投稿(妄想)小説の部屋・別館

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(番外)天主塔騒動始末

 
【1】

「あなたがファンクラブに入ってくれて、本当に嬉しいわ。あなたの趣味がお菓子作りだと聞いていたから、これは、ぜひとも入ってもらわないと、と思っていたの」
「・・・・・」
 熱湯の入ったポットを持って、上機嫌で歩くベテランの使い女の隣を、茶器と焼き菓子ののった盆を掲げ持ち、新米の使い女は「さようでございますか・・・」と抑揚のない声で応えた。
 今日の茶請けの菓子は新米の彼女の手製だ。小麦と卵と砂糖と乳脂と木の実だけで作ったシンプルな焼き菓子だが、味見をした使い女達からは絶賛をもらっている。
 もちろん、おかしな薬など、一滴ですら入れていない。(香料も念のため省いた)
 昨日、天主塔の主の身の危険を感じたこの新米の使い女は、(会長のスカウト攻撃にあったことにもよるが)ほとんど殉教者の心境でファンクラブに入ったのであった。
(・・・天界の平和を守るためです! 見ててください、お父様お母様。都会(←だから違うって)はこのように恐ろしいところですが、私は力強く生き抜いて見せます!)
 ・・・かくして、一夜にして悟りを開いてしまったよーな妙に据わった目をした新米の使い女は、扉を守る衛兵達にびびられながら、執務室の扉を叩いたのであった・・・。

「・・・いや〜。あの時は、とにかくいきなりだったし、こっちはパニック起こしてるし。アシュレイの肉体だから、体は勝手に動いてくれるけど、落ち着いて対処しなきゃ、と思った途端、長棒を受け止め損ねて転びそうになったところに、顔面めがけて長棒が突き出されてきて・・・『アシュレイの顔に傷がつく!』って、そう思った瞬間頭が真っ白になっちゃって。左手がすごく熱くなって・・・そこから先は覚えていないんだ」
 そして気がつけば、『華焔咆』などという大技を繰り出していたわけで。
「・・・・・」(×2)
 長椅子で向かい合わせに座った柢王と南の太子は、事の顛末を聞いて二人顔を見合わせた。
「・・・愛のなせるワザだな。・・・よ・よかったな。アシュレイ・・・」
 長椅子の背に突っ伏して笑いを必死になってこらえながら、勘弁してくれと言いたげな柢王の背がふるえている。
「ちっともよくねえ! なんだそりゃ! ティアー!」
 激怒した南の太子に首を絞めかかられた守天が悲鳴をあげている。
「あー アシュレイ、やめやめ。・・・まったくお前らは昨日の今日だってのに、これ以上騒ぎを起こすなっての」
 柢王が南の太子の後ろ襟をつかんで引き離す。
「すまない、柢王」
「な〜にをぬかすかっ! 離せ柢王! これが怒らずにいられるかーっ!!!」
 後ろ襟をつかまれて柢王に片腕でネコのように空中にぶら下げられた南の太子が、ジタバタ暴れて怒鳴る。
 そこに書類を抱えた桂花が入ってきた。
 昨日の被害状況を調べ上げて、戻ってきたのであった。
「・・・・・」
 優雅な笑顔で桂花を迎える守護主天。
 凶暴な表情で怒鳴っている南の太子。
(・・・やはりこうでなくては)
 桂花はひそかに安堵のため息をついた。
 凶暴な表情の守護主天はまだしも、慈愛に満ちた優雅な微笑を浮かべる南の太子など、二度と見たくない。サルはサルであるほうがよっぽどいい。
 
