投稿(妄想)小説の部屋・別館

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天主塔の頭の痛い一日

 
【1】

 眠りはすみやかに訪れようとしていた。
(・・・さすが、桂花の薬はよく効く・・・)
 ここ最近よく眠れないといったら、桂花が携帯している薬箱の中から、丸薬の睡眠薬をくれたのだ。
 眠れない理由はわかっている。
(・・・いったい何日アシュレイに会っていないんだっけ・・・)
 ここ最近とみに多忙な南の太子は、父親の目も光っている事もあって姿を見せない。
 こちらも連日忙しくて遠見鏡を見る暇すらないありさまだ。桂花がいてくれなかったらどうなって いたのかなど考えるだに恐ろしい。
(・・・会いたいな・・・・・)
 せめて、遠見鏡で一目見ておけばよかったと考えても、眠りに引き込まれかけている体は動こうと はしてくれなかった。
(・・・明日は絶対に遠見鏡でアシュレイの・・・・)
 朦朧とした頭でそこまで思ったとき、寝室の扉がそっと開いた。忍び足で寝台に近寄った侵入者は、 枕もとにそっと顔を寄せると小さな声で聞いてきた。
「・・・ティア・・・、寝てるか?」
 その声を夢の中で守護主天は聞いた。夢うつつで手を伸ばし、枕もとにあった愛しい者の袖口を掴 む。そこまでで限界だった。
「ティア・・・?」
 深い眠りに落ちてしまった恋人の名を呼び、それでも目覚める様子がないことを見て取ると、南の 太子はそれ以上呼びかけることはしなかった。寝室に向かう途中に通った執務室の様子で、恋人が疲 れ果てていることはなんとなく想像がついていたからだ。
(・・・大変だよな。守護主天ってのは・・・)
 天界・人界を統治し、天界の四強との牽制と調和をはかりながら、なおかつ霊界とも折り合いをつ けてゆく。
(・・・たった一人でそれをやってんだもんなぁ。サポートする奴ったって、ゾロゾロうっとーしー八紫 仙の奴らはいちゃもんつけにくるだけだしよ。意見があるんなら内容をまとめて、一人が代表して言 えっての。いくらティアが頭いいからって、八人から一気に喋られたらしんどいよな。・・・あ、そう言 えば人界に10人てんでバラバラの事を喋らせてもその内容を全部聞き分けて理解していたって奴い たよな。え〜と、たしか、ショートクタイシって奴・・・)
「・・・・・ふわぁ・・・」
 南の太子は大アクビを一つして目をこすった。
 昼間に兵の訓練の指揮をとったこともあって、体がクタクタに疲れている。
 南の太子は寝台に登ると、恋人の隣にもぐりこんだ。
「ま、こーゆーのも悪くはないよな」
 夜明けまでの2,3時間を恋人の傍で眠って、朝早く南領に戻ればいいのだ。
 朝の早いこの恋人は、きっと笑いながら自分を起こしてくれることだろう。
 恋人の甘い香りと体温が心地よく、南の太子は目をとじると同時に眠りの世界に溶け込んでいった。

 目覚めはふいに訪れた。
 甘い香りと体温が傍らにあって、心地よさそうに寝息を立てている。
 眠りに落ちる直前、恋人が忍んで来てくれたのを彼は覚えていた。
 幸せな気分で寝返りを打って恋人の顔を覗き込んだ彼は、そこに自分の顔を見た。
「???」
 半身を起こしてまじまじと見下ろす。つかまれていた袖口から手が外れて寝台の上に落ちる。
 ・・・昨夜、夢でもいいから逃げないでほしいと袖口を掴んだのまでは覚えていた気がするのだが、逆 だったのだろうか?
 それとも自分はまだ夢の中にいるのだろうか?
 それならば早く目覚めないといけない。せっかく恋人が来てくれているのだ。やさしくキスをして おはようといってあげたい。一分一秒でも長く一緒にいたい。
「・・・ほっぺたつねったら・・・目がさめるかなあ・・・」
 守天である自分は人を傷つける事は出来ない。なので、彼は手を伸ばして寝台に眠る自分の頬を思 いっきり強くつねった。
「〜〜〜っ・・・いってえ! 何しやがる!」
 天守塔の女官が聞けば卒倒しそうな乱暴な言葉づかいで跳ね起きると、問答無用でなぐりかかって くる。
 しかし振り上げられた手のひらは、こちらに届く直前に何かにはじかれたように止まった。
「・・・・れ? ・・・うわっ!」
 つんのめるようにして、守天は前のめりに寝台に倒れた。
「・・・だ、大丈夫? ・・・。・・・・・・えっと・・・?」
 守天は自分だ。しかし、自分の正面で顔面から寝台に突っ込んだのも間違いなく自分の姿だ。
「・・・・・・ええっとぉ・・・?」
 ・・・ちょっと待て。これは誰だ? 自分はだれだ?
 正面の守天が、がばっと跳ね起きるなり、かみつくようにしてわめく。
「・・・ってぇ! おいティア! なにもそんな起こし方しなくてもいいだろ! せっかくいい夢を・・・」
 そこまで怒鳴って言葉をきった正面の守天がぽかんと自分を見つめている。
 ・・・いや待て。守天は自分だ。
 では、正面の守天が見つめている自分はいったい何だ?
「・・・夢・・・・・・まだ見てんのかな、俺・・・・」
 ごしごし目をこすってもう一度見直す。
「・・・・・」
「・・・・・」
 寝台の上に座り込んだ守護主天と南の太子。
 二人の右手が同時に上がった。
「・・・・お、俺ぇ・・・?」
 と守護主天。
「・・・私・・・?」
 と南の太子。
 お互い自分の姿を目の前にして、呆然と指をさしあう。
「・・・・・ぇ、ぇぇぇええええええっ??!!」
 数秒後、朝まだ早き天主塔に二人の悲鳴が轟き渡ったのであった・・・。
 
