投稿(妄想)小説の部屋・別館

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天主塔の頭の痛い一日

 
 
【9】

 にこにこ笑って礼を言いながら厨房へバスケットを返してきた南 の太子が戻ってきた。
 日はまだ高く、落ち合う約束をした夕刻までまだまだ間がある。
 さて夕刻までどう時間をつぶしたものかと桂花は悩んだ。
「約束の夕刻まで、まだ随分と時間がありますが 守天殿、これからどうなさいますか?」
 南の太子の姿の守天はちょっと考え込んだ。
「う〜ん、ずっと前から行ってみたかった所があるんだけど・・・・」
 嫌な予感がしたが、とりあえず桂花は聞く。
「それはどんな所でしょうか?」
「・・・魔風窟探検に行ってみたいんだけど・・・・・ダメ?」
「・・・・・」
 一瞬、桂花は守天が何を言ったのかわからなかった。
 ・・・魔風窟探検?
「ダメですっ!」
 一瞬後、言葉の意味を理解した桂花が、南の太子(外見)に対する天敵意識も何もかも忘れて怒鳴 った。
「ダメと言う以前に無茶です! 無謀です! 吾では万が一の時に、守天殿を護りきれません!」
「大丈夫だよ。何しろアシュレイの体だし。ほら、こんなに身軽なんだよ」
 そう言って、桂花の周りをぴょん、と跳んで見せる。
「おそろしい事をおっしゃらないでください! 守天殿の反射神経では無理です! ・・・御覧なさい!」
 振り向き様、桂花はいきなり南の太子の顔面に平手を振り下ろした。
 もちろん叩く気などない。ぎりぎりのところで止めるつもりだった。しかしそれよりも先に南の太 子の姿が眼前から消え失せていたのである。目標を失って桂花の手は空を切った。
「?!」
 はるか高みに南の太子の姿があった。桂花が行動に出た瞬間に、跳躍して空に逃れていたのだ。
空中でくるりと一回転。跳んだ本人も一瞬何が起きたのか判らないと言うような顔をしている。
「・・・すごい! さすがアシュレイの体だね、気がついたときには跳んでた。でも桂花、これなら絶対に 大丈夫だと思わないかい?」
 状況を判断したのか、ぽかんとしていた顔をぱっと笑わせ、空から降り立ちながら守天が嬉しそう に言う。しかし着地した瞬間、彼はバランスを崩してころんと転げたのである。
「あれ・・・?」
 両足を投げ出し、尻餅をついた格好で南の太子がきょとんと首を傾げる。何で転んでしまったのか 判らないと言う顔だ。
「やはり・・・。アシュレイ殿の肉体の反射神経と、守天殿の反射神経がうまくかみあわさっていないよ うですね。とっさの時には防衛反応として肉体の方が先に動きますが、守天殿がそれを行動として知 覚した瞬間、ギャップが生じて次の行動につながらなくなるようです。」
「・・・それってつまり、私がトロいって事なのかな?」
 桂花は即答を避けて、手を差し出した。
「人には向き不向きがあると言うことです。本能の南の太子殿(←おいおい)、理性の守天殿。あなた 方はそれでバランスがとれていました。そのバランスがひっくり返ってしまっているのだから、ギャ ップが生じるのは当たり前のことです。・・・とりあえず、そんな状態では、魔風窟どころか、 天守塔の外に出るのも危険です。あきらめてください。・・・しかし、よりにもよって、『魔風窟探検』 などと言う言葉を、守天殿、あなたともあろう方がおっしゃるとは思いませんでした・・・」
 桂花の手につかまって立ち上がりながら、南の太子の姿の守天は、悲しそうに笑った。
「・・・だって、憧れだったんだよ。文殊塾にいたとき、柢王とアシュレイが魔風窟探検によく行ってて、 そこであったいろんなことを嬉しそうに話してくれてたから。あの二人といるときは、けっこう無茶 もしていたような気がするけど、魔風窟だけは、二人して何があってもダメだって、絶対連れて行け ないって、言われてたから。よけいに」
 ダメだと言われれば、よけいに行きたくなるのが子供というものだ。
 ・・・でも自分は『守護主天』だから。
 少しでも危険な所に近づいてはいけないから。
 そして万が一のことがあったら、アシュレイや柢王といる事を禁じられてしまう。・・・それが何より も怖かったから。
 だからダメだと言われれば、「うん」といって、二人を見送った。
 そして一人で待った。傷だらけになって、それでも瞳をきらきらさせて、笑いながら帰ってくる二 人をこちらも笑って出迎えるために。

 ・・・でも本当は自分だってアシュレイたちと魔風窟や、下町探検に行きたかったのだ・・・。

「・・・でも、やっぱり、ダメだよね・・・。そうだね、桂花にも迷惑かけられないし、天主塔のどこか一室で 大人しくしていたほうがいいよね・・・」 
 しゅぅん、とうなだれてしまった南の太子の姿の守天。小さな子供のようだ、と思い、そして突然 桂花は、今の今まで別人のように思えていた守天の行動の意味を理解した。
(・・・ああ、そうか・・・・。)
 別人ではない。子供なのだ。
 遊ぶことの出来なかった子供。
 思い切り遊ぶことが出来なかったまま、大人になってしまった子供。
 思い切り甘えることが出来なかったまま、大人になってしまった子供。
 なぜなら、
 彼は彼である以前に『守護主天』だったから。
 子供である以前に『守護主天』であったから。
 一人の『ティアランディア』である以前に『守護主天』であったから。
 人は、彼を見る前に『守護主天』である彼を見た。
 