「遅くなって申し訳ありません。昨日の被害状況を手短にご報告いたします。修練場で爆風でなぎ倒されて脳震盪をおこした者が12名。爆音で鼓膜を破った者5名。パニックを起こして逃げるときに転んで後続の者達に踏まれて怪我した者28名。・・・あと、火傷による負傷者が二名ですが、これは、厨房の料理人が爆音に驚いた拍子に熱したフライパンに手を触れてしまったようです。あと、回廊で同じく爆音に驚いた使い女にポットの湯をかけられた兵士と。・・・内訳は、まあこういったところです。いずれも、処置が早かったため軽傷で、2.3日で本復するでしょう。・・・あと、八紫仙が、難聴を理由に休みを取っておりますが。・・・何かあったのですか?」
 思ったよりも被害状況に深刻なものはなく、よかったと守天が胸をなでおろすその隣と正面で南の太子と柢王が笑いをこらえている。
「・・・それから、『華焔咆』の直撃で蒸発してしまった修練場の用具置き場ですが、これは前から壁の老朽化がひどく剥離が問題視されていたもので、修理の嘆願書が届いていました。・・・昨日執務机に並べていたものの中の一枚だったのですが・・・」
 桂花はちらりと扉をへだてた隣の執務室の床に さながら地層のごとく積み重なって広がる書類と、執務机の上の切り崩された書類の山を見た。南の太子はそっぽを向いている。
「・・・のちほど、発掘しておきます・・・」
 ため息をつきながら桂花は言った。
「あと、もう一つ・・・」
「まだあるのかっ!どこが手短だっ!」
 困難を極める発掘作業の原因を作った南の太子が文句を言うのに桂花はくるりと向き直った。
「なんだっ!やんのかっ?!」
 思わず身構える南の太子の鼻先に、桂花は抜き打ちの早さで白い書状を突き出した。
「・・・?」
「南の太子殿あての書状です。先ほど受け取りました」
 肩すかしをくらい、いぶかしがりながら、南の太子が書状に手を伸ばしかける。
「・・・差出人は、南領の統治者たる、炎王様ご本人です」
 書状に伸ばされかけた手がぴたりと止まった。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
 書状を受け取りかけた姿勢のままで、しばらくの間 だらだら脂汗を流しながら硬直していた南の太子は、守護主天、柢王、桂花が見守る中、やおら姿勢を正すと、挨拶もそこそこに、脱兎のごとくバルコニーを飛び越え、南の方角へすっ飛んでいったのであった。
「・・・アシュレイ・・今から急いで帰っても、結果は変わらないと思うのに・・・。私から、炎王様へのとりなしの書状を書いていたのに。それも持っていかないなんて・・・」
 お別れの挨拶もさせてくれないなんてあんまりだ、と嘆く守天をなだめ、行き場のなくなった書状を手にあっけにとられていた桂花の手から書状を ひょいと取り上げてひらひらと降りながら柢王は笑った。
「たぶんあいつのことだから、南領に戻るに戻れなくてうろうろしてるとおもうぜ。蒼穹の門に行きついでに渡しといてやるよ。・・・そういうわけだし、俺も、そろそろ行くかな」
 はっと振り向く桂花をさっさと抱き寄せて、耳元で笑いながらささやく。
「桂花。マントを部屋に忘れちまったから、取ってきてくれ」
「・・・どうしてまともに人にものを頼めないんですかっ あなたは!」
 それでも急いで執務室を出て行く桂花の背を見送り、守天は少し肩をすくめて困ったように笑いながら柢王を見た。
「・・・桂花も柢王相手じゃ分が悪いね。振り回しっぱなしじゃないのかい?」
 身支度をととのえていた柢王が振り向き、にっと笑った。
「バカ言え。桂花が笑ったり怒ったり泣いたりするたびに振り回されて、もうどうしていいかわかんねーくらいどうしょうもなく桂花に惚れてんのは俺のほうだぜ?」
「え?でもそんな風には見えないけど・・・」
「惚れてっから見せねーの! あのな、ただでさえ桂花は俺より年上で人生経験も豊富で、しかも ものすごい美人で、おまけに頭までいいんだぜ。いくら天界に連れてきたからって、そうそう敵うわけない。けど。負けっぱなしは悔しいだろ。・・・だから、見せない。」

 泣かせて
 怒らせて
 振り回して
 戸惑わせて
 微笑ませて
 ・・・俺以外の、誰も目に入らないように。

「・・・だから、甘やかしてなんかやらない」
 そう言って肩をすくめる幼馴染の顔は笑っていて。
「・・・・・」
 文殊塾で、ただ無邪気に笑っていられたのは、もうまるで遠い昔の日のようだ。
 嬉しさも、苦しさも、それらすべてを内包して、さらに高みを目指すような笑み。
 柢王は、いつからこんな力強い笑い方をするようになったんだろう。
 ・・・レンアイは、いつだって惚れているほうの負け。
(・・・でも、惚れている相手を、惚れさせた場合は、どっちの勝ちなんだろうね?)
「柢王」
「ん?」
「かっこいいね」
 おかしな言葉を聞いた。とでも言いたげに柢王は、嬉しそうに笑う守天をまじまじと見た。
「バカ言え。かっこ悪ィよ。」
「そんなことないよ。すっごくすっごくかっこいいよ」
 真剣な顔をして言い募る守天に、わかったわかった、と照れたように笑う。
「桂花には絶対言うなよ。こんなこと、お前だから言えるんだぜ。秘密な。」
「秘密だね」
 ・・・いつも そうして、さりげなくこの幼馴染は自分の居場所を確保してくれるのだ。
 『秘密』を共有するということで、つながりを思い出させてくれるのだ。
(・・・かなわないなぁ・・)
 微笑みながら、守天はそう思った。
 胸の奥が、あたたかくて くすぐったい。
 文殊塾時代からそうだった。
 アシュレイのように、前や隣に並んで歩いているわけではない。
 けれど
 何か不安にかられて立ち止まり、ふと後ろを振り返れば さほど離れていない場所に立っていて、笑って背中を押してくれる。
 大丈夫。このまま行けばまちがってないから、と。
柢王はそういう奴だ。
 何も聞かずに笑って背中を押してくれるその存在に、どれだけ安心したことだろう。
 そして、その存在にどれほど救われたことだろう・・・。
 ・・・大事な 大事な 存在だと思う。
 守護守天の地位を投げ出してもいいと思うくらいには。

 急ぎ足でこっちに向かってくる軽い足音が聞こえた。
「じゃあ、オジャマ虫は早々に席を外させていただくよ。・・・元気で」
「おまえもな」
 お互い笑顔で挨拶を交わす。守天はそっと胸の中で祈った。
 おまえに いつも いい風が吹いているように。

 