 

【2】

 ようやく暁の白い光が差し込んできた早朝の天主塔の回廊を急ぎ足で歩いて行く二つの姿があった。
 早朝ともあって他に人通りはない。警備の兵士ですらちょうど交代時間であるのか、姿が見えない。
「朝一番にいきなり呼びつけるなんてな。ティアの奴も気がきかねえな」
 柢王がぼやくように言った。
「ここ最近、守天殿は寝るまもないくらいお忙しいんです。昨日だって吾を先に帰してしまわれて・・・ きっとあの後もお一人で執務室にいらしたのでしょう・・・。疲れが少しでもとれるようにと吾の淹れた 薬湯も少ししか飲まれなかったし・・・」
 先を歩く桂花が振り向きもせずに応える。長い白い髪が曙光を浴びてさざめくように揺れる。
「お前の創る薬湯は苦すぎるんだよ。」
「・・・それにここ最近よく眠れないとおっしゃっておられたから、よく眠れるように薬をお渡ししまし たけれど、この時間帯に呼ばれたということは、昨夜は一睡もなさらなかったということかもしれま せん」
「ああ、昨日お前が飲んで寝たって言うやつだな」
「・・・ここ最近、吾も、あまり眠れなかったものですから」
「体調管理万全のおまえが珍しいな。何かあったのか?」
「・・・・・・」
 殴りかかりたい衝動をこらえて桂花は拳を握り締めた。

 与えられていた天主塔の一室の寝台で目覚めたら、隣に腕枕で 笑っている柢王がいた。一瞬何が起こっているのか判らなくてぽかんとしている桂花に笑いながらキスの雨を降らせてまた笑う。
 人界の警護からいきなり帰って来ていた柢王に寝顔を見物されていたらしい、と思いあたったのは数秒後だ。

 ・・・どうしていつもこの人はこうなのだ。帰ってくるというの なら一言連絡をくれてもよさそうなものを。・・・判っていたのなら一晩中だって自分は待っていたというのに。
「・・・・・・」
  愛しいと思う気持ちと
  身勝手さを呪う思いと
  傍にいられる嬉しさと
 そしてまた
  見送ることの哀しさと
  あえなくなる寂しさと

 そして寝顔を見られていたという気恥ずかしさや、自分の寂しさ などわかってもくれない怒りなど、 さまざまな思いが混ざり合ってしまって、今、桂花は柢王にどんな顔を見せていいのかわからない。
「朝から晩まで書類とにらめっこの仕事です。体は疲れきっていても頭だけは変に冴えきって眠れな い。・・・あなたはそういことはないのですか?」
「ないな」
「・・・そうでしょうとも」
 後ろを歩いていた柢王が横に並ぶと、ひょいと桂花の顔を覗き込み、いたずらっぽく笑って聞いて くる。
「・・・で? ホントのとこはどうなんだ?」
 瞬間、振り向きざま柢王の顔面目がけて桂花の拳がとんだ。
「・・・っと」
 その拳をやすやすと手のひらで受け止め、そのまま後ろに受け流す。体勢を崩した桂花を抱きとめ、 そのまま腕の中に閉じ込める。
「・・・嫌だっ! 離してください」
 暴れても、肩口を殴りつけても、体を抱く腕の力は弱まらない。それどころかますます力が込めら れてくる。
「ごめん。ごめんな」
「・・・っ! あなたはいつだってそうだ! 何もかも判っているくせに吾を試そうとする!  ・・・あなたは吾になにを望んでいるんだ! 吾はあなたのものだと言わせるあなたはこれ以上吾になに を望もうとしているんですか!」
 肩口を両手で殴りつけて自分よりも高くなった瞳を睨み上げる。
 一瞬の交錯。
 ・・・はじかれたように瞳をそらしたのは桂花だった。
 首をうなだれ、両腕が力を失ったかのように肩口から滑り落ちた。
「・・・すみません。こんなこと、言うつもりじゃなかった。忘れてください・・・・」
 どうして自分はいつもこうなのだろう。柢王を目の前にすれば平静ではいられなくなる。
「・・・時々、あなたがわからなくなる。・・・判らない自分に苛立つ・・・ ・・・そしてこんな苛立ちをあな たに見せてしまう自分に、さらに苛立つ・・・」
 顔をそらし、うなだれた桂花の瞳から涙が零れ落ちる。
「・・・こんな自分など見せたくない。見せたくないと思っているのに・・・」
 恋人に見せる自分はいつも柢王が綺麗だと言ってくれる自分でありたいのに・・・
「・・・桂花・・・」

