探してたんだけど」
「……あー……」

 だから、さっぱり意味が分からなかったのか。なるほど。

「良かったら交換してくれない? 俺もレポート上げないといけない組でね?」

 ……てことは、クラスメイトだっ?! 顔も名前もさっぱりなんて、私どれだけ失礼なんだっ。

「ごご、ごめんなさい。私、」
「いい、いい、お姫様はしっかり守られてるから、知らなくて当然」

 そういいながら、マルクさんは机上で手にしていた本のベルトを解く。それについていたチャームが揺れた。

 ―― ……夢見草だ。

「はい、これ……って、どうしたの? ああ、これ?」
「あ、ごめんなさい。綺麗だなと思って」

 反射的に有体の言葉をかけた。

「これ、前に君たち主催で『お花見』とやらをやったときに、持ち帰った奴だよ」
「え、もう年単位で昔なのに、ちっとも朽ちてないですね」

 そっと、私の手に握らせてくれたそれは二センチ角くらいの透明な箱に、収まった小枝だ。一輪は完全に花開いていてもう一つは蕾のまま、瑞々しい姿を保っている。

「あれ? 作ったことない? 結構昔流行ったんだよ、こういうの。中の時間が止まってるんだ」

 あげるよ、と続けられて、私は返すタイミングを得ることなくマルクさんは本を交換して、その場を立ち去ってしまった。
 私は手の中に残った夢見草を睨みつけて眉を寄せる。
 永遠に花開くことを失った蕾…… ――


 ***


「―― ……珍しいものを持っていますね?」
「ん? うん、貰ったんだよ」
「カナイですか?」

 ころんと机の上に転がしていたチャームに、私がお茶を淹れている間にブラックが目を留めた。私は、用意したお茶をテーブルに準備しながら「なんでカナイ?」と首を傾げる。

「違うんですか? このくらいなら大した力は要らないですけど、魔術的なものが掛かっているので……そうかなと、思ったんです」
「―― ……ああ、時間が止まってるらしいね……」

 こぽこぽと暖かな湯気を上げティーカップに紅茶を注ぐ。どうぞ、と告げるとブラックはテーブルに戻ってきた。

「夢見草好きでしょう?」

 私の言葉尻に、否定的なものを感じ取ったのだろう。ブラックは不思議そうに問い掛けてくる。

「え、ああ、うん。好き。でも、あれはちょっと違う、かなと、思って」

 かたんっとブラックの隣に椅子を運んで、私はそれに腰掛ける。両手でティーカップを包み暖を取りながら、こつんっとブラックの肩にもたれかかる。

「時間とめて保つ美しさって違うと思う……桜はさ、あの潔さが良いんだよね。ぱっと咲いて、ぱっと散っちゃう……ああいうのは、ちょっと傲慢だと思う」
「では、時間を戻しましょうか? 簡単ですよ、箱の蓋を開ければ良い。そうすれば、あっという間に時間は戻ってきます」
「……それってつまり」
「枯れますね。形を保ってはいられないでしょう」

 静かにティーカップを傾けてそう告げたブラックに、私はどうとも答えずちらりとチャームに視線を送る。そして、やや沈黙したあと、私もティーカップに口をつけた。

「この紅茶ね、今日エミルに分けてもらったの。アールグレイなんだけど、少しオレンジペコも加えてブレンドしてみたんだけど……」

 かちゃりと、ソーサーに戻してから、美味しい? と隣を見上げれば、ブラックは緩く笑みを作って「どうでしょうね?」と口にして、そっと私の顎に手を掛ける。
 軽く持ち上げられて目が合えば「味見してみないと」と続けられる。

 いつもなら、いくらでもどうぞ! と、ティーカップに新しく注いで上げるところだけれど、今日はちょっぴり感傷的な気分なので、私は瞼を落とした。
 ふっとブラックが笑ったのが分かる。そして、距離が縮まり息が掛かると私は僅かに唇を開いた。

 静かに重なる唇を甘く食まれ、誘い込まれるまま割り入ってきた舌を絡めとり軽く吸った。
 頭の奥が、じんっと熱を持ち、全身の体温も上昇する。
 それがとても心地良くて、もっと、深く……と自然に求めてしまう。

「―― ……んぅ」

 少しだけ残っていた互いの紅茶の香りが、なんだかくすぐったい。
 本当はもっと欲しいと望んでしまうところだけれど、今夜は我慢。最後にとばかりに自分で支えられないくらい身を寄せて、深くブラックに絡みついてから離れた。

「美味しかった?」
「もっと食べたくなりました」
「紅茶の話です」
「私はマシロの話をしています」

 にこにこにこにこ……。

 物凄く良い笑顔を向けられても困る。
 まだ週末までには数日あるし、そう度々家に帰るわけにも行かない。

 それに、私はまだレポートが仕上がっていない。あれからカナイにも少し手伝ってもらったけど、もうあとひといき残っている。

「続きはまたしゅう……って、何いわせるの! と、兎に角、ええと、」
「レポート、でしたっけ? 仕上げてしまいましょうか?」

 くすくすと私の反応を楽しむようにそう続けたブラックは、机の上に出しっぱなしにしていた、資料と書きかけのレポートを引き寄せてテーブルに広げた。
 ブラックがいれば、基本的に資料が必要ないから――感情論以外聞いたことに応えられなかったことはない――予定よりきっと早く終わるだろう。

 私は、そうだね。と頷きつつ、インク瓶の蓋を開けた。

「―― ……マシロは変わらないことは嫌いですか?」
「まさか、変わらないものはあると思うけど、でも、変わらないことと止まってしまうこととは違うでしょ」

「マシロって、時々とても難しいことをいいますよね」
「そうかな?」

「そうですよ。私にはその違いが良く分かりません……」
「―― ……そう、かなぁ? ブラックは分かってると思うよ?」

 にこりとそう伝えると、ブラックの耳が左右にへにょんっと垂れて、心底不思議そうに眉を寄せる。椅子の隙間から出た尻尾もこちらを窺うように、ゆらりゆらりと揺れていて……可愛すぎる。
 益々笑いを含んでしまった私に、ブラックは益々困惑したようだ。

 きっとこの差が、ただの人である私と、何でも一人でこなせるブラックとの差だろう。
 無理に埋めることもないし、全く同じである必要もないけれど、止めてしまうには惜しいと思う。
 私たちはもっと互いに歩み寄れる。
 その可能性までも止めてしまうことはやっぱり出来ない。 

 窓から少しだけ差し込んでくる月明かりが、机上にぽつりと残された夢見草に淡い光を注いでいる。

 永遠の美しさを湛える夢見草はやはりどこか物悲しい。


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