【2】

 マントを抱え、息せきって入ってきた桂花は、戸惑うように視線をめぐらせた。
「・・・守天殿は?」
「執務室で書類を拾ってるぜ。」
「そうですか。では吾も執務に戻ります。あなたもお元気で」
 マントを押し付けるように渡し、身をひるがえして執務室に行こうとする桂花を、あわてて柢王は捕まえてこちらを向かせた。マントが床の上に落ちる。
「泣くなよ」
「泣いてなんかいません」
 怒ったように応える桂花は、確かに泣いてはいなかったが、顔をそむけたままで。
 つんとすましたような固い表情は、そのすぐ下にある脆いものを隠すための、桂花の精一杯の防御のように見えた。
「笑ってくれよ、桂花。覚えてる顔が泣き顔じゃ、俺は一日も人界にとどまっていられない」
「・・・・・」
 きり、と桂花は歯を食いしばった。
 ・・・誰が 泣いてなどやるものか。
 泣こうが、わめこうが、行ってしまうくせに。
「・・・傲慢なお人だ。貴方は・・・。・・・・・でも・・」
 だからこそ、この人に惹かれているのかもしれない。
 王子としての立場、元帥としての責任に、流されるのでもなく、突き進むのでもなく、ただ、自分の足で、自分の速度で歩いているこの人に。
 わがままも、忠告も聞いてくれるけれど、それでも自分を曲げないこの人に。
 ・・・自由であることを好み、他人に殆ど迎合せずに生きる魔族にはない、その、・・・強さに。
(・・・きっと、そういうこと・・・。 ・・・そう、それに、)
 泣いてすがれば簡単に意志や責任を放棄するような男に惚れるなど、桂花の矜持が許さない。
 だからこそ、思い知らされるのだ。
 自分の中の大半を占める存在へとなってしまったこの男。
《・・・天界人に惚れてはダメよ・・・》
 過去に何度も幾度も聞いた、桂花の中で、柢王とはまた別格の位置を占める、赤い髪をした美しく強い叡知の女の忠告・・・
(もう、遅いよ・・・ 李々・・・)
 ・・・失えば、きっと自分も生きていられない。

 誰よりも 何よりも 大切な あなた・・・

 こわばっていた桂花の体が、ゆっくりと力が抜けていくのが、掴んだ肩越しに伝わってきた。
「・・桂花?」
 顔を背けたままの桂花に、柢王はそっと呼びかける。
 桂花はうつむいたまま柢王に向き直ると、その体に腕を回して ぎゅっと抱きしめた。
 ・・・柢王に負担はかけたくなかった。だから、笑えというのなら、いくらでも笑顔で送り出そう。
頭ではちゃんとわかっているのだ。
 ・・・けれど、まだ笑えなかった。
 ・・・もう少し、時間が欲しかった。
 柢王の肩口に頬を押し付け、ものも言わずに桂花は ただ きつく きつく抱きしめる。
 こんな時、桂花は何も言わない。言葉をつむごうとすると、感情が端からこぼれ落ちていってしまいそうになる。そうなると一人では立っていられなくなる。だから、何も言わない。腕の中にある あたたかさだけが、桂花を支える確かな存在であるかのように、桂花は体と感情の全てでもってきつく抱きしめた。
「・・・・・」
 体の両側に下がっていた柢王の腕が上がりかけ、途中で逡巡するように止まった。
「・・・・・っ」
 桂花の体に回しかけた手を押しとどめるのに、柢王はかなりの忍耐と精神力を費やさなければならなかった。
 感情を押し殺すように、拳を、痛いほど握り締める。
 ・・・抱けなかった。
 抱けば、このまま離せなくなるのは、柢王のほうだった。
(・・・ダメだよな、俺は・・・)
 ・・・どんなに別れがつらくても桂花はその腕を離す。
 柢王の立場を痛いほどわかってくれている桂花だから、必ず離す。
 柢王の負担にならないよう、己の感情を完全に殺し、そして何事もなかったかのように腕を離して、微笑むのだ。
「・・・・・」
 ・・・こんな時、思い出すのは、決まって額に傷を負ったときのことだ。
 一人にするな、と泣いていたあの声だ。
 柢王は、桂花の髪にそっと頬を押し付け、瞳を閉じた。
(ごめんな・・・)
 信じろと言ったのに。
 寂しい思いばかりさせている。
 桂花の信頼と愛情に甘えてばかりで。
 そんな桂花に、自分は 何を返せるのだろう

   ・・・それは、時間にして数十秒の事だったが、柢王にはひどく長く感じられた。
 体に回していた腕をゆっくりとはずし、そっと体を離して柢王を見上げた桂花は、いつもどうりの桂花だった。
「・・・次に、戻ってきたときには、ちゃんと最初に『お帰りなさい』と言いますよ」
 紫水晶の瞳をまっすぐに向け、柢王に微笑んでみせる。
 無理をしているとわかっていても、それを感じさせない桂花の笑顔が柢王を安堵させた。
 柢王が一番好きな、綺麗な桂花だ。
「・・・最後までお前がちゃんと言えるかどうかは謎だけどな」
 どうして? と言いかけた桂花の唇をさっと奪い取ると、柢王は床を蹴って後ろ向きのまま、バルコニーの向こうへ飛んだ。
「俺が、真っ先に桂花にこーゆーことをするからさ」
 空中で柢王はいたずらっぽく笑う。
「・・・ばか・・! 早く仕事に戻ってください!」
 バルコニーまで走り出た桂花が上気した顔で手にしたマントを投げつけて怒鳴る。
「わかってる。お前も元気でな。じゃな」
 笑ってひらりと身をひるがえし、風を興すと柢王は一直線に蒼穹の門へと飛んでいった。

 

