投稿(妄想)小説の部屋・別館

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天主塔の頭の痛い一日

 
 

【5】

「桂花、こっちこっち」
「・・・・・・」
 木々の生い茂る天主塔の庭を先にたって歩く南の太子に手招きされ、複雑な表情で桂花は後に続く。
 顔を合わせば、罵詈雑言の嵐。下手をすれば斬妖槍で襲いかかってきかねないという、桂花にとっ ては天敵に等しい存在の南の太子。
「・・・桂花?」
 その南の太子が心配そうに自分を見上げてくるのを見て、桂花はもうこのまま回れ右をしてどこか へ逃げ出してしまいたかった。
(・・・ダメだ・・・。すごい違和感が・・・っ)
 順応の早い柢王は入れ替わった二人にあっさりと慣れてしまったようだが、桂花は違う。そんなに 簡単に慣れることなど出来ない。まして顔を合わすたびに殺されかねなかった相手ならなおさらだ。
中身が違うと判っていても、猛獣の隣にいるような気分だ。いや、猛獣の方がまだましだ。126倍ぐ らいましだ。(←どういう基準で126倍なのかは謎。)
「桂花のせいじゃないよ。悪いのは私だ。だから、そんなに気に病むのはやめてくれ」
「・・・申し訳ありません・・・・・・」
 すまない気持ち半分、南の太子の困った表情をこれ以上見ないするようにすること半分で桂花は頭 を下げた。入れ替わった原因が自分にあり、中身が恩も義理もある守天である。でなければとっくに 逃げ出している。

 今の桂花は逃げ出さないようにするためのみに、理性へ総動員発 令中だ。他の事に気が回らない。
ゆえに言葉や動作にぎこちなくでるのだが、守天(中身)はそれを別の意味にとった。
「・・・そういえばおなかがすいたね。朝食はまだだったし、厨房にいってちょっと軽くつまめるもので も作ってもらおう。
あ、それともちょっと早めのブランチにしてしまおうかな。アシュレイは厨房に顔が利くからたいて いのお願いは聞いてもらえるし」
 理性に総動員発令中の桂花の脳裏に異音が重なった。
 警報だ。
「・・・ちょっと待ってください、・・・サ、じゃなくて守天殿」
 ・・・たしか天主塔にいるのがばれたらまずいとか何とか言っていなかっただろうか?
 それを言うと、南の太子はちょっと首をかしげ、数秒考え込んだが、すぐに にこっと笑うとひら ひらと手を振った。
「う〜ん。まあ、今さらだろう。執務室であれだけ大騒ぎしたんだから(←半分は貴方のせい)たぶ ん八紫仙には知れてると思うよ。・・・どっちにしろ南領にいないことは事実なんだし。 ・・・ああ、こんなに天気がいいんだし、どうせなら外で食べようか。うん、決めた。バスケットにつめ てもらって天主塔の景色のいいところで食べよう。桂花、飲み物は香茶でいい?」
「・・・何でもいいです・・・」
 食欲がないと言ってもとても通じそうにない。ニッコリ笑っているのに有無を言わさないこの強引 な誘いに、こめかみを押さえながら桂花は答えた。・・・頭痛がする。
(・・・守天殿って、こんな人だったっけ?)
 いや、違う。天界の統治者たる、いつもの慈悲深く思慮深い『守護主天』ではない。
 ・・・・・こんな守天殿は知らない。
 桂花は青ざめた。
 薬の飲みあわせによる変調で体が入れ替わってしまったのみならず、ついに精神に支障をきたすよ うになってしまったのか?
 ・・・それとも・・・
「・・・・・・守天殿、・・・もしかして、今の状況を楽しんでらっしゃいます?」
 おそるおそるの桂花の問いかけに、先に歩いていた南の太子が振り向く。桂花を見てちょっと首を すくめるような笑い方をすると、やおら桂花に向き直って、楽しい悪戯を思いついた子供のように笑 って見せた。
「うん。そうかもしれないね。・・・だってこんなに自由なのは久しぶりなんだ。・・・文殊塾以来かな。 元服以来、いつもいつも何人ものお付きや文官が後に先にとついて回る生活だったからね。 アシュレイには悪いと思うけど、楽しんでるのは事実かも。さ、ちょっと厨房に行って来るから桂 花はここで待ってて」