 ・・・・・生まれる以前から定まっていたキマリゴト・・・

 「・・・・・」
 『自分』である以前に、別の確固たる存在として確立していなければならないというのは、どんな 気分なのだろう。
 けれど桂花も、この天界では、『桂花』である前に『魔族』として見られている。
 『魔族』という言葉で一旦認識されてしまえば、『魔族』はいつまでも天界人の敵である『魔族』だ。
もう桂花個人の個性すらも認められない。なぜなら桂花を『個人』として見るよりも、『魔族』という 言葉で一くくりにして認識するほうが楽だからだ。
「・・・・・」
(・・・けれど、他人がどう思うと、どう見ようと、吾が『吾』以外のものであった瞬間などなかった。 吾はいつだって『吾』だ。そして、これからもずっと。)
 他人の認識に振り回されれば、いつか己をなくす。
他人がどう思うと、自分は自分であるのだと。
 常にそう思っていなければいけない。
 それはよくわかっているけれど。
 けれど、何かとてもさみしい。
(守天殿はずっとこんな想いを抱えてらしたんだろうか)
 何ものでもない、素のままの自分を見てほしいと願うのは『人』として当然のことかもしれない。
 守護主天という孤高の聖人へ、信仰のように捧げられる祈りや敬愛のみで心の安寧を満たすには、 彼はあまりにも人間的過ぎるのだ。
 ・・・思えば彼の周りを固めるあの二人のなんと大胆な事か。彼を『ティア』と呼び、彼に触れ、同じ 視点の高さで語る。
 ・・・けれどそれはきっとティアランディア彼自身が切実に望んだ事なのだろう。

「桂花?」
 守天が桂花の名を呼ぶ。
 ・・・稀有なお人だと思っていた。
 天界人の要であるこの人が、魔族である自分をあっさりと『名』で呼ぶ。
 のみならず、重要な機密を扱う執務を手伝わせたりなんかしている。
 柢王への義理や、自分に対する慈悲だとずっと思っていたけれど。
「・・・こんな事を思うのは不敬なのかもしれませんが、貴方と吾は、どこか通じるものがあるのかもし れませんね・・・」
「え? 桂花? なんて言ったの、聞こえなかった」
 独り言です、と桂花は首を振った。そして南の太子の姿をした守天に向き直ると、少しだけ笑って 見せた。
「魔風窟や、天主塔の外に行かれるのは断固として反対いたしますが、天主塔の領地内でしたら反対 いたしません。守天殿のお好きなようになさってください。・・・天主塔探検でしたら、吾も喜んでお供 させていただきますが?」
「いいの?!」
 南の太子の顔がぱっと嬉しそうに輝いた。まるっきり子供だ。
「ええと、ええとね、じゃあ、まずはクリスタルロードの絵を見よう。新しいのが入ったと聞いてい るんだけど、見に行く機会が全然なくてね。それからその次は・・・ええと、時間が惜しいし歩きながら 考えよう。桂花、早く早く」
 にこっと笑いながら差し出された手に思わずひるむ。
「・・・あ、そっか」
 南の太子はちょっと困ったように笑った。どうも浮かれすぎてるみたいだねといって、小さな子供 が大人の気を引くために衣服を引っ張って見せるようなかんじで、手をつなぐ代わりに桂花の袖口を ちょんとつまんだ。
「これならいい?」
 ついに桂花は吹き出した。
「・・・守天殿」
「なに?」
「子供のようですね」
「子供だよ。何てったってまだ十代だからね。さ、早く行こうよ」
 うきうきと歩く南の太子に袖口を引っ張られながら、ちょっと困ったように笑う桂花が後に続く。
 
 

【10】

 衛兵に見つからないように、こっそり移動したり、物陰に隠れた りしてやりすごしながら、南の太 子の姿の守天と桂花はクリスタルロードに新しく入った絵を見にゆく。
(・・・探検というより、これはむしろ探偵ごっこでは・・・?)
 先にたって守天を導きながら、桂花は思った。
 「普通に見に行ったんじゃ『探検』にならないから、衛兵に見つからないようにこっそり見よう♪」
と提案した当の本人は、先に歩かせると一秒後に見つかりかねないような無防備な隠れ方をするので、 結局桂花が先導している。
 二人して観葉植物の陰に隠れて、辺りをうかがう。南の太子はさっきから何がおかしいのか、くす くす笑っている。
「・・・守天殿、見つかってしまいますよ?」
「だって、とまらないんだよ。」
 たしなめる桂花に、慌てて口元を両手で押さえながら、それでもにこにこと目で笑っている南の太 子。桂花は心中でため息をついたが、本人が楽しそうにしているんだから、まあ、何も言うまい。と 思い直した。
 
