郷土の観音様を巡拝しませんか。
近年、四国八+八ヶ所等の霊場を訪れる人が増えているとのことです。観音霊場としては、まずは西国三十三ヶ所ですが、各地方にも観音霊場、札所と云われている処が有ります。
わが富山県にも古くから観音札所が創設されています。江戸中期の人、宮永正運はその著「越の下草」で越中一国観音札所を巡礼し和歌を詠んだことを記しています。しかし、富山県は浄土真宗の寺院が仏教系寺院の70%を占め真宗王国と云われる土地柄のためか、越中一国観音札所を知らない人が多く、私もその1人でした。
このようなことから、当ページは、当初、越中一国札所の観音霊場を知ってもらおうと作成したものです。
しかし、その後、一国札所以外の観音様も巡礼して観音霊場として紹介することにしました。この追加霊場の選定には特別の根拠は有りません。現時点で知り得た処と考えて下さい。
私は、僧侶でも、郷土史家でも有りません。間違いも多いでしょうから、ぜひ皆さんのご指摘を受け改訂を重ね、このページが皆さんの巡拝等の参考になるようになればと願っています。
天正年間(16世紀末頃)、加賀初代藩主前田利家の兄である前田安勝公は、観世音菩薩に対する信仰が厚い方で、富山の城を守っておられた頃、弥勒山安居寺によく詣でられました。そんな或時、寺主宗祐法印に當国の霊場を数え上げ35ヶ所の札所を選び、道俗行者を巡礼させ法縁を結ぶ種になるよう示されたと伝えられています。
宮永正運(1732〜1803)著「越の下草」より
一国札所資料として上記の「越の下草」他、数十年前の同時期に作成されたものと思われる「越中一国 三十三ヶ所観音霊場 寺院名簿」(これを以下の説明上「資料A」とします)
及び「一国三十三霊場御詠歌」(「資料B」とします)があります。
この「資料A」「資料B」の記載の寺院は、同一ですが、
「越の下草」とは以下のような若干の違いが見られます。
当ページでは、これらすべての寺院を取り上げました。
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