 回廊の向こう側から、交代した兵士達だろう談笑する声と足音が 近づいてきた。
 桂花の体がびくっとふるえた。
「離してください・・・・人が来ます」
 顔をそらしたまま、桂花は柢王の肩口を押した。
 天守塔の回廊で抱き合っているところなどを目撃されれば、柢王の威信に傷がつく。
 しかし体を抱く力は緩まなかった。
 不審に思って振り向いた瞬間、頤を持ち上げられ、唇に熱いものがおとされた。
「・・・・・・っ!」
 至近距離に柢王の瞳があった。
 涙の止まらない瞳でおもいきり睨みつける。
 そんなに簡単に許してなどやるものか。
「・・・・ぃや・・・だ・・・っ」
 重なったまま、なおも抗いの言葉を紡ごうとする唇を柢王は強引にとらえ、深く深く重ねる。
 ・・・足音と声はすぐそこまで近づいていた。
「・・・っ」
 身を震わせ、ついに桂花は瞳を閉じた。

 ・・・足音は回廊には近づかず、別の通路に入ったのか、次第に 遠ざかっていった。
 
 ・・・自分がいつの間に解放されていたのかはわからない。気がつけば桂花は回廊の床にへたり込んで いた。まだ体が震えている。足に力が入らない。
 すぐ傍にはしゃがみこんで自分を覗き込んでいる柢王がいる。
「大丈夫か?」
 桂花の髪を指に絡めながらのんきにそう聞かれ、いったい誰のせいだと言い返そうにも声が震えて うまく出ない。しかたないので睨んでやろうとしたが、それがあまりにも馬鹿馬鹿しい事に思われて 桂花は深々とため息をついた。
 体の力が抜けると同時に感覚が戻ってきた。鳥の声や、木々の葉ずれの音、早朝の天主塔で忙しく 立ち働く人々の声や足音。・・・木々の香りが立ち込める朝の冷気が体に心地よかった。
 いつもの日常、いつもの光景のはずであるのに、桂花は、そのことに目もくれずに日々をすごして いた事に気付いた。
 ・・・こんな日常に気付けない程、自分は気を張っていたのだろうか。
 桂花はゆっくりと柢王を見た。
 ・・・この人に会えないさみしさのせいで?
 戸惑うような表情を浮かべた桂花に、柢王が指に髪を絡めたまま、笑って聞いてくる。
「・・・ただいまって言ってもいいか?」
「・・・・・・」
 ・・・この人は。本当にこの人は・・・
「・・・おかえり、なさい・・・」
 何もかもお見通しなのだ。
 にこっと子供のように笑った柢王の肩口に、降参の証として桂花は泣き笑いのような表情で額を おとした。
「くやしい・・・」
 くちづけ一つであっさりと懐柔されてしまう自分が。
「・・・あなたには、何一つかなわない・・・」