 新しく入ったという絵は、抽象的過ぎて桂花には理解しがたかった。
「同じものを見ても人によって感じ方が違うように、表現の形もさまざまだね。」
 ポケットの中にしまっておいた昼食の焼き菓子の残りを半分に割り、その片方を桂花に渡しながら 守天は笑った。
 クリスタルロードを抜け出し、二人は再び森の中を歩いていた。
「守天殿は、あの絵をお気に召されたのですか?」
「う〜ん。気に入ったとかそういうのじゃなくて・・・・うまく言えないけれど、あの絵は、絵筆を持つ 本人自身の内奥を、色を重ねる事で暴き出そうとしている。そんな印象だった。」
「・・・内奥・・・ですか?」
「うん。私は、芸術って言うのは、自分の中の世界を他人の目や耳に見える形に表現する事だと思う。 ・・・すごいと思わないかい? 言葉だけではあらわせない事を別の形で表現できるんだよ。絵にせよ、 音楽にせよ、言葉以外で感情の表現の手立てを知っている人が、私はとてもうらやましい。」
「・・・言葉というのは万能ではないとおっしゃる?」
 娯楽の少ない魔界で生まれ育った桂花にはよくわからない。桂花は言葉と態度と・・・肌を合わせる以 外に感情を伝える方法を知らない。
「・・・むずかしいね・・・。でも、人は、思っていることの半分も言葉にあらわす事が出来ない。」
「・・・そうですね・・・」
 その時、歩く守天の足先にこつんと当たるものがあった。
「何?・・・棒?」
 自分の身長ほどもある長棒を手にして守天が首をかしげる。
「天主塔の兵士が槍がわりに練習で使う長棒ですね。誰かが置き忘れていったようです。」
 近くから、硬い物を打ち合わせる音、掛け声などが響いてくる。
「修練場が近い。・・・ずいぶんと遠くまで来てしまったようですね。」
「・・・修練場かぁ・・・。ちょっとのぞいてみようか」

「・・・修練演習中のようですね。」
 縦横に何列も並んだ兵士達が、号令に従って気合とともに槍代わりの長棒を型に沿って振り上げた り突き出したりしている光景はなかなか迫力がある。
 物陰から首だけ出して興味深そうにのぞいていた南の太子が、そのうち体をそわそわと動かしはじ めた。
「守天殿?」
 けげんそうに聞く桂花に、南の太子は長棒を持ったまま、照れくさそうに首を傾げて見せた。
「・・・その、なんていうか、こういう光景を見てると、黙って座っていられない。体がむずむずしてく るんだ。・・・変だね。武器を持ったことすらないのに。・・・アシュレイの体のせいかな。・・・ふうん。 あんな風に槍を持つんだね。」
 楽しそうに守天は長棒をくるくると振り回し、構えて見せた。
 南の太子の肉体が記憶しているせいか、槍代わりの長棒を構えて見せた姿も初めてにしてはなかな か堂に入っている。
「・・・・ええと、こんなかんじかな? これでいいのかな? 桂花、槍術ってどういう風にすればいいの? 少しでいいからおしえてくれないかい?」
 にこっと笑っていわれ、桂花は青ざめた。
(教えてって・・・守天殿・・・。どこの世界に(←といっても天界に一人しかいないけど)武器を手にし て魔族に槍術の教えを聞く守護主天がいらっしゃるというんですか・・・)
 修練場に行くと言い出したときから何となく嫌な予感がしていたのが的中した。
 童心にかえってしまったまでは、まあ、まだいい。
 良識を10万光年の彼方に置き忘れたことも百歩譲って忘れよう。
 だがしかし
 守護主天たる本質まで10万光年の彼方に置き忘れてしまわれたのではたまらない。
「・・・守天殿」
「何?」
 にっこり笑って『南の太子』が聞き返してきた。
「・・・・・」
 そう、たとえ中身は守天でも、外見は象が踏んでも壊れない南の太子なのであった。
 守天の肉体ではないという事は、つまり、守天がどんなに望んでも出来なかったことを可能に出来 るという事なのだ。
(『・・・だって、憧れだったんだよ・・・』・・・か。)
「・・・・・」
 桂花は肩をすくめ、壁に立てかけてあった長棒を拝借すると、すっと構えて見せた。
 毒を喰らわば皿まで、である。
「重心が少し傾いてます。もう少し腰を落として。右足をひいてください。」
「え〜と、こう?」
「そう、そうです。では吾がゆっくり打ち込んでみますから、守天殿は深く考えずに、体が動きたいように動かしてください」
「え・ええ? ・・・う・うん。よろしく」
 最初は桂花が手加減して繰り出す棒先を危なっかしくはじくだけだったが、槍術の動きを叩き込ま れた南の太子の身体はすぐに慣れ、動きにも棒を操る腕にも、次第に熱がはいってきた。
「攻撃してもらっても構いませんよ」
「・・・・『攻撃』って。でも私は・・・」
「『南の太子殿』なら、いつまでも守勢に甘んじていたりなさいません。大丈夫です」

 木製の長棒を打ち合あわせる軽快な響きに気付いたのは、演習を 終えて休憩をとっていた兵士だっ た。音をたどったその先で、南の太子と東の第三皇子の副官である白い魔族が、激しく長棒を打ち合 わせているという光景を目の当たりにして、若い兵士は目を丸くした。
 ぽかんと立ち尽くす兵士の姿に、彼の仲間が気付き、世にも珍しいその光景に、たちまちのうちに 見物の人だかりが出来た。
 
「おおっすげえ。あんな重くて速えぇ突きまともに喰らったら、半日は間違いなく立てねえぞ」
「や、でもあの魔族もなかなかやるぞ。あの速い連続の突きを全部さばきやがった」
「力がないから、まともに正面から受け止めたんじゃ勝ち目がない。だから力を受け止めずに受け流 すようにしてんだな。そうすることで相手にもスキを作ることができるってわけだ。・・・なるほどな」

