投稿(妄想)小説の部屋・別館

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天真慈義

 
【前】

 ・・・あの魔族が欲深いヤツでなければ、多分今ここに自分はいなかっただろう。

「・・・おい、アシュレイ大丈夫か?」
 地面に横たえたアシュレイの頬を柢王は軽く叩いて呼びかける。それにアシュレイは うめくようにして応えたが、目を開けようとはしない。腹部の傷を押さえる手のひらの下 からは血が流れ続けていた。
(・・・まずいな)
 早く処置をしなければ本当に危ない。
 しかし、聖水を置いている場所まで歩いて10分くらいかかる。
(・・・止血が先か)
 剣の柄をきつく掴んだままの形で固まってしまっている右手の指を一本ずつ引きはが しながら、たった今出てきたばかりの黒々と口を開ける魔風窟を柢王は振り返った。

 ・・・いつもと同じように示し合わせて、文殊塾の帰りにアシュレイと魔風窟に魔族狩りに 連れ立った。 そこでおそろしく強い魔族と遭遇してしまったのだった。

 ―――まるで暴風だった。
 天界人とは全く違う 流儀や型に沿った動きなど一つもない。そこにあったのはただ 狂気のような力のみ。
 狭い魔風窟を縦横無尽に跳ね回り、関節が多いため―――数えただけでも片腕に6関節 はあった―――鞭のように撓(しな)ううえに途中で軌道を変えさえするその棒きれのよ うに細くて長い両腕が振るわれるたびに、あらゆる方向からうなりを生じて繰り出されて くるおびただしい剣閃―――・・・それに自分たちは圧倒され―――そして敗退した。
「―――」
 真っ正面から攻撃したアシュレイは腹を刺された。それを見た柢王は、アシュレイを抱 え上げると魔風窟の出口へ向かって走ったのだった。その途中で背を切られた。
「・・・・・・あ−あ」
 背中に回した左手にべっとりと付いた血に柢王は舌打ちした。背中全体が熱いが、出血 は止まりかけている。骨を切られたわけでもなさそうだ。
 最後の指を引きはがして、掴んでいた剣が地面に落ちた。それを左手で拾い上げて鞘に 戻そうとして、鞘を剣帯ごと無くしていたことを柢王は思い出す。
 ・・・生きて魔風窟を出てこられたのは、ひとえに背中を切られると同時に断ち切られた 剣帯に差し込んでいた、宝玉つきの鞘のおかげだろう。 それが剣帯から外れて足場の悪 い魔風窟の通路脇の岩場に転がり落ちていかなければ、あっという間に追いつかれて殺さ れていた。
 ―――運が良かったのだ。
 上衣を破ってアシュレイに簡単な止血を施し、余った布で手早く即席の剣帯を作って剣 を差し込んだ柢王がアシュレイを抱え上げて歩きだそうとした瞬間、視界が揺れた。思わ ず膝をつく。膝をついた瞬間体の力が抜けた。残る力をふりしぼってアシュレイの体を投 げ出さないように地面に横たえるのがやっとだった。
 体を支えることが出来ず、柢王はアシュレイの隣に倒れ込んだ。
「・・・まず・・い」
 背中の血は止まりかけていたが、走っているうちに流した量が多かったらしい。
 こんな所で倒れたら、ますます危険だ。さっきの魔族も、もしかしたら追ってきている かもしれない。
 何とか立ち上がろうとするのだが、足も腕も思うように動かず地面をひっかくように動 くばかりだ。
 おまけにただでさえ暗い視界が、ぼやけて遠のこうとしている。
(動け・・!)
 地を掻くばかりの手足を叱咤する柢王の、遠のいてゆく感覚の片隅で 夜だというのに 小鳥の声が聞こえたような気がした。
 