 鼻歌を歌いながらうきうきと歩いてゆく後姿を、呆然と桂花は見 送った。
(か、勘弁して欲しい・・・)
 桂花はよろりと近くにあった木の幹にすがった。
 南の太子の姿であの慈悲深い優雅な笑顔は、自分にとって非常に心臓(←核?)に悪い。
 おまけに連日の執務によって、よっぽどストレスがたまっていたのだろうその反動で異様に陽気な 守天は、いつもの思慮深さなど百万光年の彼方に置き忘れてしまったらしい。
 魔族の討伐で天界随一の功績をあげている南の太子が魔族と歩いている姿などを目撃されれば、 彼の威信に傷がつきかねない事など、少し考えれば分かりそうなものなのだが・・・。
(・・・・・・って、なぜサルの威信の心配までこの吾がしなきゃならないのか・・・)
 げんなりと桂花はため息をついた。
 いつもなら、それは守天の役目であるはずなのに。
 現在、その守天が南の太子の姿をしている。
 しかも、やたらテンションが高い。
 ・・・その南の太子の姿をした守天に、桂花は今日一日付き合わなければならないのである。
「・・・・・・・」
 桂花はこの場を逃げ出したくなった。
 たとえ罵詈雑言の嵐だろうが、半径3m以上近づくなと言われようが、あのまま執務室にとどまっ たほうが、よかった気がする。
 中身はともかく少なくとも外見は守天だ。
 斬妖槍を出される心配はないし、舌戦なら勝つ自信はある。
(・・・何よりも仕事が進む・・・!)
 だからとりあえず執務室に戻って柢王と役目を交代してもらおう、と限りなく後ろ向きなんだか前 向きなんだかよくわからない決心をした桂花であったが、しかし引き返す間もなく、バスケットを片 手に意気揚揚と南の太子が帰ってきたのであった。

「いや〜、厨房にはアシュレイが来てる事バレバレだったよ。」
 激辛唐辛子料理以降、ちょくちょく厨房に顔を出すようになった南の太子は試作品や新メニューを よく食べさせてもらっている。
 その時に守天の好みも聞けるし、美味しいと感じればダイレクトに顔に表情として出る南の太子は、 美味しさをはかるバロメーターとして料理人たちに受けがいい。自分が造った料理を褒めて貰って嬉 しくない料理人などいないし、造ることに対して気持ちに張りが出るというものだ。
 そういうことで、南の太子が天主塔に来ていると情報が入れば、いそいそと支度にかかる料理人も 少なくない。
「だからちゃんと用意して待ってくれてた。バスケットにつめてって言ったら変な顔されたけど」
「・・・まさか吾と外で食べるとかおっしゃったわけではないですよね?」
「言ったよ?」
(・・・・さ、最悪・・・っ)
 頭痛に加えて耳なりまでしてきた。
「大丈夫、ちゃんと二人分貰ってきたから。焼き菓子もつけてくれたよ♪」
 その上、論点が最初からずれている。
 しかも桂花の危惧する意味を判っているのか判っていないのか。(←いや、絶対判ってない)南の太 子は桂花の腕にバスケットを持っていない腕を絡めると、にっこりと笑った。
「さあ、どこで食べようかなあ・・・。ああ、ほんとにいい天気だね」
「・・・・・・」
 今の彼の心情を反映させたかのように、雲ひとつなく澄みわたる青空を見上げてうきうきと歩き出 した南の太子に、頭痛・耳鳴りに加えて目まいまでしてきた桂花が引きずられるようにして連れられ て行く・・・
 
 