 片や、華奢な外見からはおよびもつかない剛勇なパワーとスピー ドを兼ね備えた南の太子。
 片や、パワーこそ遙かに劣るがスピードと冷徹な柔軟さを兼ね備えた東の第三王子の副官。

「けどよ、スキを突くのはちょっと無理があるんじゃねえか? 相手はあの南の太子様だぜ。パワーも 尋常じゃねえが、スピードはもっと尋常じゃねぇ」
「や、スピードだけならあの魔族も負けてねぇと思うが・・・けど変だな。あの魔族、攻撃を受け止める だけで、自分からは絶対攻撃しねえ。・・・あ、ほら、さっきの見たろ? 受け流された南の太子様の体が 一瞬宙を泳いで、脇ががら空きになったけど、魔族の奴、絶好のチャンスなのにさっさと長棒を引い ちまったじゃねえか」
「あの魔族はたしか、天界人を攻撃することは禁じられているのではないのか? ・・・だがしかし、すこしずるいと思わんか。守天様をお守りする立場の我々を差し置いて、いくら柢王 様直々に鍛えられたとはいえ、魔族などを修練のお相手にお選びなさっているなどとは」
「そ−だよな。俺だって南の太子様にだったら教えてもらいてーもんなー」
「南領の兵士が強いのは、南の太子さまが直接兵士に手ほどきしたり、修練の陣頭指揮をとってるか らだって噂だもんな」

「・・・・・っ」
 桂花は焦っていた。
 思ったよりも南の太子の動きが速い。そして、攻撃の一つ一つが重い。かろうじて受け流してはい るが、桂花の細腕はすでに限界に達している。
 そして、いつのまにやら出来ている壁の後ろの人だかり。(あれでも本人らは隠れたつもりでいるら しい)
 しかも、時折守天(中身)が自分の身体の動きの速さに驚いて、精神と肉体の反射神経にギャップ が生じ、唐突にスキだらけになるのだ。魔族相手にこれでいきなりバランスを崩してすっ転ぶのを見 られた日には、南の最強と謳われる武将の威信なぞ・・・
(・・・って! だからどうして、この吾が、サルの威信の心配などをしなくてはならない?!)
 桂花は違和感と責任感と使命感と自己嫌悪と良識の狭間で自問した。
 後悔先に立たず。というかこの場合、良識を最後まで持ち続けた者が、わりをくうのだ。
 かくなる上は、南の太子がぼろを出さないうちにきりあげることが最上策だった。
「守、守天殿、そろそろおやめになられたほうが・・・」
「え? 何?」
 打ち合い、桂花は大きく飛び離れて南の太子との距離をとった。
(・・・えっ?)
 さらに呼びかけようとした桂花と南の太子の間に、いきなり割って入った者がいた。
「斬妖槍に名高い南の太子様の槍術、・・・ぜひとも一手ご指南願いますっ!」
「・・っぇ? ええっ? ちょっと待・・・」
 桂花が止める暇も、南の太子が断る暇もなかった。裂帛の気合と共に、血気盛んな若い兵士は南の 太子目がけて棒先を繰り出してきたのであった。
  
  
 どっかーーーん!
 執務室のバルコニーから見える方角に巨大な火柱が高々と天を貫くのを柢王と守天はあっけにとら れて見た。
 衝撃波に天主塔が揺らぐ。
「・・・おい。あれって、修練場の方角じゃねえのか・・・?」
「・・・ってゆうか! あれは俺の『華焔咆』じゃねえか!(なんか形が違うけど!)」
 あっという間に喧騒の坩堝と化した天主塔。回廊を慌しく走り回る足音が近づいてくる。
「・・・あの分だと怪我人が出てるな。守天殿、出番だ。」
「へっ?」
 柢王に肩をたたかれ、守天の姿の南の太子があんぐりと口をあけた。
「『守天殿』の手光と聖水が必要って事さ。な〜に、ティアが斬妖槍出せたんだ。お前も出来るだろ」
「ば、馬鹿言えっ!  出来るかそんなもん!」
「やるんだよ」
 柢王は守天の両肩を掴み、目線を同じ高さにし、低い、しっかりした声で言った。
「お前が昔、ああやって騒ぎを起こすたびにティアは手光だ聖水だと走り回っていたんだ。
たまにはその大変さを体験してみろ。いい機会だから」
「・・・で、出来ないもんは出来ないんだよっ! 柢王のばかやろっ!」
 執務室の扉が激しく叩かれた。
「守天様っ!  一大事でございます!」
「修練場が燃えております! 兵の演習が行われている修練場が、燃えておりますぅぅ!」
 なお激しく叩き続けられる執務室の扉と、時を追って増える嘆願の声。
「・・・・・」
 守天の姿の南の太子は真っ青になって立ち尽くしたのであった。
 
 

【11】

 ・・・今日はめずらしいものをよく見る日である。

 とっぷりと日が暮れた天主塔の執務室で、烈火のごとく怒り狂っ て怒鳴る天主塔の主と、一言の弁 解もなく首をうなだれて(←しかも何故だか床に正座している)南の太子の姿。
「はいはい、見世物じゃないぞ。散った散った」
 執務室の扉の前の、黒山の人だかりを柢王が手を振って追い払う。