 
 ・・・人の声が聞こえたような気がして、柢王は目を覚ました。頬に草の感触がある。
 だからここはまだ魔風窟から出たところであるということがわかった。
 少なくとも近くに妖気は感じられない。あたりの暗さで、気を失ってからそれほど時間 が経っていないらしきことに柢王は安堵し、そしてふと気づいた。
 背中が奇妙に暖かかった。それにいい香りがする・・・。
「・・・・・?」
 背中にまわしかけた手に、何かが触れた。
「触らないで。まだ完全に傷が塞がったわけじゃないんだから」
 柢王の手をゆっくりと押し戻しながら、声が頭上から降ってきた。
 柢王は目を見開いた。
 それは、聞き馴染んだ幼なじみの声だった。
 ―――しかし、どう考えても、こんな所に居るはずのない、いや、決して居てはいけな いほうの。
「・・・ティア?!」
 首だけ振り向けて頭上を見れば、夜目にも見間違えようのない、月のように輝いて見え る金髪の幼なじみの貌がそこにあった。
「この バ・・!」
 馬鹿野郎! こんなトコで何をしている! 天主塔に帰れ!、と続けようとした柢王が背中 の痛みに顔を引きつらせた。
「動かないで! まだ傷口がふさがってないんだから! ・・・片手ずつ同時進行っていうのが、 こんなに大変だとは思わなかったよ・・・! 」
 仰向けに寝かされたアシュレイと、うつぶせに寝かされた柢王の間にティアが座って それぞれの傷に両手を伸ばしていた。彼の小さな両手から金色の光があふれて彼らの傷に そそがれている。
 柢王とアシュレイは同時進行で ティアに手光で傷を癒されているのだった。
 ティアの顔はいつになく険しく、汗が頬をつたって顎の先から滴っている。
「・・・ティア。俺の傷はもういいから、アシュレイの傷を優先してやってくれ。かなり深 く腹をえぐられているはずだ。」
 柢王は腕を伸ばしてティアの腕をとんとんと叩いてからそっと押しやった。
「でも、柢王・・・」
「俺のは、走っているところをやられてるからたいしたことはない。血が止まったんな らもう大丈夫だ。・・・ちょっと休めば、回復する から・・・」
 躊躇するティアに柢王は何でもないことのように笑いながら言った。しかし言い終える なり、柢王はそのまま また気を失うように眠ってしまった。
「・・・・・」
 寝入ってしまった柢王の顔を見、それからティアはアシュレイの顔を覗き込んだ。青ざ めた顔色のまま、浅い細い呼吸を繰り返している。柢王の言うとおり、アシュレイの傷は 深い。そして彼の意識はまだ一度も戻っていないのだ。
 ティアは唇を噛んだ。
「・・・ごめん。 ごめんね 柢王」
 柢王の背に走る赤い傷痕をしばらく見つめ、それを焼き付けるかのように一瞬ぎゅっと 瞳を閉じると、ティアは柢王に背を向けてアシュレイに向き直り、アシュレイの傷口に 両手をかざしたのだった。

