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40年をふりかえる(9)

公営住宅に駐車場

 1981(昭和56)年の補欠選挙で2期目の返り咲きを果たした私は、翌年6月議会の役員改選で建設常任委員長に選ばれました。
 共産党の議員を常任委員長に据えるかどうかで色々なやり取りがあったことを、後日二人の先輩議員から聞きました。「一部の議員が反対したが、委員長は2期目の議員から選ぶのが慣例だと主張したんだ」と、二人の議員が別々に私に打ち明けてくれました。二人は反対した議員との距離は違いますが、共に差別に反対したことを誇っているようでした。おかげさまで、この委員長の任期中は色々な仕事をさせてもらいました。その一つが公営住宅の駐車場問題です。

「貢川団地を見ろ」
 現在は公営住宅の建設はストップしていますが、当時は市が公営住宅建設に力を入れ始めた時期でした。その中で入居者から駐車場が欲しいという声が上がりました。
 この問題を取り上げると、それまではきまって「公営住宅に入居出来る所得で車は持てない」という答えが返ってきたものでした。
 そういうなかで私の質問に正面から答えたのがI課長でした。ある日、常任委員会に対して「甲府市の団地を視察してください」といい、現地に連れて行きました。建物のまわりには車が乱雑に駐車していました。
 課長の説明は「県に『市営住宅に駐車場を作りたい』というと『都留の課長は何を言っているのか。貢川団地を見たらいい』と言うので貢川団地を見ました。ご覧のようなありさまです。これは県が『駐車場を整備しなければこういう状態になる』ということを言いたかったのではないでしょうか」というものでした。かなり都合のいい解釈ですが、建設直後の形状変更には県の許可が必要で、つじつま合わせだったのでしょう。しかし、議会としては異議なしです。

生垣撤去にビックリ
 そして直後から駐車場を作りはじめたのです。対象は蒼竜峡団地でした。
 蒼竜峡団地は都留市に出来た初めての本格的な団地で、76年度末までに72号棟(72の1〜3号棟は、すでに廃止)から76号棟まで7棟の市営住宅と2棟の県営住宅、同じく2棟の雇用促進住宅、それに1棟の教員住宅が完成したばかりでした。
 どうするかと見ていると、住宅のまわりの生垣を全部撤去したのです。ずいぶん度胸のよいやり方で、私もビックリしました。そしてその翌年以降に建設された公営住宅には当たり前のように駐車場が完備されるようになりました。雇用促進住宅にも土地を探し駐車場用地を斡旋しました。


ごあいさつ
 この「週に一度の手紙」は、パソコンで作り始めた670号にさかのぼって10年ほど前からホームページに転載してきました。テーマによっては思わぬ形でヒットするという声も寄せられました。しかし、議員の任務から離れましたのでホームページへの転載は今週号を最後にさせていただきます。
 長い間、ご愛顧ありがとうございました。