 守天の怒りの原因は、もちろん大騒ぎの原因となった、修練場で 『華焔咆』などという、大ワザを ぶっ放した南の太子の軽率さに対するものだろうと天主塔の誰もが思ったが、日ごろの南の太子に対 する、天主塔の主の態度を知っている者の中には、首をかしげる者もいた。
「南の太子様に、あそこまで声を荒げてお怒りになられるなんて・・・」
「ほんとう・・・おめずらしいこともあるものですわね・・・」
「・・・あれは、本っ当に、相っ当〜にお怒りの様子ですわね。くわばらくわばら、ですわ」
「おお・・・恐ろしい・・・今頃人界に天災が起こっているかも知れませんわね」

 もちろん、天災など起こっているはずもなく、当たり散らそうに も、暴力を振るえない守天の姿の南の太子は、考えつく限りの罵詈雑言を、南の太子の姿の守天にぶつけている。
「・・・悪態というのは、言葉が低レベルであればあるほど腹が立つものですが、あまりにも語彙が貧し くていらっしゃる。(その『ばかたれ』という言葉使うのこれで通算十五回目・・・)」
「なんだとっ! ・・・桂花っ! てめえもてめえだ! 何をぼんやり見てやがった!」
 柢王に茶を差し出していた桂花にも詰め寄る守天の後頭部を、柢王がまたしても盆でぱかーん! と 張り倒す。
「馬鹿言え、アシュレイ。あの時、桂花がとっさの判断で周囲に風の壁を張り巡らせて、炎の大半を 上空に吹き上げるようにしたからこそ、被害があんな最小限ですんでいるんだぞ。あの後もティアや お前の代わりに事後処理を一手に引き受けて走り回ったんだ。文句をいうな」
「うぐぐぐ〜」
 結果として軽傷者ばかりであったので、備蓄の聖水で事は足りたのであったが、間接的とはいえ、 桂花に借りを作る羽目になってしまった南の太子としては、悔しいやら、情けないやらである。
「まあ、気を落ち着かせて茶でも飲めよ」
 怒鳴り続けてのどの渇いた守天は、柢王がさし出した大ぶりの茶碗をひったくるようにしてとり、 一気に飲み干す。
「・・・?・・っうわ、苦っ! なんだこの茶! 出すぎだぞこれ。だいたひだにゃ、・・・?・・・れれれれ?」
 茶碗を桂花に投げ返し、文句をつけようとした守天のろれつが急にあやしくなった。
「おっと」
 二、三度瞬きしたまぶたがすうっと閉じられ、重心が崩れて後ろに倒れそうになった守天の体を、 柢王が支えてそのままひょいと抱き上げる。
 超即効性の睡眠薬を盛られた守天は、すうすう寝息を立てて眠っている。
「・・・この人も用心が全然足りませんね・・・変な味がしたら、飲まないでしょう、普通」
「一丁上がり・・と。いいじゃないか、こいつの単純さのおかげで、よけいな手間が省けたんだ。 おいティア、こいつをこのまま寝台に連れて行くからお前も来いよ。 昨日と同じ状況にしないと元に戻らないかもしれないんだろ?・・・おい、ティア?」
 床に正座し、うなだれたままの姿勢の南の太子は返事をしない。桂花が近寄って覗き込み、なんと もいえない顔で柢王を振り返って言った。
「・・・寝てます」
「・・・大物だな」
 柢王が天井を仰いだ。
「桂花、そいつを起こしてつれてきてくれ。なんなら、暴力にうったえてもいいぞ」
「ちょっと、柢王?」
「早くな。」
 守天を抱えて寝室に向かった柢王の後姿から、床に正座して眠りこけている南の太子に視線を移し、 桂花は困ったように首をかしげた。
(・・・暴力、といわれても・・・)
 できるわけがないので、桂花は肩を掴んで揺り起こす事にした。
「守天殿、起きてください」
 応答なし。
「・・・・」
 しばし考えた後、桂花は南の太子の耳元に口を近づけると、低い、しかしはっきりした声で、言っ た。
「守天殿、仕事してください」
 がばっと赤毛の頭があがった。
「・・・え? どれ? どの書類?」
 寝ぼけ眼のまま、きょろきょろと首を振る。
「守天殿、寝室でお休みください。アシュレイ殿は先に行かれておりますから」
「・・・ああ、桂花。・・・アシュレイの技って霊力をすごく使うんだね。あんな大技を何回もやって戦っ てるアシュレイってやっぱりすごいね。・・・あんなに大変なものだって思わなかったよ。 ・・・ああ、でも今日は・・・」
 ・・・なんだかとっても楽しかった・・・と、目をこすりながらそこまで言って、そのまま桂花の肩によ りかかってまた眠ってしまう。
 いとものんきに幸せそうな顔をしてすうすう眠る南の太子に、桂花は降参したように長いため息を ついた。
(・・・だめだ、これは・・・・・)
 これが、外見だけでなく、中身も正真正銘南の太子であるのなら、桂花も踵落としの一つもくれて たたき起こしもするが、中身が恩も義理もある守天では桂花は手が出せない。
 仕方がないので桂花は南の太子の体を抱き上げると、寝室へと運んでいった。

