4.音楽作品




1, はじめに

 さて、この項においては、私の稚拙なる作品の一分を紹介してみたいと思うのではあるけれども、しかしながらその実行に関しては(あなたがそれを望む限りにおいてではあるが)、今しばらくの猶予を私に与えて下さらん事を願うばかりである。

 私はこれまでに(途中に休止期間があったものの)ある程度の数の作品を創作しては来たけれども、私自身の音楽へ向けての眼差しというものの劇的な変更に伴い、それらの作品全てを自らの決断によって破棄した。この時点で私は、自らの音楽的資産のほとんど全てを失ってしまった事になるのであるが、それは新たなる音楽の地平へと赴くためにはどうしても避ける事の出来ぬ決断であった。それは実のところ、私にとって非常に勇気のいる事であって、実際、躊躇せざるを得ない心情が、そうせざる事を懇願するかのように、私自身の内に幾度ともなくも現れてきては私を悩ませたものであった。それらの作品は、その都度における私なりの精一杯の思いで取り組んできたものばかりである。それらには私の思いがある。私の出来事がある。私の願いがある。その事は今となってもいささかも変わらぬ事実である。しかしながら、それはそれとして私自身の歴史の善き一部として留めておこうではないか。ひとたび破棄したものを再び蒸し返す事に何の価値があろうか?私が向けるべき視線とは、私自身の前方に向けられるべきであろう。

 以上のような事情から現時点においては、あなたに聴いていただけるような作品はひとつも無いのだと言わざるを得ない。現在いくつかの作品に向けての見通しを立てているところである。その内のいくつかの課題はすでに着手出来る段階にある。とにかくもそれは、今までとはまるで違った創作作業における煩雑さ(それは充分に予想できるのだ)において、私はそれと苦闘を強いられる事になるであろう。しかしながらそれは、私が私自身に課した、自らが望むところの課題である。そうである以上、それは必ずや達成されなければならない。ましてそう在らざるならば、私自身が音楽家のはしくれである事を自ら放棄する事に等しいであろう。

 果たしてどのような作品が仕上がるであろうか?それは今の時点では何ともいえない(この事は今後の作品全てにいえるであろう)。また、どのような形でもって公開されるべきであるのかという事もはっきりとした事は言えない。しかし今、明確に示せるのは、この新しい取り組みに対して私自身、それなりの意欲を持ち合わせているという事である。

 私の音楽上の経過については”音楽の近況”のページにて随時、報告するつもりではあるが、しかしながら創作に没頭するあまり、ついその事が滞りがちになるような事は充分に考えられる(他の項目についても同様であろう)。音楽とは極度の集中力と忍耐力とを要求するものである。そのようにあった場合は、その空白の”間合い”の内に私の創作作業の実態を読み取っていただけたら幸いである。

2002,12,22



作品1 (まだダメ・・・)




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