【(番外)天主塔の頭の痛い人々】

 若い女官が血相を変えて給湯室内に駆け込んできた。
 休憩室もかねたここでは、多数の女官がめいめい自由にくつろいで歓談を楽しんでいる。
 若い女官が向かったのはその中の一団だった。足早に近づくなり、声を押し殺して言った。
「大変よっ! 桂花様がアシュレイ様とお二人だけでお庭を歩いてらっしゃるわ!」
「・・・なんですってぇ? これは『桂花様ファンクラブ』のメンバーとしてはとても見過ごせない事態で すわねっ」
 天主塔内の、つい最近結成されたばかりの『桂花様ファンクラブ』は、少数派ながらも現在着実に 会員数を増やしている。
「え〜! やだあ、せっかく柢王様が天主塔にいらっしゃるのに、どうしてよりによって仲がお悪いア シュレイ様とご一緒なのかしら? 柢王様とお二人でいらっしゃる所を見たかったのに〜!」
「え〜、でもぉ、桂花様が執務室で若君と、こ〜んなふうに顔をお近づけになってお二人で書類を見 ながらお話ししてらっしゃるとこなんか、『いや〜ん、なんかあっぶな〜い。でも素敵っ♪』ってかん じィなんだけど。」
 ・・・額を寄せ合って議論しながら見ている書類の内容が、たとえ乙女のドリームなんぞ一分も入る余 地もない天界の生ゴミ処理の問題についてだとしても、
「ええ、とってもよくわかるわ、その気持ち・・・っ」
「そうですわ。お仕事中の桂花様って凛としてらして、と〜ってもお素敵よね・・・(←遠い目)」
 夢見る乙女(爆笑)はそういうものを本能的に濾過して美化してしまう機能を持っているらしい。
「・・・そうよっ! いつもアシュレイ様が桂花様に対して乱暴な態度をとっていらっしゃるのも、もしか したら『愛情の裏返し』と言うものかもしれないわっ!」
 (↑それはない。絶対にない。)
 ・・・ついでに想像が(妄想か)論理や倫理をすっ飛ばしておそろしい方向に飛躍させてしまうという 困った機能もついているようだ。

「そう言われてみれば・・・桂花様、なんだかとても困ったってい うお顔をなさってたわ。・・・やだぁ、
もしかしたらアシュレイ様が強引にお誘いになられたのかもしれないわ」
「『強引に』! ・・・っきゃ〜♪」
「きゃ〜♪ よねっ」
「きゃ〜♪ だわっ」
「きゃ〜♪ ですわっ」

 なにが『きゃ〜♪』なんだかさっぱり判らないが、 なんだか とってもイっちゃってるところあたりは守天のファンクラブの会長といい勝負かもしれない・・・。

 ・・・・本人達が聞けば耳から血ィ吹いて卒倒しそうだ・・・。
 
 

【6】

「・・・つ、疲れた・・・・」
 『日課!』といわれ、女官にもみくちゃにされながら、湯を使って戻ってきた守天がげんなりとし て言った。元々、他人に体を触られるのは苦手な南の太子だ。中身が守天でないということがばれな いようにひたすらおとなしくする事に必死だった。
 体を洗うのから着替えから何から全部女官の手任せで、自分は立ったり座ったりするだけだったの だが、それでも随分疲れた。これがいわゆる気疲れというやつだろうと南の太子は思った。湯上りに 水分の補給ですと手渡しで飲まされた、やたら甘い飲み物の味がまだ口の中に残っている。
「・・・ティアって大変だよな・・・」
 やろうと思えば守天は大概のことは自分で出来るだろう。しかし天主塔内で彼が執務と食事以外指 一本動かそうとしないのは、天主塔で働く者の仕事を奪わないようにと気遣っているためだ。
「上に立つものが何もかも自分でしてたら軽く見られるのは事実だからな。」
 そういう東の第三王子は例外中の例外というわけだ。

 本日一日は書類の決裁のみに費やすと言って、文官のすべてを遠 ざけ、予定を全部後回しにさせ、 今は執務室で柢王と閉じこもっている。
 それで仕事が進んでいるかといえば、もちろんそうではない。
「ぅだあああぁぁぁぁ〜〜〜〜〜」
 眉間にしわをよせて書類とにらめっこをしていた守天が持っていた書類を後ろに放り投げる。
 やけにひねくった、同じような文章を何度も何度も繰りかえされている書類の内容が、要約すれば 『○○○の建物の壁が老朽化しているから修理して欲しい』とか『天主塔に勤める○○が実は某国の スパイであるにちがいない』などという内容に、あまり忍耐強くない南の太子(中身)は先ほどから 短期的に爆発を繰り返している。
「訳のわかんねぇ事をつらつら書いてんじゃねえっ! 結論から先に書けっ結論からっっ! 後回しだ こんなもんっ ・・・次だ 次っ」
 ・・・これの繰り返しなのである。
 書類の山をばっさばっさとかき回しながら、読みやすそうな書類を捜す。桂花が細心の注意を払っ て分類した書類の山はあっという間に切り崩されて見る影もない。
 床には放り投げた書類が散乱している。
 こんな乱暴にわめきながら仕事をしている守天を見たら、天主塔の女官の半数が卒倒しそうだ。