 ・・・・・いい香りがする―――。
 どうしてこんなに暖かいんだろう。
 さっきまで寒くて痛くて血のにおいがしてて―――
(血のにおい)
(痛くて)
 ずっと叫んでたような気がする。
(ちがう)
 痛いのは刺されたところじゃない。
 痛いから叫んでいたんじゃない。
(どうして―――)
「アシュレイ・・・?」
 やさしい、温かい声。 甘い香り・・・
「アシュレイ?」
 ぼんやりと目を開けると、ティアが自分を覗き込んでいた。
(・・・・・ここは文殊塾なのかな・・・)
 授業に飽きたりするとよく木陰で眠った。途中で目が覚めると隣でティアが笑っていて。
 その温かさと甘い香りに何だかとても安心して・・・。
 それでよく柢王に『おまえら寝てばっかだな』と笑われたものだ。
( ・・・柢王 ・・・文殊塾・・・・ )
 今日、文殊塾の帰りに、柢王と・・・・・ ――――!
「―――柢王!」
 叫んだ途端に腹部に走ったその痛みで、アシュレイは はっきりと目覚めた。
 空が暗い。草の匂いの混じる外の風。
 血のにおいと、腹部の痛み――――
(・・・やっぱり、夢じゃ、なかったんだ―――!)
「アシュレイ!」
 呼び続けてようやく目を覚ましたアシュレイが、突然起きあがりかけるのを慌ててティ アは上から押さえつけた。
「・・・柢王は!?」
 傷の痛みをこらえながら噛みつくように尋ねるアシュレイには、何故ここにティアが居 るのかを疑問に思う余裕などなかった。
「・・・柢王なら大丈夫、血は止めたから。今は隣で眠っているから起こさないであげて」
 見えやすいようにティアがそっと体をずらす。アシュレイは首だけを回して隣に眠る柢 王を見た。うつぶせに横たわる幼なじみは、顔を反対側に向けているために顔色も表情も わからない。
 しかしその分 背中はよく見えた。
「・・・・・・っ!」
 アシュレイは目を見開いて柢王の背中を見た。
 ―――右肩から左の脇腹に向かって斜めに走る 赤い傷痕を。
「・・・だめだ! ティア!」
 傷口にかざすティアの手をいきなりつかみ取って、アシュレイは首を振った。
 突然の彼の行動にティアは驚いて一瞬気がそれた。手のひらからあふれる癒しの光が アシュレイとティアの手の間で消えた。
「アシュレイ?! 動いちゃ駄目! 何で、いきなりどうし・・・」
 何とか手を振りほどいて再度傷に手光をあてようとするティアの手を、またアシュレイ が掴んで傷口から遠ざけようとする。
「アシュレイ!」
「俺は要らない! 俺の傷なんかどうでもいいから、柢王の傷を治してやってくれ!」
 叫んだ拍子に傷に走った激痛にアシュレイは息を詰めた。しかしティアの手を遠ざける ことは止めようとはしなかった。
「・・・アシュレイ」
 彼の呼吸が落ち着くのを待ってから、ティアはアシュレイに顔を寄せてそっと語りかけ た。
「・・アシュレイ、聞いて。君の傷はとても深い。早く傷を塞いでしまわないと大変なことになる。お願いだから手を離して。―――それにこれは柢王の願いでもあるんだよ。柢王は大丈夫。出血は止めたし、傷も君ほど深くないから、すぐ治るよ。」
「―――嘘だ!」
 弾かれたように アシュレイは叫んだ。
 ・・・降ろせと。捨ててゆけと言ったのに。
「―――だめだ! だめだだめだ! 背中に傷なんて!」
 あの時。刺されて動けない自分と魔族の間に走り込んで来るなり 自分を抱え上げた その左腕は、焼けた石のように固くて熱かった。
 ・・・降ろせと。捨ててゆけと言ったのに。
 自分を抱えてさえいなければ、柢王は傷つくこともなかったのに―――。
 
 

【中】

 魔風窟で魔族に追いつかれ、背後で振りかぶられた魔族の両腕と握られたその剣を見た 時、柢王は走りながら最初の一撃を剣で受け止めた。
 しかしその初撃を右手の剣で受け止めた数秒の時間差で、その魔族のもう片方の腕から くり出される、別方向からの攻撃を受けた。
 ・・・闘いというものは、相手の弱点や死角を突いて攻撃するのが常道である。
 その魔族が剣を振り下ろしたその先は、アシュレイを抱えているために動きのない、隙 だらけの左側だった。
 そして柢王は、腕に抱えているアシュレイに剣先が振り下ろされるのを目にした瞬間、 一瞬の躊躇もなく身を翻してアシュレイを体の前面に抱えなおすと、避けることすらせず にその背でかばったのだ。
 ・・・降ろせと。捨ててゆけと言ったのに・・・・・
「だめだ。・・・だめだ。背中に傷なんて。 ―――俺の、俺のせいなのに・・・!」

 ―――全部、伝わってきた。
 柢王が自分を体全体で庇ったから。自分の体に押しつけて、攻撃の一切が当たらないよ うに庇ったから。
 一つの攻撃も当たらないように柢王が全身で庇ったから。押しつけられていた体から、 全部、伝わってきた。
 刃が背を切り裂いてゆくその振動も、
 柢王が息を詰めたのも、
 全身の筋肉が一瞬収縮するのも。
 一瞬血が冷えてから逆流するその感覚も。
 血のにおいと金属音。声をかみ殺す その―――
「・・・・・〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
 一瞬に満たない永い時間に 押し寄せ、駆け抜けていった その感覚に、アシュレイは 叫んでいた。
 メチャクチャに叫んで―――叫ぶことしかできなくて。目の前が暗くなって それすら 出来なくなって。
 ・・・後は 柢王の鼓動の音と息づかいだけを聞いていた。それが消えないようにと  ただ祈りつづけていた―――。

(何も出来なかった)
 柢王の背中の傷―――。
 ちがうのに。自分のせいなのに―――!
「頼む ティア! 俺の傷なんかどうでもいいから、柢王の背中の傷を跡形もなく消し去 ってやってくれ 頼む!」
 傷の痛みも忘れてアシュレイは上半身を起こすと、驚いて押しとどめようとするティア の顔をまっすぐに見て叫んでいた。
「アシュレイ! それはだめ! 君が危な・・・・―――」
 ティアは言葉を失った。
 アシュレイは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。掴んだままのティアの手にも涙が ぽたぽた落ちた。
「ティア・・ティア・・・・・おねがいだ・・・」
 泣きながら、アシュレイは、声を振り絞って懇願した。
  