 守天を寝台に寝かせて室内履きを脱がせていた柢王は、南の太子 を抱えて寝室に入ってきた桂花の 姿を見て小さく笑った。
「・・・滅多にお目にかかれない光景だな。眼福、眼福」
「・・・何が眼福ですか。変なこと言わないでください」
 顔をしかめた桂花に笑って近づき、柢王は腕を差し出す。
 柢王が南の太子を受け取ろうとしているのかと思った桂花は、南の太子ごと体を引き寄せられ、声 をあげる暇もなく唇を奪われた。
「・・・・・っ」
 気付いたときには南の太子の体は、いたずらっぽく笑う柢王の腕に移っていた。
「!!!!」
「怒るな怒るな。二人が目を覚ますぞ」
 さっさと寝かしつけて寝具を二人の肩口まで引き上げてやった柢王が、かたわらで立ち尽くす桂花 を引き寄せて耳元でささやくと、そのまま肩口に顔を埋め、寄りかかってきた。
「・・・ちょっと、柢王。こんな所で遊ばないでください。」
 しかし柢王はお構い無しに桂花に寄りかかってくる。
「て、柢王? ・・・・重いっ」
 重みに桂花がよろける。倒れかかったところで柢王が気づいて体勢を立て直したが、桂花の肩口に 顔を埋めたまま、一言。
「・・・すっげー 眠い・・・・」
「・・・・・・・」
 本気で眠そうな柢王の背に桂花は腕を回しながらそっと聞く。 
「・・・柢王、聞きそびれていたんですけれど、あなたは何時帰ってらしたんですか?」
「ん〜〜お前が目を覚ます10分前ぐらいかな・・・・」
「眠ってないってことじゃないですか!」
 他人の寝室で、しかも眠っているものもいるので、叱る声も自然ささやき声になる。
「しょうがないだろ。・・・早く会いたかったんだからよ」
「・・・・・」
 自分の前ではよく寝るくせに。
 親友のためには自分の睡眠を平気で犠牲にしてつきあってたくせに。
(・・・でも・・・)
 そういうことは言わないでおく。
 ・・・嬉しかった。
 ただ、すなおにうれしいと思った。
「あなたって人は・・・」
 桂花は柢王の背に回した腕に力を込める。
「ほんとうに、あなたって人は・・・・」
 しかるように言いながら、桂花は幸せそうに柢王の肩口に額を埋めた。
 
 

【12】

 寝室の隣の部屋の長椅子で桂花に膝枕してもらいながら、柢王はうとうとしつつも桂花の白い髪を 指に絡めてもてあそんでいる。
 二人が目覚めたら、ちゃんと起こしますから、と桂花が言っても柢王は笑って桂花の髪を離さない。
「朝のことだけどな」
 困ったように見下ろす桂花の髪の一房に唇をおとし、桂花の瞳を下から覗き込むようにして柢王が 言った。
「・・・・?」
「俺が、桂花にこれ以上なにを望むんだっていってた事」
 桂花はわずかに息を呑み、何かに耐えるようにその形のよい眉をひそめ、小さく首を振った。
「・・・柢王、そのことは、もう忘れてくださ・・・」
「全部だ」
 断ち切るような、力強い声だった。
「怒ってる桂花も、こんな姿を見せたくないといってる桂花も、全部俺は欲しいんだ」
「・・・・・」
 笑いかける柢王に、桂花は一瞬泣き出しそうな顔を見せた。
「・・・桂花?」
「・・・そんなものは見せたくない」
 柢王の、まっすぐに人を見るその瞳が桂花は好きだった。
 ほかの天界人とは違い、魔族の桂花になんのまじりっけもない瞳で笑いかける。
 その瞳が桂花は好きだった。
(・・・けれど・・・)
 激しい感情の発露に時折あらわれる、魔族特有の本性・・・
 天界人とは相容れない、その、異形の、カタチ。
 ・・・いつか、この瞳が魔族の本性を厭う日が来るのかもしれない。
 ・・・この瞳を、失う日が来るのかもしれない。
 ・・・・・・失えない。
 ・・・失うのが怖い。
 ・・・怖い。怖い。・・・怖い。
 けれど、失うのであれば、せめてほんの少しの美しい思い出として、記憶の片隅にでもありたい。
 だから、貴方には
「・・・綺麗なものしか、見せたくない・・・」