【3】

 行ってしまった。
 振り向きもせずに。
 もはや影も形も見えないのに、桂花はバルコニーに立ち尽くしていた。
(・・・ばか・・・っ)
 柢王の興した風の名残が桂花の髪をかすめていく。
 急に寒くなったような気がして、桂花は首もとに手をやった。
「・・・・・」
 ・・・ふ と、風に甘い香りがまざった。
 隣にいつの間にか守天が立っていた。
 名残の風に吹かれながら、二人は黙って並んで、南の方角を眺めていた。
 守天がポツリとつぶやいた。
「・・・行っちゃったね、二人とも」
 ・・・置いてかれちゃったね、二人とも。と、言ってるようにも聞こえた。
「そうですね・・・」
 と、空虚に返事を返してから、桂花はふと気がついて守天を見た。
( 『・・・だって、憧れだったんだよ』・・・・・か。)
 この人は、幾度彼らの背を見送ったのだろう。
 胸に秘めた憧れとさみしさを 微笑で隠して、幾度一人で立ち尽くしたのだろうか。
 ・・・この人は、いつだって、置いていかれる立場にいたのだ・・・。
(・・・そうだったのか・・・)
 昨日の、南の太子の姿をした守天の、普段からは想像もつかないやんちゃぶりを思い出す。
 あれは、今の今まで守天の心の奥底に密かにため込まれていたものが、南の太子の体に入れ替わった瞬間に表面に湧き出した、守天の子供の頃からの、感情の発露であったのではないのだろうか。 そう思えるのだ。
「守天殿・・・」
 何と言っていいかわからず、困ったように見おろす桂花に守天は笑いかけた。
「・・・仕事、しようか。桂花 手伝ってくれる?」
「あ、はい それはもちろん・・・」
 慌てて守天のあとについて執務室への扉をくぐった桂花は、あっけにとられて床を見た。
 執務机の上に残っていた書類が全て床になだれ落ち、床の上の書類の地層の上に更なる地層を作り出していたのだ。
「・・・守天殿・・・これは・・?」
 さらに惨状がひどくなった発掘現場を前に、桂花は立ちすくんだ。
「ごめん・・・片付けようとしたら、手が滑っちゃって」
 ・・・手が滑ったとしても、どうやったらあの広い執務机の隅から隅までの残っていた書類を下に落とせるというのか・・・
(ひょっとして、まだ、昨日の名残が残っているとか・・・?)
 二人が入れ替わってしまった原因(桂花の薬が原因ではなかったのであれば)は何となくだが分かっている。
 完っ全な『ストレス』だ。しかも、激務からではなくたぶんどう考えても、
(・・・どう考えても、サルの顔を長い間(←といっても二週間ちょっと!)見ることが出来なかったせいとしか思えない)
 積もり積もったストレスのベクトルが、南の太子に会った瞬間にねじ曲がってあのようなことになったのではないか というのが桂花の推論だ。(どうやって入れ替わったのかは、いくら考えても判 らなかったが)
 ・・・かくなる上は、とっとと執務を終わらせて、守天自らサルに会いに行くしかない。
 しかし。
 桂花はちらりと執務室の惨状と、昨日一日で大量にたまっただろう新しい書類の枚数と、昨日の大騒動における、被害件数とそれに伴う残務処理を思って額を押さえて首を振った。
(・・・一生かかっても無理かも・・・)
 それでも、守天が守天である限り、執務は続けなければならないのだ。
 ・・・一昨日の、自分が退出した後で、きっと長い間一人で執務を続けていたであろう守天のことが思い出された。
(・・・自分は本当に役に立てているのだろうか・・・?)
 ぎゅっと目をつぶると、桂花は頭を一度振って守天に向き直った。
「守天殿、新しい秘書を入れられることをお勧めします」
「・・・どうして?」
「どうしてって・・吾では、守天殿の執務のお役に立てな・・・」
 みなまで言わせず、守天は桂花の両肩を掴むと怒ったような顔で聞いてきた。
「桂花、今日から50日前の北領の治水の件の嘆願書、あれからどうなったか憶えている?」
 いきなりの質問に面食らいながら、それでも桂花は間をおかずに答えを返す。
「天界地理院の水利担当部署にまわしまして、現在 民間の水利専門の3業者が利権について競合を行っている最中ですが・・・」
「じゃあ、花街で、「翠辿楼」の現在のナンバーワンは?」
「南領出身のバーリジャータ・フェアファックスだったと思います」
「花火として使う火薬の主要原料3つは何?」
「硫黄・硝石・木炭です」
 執務の話かと思えば、いきなり花街の話題を振られ、さらに全く関係のない火薬の話になるという守天の矢継ぎ早の質問に、桂花は戸惑いながらも簡潔明瞭に答えを返してゆく。
「南領の銀鉱山採掘において新しく開案された、画期的な採掘方法とは?」
「『上下二段横穴掘り』。下の穴を排水に使う分、深く掘り進むことが出来、従来の縦穴式では採掘不可能に思われていた鉱山が採掘可能になりました」
「それじゃあ、昨日言ってた、『西王母の桃事件』の終結までかかった期間は?」
 ・・・執務室の惨状に驚きながら、昨日のうちにたまった書類を抱えて入ってきた文官たちや、開け放たれた扉の前にいた戸口の兵士、たまたま通りかかった使い女たちが、守護主天とその秘書の問答 に目を丸くしている。
 彼らにはその問答のほとんどが理解できないものだった。たまに、あ、これならわかると、考えているうちに桂花が間髪おかずに答えを返してしまい、彼らが答えを思いついた時にはすでに別の問答 が行われているというありさまだった。
 質問の内容は、執務の内容から、時事問題、過去問題、美術関連問題、地理や、人界の慣習、果ては機密にまで至る、多岐にわたるものだったが、桂花はそれを一つももらさずに正しい答えを返 してゆく。
 ・・・五十以上にわたる質問とその回答を終える頃には二人とも息切れしていた。
「・・・うん・・ やっぱり、桂花はすごいよ」
 肩で息をしながら、守天がそれでも嬉しそうに笑う。
「・・・何が ですか・・・?」
「昨日も言ったよ? (小声→)桂花が来てくれるようになってから、これでも随分楽になっているって。 ・・・もう ね、桂花抜きの執務なんか、私には全然考えられない」
「・・・守天殿・・」
「・・・今までずっと一人でやっていたようなものだったんだ。一人で執務をして、一人で食事をして、一人でアシュレイたちを待っていたんだ。・・・けれど、今は桂花がいてくれる。今まで、ずっと一人 で待ち続けていたけれど、二人なら、 きっと ずっと待てると思うんだ・・・」