   
 踏みしめる下草の匂いが変わった。魔風窟の周囲に生えている植物とは違う穏やかな緑 の匂い。ここまで来れば、まず襲われる心配はない。
 わずかに体の力を抜いた柢王は、隣を歩く彼に先ほどから何度も繰り返し言っている 言葉を向けた。
「おい。アシュレイ、肩に掴まれよ」
「・・・いい、おまえティアを背負ってて何言ってんだよ」
 首を振るアシュレイの隣で歩く柢王は、上半身裸のその背中に力を使い果たして倒れる ように眠り込んでしまったティアを背負っていた。
「背負えるくらい完治してるってことだよ。お前こそ傷を塞いだだけなんだろ。いいから 肩に掴まれ」
 今度断るようなら無理矢理にでも担ぎ上げてやろうと思っていたが、素直に肩に掴まっ てきた。
 指が白く震えていた。呼吸も浅い。柢王がことさらゆっくり歩いていなければすぐに後 れを取るほど足の運びも遅くなっている。
「・・・・・何でだ?」
 これも、何度か繰り返している言葉だ。
 どうして、浅い背中の傷を跡形もなく治療させたのか。
「・・・・・」
 また、沈黙が返ってきた。 口を開くのすら疲れるのかもしれないが、どうしてこうも 頑なに答えることを拒むのか。
 ―――ふいに 前方に 人の気配がした。 二人は足を止めた。
「・・南の・・気配だ。・・・俺が先に行く」
 うかがうように気配を探っていたアシュレイが、柢王の肩を離して前に進み出た。
「いや、ティアを見られるとまずい。言い訳できない。・・・ここで分かれよう。俺はティ アを送っていく」
 夜目にも青い顔色の、しかし目だけは奇妙に力強い光を放つアシュレイが柢王達を振り 返ってその目で見た。そしてひとつ頷くと彼らに背を向けて歩き出した。背筋を伸ばし て、顔を上げ、いつも通りの歩調で。・・・まるで傷など負っていないかのように。
 柢王は気配を消してそっと木下闇に隠れた。
 ほどなくしてちかりと光るランタンや松明を持った一団が現れ、アシュレイを取り囲ん で口々に安堵の言葉を述べた。彼の姉の声もする。どうやら帰りの遅いアシュレイを捜し ていた南領の捜索隊の一行だったらしい。
 用意された輿にアシュレイが姉と乗り込んで去ってゆくのを見届けてから、柢王は木下 闇を抜け出して歩き出しながら、背負ったティアを揺すり上げて言った。
「・・・おい、ティア。起きてんだろ? も少し歩いたトコの木のウロに着替えを隠してる。 着替えたらそのまま送ってくから、お前は天主塔をこっそりと抜け出して、東に遊びに来 ていたことにしとけ」
「・・・うん。・・・それにしても、着替えを用意しているの? 用意周到だね」
「今日みたいに服を台無しにすることが多いからな。他にもいろいろ置いている。薬品 一式とか、あと聖水もな。」
 きちんとした返事をティアは返してきたが、体の力は抜けたままだ。
 ・・・無理もない。傷を跡形もなく癒すという行為がどれほど霊力を消耗させるのか、 そしてそれがどれほどこの小さい体に負担を強いたのかを想像し、柢王はぎりっと奥歯を 噛みしめた。
「・・・まったく、どいつもこいつも無茶しやがって。おいティア、俺の目が覚めたのと、 お前がぶっ倒れるのとはほとんど同時だった。だから、何でこうなったのか、何で俺の 傷が跡形もないのかがさっぱり判らない。アシュレイのヤツは聞いても頑として答えや しないし。――― 一体何があった?」
「・・・それが、私にも解らないんだ。君の傷を見た瞬間、暴れ出して、傷の治療をさせてく れなくなったんだ。自分の傷は治療しなくていいから、君の傷を治して・・って。ただそれ だけを繰り返して」
「ばか。口八丁手八丁で丸め込むことができなかったのかよ? どー考えてもあいつの方 が重傷だろうが。それが解らないお前じゃないのに――――なんでだよ?」
「・・・わからない。・・・・・でも、アシュレイが 泣いていたから・・・。泣きながら、君の傷を 治してって言ったから・・・・・」
 ひどい傷の痛みにも耐えて泣かなかったアシュレイが、泣いていた。
