日鷲命(ひわしのみこと)
 此の神は阿波の忌部氏の祖神で、新選姓氏録に神魂命(?)五世の孫とも七世の孫とも記し、古史伝には天手力雄命の御子ともいう。天日鷲翔矢(かけるや)命とも申し奉る。

 御名義、天は美称、日は奇霊のヒで、鷲は禽鳥中最も猛き鳥にして、その羽は古来矢をつくるのに用いられる。此の神思うに、弓矢を作り始めたからか、或いは亦、御行為猛かりしよし負わせ給える御名ならん。平田篤胤は、神武天皇東征の時、弓の弭(はず)に留まりし金色の霊鵄(れいし)は、此の神の化(な)りし鳥ならんという。

 又、古語拾遺に「天日鷲命をして津咋見神(つくひみのかみ/大麻比古命)を以て穀木(かぢのき)を植えしめ、以て白和幣(にぎて)を作らしむ」とあり。天照大神が天石窟に隠れ坐しし時、日鷲命は其の子津咋見神と共に穀木綿(かぢゆふ)を植え白和幣を作り神功を著し給えるより麻植(おえ)神ともいう。
 此の神の子孫は代々麻植の神功があったから、神武天皇の御代、天富命は此の神裔を率いて肥饒(よきところ)の地を求めて阿波の国に至り(東国に移りでは?)、殻麻(からむし)の種を植え、その後子孫この地に繁栄し、大嘗祭に木綿(ゆふ)麻布及び種々の物を貢(たてまつ)り、以て世職となすに至る。阿波忌部氏の居る所を安房の国と名付けた。此の地、今に至る麻の産地として、又結城紬など産するは偶然でない事がわかる。徳島市国幣中社忌部神社は此の神を祀る。

 (『伊那の御祭神(小笠原 賢太郎 著)』より抜粋)

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 古語拾遺によると、日鷲命は天太玉命(忌部氏の祖神)に仕える四神(いずれも各地の忌部氏の祖神)の一柱である。天富命は太玉命の孫に当たり、日鷲命の一族を率いて千葉・茨城・栃木方面へ移り定住したという。
 → 太玉命と天日鷲命( さんまのメモ書き )