郡山にある碁会所は1ケ所だけであった。ところが実際にそこへ行ってみと、強い人
はたまにしか来ておらず、それよりも何よりも喫煙自由なので、煙草の嫌いな私は煙
でいぶされるのにすっかり閉口して、やがて行くのをやめてしまった。ほかに郡山の
強い人たちが定期的に集まって碁を打っている会があり、そこにも何回か通ったので
あるが、私の家から自転車で 30分位かかるところであり、クルマの運転が出来ない私
は、暗くなった場合交通事故に逢うおそれ多分にありと考えて、そこへ行くことも断
念してしまった。
そこで、これはもう通信対局しかないと思い、パソコン、プリンタ、ターミナルアダ
プタを買い、電話をISDNにして、サンサンに入会したのである。パソコンは給料
取りの時代に操作だけは手がけていたし、又いわき市平に私の勤務していた会社の営
業所があって、土地勘もあったものだからサンサンの事務所へも伺って話を聞いてサ
ンサンに入会することを決め、360点からスタートしたのである。1999年1月のことで
あった。
こうしてスタートした碁の再勉強であるが、時が流れるにつれて、当初の期待は次第
に裏切られ、こんな筈ではなかったが、と思うと同時に新たなことも感じてきた。
それは次のようなことであった。
大竹の序盤について
本を読めば成程そうかと思う。しかし、それが実戦で活かされているかというと、ま
ず、そうとは思えない。つまり、本に書いてあるような垢抜けした手は打てず、相変
わらず芋か牛蒡を掘っているような碁しか打てないのである。どうも本のとおりに運
ばない。
山部の中盤について
これも説明を読めば成程と思う。併し、問題形式になっているここでどう打つか、と
いういくつかの問いかけに対しては、常にといっていい程、正解が出ない。挙句の果
て、面倒になって本を放り出し、何ヶ月か経ってから又思い直して最初から読み出す
という繰り返しであった。この本は3年経っても(イヤ、購入してから約20年経った
今でも)1/4位しか読んでいない。結局こんな事をやっていても棋力の向上にはつなが
らないと思った。
そこで、思い出したのが、プロの打ち碁を毎日早く並べるということである。思い出
したというのは、村上文祥さんは学生の頃毎日1局15分〜20分のスピードで棋譜を最
後まで並べる事を日課とし、たとえベロベロに酔っ払っていてもこれを怠らなかった
、という話である。
これを真似しようというわけだ。
幸いに私の手元に1994年と1998の囲碁年鑑がある。囲碁年鑑にはプロ棋士の打ち碁
が総譜で沢山載っているので、これを並べるのだ。
ところが、実際にこれをやってみると、村上さんは総譜を並べたのか何分割かした譜
を並べたのか分からないが、100手位で終わっている棋譜なら兎も角、200手とか250
手もある総譜だったら、1時間経っても並べられやしない。第一、着手点を探すのが
精一杯になり、棋譜の内容を吟味するとか、味わうなんていう余裕は全然出来っこな
い。「鵜の真似をする烏」とはこの事かと思い知ったのであった。でもまるっきり無
駄だったわけではない。総譜を並べるのがたいへんな事だという事が分かったので、
サンサンの碁盤へ入力し、自分で適当に名前をつけた布石の型別にフォルダーに分類
して保存しておくことにした。
布石の型なんていっても大それたものではなく、始めの数手の打ち方でによって、自
分で適当に名前を付けた型に分類してしまうのである。これは何時でも再生出来るの
で、あの型を打って布石で失敗したが、プロはどんなふうに打っていたのかな、なん
て参考とするのには役に立った。