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Inside Farming Vol.186


「家業」からの開放  〜さよなら河合果樹園 その1〜


 「家業」とは自分よりも前の世代によって起業され、未来の世代にも継続されることを期待されている同族経営の事業である。このため、農家でも、商店でも、工務店でも、町工場でも、同族企業でも、旅館でも、医者でも、伝統芸能でも、「跡継ぎ」といわれる者は家業を存続させていかなければならないという使命を感じている。それは束縛として感じられることもある。
 
 我が家の「家業」は農業だから、小学生の頃には将来は農家になると思っていた(親へのリスペクトです)。しかし、思春期になると、とにかく家から物理的に離れたところで独立した生活を送ることを望むようになっていた。それは親への反抗などではなく、自分の人生が家業の農業や農地に縛られてしまうことに対する潜在的な危機感からであったと思う。農業は土地に根付いた産業だから「少しだけ野心的な人生を送りたい」と思っていた私の当時の危機感は相当なものであった。

 ここで、「跡継ぎ」にはモラトリアムが与えられている。すなわち、親世代が「家業」を切り盛りしている間がモラトリアムであり、その間は「家業」を心配をする必要がない。

 モラトリアムの間に親世代が家業を発展させれば、「跡継ぎ」として家業を継ぐことに積極的な意義を見出すことができる。一方、モラトリアムの間に家業の収益が低落すれば、親世代の決断によって「家業」が廃業される場合もある。この場合、「自分の代だけでいい」という親の言葉によって次の世代は解放される。
 思うに、世代が移り変わるときに「家業」が廃業される場合が最も言い訳が立つ(親族に対する言い訳。世間に対する言い訳である)。また、家業の収益が低落傾向にある場合には「家業」を次の世代に託す前に廃業した方が負債額が大きくならずに済むと思われる。このご時勢では、卓越したアイディアとアグレッシブな人材を抱えていなければ、低落傾向の「家業」に歯止めをかけるとともに、それを逆転するだけの経営を行うことは難しい。

林檎の木を抜く前の状態
(3月)
 しかし、モラトリアムの終焉は予測できない。親世代が突然に健在でなくなることがあるからである。このような場合には「家業」を継ぐか否かの結論が出る前に、外的な要因によって「家業を継がされる」ことになる。
 農業であれば、「家業」を継がなければ農地が荒廃し、地域社会に迷惑をかえるという問題がある。あるいは、償却しきっていない施設や機械が存在していれば、少なくともこれを償却するために農業を継がなくては採算に合わないという金銭的な事情もある。農作物が果樹の場合には、急に転作できないので、人に貸すのが困難なこともある。意気揚々と記者生活をはじめたばかりの20代前半に訪れたモラトリアムの終焉。1988年末の私である。
 
 こうなると「家業」継いだ後でも悶々として自問自答を繰り返す。「自分は「家業」を継ぐべきだったのか、どうか」と。「今している「家業」は自分が本来するべき仕事なのか、どうか」と。「もっと違う人生があったのではないか」と。このような想いに囚われるのは、ネガティブであり、非生産的であり、悲愴である。このため、「家業」に本腰を入れて取り組めるようになるまでには、数年がかかった。それでも生活していけたのは、80年代後半はバブルの余韻が残る時代だったからだと思う。
 
林檎の木を抜いた後の状態
(5月)
 急に、どうして、こんなことを書くのかというと、この4月(2008年の4月)に、家屋に隣接している果樹園の林檎の木を土木業者に頼んで全て抜いてもらったからだ。つまり、自分の意志によって、「家業」の河合果樹園を廃業する時が迫ってきたのだ。

 果樹園の痕跡を見ていると、「家業」を継いだ時のネガティブで悲愴だった想いは、実は20年もの間、心の奥底で消えることなく灯されていた炎だったのか、と思う。「少しだけ野心的な人生を送りたい」と高校生の頃からの想いも、ずっと継続していたのか、と思う。これらの想いが資格を取得して新たな仕事を始める原動力になったのかな、とも思う。
 振り返れば「家業」は楽しい仕事であり、クリエイティブな仕事であり、一生の仕事とするに相応しいものであった。「家業」を受け入れることにより、精神的に満たされることも可能だったはずである。ただ、私と「家業」との「再会」が不幸な形態だったことが悔やまれる。

 それにしても、「家業」の束縛から精神的に開放されるまでに、なんと長い時間を要したことか。(2008/6/7)





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