種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種19『ブレイクタイム』(カナイ視点)

 白い月青い月二つ月
 青い月の少年と
 白い月の少女との御伽噺。

 世界の誰もが一度は耳にする有名な童話だ。昔からこれを研究する学者は多く居たが、それぞれの見解までで何かを実証したものは居ない。

 そんなもの非現実的だし、そんなものを解き明かしたところで何かが変わるとも思えなかったから、俺自身、興味すらなかった。
 そのはずなのに、今俺の両端に山と積まれているものは、これまでの学者たちの見解を纏めたものから、大聖堂の星詠み階級の人間しか見ることがないだろう天体図などなど、月関係のものばかりだ。

「相変わらず埋もれてるねー」
「そう思うなら手伝えよ」
「でも私がこっちから確認してっても、どーせ、漏れがあるかもーとかって、また調べてくれるんでしょう?」

 カナイのことだから。と締め括って、にやにや笑う異世界人に、俺は短く嘆息して「邪魔だ」と手を振った。

 確かにマシロのいう通り、こいつが確認したくらいじゃ俺は納得しないだろう。
 種を飲んだというだけあって、喋りは達者だが文字はまだまだ追いつかない。今見ているものは素人目には難しい単語も多々あるだろうし、それらの質問に一々回答してたら時間が倍以上掛かる。

「ねぇねぇ、カナイさん」

 こつこつと机の端が叩かれて俺は本から顔を上げる。

 まだ居たのか。

 俺はあからさまに面倒臭そうな顔をして「何?」と答えたが、異世界でもがっつり外で働いてみたり目覚しい順応力を見せているこいつには気に留めるべきようなものではなかったようだ。

「おやつにしない? クリムラでシュークリーム貰ったんだよ。屋上か中庭で食べよう」
「それならアルファにやれば良いだろ? 俺は良い」
「アルファも探したんだけど、居なかったし、エミルは窓から紫の煙が出てたから声掛けるのやめたの」

 ああ。その選択は間違ってない。

 俺は盛大な溜息を付いて眼鏡を机上に置いた。まだまだ、こいつを奇異の目で見ている奴も少なくない。部屋で大人しく食べろ、といっても多分無理だろうから付き合うという選択肢しか残っていない。

 俺は一冊だけ本を持って「これを調べ終わるまでだ」とマシロに付いて中庭へ出た。

 中庭の一角を陣取るまでは、あれやこれやと五月蝿かったものの、ベンチに腰掛けて俺が本を開いてからは口を閉じた。こぽこぽとポットの紅茶を注ぎ俺に差し出すから、見もせずに受け取ったがそれを責められることもなかった。

 こくっと一口つけると、ほんのり甘い。
 シゼが淹れるものほどではないにしても、砂糖の甘さとも少し違う。ふと顔を上げると、マシロはシュークリームを頬張るところだったらしい。

 うん。多分、見てはいけないところを見た。

 物凄い大口開けていた。
 思わずまじまじと見ていると、かぷりとかじったあと、手元に残ったシュークリームから垂れたクリームを慌てて手で受け止めて、ぺろりと舐めてしまう。淑女という年齢だと思うのに子どもみたいな奴だ。
 そこでやっと俺に気が付いたのか「何?」と首を傾げる。

「クリーム付いてるぞ」
「え、うそっ! どこ?」
「……ほら、ここ」

 慌てるマシロの手を捕まえて、その指先で自分の口元を拭わせ口に放り込んでやる。
 自分の指をくわえたまま「ほんろら」と笑うマシロに、なんだか肩の力が抜ける。手を離した俺はもう一口紅茶を口にしてから

「これ、何が入ってるんだ? 甘い」
「蜂蜜だよ。美味しいでしょう? 砂糖のより優しい甘さになるし、テスト勉強とかで疲れたときいつもお兄ちゃんが淹れてくれてたんだよ」

 そういって膝の上で包み込んでいたカップをしんみりと見詰めるマシロに、妙な気分になる。力及ばず申し訳ないと思っているのか、自分の知らない世界に思いを馳せるマシロを遠くに感じるからなのか良く分からない。
 分からないからとりあえずそのことを考えるのはよした。

「シュークリーム寄越せよ」
「え? ああ、うん」

 どうぞどうぞと顔を上げたマシロはもう普通だった。こいつもこいつなりに色々思うところがあるんだろう。馴染んでしまっているように見えるのは、そうしようとこいつ自身が努力しているからだ。

「甘いな」
「カナイって甘いもの嫌い?」
「いや、別に腹が太れば何でも良い」

 俺はアルファやエミルみたいに王宮育ちじゃないから、特別口が肥えているというわけでもないし、食べることに特に執着はない。
 本当なら、何かを食べてる時間すら勿体無いと感じることも良くある。でもその感覚は普通じゃないとアルファに指摘されたから口に出すことはない。俺の返答に不満そうな顔をしているのに気が付いて取り合えずいい直す。

「美味いものは美味いと思うぞ? ああ、うん。これは美味いな」
「だよね!」

 やっと笑ってほっとする。

 ……何でほっとするんだ。

 浮かんだ疑問を払うように俺は本へと視線を戻した。マシロも勝手におやつタイムを再開している。
 ぺらぺらと紙を捲る音と、風がやんわりと木々を揺らして起こる葉の擦れる音。普段俺の耳には届かない自然音。いつもなら他の音なんて邪魔でしかないのに今はそうでもない。

 白い月青い月二つ月……俺が今取り組むべき問題はこの童話の解明と、異世界への接触方法だ。まずはそれだけに集中して、そのあとは大丈夫と確信出来る以上の下準備を整える。念には念を入れて厳重に構築式を組み立てて、絶対に間違えない。

 ―― ……こつん

「ん?」

 やけに静かになったと思ったら、隣に座っていたマシロが転寝を始めたようだ。肩にもたれ掛かった頭をどうするかやや迷ったあと、そのままにして慎重に膝に持ったままになっているカップを抜き取った。

「お前も一応頑張ってるんだよな」

 柄にもなく、マシロの長い髪をそっと撫でる。エミルがしょっちゅうマシロの頭を触りたがる気持ちがちょっと分かった。

 肩の重さを感じながら、俺はもう少しだけとページを捲る。

 絶対に失敗は許されない。
 俺はもう二度と間違えない。

 そして、こんな俺でも信じているこいつもエミルたちも絶対に裏切らない。
 だから、もう少しだけ俺にゆっくりと帰る方法を探す時間と、いつもと違うこの気持ちへの答えを出す時間を許して欲しい……。
 

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