「・・・・・だから、私は、・・・怖くなって・・・・・」
 怖かったのだ。柢王の背中の傷を見るたびに、己を責め続けるアシュレイを。・・・己を 責めて責めて、彼がひたすらに傷つき続けていくのを見ることが・・・怖かったのだ。
「・・・・・ごめんね」
 これは、自分のわがまま。あの時、どちらの傷の治療を優先させなければいけないかと 言うことなど、頭では解りきっていたのに。
 ・・・でも、どんなに間違っていると解っていても、アシュレイの願いを叶えてあげたかっ たのだ―――。
 柢王が小さく息を吐き出した。
「・・・・・お前が謝ることじゃない。傷を治してくれて、ありがとうな」
 先にそれを言わなきゃいけなかったのにな、と柢王はティアを揺すり上げて背負いなお しながら言った。
「どういたしまして。・・・とはいえ、治した怪我人に背負って貰っちゃってたら世話ない のだけどね」
 ようやく力が戻ってきた腕で柢王の肩に掴まりながら、ティアが笑う。
「そういえばティア、お前何であんな時間帯に魔風窟の入り口なんかにいたんだよ?」
 ふと思い出したように、柢王がティアに問いかける。
「最初から居たわけじゃないよ。・・・執務室の遠見鏡で、ずっと君たちが出てくるまで 魔風窟の入り口を見てたんだよ。でも、今日ほどびっくりしたことはなかったよ。二人 とも倒れて動かなくなるから・・・。だから夢中で飛び出して来ちゃったんだ―――。」
 柢王の肩が跳ね上がり、足が一瞬止まりかけた。
「・・・言った覚えないぞ? 何で知っているんだ? 今日、魔風窟に行くって。まさかアシ ュレイが言ったのか?」
「アシュレイは言わないよ。・・・だって、二人とも私を心配させないために、言わないんでしょ? 二人の秘密なんでしょ?」
 柢王はティアの方を振り向こうとしたが、肩口にティアの顔が載っているので、振り向 けない。だから彼がどんな表情をしているのか柢王には解らなかった。
「・・・さっき、「今日ほど」って言ったよな? じゃあ、もしかして、10日前に行ったこ ととかも知っているのか?」
「ああ、あの時はアシュレイと怒鳴り合いながら出てきてたね。 ・・・その前の時は、アシ ュレイは腕に、君は手の甲に傷を負ってた。その前は・・・・」
 柢王は足を止めた。
「・・・・何てこった。ずっと知ってたのかよ」
 知っていて、知らないふりをし続けていたのか。ずっと―――。
 背中のティアが、ため息をつくように笑った。
「知ってたよ、ずっと。―――言わなくたって、秘密にしてたって、私には解るんだよ? だって私も、アシュレイと君のことを、いつもいつも心配しているから」
 ・・・自分たちが魔風窟に入っている間、彼はどんな思いで遠見鏡を見ていたのだろう。
 怪我を負って出て来ても、次の日には何事もなかったように怪我を隠して笑い合う幼な じみ達に、どんな気持ちで笑い返していたのだろうか―――。
「―――」
 柢王は無言で、再び歩き出した。
「・・・ずっと聞きたかった。こんな怪我をしたり、危ない目にあったりするのに、どうして 柢王は魔風窟に通うの?」
「・・・・・」
「強くなりたいから?」
「・・・・・・」
 返事をしない柢王の横顔を、ティアはしばらく見つめた。
 そして、ぽつりと言った。
「・・・私は、もっともっと強くなりたい。・・・ちゃんと、守りたい人を守れるように。 ―――そして、何よりも自分のために。・・・だって、強くなかったら、自分の心すらも 守れないのなら、きっと、その自分の弱さで、守りたいと思う人たちすらも、傷つけてし まうもの・・・・」
 今のままでは、守られているだけでは、駄目なのだ。
 彼らのようにがむしゃらに、情熱を持って力を求めないと、・・・・きっと誰も守ることが 出来ない・・・・・。
「・・・・・俺もだ」
 しばらくしてから、柢王がぽつりと言葉を返した。その声は怒っているような、泣いて いるような、かすれた声だった。

