良王霊(りょうおうのみたま)
 宗良(むねなが/むねよし)親王は後醍醐天皇の第5(注:諸説あり)皇子で、大河原城(大鹿村大河原)を本拠にして、諏訪氏や越後の新田氏と共に、北朝(足利氏)に対抗した。信濃宮とも呼ばれる。南朝(吉野朝)の歌聖とされ『新葉和歌集』『梨歌集』の撰者として知られる。

 尹良(ゆきよし)親王は宗良親王の第2の御子として大河原で誕生、母は知久氏の女ともいう(注:諸説あり)。元中2年に新田義隆らと鎌倉討伐を謀ったが、露呈したため三河へ赴こうとした。その途中並合(浪合)で駒場小次郎、飯田太郎らに攻め立てられ32才で自害した。遺骨を浪合聖光寺近くの丘山に葬り、大龍寺の宮と称し奉った。戦死した将士を埋めた所を千人塚という。また、一祠を祭祀して現在の浪合神社となった。

 良王は尹良親王の御子で元中2年当時12才であった。尹良親王が三河に赴く寸前に急いで元服させ尹重王と改め、下野落合城に遷し奉った。伍和村寺尾伊賀良社に祭祀している。

 (『伊那の御祭神(小笠原 賢太郎 著)』より抜粋)

 → 軍記で読む南北朝・室町 芝蘭堂 (浪合記、鎌倉大草子 現代語訳)

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