越中一国観音霊場 41

細野観音堂

聖観世音菩薩

細野熊野神社鞘堂画像
細野熊野神社鞘堂

ご詠歌 たのむぞよ こころほそのの つゆのみも
もらさじときく ほうのちかひを
縁起  延宝(1673〜1681)の頃、細野村の住人、菊池太右衛門の次男は剃髪して月潭上人と云った。学才を以て世に知られ摂州天王寺の別当職となり、晩年、寺務を退き太平寺に移った。故郷に一堂を建立する事を念願し、大阪の名匠に作らせた。堂の大きさは、7尺8尺くらいで人々はその美しさに驚嘆したと云う。
 ここに、太平寺の先住の何其上人は、武田勝頼の末子であるが、天正の役で、甲府落城の時、めのとに助けられ上方に逃れ僧侶となった。そして、祖父信玄公の守り佛である行基菩薩作の観音像も携え安置していたが、月潭上人の越中の國に一堂を建立するのを聞いて、それを本尊にと望まれた。
 月潭上人は感激して、この堂と一緒に霊像を伏木の浦まで舟に乗せ奉り、元禄3年(1690)細野に建立した。その後、堂の破壊することを愁えて覆堂を建て、また、氏神をこの御堂に移し、村の年毎の祭祀を御供するようになったと云う。
 現在、細野熊野神社鞘堂に納められている本殿がこの観音堂である。また、観音像は熊野神社宝物殿に保存されている。
 熊野神社はかってこの辺りにあった真言諸院の惣社でないかとも推定されている。教育委員会調査は本殿を1624年以前の建造とし、また鞘堂を天保10年(1839)の建立としている。祭神は、天照皇大神、事解男命。  
社宝 聖観世音菩薩立像、十一面観世音菩薩座像、阿弥陀如来立像、薬師如来座像、二祖対面図、弁財天図、高麗犬、大黒天。
場所南砺市細野
交通
鉄道
JR城端線城端駅徒歩40分(約3.3km)
東海北陸道福光ICから10分
資料越の下草、細野と神社について(細野区発行)、
城端町教育委員会掲示板

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