(・・・・桂花がこれを見たら怒るだろうな・・・)
 床に散った書類を拾い上げながら柢王がため息をついた。
 別に柢王が悪いわけではない。ちょっと席をはずして戻ったら書類の山が崩され、床に書類が散乱 していたのだ。
「・・・ん? なになに、孤児院の建設? よっしゃ、認可!」
「やめんか」
 おもむろに守天の印璽を書類に押そうとする守天の後頭部を、柢王が拾い集めた書類の束で スパーン! と張り倒す。
「勝手に書類をいじるなと言ってただろうが。」
「そんなん聞いてねぇ〜・・・うううヒマだ〜〜〜何で椅子に座りっぱなしでこんなもん読んでなきゃい けないんだよ〜〜〜」
 机に突っ伏して、うじうじとしている守天に、柢王は心中でため息をつく。
(・・・そういえば文殊塾の時もこいつは黙って座って何かをするっていうのが苦手だったよな・・・。テ ィアがこっそりなだめすかしてんのよく見たような気が・・・)
「そもそもティアの体だってのが一番いけないんだよな。俺の体で場所が南領なら、周りのやつら全 員なぎ倒して飛び出す事も出来るってのによ〜」
「・・・おまえ、南領でもその調子なのか?」
 守天が顔だけ起こしてぼやく。
「親父がどかどか俺に押しつけやがってさあ、・・・ひでぇんだよ、とっかえひっかえ現れて、訳のわか んねぇ小難しいことを延々と喋るんだぜ〜」
 その『訳のわかんねえ事』というのは、おそらく南領の歴史や、南領の頭領たるものの作法や経済 学などのいわゆる『帝王学』と呼ばれるものなのだろう。それを、いずれ南領を統べる冠を戴く立場 である南の太子に、善き統治者に成長してもらうべく教育係達は細心の注意を払い、言葉をつくして いるのであろう。
 しかし、当の本人がそれを『訳のわかんねぇ事』の一言で一括りにしてしまっている。
「・・・気の毒に(←南領の教育係が)」
「そーだろ、そう思うだろ」
「いや、人ごとながら同情する・・・(←南領の教育係に)」
「柢王、お前はいい奴だなあ・・・」
 柢王は、束縛を嫌うこの凶暴にして無邪気、そして自由闊達な(そして少し孤独な)精神の持ち主 である南の太子の性質を好ましいものと常々思っている。
 しかし今回ばかりは南領の教育係を心底気の毒に思った・・・
 
 

【7】

 昼食は厨房の料理長自らが執務室の別室に運んできた。連日の執 務で食の細くなった天守塔の主を
心配してのことらしい。
 口当たりが良く、消化吸収のよいものを中心に、目を楽しませる彩り豊かな食材を駆使した料理が 何十種類も運び込まれる。食べ物の好き嫌いを口にしない分、これといって大好物もない主へ、何十 種類のこの料理の中から一種類でもお気に召していただければ、と願う料理長のせめてもの心配りだ った。

 ・・・ある意味、料理長の努力と心配りは徒労に終わったといっ てもよかった。
 柢王と二人して次々と皿を空にしながら優雅に食事を(←王族だからマナーは完璧!)続ける守天 の姿に、事情を知らない料理長は手にした料理帽を握りつぶさんばかりにして感激している。
「・・・お気に召していただけたようで幸いです。」
「このスープが絶品だ。なんという料理だ?」
 スープのおかわりを所望しながら上機嫌で守天が聞く。
「ああ、それはファッチューチョンというスープです。昨日お出しいたしましたところ、お気に召し ていただいたようなので、本日も作らせていただきました。何種類もの食材を壺の中に入れて長時間 蒸すだけの料理ですが、入れる食材によって様々なバリエーションが楽しめます。薬膳としての効能 もあるんですよ。ちなみに、昨日と本日は疲れをいやす効能のある薬草や材料を多数使用いたしてお ります」
 二人の箸が止まった。
「・・・薬膳?」
「・・・薬草?」
 いきなり止まってしまった二人に料理長はおろおろとなる。
「・・・お、お気に召しませんでしたか? 昨日は夕食時と夜食事にもお出しいたしましたが・・・」
(あいつそんなに飲んでたのかーっ!)
 守天の弁護をさせてもらうなら、固形物が喉を通らなかったので、せめて飲みやすいスープの方に 口をつけたということだけなのだが。
「いや、美味いよ。最高だ。この心づくしの料理の数々には感服する。守天殿が羨ましいことだ」  柢王が片目をつぶって笑ってみせる。
 その笑顔に、料理長がほっとしたように息をついた。
「お気に召されたものがございましたらおっしゃってください。柢王様がいらしたおりには腕をふる わせていただきます」
「光栄だ」

