陽の恵み、月の癒し<プロローグ>

父と一緒に見上げたエンシャントの門は、壮麗だった。
「…すごい!俺、こんなの初めてみた!12年前の大戦のときも、この門は壊れなかったって本当なのかな?」
「本当だ。…あの時は、この門のおかげで魔物が溢れなかったのかもしれないな」
息子の疑問に丁寧に答えてくれる父親が、リオンは大好きだった。およそ、彼の知らないことはないのではないかと思うほど、父親は博識だった。だからといって頭でっかちではない。冒険者としても凄腕の部類に入るのだろう。あまり表だった仕事をしていないので、称号を貰ったりはしていないが。村の大人たちは、みんな父親を尊敬していた。自警団がそこそこの実力をもつようになるまで、北の果ての寒村をモンスター達から守っていたのは、リオンの父だったのだから。いつもは片手剣一本だけだが、本当はもっと凄いし魔法にも長けている。望めば高名な冒険者の称号を欲しいままにできる父が、長期に渡る寒村の護衛を引き受けたのは、母親と自分のためだった。
南の王国からのかけおち夫婦だと、リオンの両親は呼ばれていた。二人とも苦笑しながら否定はしなかったから、当たらずしも遠からずなのだろう。貴族の若さまがメイドと恋におちて出奔したに違いない、と村のおばさんたちは主張してゆずらなかった。本当のことを知りたい、とはリオンは思わなかった。昔がどうあれ、今の父親は自慢できる冒険者で、母も自分も幸せだったから。
自分を生んだとき、母はひどく体調を崩したらしい。数年間の寝たきり生活を余儀なくされ、その間の自分の面倒をみてくれたのは不器用な父親と、見かねた気の良い村のおばさんたちだった。養生の甲斐あって、ここ数年、母は健康をとりもどし日常生活を送るのも不自由はなくなっていた。それを待っていたのだろうか。父は再び、旅にでたいと口にした。
一年前、両親とリオンは寒村を後にした。村人たちは引き留めてくれたけれど、両親の考えは変わらなかった。リオンも幼なじみたちと別れるのは寂しかったが、それよりも家族で冒険に旅立てるというのが、たまらなく魅力的だった。冒険の旅にでて驚いたのは、母が相当な実力の魔道士だったことだった。少女めいた美しい母は、家庭的で父や自分に守られる存在だと思っていたのだけれど…大間違いだった。そして母が昔、冒険者だったということも教えてもらった。昔は剣も振るっていたが、リオンを生んでからは握ってないのだと言って笑った。母の話を聞きながら、リオンは村のおばさんのうわさ話を訂正したくなった。貴族の若さまが恋におちたのは、冒険者だったんだと。
両親の実力があれば、かなり難度の高い仕事もうけれるはずなのに。二人が受けるのは中程度の簡単なものばかりだった。それは何だか、名を知られるのを恐れているようにも見えた。
かけおちが、いまだに尾を引いてるのかなあ?とリオンは首を傾げることしかできない。もう少し、自分が大人になったら、詳しい話を教えてもらおうと思いながら。
ギルドに父親が向かったのを見送り、母親とリオンは港へと向かった。エンシャントからリベルダムまで船に乗っていくのだという。初めての船旅に、リオンはどきどきしていた。
初めて目にする港は、塩の香りと騒々しさと活気に溢れていて、リオンはしばらく立ちつくしてしまった。フードをかぶった母親が小さく笑うと、手をつないでくれる。もう子供じゃないと言いたかったけれど、港の迫力に押されてしまった。柔らかな母親の手が、嬉しかった。リオンが下からみあげると、フードの下の顔が微笑む。母親が外套のフードをきっちりかぶっているのは、面倒を避けるためだと最近気づいた。生まれたときから美麗な父親と母親をみてきたリオンだったが、綺麗なものはやっぱり綺麗なのだと思う。正直、母以上に綺麗な人は見たことがなかった。繊細な少女めいた容貌と、滝のように流れ落ち輝く銀の髪。瞳は春の空を切り取った、天上の青。妖艶な色気とは無縁な、聖女のように清廉な美しさだった。とても10才になる息子がいるとは思えない。だが、外の世界では美しいということは災いをも引き起こすのだと知った。旅を始めてから、言い寄られたこと、絡まれたこと、果てはさらわれそうになったこともあった。その全てを母は、自分の実力で何とかしてしまったけれど。父もリオンも、心配の種はつきない。だから、外出のとき母親はフードを深くかぶって顔を見せないように心がけていた。