「遅いっ! てめえらなにしてやがったんだ!」
 執務室の扉を開けた途端、凶暴な表情の守天に大声で怒鳴られ、二人は面食らったように戸口で立 ち止まった。
「おはよう。二人ともこんな時間に呼び立ててすまない。ちょっと緊急で桂花に相談したい問題がお こってしまってね」
 にこやかな表情の南の太子に歩み寄られ、思わず桂花は後ずさる。柢王が桂花を背後にかばうよう に進み出て剣呑な視線を投げかける。
「・・・おい。ティア、それからアシュレイ。二人して朝っぱらから何の冗談だ?」
「冗談なんかじゃねえ!」
と怒鳴る守護主天。
「これは冗談ではないんだよ」
と南の太子。
『・・・・・?』
 柢王と桂花は顔を見合わせた。
 天界人は姿かたちを変化の術で変える事ができる。しかし見るものが見れば、術がかかっているか どうかはわかるのだ。柢王が見る限りでは、二人が変化の術をかけているようには見えなかった。
 柢王は、長年培ってきた幼なじみ達に対する違和感を肌で感じ取っていた。
 桂花は、期間としては短いが恩人に対する違和感と、天敵(←そこまでいうか?)に対する違和感 をなんとなくだが感じていた。
 というより、優雅な笑みを浮かべ、友好的な態度で桂花に近づく南の太子など、二人の間柄を知る 人々にとっても前代未聞・驚天動地の出来事だ。冗談でも絶対やるまい。
 冗談ではないとすると、これは・・・
「・・・お二人に質問です。3代前の守護主天の統治17年目、人界を巻き込んだ一つの事件が起こりま した。それは何という事件でしょう?」
 桂花が、二人にむかって質問を投げかける。
「そんなもん俺が知るかっ!」
 と守護主天。
「ああ、『西王母の桃事件』のことだね。よく知ってるね桂花。蔵書室で調べたの?」
 とにこやかに南の太子が答えた。
『・・・・・』
 柢王と桂花は再び顔を見合わせた。
 ・・・確定。
 桂花は、目の前の少し困ったような笑みを浮かべて自分を見上げている南の太子を見下ろし、恐る 恐る尋ねる。
「・・・・・守・・天殿?」
「うん・・・・」
「・・・・ということはお前がアシュレイか・・・」
「・・・おう」
 柢王の確認に近い問いに、少々ふてくされたように腕を組んだ守天が返事を返す。
 執務室に沈黙が落ちた。
 柢王が深々とため息をつきながら天井を仰いだ。
「・・・何をやってんだよ。・・・お前らは・・・」
 
 

【3】

 一緒の寝台で二人して眠っていて、朝、目覚めたら体が入れ替わっていた。

「・・・夢物語じゃあるまいし、二人ともどうやったらそんな器用 なことが出来るんだ」
 長椅子に腰を落とし、腕を組んだ柢王があきれたように聞いてくる。
「どうしたもこうしたも。原因がわからねえから今こうやって悩んでんだろうがっ! 今ンとこ一番 あやしいとふんでんのが、桂花、てめえがつくってティアに飲ませた睡眠薬だ!」
「アシュレイ、落ち着いて落ち着いて。そう勝手に決め付けないで」
 その正面の長椅子で守天が桂花を指して怒鳴り、その隣に座っている南の太子が『まあまあ』とと りなしている。
 長椅子に座る柢王の背後に立ったまま控えている桂花が形のよい眉を上げた。
「・・・睡眠薬? 守天殿、飲まれたのですか?」
「うん、おかげでぐっすり眠れたよ。ありがとう」
「礼を言っている場合か! やい桂花! ティアにいったい何飲ませやがった!」
 南の太子ににっこり笑って礼を言われ、守天には凶暴に怒鳴りつけられるという状況に、桂花は非 常に複雑そうな表情のまま、それでもきっぱりと言い放つ。
「守天殿にお渡しした薬は純粋に睡眠薬としての効能しか持たせてません。・・・第一同じ薬を飲んだ訳 でもなく、ただ一緒に同じ寝台で眠っただけのあなたが守天殿と入れ替わってしまったという時点で 原因を睡眠薬と断定するのはあまりにも短絡すぎるというものです」
「まあ、たしかに桂花の言うとおりだな」
「うぐぐぐ」
 柢王が認め、悔しそうに唸る守天を南の太子が『だから違うって言ったのに』となだめている。
 しかしこのまま四人で頭を突き合わせていても、原因が不明のままのこの状況では有効な手立てを 見出せそうにもなかった。
「桂花、茶をいれてくれ。うんと熱いやつ」
 柢王が言い、桂花はうなづいて席を離れた。

 執務室の外の扉口にいた女官に湯と茶器の用意を頼み、自分は部 屋の隅のワゴンのところで茶の選 別にかかる。
 給茶用のワゴンには、桂花が昨日部屋にさがる前にいれた薬湯のポットと碗がそのまま出してあっ た。
 ・・・今、ここにこのポットがあるということは、やはり自分を帰した後で長い時間を執務室で過ごし たということになる。
 ・・・自分は構わないと言っているのに。
 すまなそうに微笑まれて、『大丈夫、この書類を見たら自分もすぐに休むから・・・』と言われてしま えば、もう桂花は何も言えなくなる。
「・・・・・・」
 ・・・自分は本当に役に立てているのだろうか・・・?
 そのまま物思いに沈み込みそうになり、桂花は慌てて首を振って考えを追い払った。
 今は自分の事どころではない、何が原因であの二人は入れ替わってしまったのかそれが問題なのだ。
 ポットを持ち上げ、意外な軽さに驚く。薬湯用のこの小さい素焼きのポットにはせいぜい小ぶりの 茶碗で一杯半分しか入らない。昨日ほとんど彼は薬湯に口をつけていなかったので、そのまま残って いるのかと思っていたのだが。
「・・・・・・」
 嫌な予感がした。
「守天殿・・・、まさかと思いますが、この薬湯であの丸薬を飲まれましたか?」
 南の太子が振り返って
「え? ああ、うん。時間も遅かった事だし、ただ一杯の水のためだけに女官達を起こすのも気の毒だ ったしね。薬湯を聖水に変えることも考えたけど、せっかく桂花がいれてくれたんだからと・・・」
 話を聞くにつれ血の気が引いてゆく桂花の顔色を見て、南の太子は一瞬言葉をきり、それからおそ るおそる尋ねた。
「・・・もしかして、まずかった?」
 ・・・・ごっとん・・・
 桂花の手からポットが滑り落ちて卓の上を転がった。
「・・・まずいもなにも・・・。よくぞご無事で・・・・」
 いや、全然ご無事ではないのだが。
「・・・え? 桂花、どういうこと?」