 食後に極上の白茶を淹れると、料理長は笑顔のまま、下がって いった。
「・・・おい・・・」
「ああ・・・」
 料理長が去ったのを見届けて、二人は顔を見合わせた。
「おいアシュレイ、確か八紫仙がなんか言ってたよな」
 守天が気難しい顔で柢王を見た。
「ああ? 丹慧堂か? 麒麟の甘露か?」
「違う。その前だ。『天主塔の皆が心配している』とかなんとか言ってただろ。
朝一番の桂花の話が強烈だったからそのせいかと思っていたが、なにかがおかしい。八紫仙をはじめ、 さっきの料理といい、今朝からなんか妙におまえ(守天)の周りが薬くさい!」
「・・・・言われてみればそーだよな」
 守天が白茶の碗を覗き込んで『これにも、なんか変なもん入ってんじゃないだろうな』と汗をかい ている。

 その後、柢王がそれとなく聞き込み調査をしてみると、・・・出 るわでるわ。
 たとえば、朝一番の茶菓子。そして朝食。さらに湯浴みの時の湯は薬湯であるし、そのときに出さ れた甘い飲み物にも疲れを癒す効用のある薬が混ぜ込まれていたらしい。
「・・・・・」
 柢王の報告を聞いて守天が青ざめている。
 時刻は午後3時過ぎ。例によって茶と茶菓子が用意されているが、彼らは手をつける気にもなれな いようで冷めるにまかせている。
「・・・しかもこれは今日に限った話じゃない。日をさかのぼればまだまだ出てくるはずだ」
「・・・勘弁してくれよ〜〜」
 守天が机に突っ伏してうめいた。

 八紫仙のような高位の者たちならばともかく、女官やら料理人たち下位の者たちでは、いくら守天 の体を心配したからとて、いい薬を持っていたからといって、面と向かって飲んでくれと言えるわけ がない。下手をすれば不敬罪で重罰だ。しかし、この天主塔の主人の身を案ずる心やさしき使用人達 は、何としてでも、元気になってもらいたいという一心で、自分達の(しかしばれると非常にまずい 事になるので、横の連携無し秘密の個人プレイ)仕事の権限の範囲内で、さまざまな試みをしていた ということだ。
「皆が皆してティアに薬を飲ませ、それがティアの体に蓄積されていたのを、昨日の桂花の薬がとど めをさしたってとこだろうな。それにしても、天主塔で働いている皆が皆ってのがな・・・
 ・・・美貌と人徳のなせる技だな」
「な〜にが人徳だっ! あのばかったれ! 毒を盛られてんのとおんなじじゃねえか!」
 呆れはてたを通り越し、もはやしみじみとため息をつく柢王に向かって うがーっと守天が牙をむ く。
 当の守天の肉体がぴんぴんしている事で、少なくとも蓄積していたものが毒に変質したわけではな い事も実証されているが、当人の預かり知らないところで色々怪しげなものを飲まされていたと思う と、どうにも腹が立つ。
「・・・落ち着けアシュレイ。皆ティアを気遣ってやったことだ。悪気はない。・・・悪気がない分始末が 悪いがな。」
「あいつが! ・・・ティアのやつが、フツーに食事して、フツーに仕事して、フツーに寝てりゃ皆こんな 事はしないんだ!! ・・・この騒ぎの元凶はティアだ!」
 守天は勢いよく立ち上がると乱暴に扉を開け放った。扉口にいた兵士がギョッと身をすくめる。
「あいつらを呼び戻せ!」
 ・・・連日の激務で守天様は気が立っていらっしゃる。本日は特に朝から非常に苛立っていらっしゃる ようなので細心の注意を払ってお守りせよ、と警護の交代の申し送りで上司から言い渡されていた彼 らは、唯一無二の貴い御印の浮かぶ秀麗な白い額に癇の筋をびしびし走らせて柳眉を逆立てている守 天を見て心底ビビった。
「・・・あ、あいつらとは・・・?」
「あいつらといったらあいつらだ! ティ・・」
 扉の内部から腕が伸びてきて怒鳴る守天の襟首を掴んで引きずりこむ。
「・・・至急南の太子殿と桂花を探して、執務室に来るように言ってくれ。どこにいるかは判らないが天 主塔内にいるのは確かなんだ。」
 あっけにとられている兵士へ、守天に代わって後ろ手に扉を閉めながら柢王が出てきて、すまなそ うに言った。
「は、はい」
 返事はしたものの、まだあっけに取られた目で扉を見ている兵士は、おそるおそる柢王に向かって 尋ねてきた。
「て、柢王様、その・・・本日の守天様は、・・・あの・・・」
「・・・ああ。八紫仙の方々に疲れに効く薬というのを飲まされそうになったからな。手光も聖水も自分で 出せる。自分の体の不調など自分で癒せるというのに、素性も知れない薬を飲ませようとするとは何事か って朝から怒ってんだ。愚弄するなってとこだろ。・・・あ、これを俺が言ったのは内緒な。とりあえず、 二人を探してくれるよう、伝令に伝えてくれ」
「は、はい。ただいま」
 走ってゆく兵士の後姿を見送って、柢王は薬騒ぎがこれで少しでもおさまってくれればいいがと思 った。守天が得体の知れない薬を飲まされそうになって怒っているという事、そして守天が薬など飲 む必要がないという事実が広まれば、少しは彼らも自重してくれるのではないか。そう思ったのだ。
(内緒ナ、と言えば言うほど人に話したくなるのが人の心理だからな。ここだけの話だがってかんじ で噂はあっという間に広がっていく。・・・さて、うまく広がってくれればいいが・・・)