 南領の城に帰り着いたアシュレイは、父王に叱責されている時に傷口が開き、そのまま 出血多量で倒れるまで、傷を負ったということを隠し通した。
 ・・・・・それは後に 彼の武勇を語る時の 有名なエピソードの一つとなった。
 
 

【後】

 南の太子が重傷を負ったことは天界にすぐ広まった。ティアは守護主天として自ら南領 に赴き、手光でその傷を癒すことを天主塔から打診したのだが、当のアシュレイが頑とし てティアの治療を拒んだのだった。
 ・・・それから一週間後。関係者以外面会謝絶の状態から、寝台の上に起きあがれるよう になったアシュレイへの見舞いの許可がようやく下りた。
 それを待ちかまえていたティアは、同じように待っていた柢王を誘って天主塔より見舞 いの一団を仕立てると南領へ飛んだ。
「急がば回れだよ、柢王。」
 こんなでっかい一団を仕立てて飛ぶよりも、直接二人で南領に会いに行く方が早いと 柢王は最後までごねたが、天界最高の貴人である守護主天本人とその見舞いの品を掲げた 一団は、先に到着していた並み居る天界中の貴族の見舞客達を押しのけて、一番最初に通 されることとなったのを見て、「なるほど」と納得した。

「魔風窟に行ってたことな、ティアにずっと前からバレてた。」
 人払いされた部屋に入って来るなり開口一番そう言った柢王の言葉に、寝台の上のアシ ュレイはあんぐりと口を開けて柢王とその隣に立つティアを見た。
「傷はもういいのか?」
「・・・傷は、まだ痛む?」
 柢王が見舞いの品である小さな卓上遊技盤、ティアが柔らかな色彩の香りはさほど強く ない花束を寝台の上に置いた。あんぐりと口を開けたままのアシュレイは、ようやく我 に返って何か言おうとし、結局何も言えずに、こっくりと頷いた。
 頷いた形のまま、なかなか顔を上げようとしないアシュレイの赤毛に指を突っ込んで ぐしゃぐしゃとかき回したのは柢王だ。
「・・・もういいだろ。教えてくれよ、アシュレイ。」
 柢王の指が離れると、アシュレイは一旦顔を上げ、どこか泣き出しそうな表情で柢王と ティアの顔を見た。 
 何かを言いかけ、結局言えずにまたアシュレイはうつむいた。掛け布を握るその指は白 く変わっている。
 そのアシュレイの様子に、出直した方がいいかもしれないなと二人が視線を交わした時、 アシュレイが小さな声で、とぎれとぎれに言った。
「・・・・・俺が、嫌だったんだよ。 ・・・お前が人にひどく言われるのは、嫌だったんだよ。 だって、・・・俺をかばって出来た背中の傷なのに、・・・それを知らない奴らにその傷を見ら れた時に、・・・お前が、・・・・・お・・・臆病者・・・って言われるのなんかさ、嫌だったんだよ」

