『見浜園でお茶を楽しむ会』へようこそ!

ときの流れを楽しむ(見浜園の名称の由来)

・・・平安時代、ある浜辺の光景に感動した13歳の文学少女の話・・・
   旅の途中、ある浜辺の月夜の素晴らしい光景に感動し、
 この 光景を「再び見ることができるだろうか?」と浜辺へ
 の『想い』を歌に詠んだ、13歳の文学少女のお話です。
  この文学少女は「更級日記」の作者であり、この浜辺への
 『想い』から、千葉県立幕張海浜公園の日本庭園は、
 『見浜園』と命名されました。
  「更級日記」は、今から、約980年前のことであり、
 この話に
大いなる「ときの流れ」を感じました。

                

            名称の由来(更級日記から)
 
  
平安時代の日記物語『更級日記』の作者、菅原孝標の女(むすめ)は、父と
 共に京から国司として「いまだて」(現在の市原市あたり)に来ていました。作者
 は、京に早く帰って「源氏物語」を読みたいという文学少女でした。
  そして、作者が13歳の時、3年の任期を終え、京に帰ることになりました。

    
チョット、復習   Q,更級日記の作者は誰でしょうか? 
                 A1,菅原孝標の女   A2,小野小町

 
(正解はA1)

  その当時の引越しは、家財道具をすべて持っての移動でしたが、「いまだて」
 を出てから14日目に「くろとの浜」(現在の千葉市の黒砂あたり?)に着き
 ました。

「くろとの浜」の光景
(呈茶券の挿絵として使用)



  その「くろとの浜」は、ひろびろとした砂浜で遠くまで広がり、松が茂り、
 月が明るく照っていました。しかも、松の梢をわたる風の音に趣きがありました
 ので、13歳の文学少女はこの素晴らしい光景に感動し、再び、この素晴らしい
 月夜の浜辺を見ることができるだろうか、という浜辺への「想い」を歌に詠み
 ました。
        『まどろまじ、今宵ならでは、いつか見む、
                 くろとの浜の、秋の夜の月』
訳:  今日は眠たくても起きていよう。今宵をおいて、いつの日にか、くろとの浜の秋の夜の月を見ることができようか。

  チョット、復習  Q,更級日記の作者が、『・・今宵ならでは,いつか見
             む・・・』と感動した浜辺はどこでしょうか?
                  A1,くろとの浜  A2,九十九里浜

(正解はA1)



  実際には、この文学少女は、二度と「くろとの浜の秋の夜の月」を見ることは
 出来なかったようです。


「見浜園」と彫られている石碑
(日本庭園の入り口付近にある。)

  日本庭園の『見浜園』という名称は、この「くろとの浜」を『今宵をおいて、
 いつの日か、この秋の月夜の趣のある光景を、見ることが出来ようか。』と詠んだ
 文学少女の「想い」から、名付けられたものです。

  チョット、復習 Q,『見浜園』名称の由来となった日記は何日記でしょうか?
                 A1,更級日記   A2,からたち日記
                 A3,飛行機二機

(正解はA1)


《ある会員のひとりごと》
  • いまから、約980年前、松が茂り、月が明るく照らしている「くろとの浜」に立ち、感動している13歳の文学少女の『想い』にひたりながら、一服のお茶を味わいました。
  • 文学少女が「くろとの浜」に着いたのは、陰暦の9月17日ということですから、今年(2002年)は、10月22日にあたり、いまからひと月程前のことになりますが、『あなたの「くろとの浜」への『想い』を『見浜園』という名称に蘇らせましたよ。』と、文学少女(作者)に、私は心の中で伝えました。
《参考》
  • 実際には、平成2年に見浜園と名付けられましたので、文学少女の「想い」から約970年後に応えたという、お話でした。(また、美浜園ではありませんので、念のため)
  • また、茶室の松籟亭(しょうらいてい)という名称は、その時の「くろとの浜」の光景から名付けられたものです。



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