 執務室にもどった柢王を迎えたのは、床に座り込んで後頭部を抱え込んで唸っている守天の姿だっ た。
「・・・何やってんだお前」
「てめえがやったんだろが! いきなり引きずり倒しやがって! 頭おもいっきし打ったぞ! いてて!」
「あ〜あ、タンコブできてるぞ。受け身の一つくらいとれよ・・・ってティアの体じゃ無理か。アシュレ イ、手光は出せないのか?」
「出せるわけねぇだろ! ・・・あだだだ! さわんじゃねえ!」
 柢王がつんつん突っつくのを涙目の守天が振り払う。
「やっぱ手光は出せないのか。今日一日重病人、怪我人が出ないことを祈るばかりだな」
「縁起でもないことをぬかすんじゃねえっ!」
 守天が叫んだ直後だった。
 あたり一面の光景が朱に染まったかと思うと、バルコニーから見える方角に巨大な火柱が立った。
「・・・・・・っ!?」
 次の瞬間、衝撃が天主塔全体を揺るがしたのであった。
 
 

【8】

 話は昼前にさかのぼる。

「・・・・・・・・・・」
 桂花は困惑していた。

 天主塔の季節は美しい。
 梢を揺らし吹き渡る風はさわやかに、どこか甘い香りをふくんでいる。鳴き交わす美麗な小鳥の声 は名だたる楽器のごとく美しく、枝枝を飛び交う姿は、かわいらしいダンスを見ているかのように心 を和ませる。木漏れ陽が宝石のように降りそそぎ下草に瞬く森の中、一本の木の根元に腰を落とし、 桂花はひたすら困惑していた。
 敷布の上に正座をしている桂花の膝の上には、熟睡している南の太子の頭がのっている。
 散々歩き回って、ようやく南の太子が気に入った景色のよい場所で食事を終え、(桂花は殆ど味が判 らなかった)桂花が暗澹たる気分で後片付けを終えて振り向くと、南の太子が敷布の上に座り込んだ まま頭をふらふらさせていたのだ。まさか気分でも悪くなったのか? とあわてて肩に手をかけた瞬間、 ころんと横倒しに南の太子の頭が、桂花の膝の上に転がってきたのだ。