 ・・・ひとりは さみしい。
 でも、おなじさみしさがもう一つあったならばどうだろう。
 さみしさと さみしさを 重ね合わせたら、きっと ほんのりあたたかいと思うのだ。
(・・・だって、さみしさというものは なにかを 希求する感情だから。)
 のぞみ、もとめる感情が、つめたいはずはないから。

 守天はにっこり笑って桂花に手を差し出した。
「わたしの秘書は、桂花にしか勤まらない。頼りにしてる。これからもよろしく」
 差し出された手に桂花はとまどうように視線をおとし それからそっと差し出された手を握った。
「・・・こちらこそ、よろしくお願いします・・」
 重ね合わせたてのひらから伝わる互いのぬくもりに癒されるかのように、桂花は小さく微笑んだ。

 

【4】

「・・・お〜い  ・・・ 」
 南領の境界のところで柢王は南の太子に追いついた。
 案の定、南の太子は南領に入るにはいれず、空中でうろうろしていたようだ。
 隣に並んだ柢王に、ふてくされたような嬉しいような視線を向け、ぷいと横を向く。
(子供(ガキ)め・・・)
 笑いをこらえながら、柢王は懐から取り出した書状で、その横面を軽く叩いた。
「なにすんだ!」
「ティアから、炎王様への取りなしの書状だ。まあ、昨日の天主塔の騒ぎについては、今回限りはお前のせいじゃないから、堂々と持ってけ」
 怒らせて、ようやくこちらに向かせた南の太子に笑いながら書状を渡してやる。
「・・・・・」
 白い書状からは、ろくに別れの言葉も言わなかったやさしい恋人の、甘い香りがした。
 どんなに困らせても、決して、自分を見捨てない、やさしい恋人の、肌の匂いがした。
「・・・なあ、柢王。俺って、ちゃんとティアの役に立ててると思うか・・・?」
 桂花みたいに執務を手伝ってやる事も出来ない。・・・むしろ騒ぎを起こして問題を持ち込むほうで。
「・・・・・」
 怒らせて、殴り合いの一つでもすれば元気でもでるかと思って挑発してみたが、書状を渡した瞬間にまた しゅんとなってしまった南の太子の意外な言葉に、柢王は眉をひそめた。
(・・・まったく どいつも こいつも・・・)
 自分をわかっていない。
(・・・俺は 桂花で手一杯だってのに、お前らのフォローまでやれってか?)
 しかし、そこで突き放してしまえないところが柢王であった。
「・・・な〜にを弱気になってやがんだかな。お前はお前が出来る事をちゃんと見つけて一生懸命やってんじゃねーか。他の奴はそれぞれにやらせといていいのさ。色々手を出して一つのことも出来 ないよりは、一つのことしか出来ないほうがいいに決まってる。 実際、お前はよくやってるよ。・・・そうだろ?天界随一の功績を持つ、南領最強の武神将どの!」
 そう言って笑いながら髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜてくる柢王に、やめろよといってその手を振り払いながら、南の太子は柢王に心底感謝した。
 柢王は、どんなときも柢王の言葉で、柢王のやり方で、接してくれる。
 自分が、本当に聞きたい言葉は、本当に聞きたい相手の言葉からでしかもらえないことを、わかっているからだ。
 「ちえ・・っ。ほんっと、お前は変わらないよな」
 ティアや、自分に向けてくる、強くて、暖かいものは。
 ・・・ただ、その強くて暖かいものを向ける対象が、他にも出来ただけで。
 自分に向けてくれるあたたかさの比重は昔から全く変わっていない。・・・ただ単に、柢王はそれを上回るあたたかさの比重を桂花に向けているだけなのだ。
 最近、そういうことなのだな、ということを理解した。だから、わかっているのだ。・・・わかってはいるのだが、どうしてもそれが気に入らない。
 しかし、それを気に入らない自分にも困惑するのだ。
(・・・俺って、欲が深いのかなあ・・・?)
 ティアがいるのに。
 誰よりも何よりも大事なティアが、自分を好きだと言ってくれた。
 何よりも誰よりも 君が好きだ 大事だ と言ってくれた。
 ・・・好きで、好きでいてもらって、こんなにも幸せなのに。
 なのに、なぜだか柢王は別格なのだ。

 厳しいけれど、やさしい、父上と姉上。
 額の角を見て、怖がるどころか、『強さの象徴だね』と笑いながら言ってくれたティア。
 世継ぎの御子よ、と皆が腫れ物を扱うように触れてくる中で、一人だけ、普通の子供のように取っ組み合い殴り合いの喧嘩をしてくれた柢王。