 悲しげな表情のまま、桂花は口を閉ざしてしまった。
「・・・・・」
 柢王はゆっくりと起き上がると、桂花の身体にそっと腕をまわして抱きよせた。
 されるがままに引き寄せられ、肩口に頬を預けたまま身体をかたくしている桂花の背を、柢王は 一定のリズムでやさしく叩く。
 ・・・とん・・・ ・・・とん・・・ ・・・とん・・・ ・・・とん・・・
 背を打つリズムはただやさしく、桂花を抱く腕はあたたかかった。
 柢王の体温につつまれて、背を、一定のリズムでやさしく叩かれているうちに、桂花はふっと自分 の身体から余分な力が抜けていくのがわかった。
 ただ、抱きしめられているだけなのに。
 やさしく背を叩かれているだけなのに。
(ああ、・・・そうか・・・)
 このリズム。
 ・・・これは、鼓動だ。
 柢王の、生命のリズム。
 ・・・そして、これは、母親が幼子をあやし、寝かしつけるリズムだ。
 小さく桂花は吹き出した。
「・・・あ、あなたに、あやされるなんて夢にも思いませんでした」
 笑い出すと、止まらなくなった。
 小刻みに身体を震わせて笑う桂花に、柢王は背を叩く手を止めると、いきなり桂花もろとも長椅子 に倒れこんだ。
「柢王?」
 柢王の上に倒れこむ形となった桂花が柢王をのぞきこむ。
「やーっと、笑った」
 楽しげな瞳が目の前にあった。
「俺の知っている綺麗な桂花だ」
「・・・・・」
「でも知ってるか、桂花? 怒ってるときのお前って、西国の水域にしかない月夜に咲く水棲植物みた いに、白い血の色がさっと肌にのぼって、ふわっと光るんだ。・・・思わずその場に押し倒したいくらい ソーゼツに綺麗なんだぜ。」
 知らないだろ? と身体に回された腕の力が少し強くなった。
「そんなもの見せたくないってお前は言うけど、俺は何度だって見たい。・・・それに、まだまだ俺の知 らない桂花がいっぱいいるみたいだしな」
「・・・?」
「アシュレイと激突してる時とか、ティアと書類の内容で検討しあってる時とか。俺のときと、やっ ぱり見せる顔が微妙に違うんだな。それを見るのが俺は楽しい。・・・全部、綺麗だからな」
「・・・南の太子殿と怒鳴りあってる吾が?」
「種類の違うネコ科の獣がじゃれてるようで見てて楽しいぞ」
 こっちは命がけです! という桂花の言葉は笑って流された。
「全部、好きだ」 
  額を、こつんと合わせて、柢王が笑いながら言う。
「・・・けど、まだまだ、これからってとこだな」
 知らない桂花が多すぎるみたいだからなと笑う柢王に、桂花は少し眉をひそめ、柢王の両肩に手を つき、獲物を見下ろす美しくしなやかな獣のように柢王の上に半身を乗り上げた。照明を背後に逆光 でおぼろになった桂花の輪郭の中で、紫色の瞳だけがきらめいている。
「・・・傲慢なお人だ。吾のすべてを暴き出すつもりですか?」
 挑むように見下ろす美しい異形の姿を、柢王は讃美と笑みでもってまっすぐに見上げた。
「全部さ。お前は俺のものだろ?」
 どこかからかうような声で柢王は笑いながら言い、片腕を桂花の身体に巻きつけ、もう片腕を伸ば して桂花の髪をゆっくりとなだめるように梳いた。
「・・・・・」
 魔族として生まれた自分を呪った事は一度もないけれど。
 自分でも時折嫌気がさす、この異形の姿を
 それでも、この人は好きだと言ってくれるのだ・・・・
「・・・バカな事を言ってないで。もう、寝てください」
 屈託なく笑う柢王に桂花は降参の証に、上身をかがめると、まぶたに唇を落とした。
(・・・あなたには、何一つかなわない・・・)
 
 二人が起きたら必ず起こせよ、と言うなり桂花を抱きしめたまま、すとんと眠りに落ちてしまった 柢王の寝顔に桂花はそっと触れる。
 眠りを邪魔しないように、羽毛よりもやさしく輪郭をたどり、髪を撫でる。
 その指先で、全て憶えておこうというかのように真摯に触れる。
「・・・・・」
 全てでなくてもいい。
 永遠でなくてもいい。
(離さないで・・・)
 ・・・自分を抱きしめる腕
 ・・・まっすぐに笑いかける瞳
 それがたとえ永遠に失われる日が来るとしても。
 いま、この瞬間だけは、
(この人は、吾だけのものだ・・・)
 
 

【13】

 目覚めはふいに訪れた。
 甘い香りと体温が傍らにあって、心地よさそうに寝息を立てている。
「・・・・・・」
 南の太子は寝台に体を横たえたまま、しばらくぼんやりと恋人の顔をのぞき込んでいた。
 月光で紡いだ絹糸のような髪にふちどられた、幸せそうな顔をして安らかに眠る、額に尊い御印を 戴いた絶世の美貌を。
(めずらしーの。こいつが、こんなに気持ちよさそーにすうすう寝てるなんてな)
「・・・う〜ん・・・」
 ・・・それにしても、何だか変な夢を見たような気がする。
 ティアと一緒にいるところへ、八紫仙と教育係のジジイどもが集団で来てわけのわかんねぇ事をべ らべら喋ったあげく、わけの分からない薬を飲ませようとするから、練兵場の兵士どもに八つ当たり で『華焔咆』を喰らわせているところへ、桂花があらわれて小ぶりの素焼きのポットに入っている薬 湯であっさり炎を鎮火させてしまう。何すんだよ! と食ってかかったところへ柢王があらわれて、書 類の束で後頭部をスパーン! と張り倒す。そんな脈絡のない夢だった。
「・・・しかしなんか腹のたつ夢だった・・・ん?」
 後頭部に手をやる。ついさっきまで柢王に張り倒されまくった後頭部の痛みが消えている。
 ・・・そもそも、何で柢王に張り倒されたんだっけ?
「んんん?」 
 おそるおそる自分の手を見、顔に触り、赤い髪に手を突っ込んで額の角を探る。
「・・・俺・・・だよな?」
 さっきまでの、とっさの受け身も取れないような身体とは、ぜんぜんちが・・・
 がばっと南の太子は起き上がった。
「・・・夢じゃねえっ! おい、ティア! 起きろ! 元に戻ってる!」
 大声で叫ぶなり、眠っている守護主天の肩を掴んで、がしがし揺さぶる。
 南の太子の大声に隣室で一人起きていた桂花が反応し、柢王を起こして(←というか、声で目がさ めた)二人して寝室に駆け込む。
「アシュレイ! もとに戻ったか」
「・・・守天殿は?!」
 寝室では、乱暴に揺さぶられた守護主天が、勢いあまって寝台から落ちた所だった。
「ティア! 大丈夫か?」
「いたた・・・。アシュレイいきなりひどいよ・・・」
 桂花に助け起こされて床に起き上がった守天は、後頭部に手をやって眉をしかめた。
「・・・なんだか、頭が痛い・・・。 ? コブが出来てるよ・・・どうして?」
 そうして3人が見ている目の前で、手光でさっさと癒してしまった。
「・・・守天殿、大丈夫ですか?」
「ああ、桂花。今日はとても楽しかったね・・・え? 大丈夫って何の・・・ ? ・・・あれれ?」
 どこか寝ぼけたような瞳が急速に晴れていく。
「おい、ティアだいじょうぶかよ」
 寝台の上から覗き込んだ南の太子がつんつん頭をつっつく。
「アシュレイ。・・・え〜と、それじゃあ・・・」
 守天は心配そうに覗き込む3人の顔をぐるっと見回してようやく納得のいった顔をし、そして 「ごめん」と、ぺこりと頭を下げた。