「・・・・・・・・・・・」
 くどいようだが桂花は困惑していた。
 今朝のセクハラ騒ぎのショックも醒めやらぬまま、ハイテンションな守天(中身)に引きずりまわ され、あげくのはてに、とどめとばかりにこの膝枕だ。
 これが本物の南の太子ならば、転がってきた時点で避けている。のみならず、知らない顔で放って おいて帰っている。
 しかし中身が桂花にとって恩も義理もある守天なのだ。まして、自分が作った薬が入れ替わった原 因となると放ってもおけない。
(・・・しかし・・・)
 困惑しているのは、膝枕ばかりが原因ではない。今の守天の態度だ。
 やけに今の状況を楽しんでいるとは思っていたけれど。
(・・・守天殿ってこんなに即物的な人だったか?)
 おなかがすけば食べ、食べて満足すれば眠る。
(・・・即物的と言おうか、原始的といおうか・・・)
 南の太子ならばまだ話はわかるのだが、あの、(仕事に関しては)冷徹で、聡明で、禁欲的な守天の 姿を見慣れている桂花には今の状況は理解しがたい。(←てゆうか、したくない)
 外見はともかく、頭の中身は守天であるということは、朝の質問で証明されている。・・・それなのに、 これはどうした事だ?
(・・・今の守天殿は、まるで別人だ。)
「・・・・・・・」
 桂花の顔から血の気が引いた。
(どうしょう・・・・)
 自分が作った薬のせいで、本当の本当に脳の中身までイっちゃってたとしたら、これは大変な事で ある。守天の心体と直結している人界に、今ごろ人界に天災のひとつやふたつは起こっているかもし れない。
「・・・・桂花? 顔色悪いよ、大丈夫?」
 いきなり声をかけられ、桂花の体が跳ね上がる。見下ろせば、真紅の瞳をパッチリと開いて南の太 子が自分を見上げていた。
「守、守天殿、どこか具合は悪くありませんか? 頭が痛いとかありませんか?」
(↑本体の方が、柢王に張り倒されたり、床に頭をぶつけたりして頭を痛くしてはいる(笑))
「私? いや、どこも痛くないけど? 顔色が悪いのは桂花のほうだよ?」
 桂花がおそるおそる尋ねるのに首をかしげ、腹筋の力だけで上体を起こすと、背伸びをし、気持ち よさそうに言った。
「ああ、よく寝た♪」
「・・・・・」
 がっくりと脱力する桂花を尻目に、南の太子はぴょんと跳ね起きて嬉しそうに言う。
「う〜ん、昼寝なんて久しぶり。・・・文殊塾のとき以来かな? 元服以来、執務ばっかりで、そんなこと する余裕なんかなかったからね。」
 あの頃が懐かしいな、と南の太子の姿の守天は笑う。あの頃が一番純粋に楽しかったかもね、と。
「・・・文殊塾の頃のお二人のお話は、柢王がよく話してくれますよ。」
「何を聞かされているのか、ちょっと気になるね。執務室を抜け出して二人して遊びまわっていた事 とか? 姿隠しの術でアシュレイと一緒に文官の冠帽をすり替えて回った事とか? ・・・ああ、でも、 責任のある地位にいる立場の今の私がこんな事思ったりしてはいけないと判ってはいるけれど、 ときどき、全然終わらないあの書類の山をぜ〜んぶひっくり返して、あの頃みたいにどこ かに行ってしまいたいなあって思うことはあるけどね」
「・・・・・」
 昨日、彼が自分を帰したあと、遅くまでひとりで執務を取っていたことが思い出されて、桂花はう なだれた。
「・・・申し訳ありません。吾の力不足のせいで、守天殿の執務のお役に立てず・・・」
「違うっ 桂花、それは全然違うよ」
 南の太子が慌てて言った。
「昔のほうがずっとずっとひどかったんだよ? 今の状況でも、桂花のおかげで私の負担が随分と楽に なったんだよ?」
 桂花の肩に手を乗せ、なおいいつのる守天に桂花はまだ困惑顔だ。南の太子の姿で言われているの で無理もないが。
「しかし・・・」
「これは嘘じゃないよ。 ・・・今まで、殆ど何から何まで一人でやっているのと同じような状態だった からね・・・」
 文官と一緒に書類を読み、判断を下し、指示を逐一出し、決裁した書類の保管先を指定し、そして 次の書類にかかる。ずっとそんな風だったのだ。
 本当に桂花が来てくれるようになってから随分と楽になったと思う。彼は自分が今まで一つ一つ読 んでいた書類をまず先に目を通し、緊急のものと思われるものと、緊急でないものとに選別する。そ してその書類を見やすいように並べ、書類の内容を的確な表現で短く説明してゆく。そして決裁した 書類を担当する部署ごとに分けて持ってゆく。
 自分がするのは桂花の説明の内容を把握して指示を出すのと、決裁だけだ。