 ・・・背中の傷は、敵に背を向けて逃げた―――つまり臆病者の証としてみられるのだ。

「・・・あの時、俺に出来たことは、ティアにお前の傷を優先して治してもらうこと・・・、傷そのものを無かったことにしてもらうこと ・・・それだけだったんだ。・・・・でも、俺のわがままのせいで、ティアまで―――・・・」
 自分のせいで傷を負わせてしまった柢王。 彼がその痛みに耐えるのを見るくらいなら、 自分の傷の痛みを我慢した方が、まだいい。
 自分のわがままのために力を使い果たしてしまったティア。二度とそんなことはさせら れない。それなら自分の傷の痛みを我慢したほうが、まだいい。
「・・・だから、俺・・・・・・・・」
「そうだったの・・・・」
 彼が背中の傷に異常なまでにこだわったわけがようやくわかった。
(柢王の名誉のため)
 そしてアシュレイが城で倒れた後も、頑としてティアの手光を拒んだ理由も。
(私の体調を心配して、無理させないために・・・)
 だからアシュレイは一人で黙って傷の痛みを我慢していたのだ。
「・・・・・ばかだなあ」(×2)
 柢王とティアが、同時に言った。
「何で一人で全部背負い込もうとするかな〜? 俺の入る余地を残しとけよ。お前は。」
「私がやりたくて勝手にやったことに、どうして負い目を感じるかなあ。君は。」
 そんなこと、どうでも良かったのに。
 生きているなら、それでよかったのに。
 どんな傷も、いつかは消えるものなのに。
「・・・でも、ありがとな」
「心配してくれて、ありがとう」
 柢王とティアが笑って言うのに、アシュレイは顔を上げた。その顔は赤くなっている。言うまでもなく怒っているせいだ。
「・・・馬鹿って・・・・・」
 本人にとっては大まじめな、ものすごく深刻な告白だったのだ。それを「ばか」の一言 (しかも二人同時)で片づけられてしまったのである。
「でも、やっぱおまえは ばかだな。 そんなことを考えて闘ってたら、命がいくつあっても足りやしないっての。 ・・・逃げてもいいじゃねえか。 つーか背中見せて逃げたのは事実だしよ。―――だいたい「逃げる」なんて直裁的な言葉を使うから耳ざわりが悪いんだ。「戦略的撤退」や「戦術的後退」って言う便利な言葉を知らねえのか?」
「言葉で飾ったって同じだろーが! つーか、バカって連呼すんなーっ!」
 にやにや笑っている柢王に掴みかかろうとするアシュレイを、ティアが必死になって抑 え込もうとしている。
「敵わない相手と闘い続けたってこっちが殺されるだけだろーが。・・・まったく、ホント危 なっかしいヤツだよ。・・・やっぱ、俺がついててやらないとダメだな」
「勝手に話を まとめるんじゃねーよっ!」
 アシュレイが見舞い品の遊技盤をつかんで投げようとするフリをすると、柢王はおどけ て後ろに下がって顔をかばうフリをした。後ろに下がった拍子に椅子にぶつかった柢王の 剣帯が派手な音を立てた。アシュレイがハッとして手を止める。
「ああ、新しく作った剣帯だ。なかなかいいだろ?」
 柢王の腰に巻かれた真新しい剣帯に吊られた剣は、シンプルな革製の鞘に収められてい た。しかし剣自体の拵えが立派なだけに、違和感が目立つ。
「・・・・・あのな、柢王。こんな事を言ったら怒るかも知れねーけど、俺の知り合いにスゲエ 腕が良い刀工がいる。おまけに性格も底抜けに良いヤツだから、俺の無茶も多分聞いてく れると思う。・・・だから、俺の出世払いでも許してくれると思うから・・・  その、もしよかったら・・・」
 再びしゅんとして言葉を継ぐアシュレイに、柢王は笑って首を振った。
「何でもかんでも背負い込むなって言ってんだろ。―――意地でも取り返すさ」
「・・・魔風窟も魔界も広いぞ。見つけられると思うか?」
「俺が武将になりたいって言ったときに、親父から貰った剣だ。・・・何でも双子が作った剣らしくてな。兄の刀工が刀身をその弟が鞘を精魂かけて作ったという超・業物らしいぜ? 本来二つで一つであるはずのものが、離ればなれになったんだ。きっと互いに相方を呼び寄せてくれるだろ」
「そう言うことなら、俺も腹を刺された恨みがあるから、その話乗った! けど、リターンマッチするにしても、あの魔族の鞭みたいな腕はやっかいだぞ。目と勘の 鍛錬をし直さないとまた返り討ちにあっちまう。あ、そうだ柢王。俺の武術指南を二人 ほど見繕って多方向から鞭で攻撃してもらおうぜ」
「いや、鞭というより節棍だろ。アシュレイ、お前多節棍の使い手に知り合いいるか?」
「多節棍ねえ・・・。う〜〜ん、姉上の武術指南のヤツがそーゆーの得意だったかも・・。 ・・・ていうか、そのテの変な形でエゲツない使い方をする武器ってのは、ほとんどが東国産 だろ。お前こそ知り合いいねーのかよ?!」
「武具の輸出量天界一は南領だろーが。てめーがそれをいうか。・・・う〜ん。天界は平和 だから、達人ってのは意外に少ないんだよな・・」
「・・・・・・・・君たち。あんな目にあったのに・・・・。―――全っ然 懲りてないね?!」
 今まで二人の会話に口を挟むことが出来ずに黙って聞いていた、「平和な天界」の守り手 である少年がくら〜い声音で言った。
「あったり前だろ」(×2)
 アシュレイと柢王が同時に振り向いて言った。
「懲りたけど、止めようだなんて思ってないぞ。・・・しかし何でバレてたんだよ? まあ、 バレたもんはしょうがないから、今度から魔風窟に行く時はお前にも言うことにする」
「深追いしすぎたのがいけなかったんだよな、あれは。今度から時間をきっちり決めてや ろうぜ。―――なにしろ、治療も心配も一手に引き受けてくれるお目付役ができたからな。 これでもう、安心して大手を振って魔風窟に出かけられるってもんだ。な?」
 な? と笑って柢王に肩をポンと叩かれたティアは、ふるふる肩を震わせながら、思わず 二人が後ずさるほど厳しい瞳で、キッと二人を睨み付けた。そして
「・・・二人とも無茶ばっかり無茶ばっかり無茶ばっかりして! ―――もう知らない! 心配 なんか絶対してあげないから―――っ!」
 ―――と、珍しいまでに桃色に上気した顔色で、叫んだのだった。
 ・・・しかし実際のところ、無茶をしたという点なら、ティアも同じだろう。
 天主塔の執務室の遠見鏡で魔風窟の入り口で彼ら二人が倒れるのを見ていたティアの、 現場に到着するまでが異様に早かったその訳は。
「・・・それが何にも覚えていないんだよ」
 何と小鳥に変身して鏡の道を通ったというのだから。 しかも当の本人は無我夢中でや ったから、どうやったかなど一つも覚えていないため、次は出来ないと言うし、聞いて青 ざめた二人も、二度とそんな危ないことをさせる気はなかった。