「二人とも、もとに戻ったな」
「・・・もとに戻ってますね」
 桂花が安堵のため息をついた。
「じゃあ、これで一件落着だな。・・・おい、二人とも何があっても明日の朝まで俺達を呼ぶなよ。
行くぞ、桂花」
 桂花の肩を抱いてさっさと柢王が身をひるがえす。桂花があわてた。
「え? しかし柢王、お二人の体調なども確認しなければ・・・」
「元に戻ってんだ。大丈夫だろ。」
 寝起きのせいか、柢王の目が心なしか据わっているように見える。
「しかし・・・」
「桂花。あんまりぐだぐだ言ってるとこのまま長椅子に押し倒すぞ」
「・・・・・・!」
 人前で何てこと言うんですか、あなたはっ! と思わず突き飛ばしかけた両腕をなんなく絡めとって 引き寄せると、ぎりぎりまで顔を近づけ、「どうする?」と笑って見せる。
「・・・桂花、私達のことなら心配ないから、部屋でゆっくりと休んでくれ」
 進退窮まった桂花に守天が助け舟(?)を出す。その隣の寝台の上で、南の太子が目をまん丸に見 開いているのに見送られて、二人は退場した。

 寝室の扉を閉めた守護主天が寝台のほうを振り返ると、寝台の上 にあぐらをかいて座る険悪な瞳の南の太子と視線がぶつかった。
「・・・アシュレイ、怒ってる?」
「怒らいでか! 人の身体で好き放題しやがって! やい、ティア! おまえには今からよ〜く言って聞 かせなきゃいけないことがあるんだぞ! ちょっとここに座れ!」
 そう怒鳴って、自分の座る寝台の前の場所を指でさす。守天がためらっていると、ここだ! という ふうに前の場所を右手でばんばん叩く。
 寝台の上で、南の太子の前に守天はきちんと正座して座った。
 どんな罵詈雑言も、暴力も覚悟した守天だったが、怒ったような顔をした南の太子の口をついてで たのは、意外な一言だった。
「食事はちゃんとしろ」
「・・・?・・・う・うん」
「仕事が忙しいのはもうしょうがねえ。けど、よほどのことでない限りはせめて人並みに寝ろ」
「うん」
「・・・それから・・・」
 そこで一旦言葉をきった南の太子は、なかなか口を開こうとしない。
「それから?」
「それから守天ってのは笑ってんのも仕事のうちってのはわかってっけど・・・。・・・いや、だから・・・」
「アシュレイ?」
 のぞきこんだ南の太子の顔は真っ赤だ。ぽりぽりと頬を掻きながら視線をあさってのほうに向けて しどろもどろに喋る。
「・・・いや、今日一日お前の立場になってみて、・・・その、どんだけ大変かが・・・わかった・・・ような気が すんだよな。なんとなくだけど。うん。・・・んで、大変なのに、お前は・・・ちゃんと笑ってんだよな・・・。 ・・・でもさ・・・いや、だからこそだな・・・」
「アシュレイ・・・・」
 南の太子を見つめる守天の頬がばら色に染まる。
 そっぽを向いて、頭をがしがし掻きながら言葉を続けていた南の太子が、真っ赤な顔のまま真正面 の守天に向き直って言った。
「う〜〜〜。・・・だからティア、せめて俺の前では無理すんな。愚痴でも何でも聞いてやるから。しん どいなら笑ってなくてもい・・・のわっ?!」
「・・・アシュレイ! うれしいよ!」
 みなまで言わさず満面の笑みで守天が抱きついてきた。その勢いで南の太子は寝台に押し倒された。
「うわっ! おいティア! 話はまだ終わって・・・ うわっわわわっ、どこ触って・・・わー!」 
( お約束〜♪ )
「愛してるよ、アシュレイ♪」
「 ひ、人の話を聞け〜!  ・・・!!!」

 ・・・かくしてお約束のオチのもと、天主塔の夜は平和に更けてゆき、長い一日は終わったのであった。

                            

『天主塔の頭の痛い一日』 終
                              
                              → 『天主塔騒動始末』に続く?


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