 ・・・桂花の薬はよく効く。
 しかし桂花の作る薬はもともと毒に近い。
 薬と毒は対極の位置にあるように思われているが、実際の所、極端な事を言えば毒にならない薬は なく、薬にならない毒はない。
 毒を何倍にも希釈すれば妙薬にもなりうるのだという理論の元、組み合わせ一つ・匙加減一つ誤れ ば猛毒になりかねないものを、経験と実績に裏打ちされた一部の隙もない絶妙の匙加減でもって桂花 は良薬になさしめる。
 それが桂花の薬の桂花の薬たるゆえんであるのだが、その一部の隙もないぎりぎりの配分が、今回 は裏目にでたようだった。
「・・・ええと。じゃあ、まさか・・・」
「薬湯と睡眠薬の同時服用・・・。複数の薬の飲み合わせによる変調・・・・他に思い当たるものがないとい うのなら、原因はそれだと思われますが・・・」

 複数の間違った薬の飲みあわせで起こる問題は、多種多様さまざ まだが、大別すると三つのケース に分けられる。
 (1) 薬の成分が反応する事によって吸収されにくい化合物になってしまい、
    薬としての効果がでなくなるケース
 (2) 吸収された薬を分解する酵素の働きを、もう一方の薬が阻害してしまい、
    薬が分解されなかったり排出されなかったりして体内に残ってしまい、
    作用と副作用のバランスが崩れるケース
 (3) 二つの薬が同じ働きをもっていた場合、その作用が強く出すぎてしまう
    危険性があるケース

「3番目じゃないことは確かだな」
「1番目とも2番目とも言いがたいね」
「二つの薬の成分が反応してまったく別の化合物になってしまい、作用と副作用のバランスが崩れた ・・・と見るのが妥当であるのかもしれませんが・・・」
 だからといって薬湯と睡眠薬を一緒に飲んだところで、そんなお手軽に体が入れ替わる作用がある とは三人とも本気で信じているわけではなかった。
「そらみろっ! やっぱりてめえが元凶じゃねえかっ!」
 ・・・南の太子を除いては。
「アシュレイ! 桂花に責任はないよ、悪いのは私だ。桂花を責めるのはやめてくれ」
 桂花に詰め寄って怒鳴る守天と、その前に立ちふさがって桂花の弁護をする南の太子と。
「俺の体で、こいつをかばうんじゃねえっ!」
「なんだ、アシュレイ。おまえひょっとして桂花に妬いてんのか?」
「まぜっかえしてんじゃねえ、柢王!」
 柢王に襟首をつかまれて引きずり戻されながら守天がわめく。順応の早い柢王は、『守天の姿の南の 太子』、『南の太子の姿の守天』にもう慣れてしまっている。
「・・・もう! アシュレイ、どうしてそんなに桂花を嫌うんだい?」
「俺の顔で言うなあ!」

 守天としてはこの二人には仲良くしてもらいたいと常々思ってい る。執務室で顔を合わすたびに激
突している二人を見るのは心が痛むし、ついでに執務室の調度も傷む。(←南の太子が暴れるから。)
(何とか二人を仲良くさせる方法はないものか・・・って今は私がアシュレイなんだっけ。じゃあこの手 は有効かな?)
「アシュレイ〜、ほらほら」
 言い様、後ろにいた桂花に抱きつく。
「てめーっ! 人の体で何やってやがるっ!」
「・・・うっわ〜、桂花って本当に細いんだね。・・・ウエストなんかアシュレイと同じくらいなんじゃな
いのかい?」
「〜〜〜っ!」
 いきなり抱きつかれ、首や肩、腕をぺたぺた触られた挙句に、ウエストを両手で測るように掴まれ、 桂花はどう対処すべきか判断しかねて硬直している。
 これが南の太子本人なら有無を言わさず暴力にうったえている所だが(そもそも南の太子本人が桂 花に抱きつく事など、天地が引っくり返ってもありえないが)中身が守天とわかっているだけに手は 出しかねる。しかし南の太子の姿でこうなつかれると、中身が守天だと判っていても違和感はぬぐい きれない。鳥肌が立たないのが不思議なほどだ。
「あ、すごい。やっぱり細い」