 ・・・・・・・・・・。
「ティアのヤツ、そんなこと言ってたのか・・・」
 魔風窟の暗い通路を柢王と歩きながら、アシュレイは呟いた。
 ティアと柢王がアシュレイを見舞ってから1か月が経っている。回復期に入れば霊力が それを後押しするから、傷の治りも早い。 常人よりも強い霊力を持つアシュレイは次の 一週間後には苦い薬を嫌がって王子宮じゅうを走って逃げ回るほど回復していた。
 今、柢王の隣を歩くアシュレイの足取りには何の不安もない。
 ・・・あの一件で、アシュレイと別れた後の柢王とティアが交わした言葉を、アシュレイは 今、柢王から聞いていたのだ。
 ティアに魔風窟行きがずっと前からバレていたことを教えられた時は心底驚いた。しか しそれ以上に安心した。・・・もうこれでティアに嘘や隠し事をしなくていい事が嬉しかっ た。・・・アシュレイにとっては、その事のほうがずっと心苦しかったからだ。
「自分のため、守りたいもののために、か。そう言えるあいつは十分に強いと思うけどな。」
「・・・うん」
「俺も大体のところは同じ考えだ。・・・でも、俺の場合はそれだけじゃないんだよな。 ティアみたいに綺麗じゃない・・・何というか、言葉だけじゃあらわせない・・もっと深くて熱 いどろどろしたモンが原動力になっている気がする。・・・お前は?」
「・・・俺?! ・・・・・俺、は―――」
 突然聞かれて考え込みかけたアシュレイが、ふいに全身を緊張させて小さな声で言った。
「・・・前。右側奥に、複数の気配がある」
「おーおー。ホント勘がいいよなお前。・・・ま、そんじゃ手っ取り早くやって戻るとするか。 あいつが心労でぶっ倒れるその前に。」
「まったくな。・・・どっちが先に行く?」
 すでに彼らは戦闘態勢に入っている。頭の中から余分な事が削り落とされてゆき、体が 熱を孕んでゆく。
「見つけたお前に、復帰戦も兼ねて先攻を譲る。」
「わかった。」
 アシュレイが先に立って足を踏み出し、ふとティアのことを考えた。きっとティアには、 この先の光景は見せられない。綺麗で強いあいつには。
「・・・1。」
 ここから先は、自分たちの領域だ。 美しいものなど 一つもない 場所。
「2。」
 ・・・・・綺麗じゃなくていい。
 綺麗なものを守るために強くなりたいのだから。
「3。」
 血と泥にまみれても、武将になりたいと思っているのだから。
「4。」
 きっと自分も、柢王と同じようにどろどろした熱いものが原動力なのだろう。
 アシュレイはふっと笑って前を見た。
 ・・・けれど、それが冷えて固まったら、宝石に成るかもしれないじゃないか?
「5!」
 ―――そして二人は同時に地を蹴った。

終。


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