銀カメ文学と写真>コンサ−ト1

 

 

 

コンサ−ト(5−1)

 

妻と一緒になったのは僕が25歳の時である。一緒になったといっても同棲から始まった僕たちの関係は、結婚したからといっても特に変わることはなかった。

変わったのは世間の見る眼であり、二人の実家からの援助が受けられるようになったことである。妻の実家は新潟の農家だったので、米だけはいつも困らないように定期的に送ってもらった。

 妻は音楽大学を出ていたので、クラシック音楽に造詣が深く、クラシックのLPレコ−ドもたくさん持っていた。専攻はチェロだったというが、僕の前で演奏することはなく、チェロの重そうなケ−スは埃をかぶったままだった。もっとも、狭いアパ−ト暮らしである。そういう環境にないことは二人の暗黙の了解となっていたのかもしれない。

 郊外とはいえ何とか一戸建てを長期ロ−ンで手に入れたとき、妻は一度だけ僕に演奏を聞かせてくれたことがある。いや、正確には僕ではない。妻のおなかの中にいた僕たちの子供に聞かせたのだろう。妻は胎教という言葉をしきりに使っていたからである。そのおなかの中の子供は原因不明ではあるが流産してしまった。妻はその夜、モ−ツアルトのクラリネット協奏曲を何度も何度も聴いていた。それ以来僕たちは2度と子宝に恵まれることはなかった

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