船の手配をすませると、母親はリオン港の側のライラネート神殿へつれていってくれた。美しく大きな神殿にリオンが目を輝かせたとき。港から強い風が吹き付けてきた。突然の突風に、リオンは目を閉じる。だが砂埃が目にはいってしまった。こすろうとすれば、母親に止められた。
「こすっちゃだめ。ゆっくり瞬きをして……そう、涙をいっぱいだすの」
しゃがんで、自分と同じ目線で話してくれる母の姿が涙でぼやける。ひととおりの痛みが過ぎ去ったとき、目の前の母のフードが風にあおられて外れているのがわかった。
「母さん──」
フードが外れてるよ、と続けようとしたが、別の声に遮られた。
「────セアラ…っ!」
男の声だった。もちろん、父親の声ではない。瞬間、ビクリとした母は目をとじ、やがて諦めたように立ち上がっていた。しっかりとリオンの手をにぎって。そして、名前を呼んだ男を認めて頭をさげる。
「お久しぶりです…ベルゼーヴァさん」
そこには、帝国高官らしい男が立っていた。背後には警護らしい武官が数人ひかえていた。
「やはり、君か。10年あまりも雲隠れして、何をしていた?しかもエンシャントにきて、私に挨拶もなしか」
続けざまに、高圧的な言い方をされて、母親は困ったように微笑む。リオンはむっとして、目の前の高官──ベルゼーヴァを見上げた。非難の視線を感じたのだろうか。ベルゼーヴァはリオンを見下ろし怪訝な顔をした。
「その子供は?」
「私の息子です」
どこか誇らしそうに母が答える。リオンは胸をはって、臆することなく名乗っていた。
「初めまして、リオンです!」
ベルゼーヴァは、惚けたようにリオンを凝視していた。それから母をみる。二三度それをくり返し、自分を落ち着かせるためか深呼吸をしたりする。リオンは首をかしげ、母親は穏やかに微笑みながらそれを見守っていた。
「…む、息子か。そうか。いつのまに…その、結婚したのかな?そうだ、結婚相手はいったい…?」
リオンはベルゼーヴァと呼ばれた男がなぜ狼狽えているのか、さっぱりわからなかった。それよりも視界の隅に、見知った長身の姿を認めて顔を輝かせる。
「父さん!」
父親は、自分と母をめざして足早に近づいてくる。きっちりと背中で纏められた長く淡い金髪が、風にひるがえっていた。同じようにひるがえる外套の下から垣間みえるのは、左右につるされた双剣の鞘。それらを認めると、ベルゼーヴァは苦虫を五万匹ほど噛み潰したような、恐ろしく苦い表情を浮かべていた。
「俺の妻と息子に、何か用かな?宰相殿」
すいっと自然な動作で、父親は妻子とベルゼーヴァの間に割ってはいる。ベルゼーヴァの視線から二人を隠すように。冴え冴えとした面には、どこか険しい表情が浮かんでいた。
「もちろん、用があるから呼び止めたに決まっている。貴殿にも、訊ねたいことは山ほどあるぞ、レムオン・リューガ…!」
何故かにらみ合いをはじめた父親と見知らぬ政府高官を、リオンは不思議そうに見上げるのだった。

[NEXT]



※えーっと。いきなり夫婦になってます。すんません。とりあえず、この話はプロローグでして。これから過去に遡って、二人の出逢いからリューガの変とかいろいろ書く予定です。リオン君誕生秘話とか。なんでか、この二人のネタばっかり思いつくので。読み切り長編っぽく纏めてしまおうと思ったしだいです。そんでもってこのラブラブ夫婦と息子はエピローグまで再登場しなかったりして(笑)あとレムオンは外見にほとんど変化がなく、セアラは20台前半な外見です。閣下は…そんなに変わってないか。超人類だし!