万葉集の巻第二十にある防人の歌の中で、主帳埴科郡神人部子忍男が詠んだ、

   ちはやふる神のみ坂にぬさまつり斎ふいのちは母父がため

という歌は、当地の神坂峠を越えるにあたって、父母をしのび、自らをはげまし、峠神への祈りをこめた古代における通行祭祀の儀礼をうかがう歌として、南信地方の古代史を語り、東山道を語るときにはよく引用されています。

 ところがその場合、ほとんどが「ちはやぶる」と四音目を濁音で書きあらわし、発音しています。下伊那史四巻をはじめとして、当地はもちろん中央の出版物がことごとく「ちはやぶる」です。かくいう筆者もつい先頃までそれにならっていました。
 ところが、園原の神坂神社にある歌碑の万葉仮名の表記を見ているうち、ふと不審を感じ、小学館の「日本古典文学全集」を開いてみますと、

  ちはやふる:ちはやぶるに同じ。原文には「知波夜布留」とあり、
          ここはフが清音であったと思われる。(下略)

とあって、この歌の場合は「ちはやふる」と読むのが正しいとしています。
 「ちはやふる」又は「ちはやぶる」は神にかかる枕言葉であって、いわゆる神通力のようなものを予感させる語感をもつものの、特に深い意味はないようです。峠の神は横暴な国つ神であり、荒ぶる神であったという。これを表現するには「ちやはふる」よりも「ちはやぶる」の方がふさわしいのと、一般的に「ちはやぶる」の方が多く用いられたので、誰も疑念をはさむことなく「ちはやぶる」に定着してしまったと思われます。

 ではこの枕言葉の清濁を万葉集原文はどのように表記しているでしょうか。全巻にわたって調べるとよいのですが、小学館の日本古典文学全集の「万葉集3・4」すなわち巻第十から巻第二十までについて目を通してみました。

清音に読むもの
   4402知波夜布留
濁音に読むもの
   2660千石破   2663千葉破   3811千磐破
清濁いずれにも読めるもの
   2416千早振   3236血速旧   4011知波夜夫流   4465知波夜夫流

*上記のうち、濁音に読む「千石破」は、「石」を「イハ(ワ)」と読み、「チイハヤブル」となるのが「イ」は「チ」の母音と続くので抄略されて「チハヤブル」となる。「磐」も同じ。それにしても「破│ヤブル」の表記「血速旧」の表記には驚嘆する。

 上のように分類してみたものの、これには私見が入っているので、少し違うのかもしれません。小学館本では右のうち、清濁いずれにも読めるものをすべて「ちはやぶる」と濁って読んでいますので、万葉集後半の十一巻のうち清音で歌ってあるのは前にあげた防人の歌一首だけということになるのかもしれません。

 たかが「清むと濁るの違いではないか」と笑う人もありましょうが、郷土にとってかかわりの深い古歌ですから、手の及ぶかぎり詳しく知りたいと思います。信濃国の防人の歌は、十二首中三首が選ばれて掲載されただけで、他国にくらべて入選率が低い。これには引率者である防人部領使が途中で病気になり落伍してしまっことにも原因があると思われます。

 「4403大君のみことかしこみ」の歌には
   大王の命かしこみ青雲(あをくむ)のとの(たな)びく山を越よ(え)て来ぬかむ(も)
と土地のなまりも露骨です。
 「知波夜布留」と特殊な表現をしたことにはそうした地方的な不熟な表現とも考えられますが、それがこの歌の特色ならばなおのこと「ちはやふる」と読んでほしいと思うものです。
2 「ちはやふる」と読んでほしい