 父上と姉上とは血のつながりがある。
 そして、ティアとは恋人になった。

 でも
 血が繋がってなくても
 恋人じゃなくても
 ・・・とてもとても大事だ。
 失いたくない大事な奴だ。

「・・・・・」
 ・・・その柢王が体を張って守り抜いている白い魔族。
 柢王が、生涯の伴侶を選ぶとしたらどんな強烈な美女だろうかと、考えても想像つかなかったが、まさか、魔族を、しかも、男を選ぶとは思っても見なかった。
 アシュレイが今まで見てきた どの魔族とも違う空気をまとう、きついまなざしをもって嵐の前にたたずむ鳥のような印象の魔族。
 天界人の敵である魔族であるにもかかわらず、魔族にあるまじき凄まじい頭脳でもって、アシュレイには良くわからないティアの執務のあれこれをフルサポートしている桂花。
 アシュレイに遠慮して直接言葉には出さずにいるようだが、ティアが桂花に感謝しているのは、何となくわかる。(・・・わかるから、腹が立って、突っかかってしまうわけだが。)
 ティアが大事だ。
 柢王も大事だ。
 二人とも とてもとても 大事だ。
 その大事な二人が、直接的に 間接的に 護ろうとしている桂花。
 魔族は天界人の敵。
 でも ティアや柢王を そして、自分の数少ない大事な人たちを傷つけないというのなら
 けっして 害しないというのなら
 それなら
「・・・(ちょっとだけ)認めてやってもいいぞ」
 ぼそりとつぶやいた言葉をとらえ損ねた柢王がこちらを向く。
「何か言ったか? アシュレイ?」
「何も言ってねぇっ!」
 聞こえなかったのをいい事に、南の太子はぶんぶん首を振って言葉を追い払った。
(んなもん、アッサリ言えるかーっ! 言ってたまるかーっ!)
「言うとしたら、あいつをいっぺん完膚なきまでギタギタにした後だっ! よし! 今決めた!」
「・・・なに一人で叫んでんだアシュレイ? 癇の虫か? 桂花が持たせてくれた薬でも飲むか?」
 さっきから一人でなにやら 考え込んだり怒鳴ったりジタバタしている南の太子に、柢王が笑いをこらえている。少なくとも、元気にはなっているようだ。
「ぜってー飲まねえっ! そんなもん飲むくらいなら、八紫仙のジジイどもが持ってた丹慧堂とやらの得体の知れねー薬のほうが100倍ましだ!」
 ついに柢王が吹き出した。
「アシュレイ、『丹慧堂』がどこにあるか、お前知ってんのか?」
笑いながら、どこかいたずらっぽいまなざしで聞いてくる。
「『丹慧堂』・・・なぁ? そういや老舗だとか何とかぬかしてたわりに、きいたことねえ名前だな。・・・知らねえな どこにあんだよ?」
 その視線の意味をはかりかねながら、それでも好奇心から聞いてみる南の太子に、ますますいたずらっぽく笑う柢王が南の太子の目をのぞきこんだ。
「知りたいか?」
 ひるみながらも慎重にうなずく南の太子に にやっと笑うと 柢王はさらりと答えを言った。
「東国の誇る花街のド真ん中だ。」
「・・・・・」

 ・・・花街。
 天界最大の享楽の地。
 そこにあるのは美と快楽。
 明かりの点る軒を連ねる窓からは、艶やかな音曲と妙なる嬌声。
 通りには美しく着飾り、しなをつくる客引きの美女美童・・・
 その手にあるのは快楽をさらに昂ぶらせる 麻薬・媚薬・・・
 南の太子の脳裏を猛スピードで駆け抜けていったのは、いつぞやの媚薬の花を持った美少年に言い寄られた後の顛末であった。

「は・ははは花街ぃ〜〜〜っ?!?!」
 南の太子のあまりの驚きように柢王は空中で腹を抱えて笑っている。
「ははっ! お前が知らなくて当然だ! 顧客のほとんどは俺の親父みたいなジジイどもばっかだぜ。俺達はお呼びじゃないって! はははっ 俺だって麻薬の件で桂花が見つけなきゃ知らなかった店だからな。知る人ぞ知る、隠れた名店だぜ? しっかし、まあ、八紫仙の奴らが知ってたとは! いや、もう、あん時は、笑いをこらえるのに苦労した! はははっ」
「あ・あいつら〜〜っ! ティアにいったい何を飲ませようとしてやがったんだ!」
( ↑注:顧客の信用第一がモットーの老舗だから、全部『滋養強壮剤』です。 by桂花 )
「安心しろ、薬それ自体は無害なもんだし、それに 一応手はうっといたから大丈夫だろ。」

 ・・・ちなみに、柢王がそれとなく流れるように仕向けた噂は、広まるうちに形を変え さまざまな尾ひれがついて、なぜだか『八紫仙がわけのわからない薬を守天に無理やり飲ませたため、昨日は一時的な錯乱状態となられた』などということになってしまっていた。
 まあ、連日八紫仙が守天に薬を勧めていたというのは事実であったので、この方が皆が納得しやすかったというのもある。
 しかしこの噂。広まりに広まって、霊界の閻魔大王の耳にまで届いてしまったのである。
 ・・・八紫仙の、ボーナス査定の項目に、マイナスの棒が引かれたとか引かれなかったとかというのは、また別の話である・・・。(←出るだけマシじゃん)

 