 しかもかなり前に決裁した書類の内容について尋ねた時も、間をおかずして答えを返し、経過や結 果を報告し、その書類がどこの部署に保管されているかもすらすらと答えたのだった。
 他の文官なら、後から後からくる書類に押されてしまって、百日前の書類の内容など憶えてはいな いだろうし、たとえ憶えていたとしても、結果がどうなったか、どこに保管されているのかを割り出 すのに時間がかかるというのが常だ。

 守護主天の頭脳が他の天界人と違うというのはわかっている。判ってはいても、小さな頃は不思議 でしょうがなかった。自分よりも物事を知っているはずの大人が、自分が疑問に思う事の半分も、納 得のいく答えの返せないことに。アシュレイや、他の子供達が自分の親について嬉しそうに話すとき に、なんとなく疎外感を感じてしまったのも覚えている。

 だから桂花が初めてだと思う。
 守天である自分と頭脳の面で対等に渡り合う、仕事の上で初めて出来た、信頼できる友人。
 
「しかし・・・・」
 桂花はうつむいたまま、まだためらっている。
 何かを言いかけて、言えずに口をつぐみ、うつむいてしまう。
 執務室で時折見せる、桂花の一種の癖。
「・・・・・・」
 うつむき加減の桂花を見て、守天はいつも『もったいない』と思う。
 こんなに綺麗で、聡明なのに。
 もっと自信をもっていいのに。
 なんといっても、頭脳はおそろしく聡明にして優秀。そのうえ柢王直々に鍛えられた剣術は相当の 腕だというし、加えてこの優美な宝剣のような(しかし美しい鞘の中に秘められた刃は鋭く、おそろ しく切れ味がいい)美貌だ。
 魔族だというハンデを差し引いても、なんら他の天界人と遜色はない。・・・どころか抜きん出ている。
 魔族ということで周囲からはまだまだ反感を買ってはいるが、いづれそれも、時をかけて消えてゆ くのではないかと守天は思っている。
 なにしろ天主塔の女官の間では彼の事を『桂花様』と呼ぶものも出て来ているのだ。(←守天様はま だ気付いていないけれど、あやしげなファンクラブも出来ている(笑))
 ・・・女性というものの、優れた者(異性)を選び出す目は、つくづく多様性に富んでいるものだなと 感心する。彼女らにとっては彼が魔族であることすら魅力のうちなのだろう。
 なんにせよ、とてもいい傾向だと思う。
(だから、あとは桂花自身がもっと自信を持ってくれれば・・・)
 桂花が、こんなふうに自分のしている事に今ひとつ自信をもてないのは、魔族であること以外に、 今している執務が簡単に結果として出ないことにあるのかもしれない、と守天はふと思った。
 桂花が以前人界で生業としていた薬師ならば、薬の効果があらわれて患者がだんだん快癒していく、 というような、短期間に、しかも目に見えるような結果が出る。
 しかし国を動かすと言うのは、ゆがんだものを元の形に戻すというようなものではない。漠然と形 の判らないものを打ち出し、しかも結果が出るのにも恐ろしく時間がかかる。それが正しいのかそう でないのかなど、予想を立てることは出来ても、はっきりとした形をとるまでは誰にも分かりはしな いのだ。
 けれど国を動かすというのはもともとそういうものであるし、劇的な変化はむしろさまざまな弊害 があらわれることになる。
 桂花はそれをちゃんとわかっている。・・・わかってはいても、不安なのだ。
 それでいい、間違ってはいないよ、という確かな証が、常に桂花には必要なのかもしれない。
(・・・そういえば)
 桂花に面と向かって自分は感謝の言葉を口にしていただろうか?
 仕事の報酬として、物資でまかなっていたりはしているけれど、物質的なものだけで、ヒトはけっ して満たされはしないことを守天は知っている。
「・・・・・・」
 アシュレイとちゃんと向き合うまでの、あの、すさんだ二年間・・・
 あの時。
たった一言でよかったのだ。
 その一言がいえないゆえに、苦しかったのだ。 互いが。
「・・・桂花」
「なんですか?」
 自分を見下ろす桂花の瞳の中に、ふと最愛の者の姿を認め、彼は苦笑して言いかけた言葉を切った。
「なんでもないよ」
 守天の姿に戻ってから、きちんと桂花にお礼を言おう。そう思った。

続く。


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