▼ 小種23『ユ・レ・ル』
「揺れた」
疼いた胸を押さえて一息零す。
殆ど感情が揺れることのない自分とは違い、彼女の心はいつも揺れ動く。
驚きに揺れ、恐怖に揺れ、悲しみに揺れ……暖かく揺れる。
契約の証を仕込んだ際に、簡単に仕掛けをした。彼女と揺れを共有出来るように。初めのころは一々反応するのが鬱陶しくも思えたものの最近は機微に反応することも少なくなってきた。ここでの生活が馴染んできたのだろう。
何の素養も持たず、与えた種も決して魂とは交わらない。
彼女が世界の異物であることの証のようだ。
今日の揺れはまた大きいな。
様子を見に行ってみれば、王子に襲われていた。辺りにはアルク草を加工したときの香りが充満していたからそのせいだと直ぐに分かった。止めるべきか迷った末、傍観することにした。
自分が関与しなくても大抵のことは収束する。頼まれているわけでもないし、この場合、彼女を助けることになるのか真実薬に翻弄される王子を助けることになるのかも良く分からなかった。
「浮気です」
彼女をからかうのはとても面白い。
外から見てもあからさまに動揺したりしているのが分かる。見ていれば、仕掛けなんてなくても彼女が考えていることくらい手に取るように分かる気がする。
理解出来るかどうかは別として。
大抵の人間なんて皆同じだけれど、どうして彼女とだけは感情を共有しようと思ったのだろう?
***
「……痛」
刺すような痛みが胸を突く。直ぐに自分が受けた痛みでないことは分かった。彼女は今何を思ってこんな痛みを覚えるのか。
痛く苦しく、哀しく揺れる。
何かに恐怖しているのかも知れない。余り当てになるとは思えないものの、彼女の傍には考えうる最高のメンバーが揃っている。性格難はこの際置いておいて。
死に直面したわけではないはずだ、それなのにコレほどまでに心が揺れるのはどうしてだろう?
―― ……種。
彼女は種の存在に憂いで居た。自らを責め恐怖していた。
何故?
種を飲むことは罪ではない。ルール違反ではない。何も問題のある行為ではないのに彼女は心を痛める。
「孤独、なんだよね」
ぽつりと落ちた台詞に、胸が苦しくなった。
彼女の痛みなのか自分の痛みなのか良く分からない。
分からないから、きっと彼女の痛みで彼女の苦しみなのだろうと思った。種屋であり、闇猫と呼ばれる自分に痛める心があるとは到底思えない。
そんな彼女だからこそ、この世界で異質で、この世界で特別で……誰も彼女から目が離せなくなる。素養が強く、それに翻弄され憂うことの多いものは特に……。
「―― ……」
なんだか面白くない気分になった。
彼女を最初に拾ったのは自分で、彼女に兆しを見たのも自分だ。
他の誰でもない。
譲る気も毛頭ない。
それなのに、彼女は世界に馴染み、人に馴染み、心豊かにする。
ぎゅっとまた胸の痛みがぶり返してくる。不愉快極まりなくて眉をひそめて彼女を見ると、いつものメンバーで戯れて笑っていた。
―― ……え?
笑っている。それならこの痛みは誰のものだ? 誰が一体……そう思案する間も、ずくずくと傷口を抉るような痛みが襲ってくる。
だから、余計に痛みが自分のものだと気が付くのに時間が掛かった。
痛い。痛い。苦しい。
不調の兆しなんてなかった。
身体が資本だから、一応病気や怪我には敏感だし滅多に掛からない。怪我なんて幼少の頃実技中に僅かに負ったくらいだ。記憶にも遠い。
我慢出来なくなって手を伸ばし彼女を捕まえた。
ちょっと殴られたけど。
別にそんなもの痛いと感じるほどでもない。彼女がそうしたいなら、それで良い。寛容な気持ちになる自分にも不思議だ。
彼女に向けられる他人からの好意が不愉快だ。だから、つい……
「マシロへの嫌がらせじゃないですよ、彼らへの嫌がらせです」
相手の痛みにはとても敏感なクセに好意にはとても鈍感だ。
本当に困惑する気持ちが伝わって可笑しかった。
彼女一人くらい消えても、消しても、別に何も変わらない。ついこの間まで彼女はこの世界のどこにも存在していなかったのだから。
そんな希薄な存在なのだからこのまま放っておいても問題ないと思った。
誰かを抱いた記憶も、誰かに抱かれた記憶もない。
そんな馴れ合い必要なかった。
でも、彼女を抱くと、その身体は柔らかくて暖かくてとても心地良い。それに彼女はそうされても私に恐怖を抱くことはない。動揺と焦りが入り混じりとても複雑に揺れるからそれも興味深い。
もし、そんな彼女に抱かれることがあったならどんな気持ちになるんだろう? ふとそんなこと酔狂なことを考えてしまうくらいには心が動く。
『貴方は私のもの』彼女の心と身体に刷り込むのと同時に自分の心にも刷り込まれ、もう暫らくこの揺れを楽しむ。
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