【5】

 ひとしきり笑った柢王が、親父で思い出したが、と懐からもう一つ書状を取り出した。
「忘れるところだった。天主塔でお前が受け取らなかった炎王様からの書状だ」
 げっ と南の太子が空中で飛びすさる。ほれほれと柢王が書状を差し出すのを巧みに避け、逃げ回る南の太子は、呆れる柢王に、さらに呆れるようなことを頼んだのである。
「・・・何て書いてあるのか、読んでくれ」
 などと言ったのだ。
「他人様からの手紙を俺に読ませるなよ・・・」
 とは言え、懇願する瞳のアシュレイにそれ以上は言えず、柢王はやれやれと書状を開くと、手紙の内容を音読してやった。
「え〜と『此度の所業、まことに許しがたし。即刻帰城の上、霊力剥奪および蟄居申し付ける』・・・だってよ。大変だな。アシュレイ」
 気の毒に、といった態で白い書状をひらひらと柢王は振って見せた。
 たった二行という簡潔きわまる内容だけに、炎王その人の怒りがひしひしと伝わってくるような文面だった。しかし、その怒り を向けられている当の本人は、きょとんとして首を傾げて見せたのである。
「・・・チッキョ? なんだそりゃ。親父の奴、訳のわからんことを書いてやがる。呪文かなんかか?」
 空中でぐらりと柢王の体が傾いだ。
「・・・この文章を俺の憶測も交えてお前にわかりやすく訳してやるとだな、『南の城を抜け出していきなりいなくなったと思ったら、天主塔でこんな大騒ぎを起こしてやがって。とっとと城に戻って 来い。霊力も斬妖槍も朱光剣もぜーんぶ使えないようにした上で、一室に閉じ込めて教育係をどかどか押し付けてやるから、今から覚悟しとけ、このバカ息子!』・・・ってとこだろ」
「誰がバカ息子だ、誰が!」
 南の太子が柢王の胸倉をつかんで怒鳴り、柢王も負けじと言い返す。
「お前、何回もくらってんだろうが! 『蟄居』の意味ぐらい知っとけ! このバカ!」
「あ! てめ、このやろ。またバカって言ったな! 俺だって、『謹慎』って言われりゃわかったんだよ! そーいや、昨日てめえにポカポカ殴られた後頭部の痛みを俺は忘れてねえぞ! ・・・けっ! 行きがけの駄賃だ! 剣抜け! ここで決着をつけてやらあ!」
 ばっと飛びすさり、柢王から距離をとると、一気に臨戦態勢となった南の太子は左手に意識を集中させて霊槍を呼び出そうとしている。昨日は全く思いどおりに行動できず、どこか鬱屈していた南の 太子の表情が、手加減無しで思う存分暴れられるということか、それとも柢王相手に久々に手合わせできる事が嬉しいのか、楽しげにキラキラしている。
(やーっぱ、そーこなくっちゃよ。)
 にっと笑って、腰の剣を抜きかけた柢王が、ふと 瞳を眇め、それから『やれやれ』といったふうに剣を鞘に戻した。
「・・なんだよっ! 怖気ついたわけじゃねえんだろっ!」
 剣を戻してしまった柢王に、地団太を踏むような勢いで南の太子がわめく。
「・・・後ろを見てみな」
 神妙な表情の柢王に、? と後ろを向いた南の太子は、次の瞬間、ひぃっと顔をこわばらせた。
 姿をあらわしかけていた霊槍が、へなへなと残像のように崩れて左手に吸い込まれてゆく。
「あ、姉上ぇっ?!」
「・・・ア〜シュ〜レ〜イ〜〜」
 彼の姉が ものものしい武装集団を引き連れて、空中に仁王立ちに立っていた。
 赤い長い髪をなびかせて柳眉をつりあげ、額飾りの光る秀麗な額に癪の筋をびしびし走らせている姉の姿を見て、弟はざーっと青ざめた。
「あなたという子はっ! こんなに人を心配させてっ! ・・・もうもうこの姉の我慢も限界です。父上がお手を下されるまでもなく、この姉自らが、きっつ〜くお灸をすえてあげます! 覚悟なさい! ・・・捕獲用意っ!」
 最後の言葉は、弟にではなく後ろの武装集団に向けられたものだ。
「特攻! 一番隊、右翼展開! 二番隊、左翼展開! 三番隊は後方にて布陣を支援せよ!」
 グラインダーズの号令一下、おのおの捕獲用具を持った武装集団は南の太子目がけて殺到した。
「あ・あねうえっ・・・ちょっと待っ・・ うわわっ・・っ」
 殺気立つ姉に気圧されて、思わず逃げかけた南の太子だったが、背を向けた瞬間、一番隊に前をふさがれ、二番隊には退路を断たれ、上か下かに逃れようにも二手に分かれた三番隊が布陣を展開し ている。・・・つまり、あっという間に彼は取り囲まれてしまったのだ。
 とっくの昔にさっさと一人で安全圏に避難していた柢王が、思わず拍手を送るほどの迅速かつ見事な連携プレイだった。
「拍手してんじゃねーよ!」
 柢王の行動に思わず突っ込み、その隙を突いて一斉に距離を縮めてきた捕獲部隊の怒涛のような勢いに、南の太子は目をむいた。
「・・おバカさん・・・・」
 グラインダーズが額を押さえてため息をついた。
「・・わわわっ! わ〜〜〜っ!」
 雲一つなく晴れ渡る蒼穹に、南の太子の悲鳴が吸い込まれていった・・・

