Inside Farming Vol.58 (Japanese) 「農業」と「お勤め」、その違いについて すっかり「お勤め」が板についてきた園主。会社に友人もでき、仕事にも興味を持って励む毎日を過ごしている。「農業」もいいが「お勤め」も満更ではない、と思う今日この頃である。 この辺で、ちょと「農業」と「お勤め」との差について感じた事を書いてみよう。 まず、日々の天気を殆ど気にすることがなくなった事が大きい。農業に従事していると毎日の天気や長期的な予報、台風の進路や大きさ、気温、風の強さ、などがいつでも気になっている。天気によって仕事の段取り、防除の時期、生産物の作柄が大きく影響を受けるからだ。しかし、最近の私は今日が「何曜日」かは気になるが、天気については「雨が降れば通勤が憂鬱だなー」と感じる程度になっている。仕事中に降り出した雨に気づかない事も多い。 農業の現場にいる時は、ここ数年の温暖化にかなりの危機感を持って考えていた。しかし今年の秋の高温(だったらしい)はほとんど気にも止めなかった。台風についても(本州に上陸したものが無かったせいかもしれないが)一度も天気図で位置を確認した記憶もない。農業から離れてわずか5ヶ月でこれである。 そう考えると、ここ数年、河合果樹園のホームページでは温暖化や異常気象を何度も取り上げてきたのだが、農業や気候で売上や仕事が左右されるような職場に勤務する人以外は「取り上げてもあまり興味のない話題」「いくら指摘しても実感が伴わない話題」だったのかな? 一方で、天気の事を殆ど気にしないという事は、天災の恐怖を全く感じないといった良い面もある。台風の来た3年前以降、ほとんどトラウマ的に、収穫時期に強風が吹くとハラハラして寝付けない夜もあった。しかし、天気が気にならないのだから、そんな心配は一つもない。家族も「それが一番うれしい」と言っている。やっぱり農業は自然に左右されているのだなあ!と痛感する。 次に、他人に雇用されているのだから(その雇用システムが労働時間をベースに賃金を決定しているのだから)当然なのだが「時間を拘束される」という事が農業など自営業とは大きな違いである。 私のようにフルタイムで働いていなくても、時間に対する拘束感は農業とは比較にならないほど重い。まだまだ重要な仕事はしていないので、他の人への迷惑をそれほど気にする必要もないといえばないのだが、欠勤や遅刻などは特別な事情がなければ避けたいと思う。「昨日飲みすぎたから寝坊」なんて言語道断だ。仕事を始めた当初は、毎日定時に起きれるのか?とか、カゼを引いて何日も続けて休むような事があったらどうしよう?とか、就職前の学生が心配するような事を心配していた。 そういう時間に対するシビアさが少ない面では、農業はなかなかいい(InsideFarming4参照)なあ。 「時間が拘束される」ということはつまり、「拘束されている時間(仕事時間)の優先順位が高い」という事に他ならない。そのため一日の計画を立てるとすれば、まず24時間から勤務時間を引いて、次に勉強時間を引いて、さらに家族サービスの時間を引いて・・とやっていくと自分の時間というものは殆ど無いに等しくなってしまう。 時間を有効に使うパターンをまだ確立せずにいるせいか、最近は「友人との付き合い」も少し減ったかもしれない(そのかわり会社に人間関係はできた)。さらに「地域社会への貢献」はどうか?となると「考える時間さえない」というお寒い状態になっている。 実際、時間の自由が効かなくなった事で、少し困った事があった。農業や自営業をしていると地域(市町村、地区)などの委員会や役員を委嘱される事が多々ある。私も微力ではあるが、少しは地域社会に貢献しようと考えている人間のひとりなので、いくつかの委員になっている。しかし、そういった公の会議、研修の多くは平日の昼間行われていて、拘束時間に係る会議には出席できなくなってしまったのだ。その結果、関係各所には多くの迷惑をかけている(同時に、勤めている人が委員会の会議に出席できない=勤めている人は委員に委嘱しずらい=勤めている人が公的な場で意見を言う機会が少ない、という問題が明らかになった)。こうやって地域社会というものから疎遠になっていくのかな?とも思う。 まあ、つまりは「農業」も「お勤め」もそれぞれに「良い部分」と「そうでない部分」と両方あるという事だ。だから、仕事に充実感(+もちろん相応の収入)さえあれば、それでOKなのだ。 Go to Inside farming index page kawai@wmail.plala.or.jp 写真、本文とも Copyright(C) 河合果樹園 |