「こら! ティア! 人の話し聞け! ・・・ちくしょ〜そっちがその気 ならこっちはこうしてやるっ!」
 言い様、守天の姿の南の太子は柢王に抱きついたのであった。・・・抱きつくというより、かじりつく といったほうがいいような気もする。
 しかしこれは桂花に対してなら有効な手ではあるかもしれなかったが、南の太子にウエストを掴ま れている桂花はそれどころではなく、守天(中身)に到っては「わあ、仲良しさんだね♪」くらいの 感慨しか呼び起こせなかった。
「おいおい、なに対抗してやがるんだか。・・・どれどれ」
「うわあぁぁ! て、柢王! いきなりなにしやがる!」
 柢王にウエストを両手で鷲掴みにされた守天が悲鳴をあげる。
「桂花、ティアよりお前のほうが細いぜ」
 しゃあしゃあと柢王が桂花に向かって言い放ち、顔を真っ赤にした守天が怒鳴る。
「た、対抗してんのはてめえじゃねえかぁぁ!」
 しかし、ばかやろー、はなせっ! と叫びながら、ぽかぽかと振り下ろす手は途中ではじかれてしま い、柢王にはかすりもしないのであった。

「・・・扉の向こうで何が起こっているのでしょうか・・・・・」
 茶器を載せた盤を持ったまま、執務室の扉の前で入るに入れない新米の女官が立ち尽くす。
「・・・・それに、とても乱暴な言葉づかいのあの声は・・・」
 付き添いで来ていたベテランの女官が新米の女官の言葉を皆までいわさず肩に手をかけ、にっこり と微笑んで首を振る。・・・ただし目は据わっている。
「連日の執務で若君はお疲れなのです。えーえ、若君はこの天界、ひいては人界をもお守りくださる 天界で唯一無二にして貴いお方なのです。そのようなお方のご心中の機微など、下々の私達には知る 由もないのです。」
 つまり、若君がぶち切れて叫ぼうがわめこうが暴れ出そうが、聞こえないふり、知らないふりを決 め込めと言うことなのだろうが、何やらあさっての方を向いて遠い目をして熱烈に語りだす女官に新 米の女官は怖気づいて後ずさろうとしている。
「・・・そんな私達に出来る事があるといったら、こっそりファンクラブを作って日夜あの方の健康とご 多幸をお祈りしながら、お茶請けのお菓子を作ることくらい・・・。
ちなみに昨日と今日は当クラブの会長たる私自らがお作りいたしました。田舎の祖母から送ってもら った、疲れに良く効くという特製の薬を生地に練り込んで焼き上げた物です。さ、あなた。当クラブ ではただいま会員募集中・・・・・」
(・・・イっちゃてます! 目がイっちゃてます〜〜っ! お父様、お母様っ! やっぱり都会(←?)は怖 いところですうぅ)
 肩をつかまれているため逃げることもかなわず、半泣きになりながら助けを求めて扉の前の兵士を 見れば、苦笑しながら肩をすくめてみせる。どうやらこの光景は日常茶飯事の事らしかった。
 ・・・もし、ここの若君が体を悪くすることがあったとしたら、このファンクラブの作るあやしげな茶 請けのせいに違いないと新米の女官は思ったのであった・・・。
 
 

【4】

「ちっくしょう・・・何で俺が桂花のつくった薬なんぞを飲まな きゃなんねーんだ」
 長椅子にふんぞり返って座り、憤然と茶請けの焼き菓子をかじりながら守天がごちる。
 原因はわかったものの、対処のしようがないので、とりあえずもう一度守天(外見)に同じ薬を飲 んでもらおうと話し合いで決まったのだった。桂花は薬の用意をするために自室に向かい、柢王もそ れについていっている。遠見鏡の前にいた南の太子が困ったような顔で振り向いた。
「桂花は悪くない、悪いのは私だよって言ってるのに・・・。・・・でもごめんね、アシュレイ。こんな事 に巻き込んじゃって」
「う。い、いや・・・」
 自分の顔で悲しそうに謝罪され、南の太子(中身)はたじろいだ。自分の顔で自分の名前を呼ばれ るのは、はっきりいってものすごく変な気分だ。背中がむずむずする。
「さ、さっきからなにやってんだよ」
「ん。『魂』だけでも遠見鏡が使えないかな、と思ってさっきから試しているんだけど・・・ああ、やっ ぱり駄目か・・・」
 遠見鏡はうんともすんとも応えない。茶請けの焼き菓子をくわえたまま守天の姿の南の太子が試し ても同じ事だった。
「・・・やっぱティアの『体』と『魂』じゃねえと使えないみたいだな」
「・・・そうだね」
 魂が入れ替わっても守護主天の象徴である額の御印は消えてはいないが、やはり肉体と魂が同じで なければ、守護主天としての力は発揮されないのかもしれない。