 ・・・数十秒後、霊力が使えないよう遮霊布でぐるぐるの簀巻きにされた南の太子が、さながらペルシャの絨毯売りの絨毯のように二人がかりで肩に担がれ、柢王に一礼して背を向けたグラインダーズに率いられて帰っていくのを、柢王は捕獲部隊のあまりの手際のよさに半ばあっけに取られながら、同じように礼を返し、見送った。
「・・・ま、あの女傑がいる限り、南領は安泰だろう・・・」
 武力のみで突っ走るところがありがちな南の太子は、確かに教育係には手に余る代物だ。
 だが、その南の太子にも頭の上がらない存在がいる。その際たるものが、彼の姉だ。
 己の立場を良く理解し、その弟を良き統治者にするべく終始心を砕いている彼女に勝る教育係はたぶん南領にはいるまい。
 彼女なら遠慮会釈なく、弟にスパルタ教育を施すことだろう。
「・・・がんばれよ、アシュレイ(笑)」
 アシュレイが今回おこした(事になっている)騒ぎに関し、それにともなう世間からの非難・その他に関しては、柢王はあまり心配はしていない。なぜならたぶん、騒ぎに直接巻き込まれたものや身内のもの達以外は「乱暴者の南の太子が『また』大騒ぎを起こした」くらいにしか思っていないだろうからだ。
 滅多に人死にが出ない天界においては、南の太子が山を一つぶち壊そうが、花街を類焼させようが魔族を追って他国で領空侵犯をしようが、「ああ、『また』か・・・」と思うだけでさほど驚きはしなくなっている。
 南の太子が過去において日常茶飯事レベルでおこしていた騒ぎにより、天界人たちは、ある意味 すでに感覚が麻痺してしまっているのだ。
(・・・まあ、それも、ティアの(涙ぐましい)フォローと、聖水という万能の妙薬があってこそのことなんだが・・・)
 ・・・まったく、あのやんちゃな子供(ガキ)は、もう少し自分をわかるべきだ。
 自分が愛されていると言う事を、もっと自覚するべきだ。
「まあ、自覚がないから、ガキなんだろうが・・・」
 しかし、それをいちいち教えてやるほど、柢王とてやさしくはない。
 幸せというものは、自分で自覚しないと、そうとわからないもののほうが多いからだ。
「・・俺も仕事に戻るか・・・」
 ふと天主塔の方向へ振りむきかけて、柢王は思いとどまった。
 ・・・次に帰る約束もしなかった。
 でも、桂花は待っていてくれるだろう。
 桂花のいる所が柢王の帰る場所だ。
 陽に向かうような笑みを一つ浮かべ、風を巻き起こすと柢王は一直線に蒼穹の門へと飛んでいった。

「・・・・・」
 遠見鏡で南の太子が連れ帰られる様子を見ていた守護主天は、意気消沈した顔で画面を消し、執務机に突っ伏した。
 あの分だと、彼の姉のガードが厳しく、こっそり抜け出してくるという事は不可能のようだ。
「・・・ああ・・・また、アシュレイに会えない日が続くのか・・・」
 机に突っ伏してさめざめと悲しむ守護主天の前に、さながらバリケードのように書類の山を積み重ね置いた桂花がさらに追い討ちをかける。
「守天殿、仕事をしてください」
 短時間のうちにあの執務室の惨状をたった一人で片付けてしまった優秀な秘書は、恐るべき処理速度で文官たちが新たに持ち込んできた新しい書類の選別に取り掛かっている。天主塔の主が、決裁書 類の山に埋もれるのも、時間の問題のようだ。
 天主塔の厨房では、
「・・・うう〜む 守天様は薬のいらないご体質だが、食事の基本は身体の機能維持のためにあるのであって、薬膳と言えど食事には変わりはないし・・・ いやいや、いっそ、栄養価の全くない献立を作 ることが天主塔の料理長である私の務めであるのか・・・ いや、でも昨日は、何もおっしゃらずにお召し上がりになられておられたし・・・ う〜むむむむ・・・」
「料理長ぉぉぉ・・・ 早く決めてくださいよ〜」
 と、左手に白い包帯を巻いた料理長が(←火傷をしたのは彼だった)本日の献立にファッチューチョンスープを組み込むべきかどうかで頭を悩ませ、献立が決まらない事には動けない他の料理人を やきもきさせていた。
 また給湯室では、
「・・・それでですね、お二人でこう見つめ合われて、若君が差し出された手を、桂花様がそっとおとりになって、 ・・・そ・そして、桂花様が微笑まれたのですわ〜〜〜っ! ああっ 花の顔(かんばせ)とは まさにあのこと! 白薔薇の花のごとく薫り高く芙蓉の花のごとくやさしく、白百合のごとく典雅で白蓮のごとく高貴(中略)そして沙羅双樹のごとく清冽な、咲きこぼれ微風に揺れる百花の美しさをそのまま写しとったかのよーな あのお美しい微笑み! ・・・ああっ もうもう わたくしいつ死んでもよろしくてよ・・・っ」
 などと桂花様ファンクラブの面々が、執務室の問答ネタで大いに盛り上がっている。
 修練場では、復帰した兵士の面々が、後片付けをしながら
「一日でもいいから、南の太子様か柢王様が、俺達に稽古つけに来てくれねーかな」
「嘆願書出してみっか?」
 などと話をしている。

 天主塔の執務室ではようやく立ち直った天主塔の主に、彼の秘書が甘い花の香りのする茶を差し出している。
 やさしい花の香りに表情をほころばせた天主塔の主は、目の前に置かれた書類の一つを手にとり、秘書の説明をきいて おもむろに守天の印璽を取り上げ、認可の印を押した。

 ・・・かくして天主塔は平和であった。


終。


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