次に手筋と詰碁
勉強にかかる前の期待では、始め×印であっても×が2〜3回続けば、その次には
○印に
変わるものと思っていた。ところが、実際にやってみると×印の問題が○印に変わる
ことは少なく、×印が五つも六つも続くハメになってしまった。これは何故なのだろ
う。
そして実戦
最も大切な実戦はどうか、その綜合評価とも言うべきサンサンの点数は360点でスタ
ートしたが、3年(サンサンでの実戦は出遅れたので2年7ヶ月)を期限とした2001
年7月になっても、やはり360点前後をうろついていた。(因みに最高点は375点、最
低点は350点であった。
サンサンに於ける、この25点差の意味は何なのかとも思うが)つまり、3年間相当の
意気込みを持って、受験勉強よろしく碁の勉強をしたものの、各分野での向上も見ら
れず、実戦でも棋力が上昇したとは認められなかった、という客観的事実を突きつけ
られたことになったのだ。
こうなっては、上達の夢は果てたと判断せざるを得ず、私にとって碁は「下手の横好
き」以外の何物でもないのだ、ということを認めざるを得ないではないか。
上達出来なかったその原因はなんだろう。頭脳が老化して記憶能力、思考能力が減
退したということなのか、私の碁が、私の才能の上限まで達してしまったということ
なのか、多分この両方であろうと思う。ほかにまだ原因があるかもしれないが、それ
はもうどうでもいい事だ。
碁は記憶ではないという。しかし、丸暗記するだけで、応用が全然利かないとという
のであれば、それは有害無益であるが、記憶力が優れている方が有利なのは確かであ
る。記憶能力、思考能力は、碁が強くなる、或いは強くあるための十分条件ではない
けれど、必要条件ではある
と思う。だから脳の力が衰えれば、棋力も下がる筈なのだ。プロの第一人者でも、年
を取ると何故勝てなくなって来るのか。体力の衰えもさることながら、やはり頭脳の
老化がひびくのだろう。以前は年をとっても、棋力はそんなに衰えるものではないと
思っていたけれど、最近では私の偏見と独断かもしれないけれど「年をとると棋力は
落ちる」と公言することにしている。
それはとも角、私は夢果つるところへ来てしまった。そこは夢の亡霊が駆け巡る枯
野であった。しかも、そこにはあの勉強の残骸が転がっている・・・。
待てよ。残骸か。私はふと思った。夢とは別にあの残骸を活かし改良して別の世界に
遊ぶことは出来ないか。勝敗や上達の願いを超えて、囲碁の面白みだけを抽出した別
の世界へ。引かれ者の小うたと言わば言え。私は今、その世界を探し始めている。
2003年 2月