 慌しく扉が開き、急ぎ足で柢王と桂花が入ってきた。
「おい、八紫仙がぞろぞろこっちに向かってるぞ」
「・・・やばいっ! 南領にいるはずの俺が天主塔にいるなんてばれたら、また親父に大目玉くらっちまう じゃねえか! ・・・俺は逃げるっ!」
 慌てふためいてバルコニーの柵を乗り越えて逃げようとする守天の襟首を柢王が掴んで引き戻す。
「ばか。お前が出て行ったら元も子もないだろ。」
「・・・あ、そっか」
「いい加減、今の自分に慣れろよアシュレイ。 ティア、そういう事情らしいから取り合えずお前は 執務室から離れてろ。桂花、ついていてやれ。」
「吾が・・・ですか?」
「ティアも一人よりそっちのほうがいいだろう。第一お前とアシュレイを執務室に閉じ込めてみろ、 仕事どころの話じゃなくなるぞ。」
 今だって十分(というより全然)仕事にはなっていないのだが。
「・・・書類には触らないでください。一応分類別に分けてありますから。それから・・・」
「わかった。とにかく早く行け。夕刻にまた会おう。アシュレイ、お前は早く椅子に座れ」
「桂花、はやくはやく」
 バルコニーの柵によじ登った南の太子に手招きされ、複雑な表情で桂花は後に続いた。
    
    
    
「・・・って、おい柢王! 俺は守護主天の執務なんて出来ねーぞ!? 一体どーすりゃいいんだよ?!」
「いいからとりあえず椅子に座れ。とにかく書類に集中している振りをして、何を言われても『仕事 が忙しい』の一点張りで決め込め。遊んでんならともかく、まじめに仕事してりゃ多分うるさく言わ れはしないだろ」
「んなアバウトな!」
「しぃっ! 来たぞ」
「わわわっ」
 慌てて座ると、積み上げられている書類の一枚を取る。神妙な表情を作ろうとするあまり、眉間に 縦皺が出来ている。・・・まじめに仕事というよりも、苦悩しているようだ。
(・・・か、鏡があったら目の前に突き出してやりてぇ・・・)
 笑いをかみ殺しながら柢王が長椅子についたところで、執務室の扉が大きく開かれた。

 ぞろぞろぞろぞろ。
 二列縦隊で執務室に入ってくる紫色の集団。
(やれやれ、相変わらず暑苦しーことで。年中あれ着ててよく飽きないよな)
 天主塔の権威の象徴である冠衣も柢王にかかれば形無しだ。
 八紫仙がちらりと意味ありげに視線をよこすのに、柢王はそ知らぬげに茶を飲みながらひらひらと 手を振る。あんたらの仕事の邪魔はしないという意思表示だ。
(俺が口出ししたらアウトだからな・・・。頑張って連中をさばけよ、アシュレイ)

 紫の冠衣の集団が執務の机の前に二列横隊で並ぶと、うやうやし く拱手する。
「・・・守天様におかれましては、本日もご機嫌麗しく・・・」
(ばっかやろ、てめーらにぞろぞろ前塞がれて気分いいわけあるかいっ!)
「何の用だ? 私は忙しいのだ」
 用件を言い出される前に、先手必勝とばかりに相手の出鼻をくじいてやる。喧嘩の定法だ。
「今すぐに決済をしてしまわなければならないものもあるのだ。今、そなた等の用件に時間を割く事 は出来ない。火急の件ではないというのならば、日を改めてもらおう」
 書類に視線をおとしたまま、一気に言い放つ。
 柢王が笑いながら「やるじゃねえか!」と言わんばかりに親指を立ててみせたのが視界の端に映る。
・・・曲がりなりにも十ウン年間南の太子をやっているのだ(←たとえそれが慢性ボイコット症だとして も)多少の言い回しぐらいならお手の物だ。
(さあ、どーだ! これでてめーらのつまんねえ用件なんざ言えないだろ)
 ・・・だが、南の太子(中身)は甘かった。ここで引き下がるようでは八紫仙は勤まらない。
「・・・そうおっしゃるのは百も承知でございます。しかし守天様、これは我々の威信にも関わる事でご ざいますれば、ぜひともお聞き願います」
 仰々しく言われ、何事かと身を硬くし、顔を上げた守天の前で、にょきにょきと袖の中から突き出 された八本の手には、赤やら緑やら紫やらの小さな小袋がそれぞれ握られている。
(・・・へっ?)
「さあ、守天様。本日こそは飲んでいただきますぞ!」

「連日執務にお励みになられるのはまことに結構でございますが、 寝食をお忘れになられてまで執務 に励まれるお姿に、天主塔の者達が皆心配いたしております。
かく言う我らも霊界の閻魔様より拝命を受けている身でありますれば。これらの薬は守天様の御身の 健康のために、我ら一同特別にご用意いたしたものでございます。・・・ちなみに私がご用意いたしまし たのは、私の故郷から送らせました、民間で愛用されております特効薬でございます。」
 状況が理解できずにぽかんとしている守天の前に、にゅっと薬の入った小袋が突き出される。しか し次の瞬間、それを横に押しやるようにして、別の小袋が突き出された。
「抜け駆けは禁物ぞ! 守天様、この薬はわたくしめが愛用しておりますもので効果の程は抜群。自信 を持ってお勧めいたします」
(中略)
「いやいや。やはり昔から使用されていた薬が一番安心じゃ。東国の老舗、丹慧堂のものであります」
「むむむ。先を越されましたな。同じ丹慧堂のものでも、これは私が懇意にしております薬師に特別 注文いたしました新薬でござる」
「なんのなんの、これぞ真打じゃ。守天様、これは北の領地にしかない麒麟が食すという甘露と呼ば れる物。希少価値の物ですぞ!」
 書類を握り締めたままの守天の前で八紫仙が押し合いへし合いしている。
「さあ。守天様! ご自由にお選びくださいっ!」

「さあ」(×8)
 ・・・・・・・・ずいっ
「さあさあっ」(×8)
 ・・・・ずいずいっ
「さあさあさあさあさあ!」(×8)
 ずずいずいずいっと眼前に差し出される薬・薬・薬。
(・・・こっ)
 書類を持つ手がぶるぶる震えている。
 ・・・・・・・・・・・・・ぶち。
 今朝の騒ぎで『薬』というものにただでさえ過敏になっているところをつつかれ、元から短気な南 の太子の忍耐の緒は一瞬にして限界に達した。
 群れる八紫仙の背後で、長椅子にかけている柢王がそしらぬ顔で耳を塞ぐ。
(・・・こいつらは何しに来やがったんだーっ!)
 ぶちぶちぶちっ!
「仕事の邪魔だっ! 出てけぇっ!」
 机に何段にも積み上げた書類の山が揺れるほどの勢いで立ち上がり、執務室の硝子がびりびり震え るほどの大音声で怒鳴る。
 執務室の外庭にの木々にとまっていた鳥達が一斉に飛び立ち、回廊を歩いていた女官が驚いて盆を 取り落とす。扉の外の兵士が耳を押さえつつ何事かと駆けつける程の大声だった。
 
 それほどの大声を至近距離で聞いた八紫仙達はたまったものではなかった。
 執務室を揺るがす すさまじい剣幕に、これ以上の長居は身の危険と感じ取った八紫仙は、執務用 の机の前に展開していた二列横隊から二列縦隊に列の形を展開させると、すっ飛ぶような速さで退出 していった。
 柢王が指を鳴らすと、開け放たれた扉が勢いよく閉まった。

 扉の外に飛び出すなり八紫仙達はよろよろと膝をついた。唯一そ の場に平然ととして立っているのは最年長の八紫仙一人だけ。(←・・・どうやらよほど耳が遠いものと思われる。)その他は、皆一様に耳 を押さえてうめいている。しばらくは難聴に悩まされることになるかもしれない。
「た、たいそう勤勉なお方ではあるのですが・・・」
「ううう耳が・・・や、やはりご友人は選んでいただかなければ・・・」
「ア、アシュレイ様と旧交をあたためられるようになられてからではありませぬか?」
「先ほどなど・・・のう?」
「うむ。アシュレイ様とそっくりじゃった・・・」
 実は中身は南の太子本人であるのだが、八紫仙は見抜けなかったようだ。しかも耳の機能が麻痺し ている状態なので、本人達は気付いていないだろうが、話す声が無茶苦茶でかいのである。扉の向こ うに会話が筒抜けだ。

 扉越しに聞こえてくる会話に、柢王は長椅子の背もたれに突っ伏 して笑いをこらえ、自分のことを 言われている南の太子(中身)は執務室の机の上に乗りあがってぐるると唸っている。
「・・・怒んなよ。一応ティアの体を心配してるって事だぜ。ま、霊界の閻魔様への点数稼ぎととれない こともないがな」
「ちっくしょう、この体がティアのじゃなかったら、あいつら全員消し炭にしてやってるとこだ!」

続く。


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