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Story of the househusband Vol.4

子供とは運命に捧げた人質である

  「子供とは運命に捧げた人質である」 この言葉は私の学生時代の研究室の教授が教えてくれた言葉である(出典は哲学者のベーコン:アメリカか?)。この言葉を知った時は、私はまだ独身で、もちろん子供もいなかったから特別に感銘を受けた訳ではない。でも、なぜか心の隅の残っていた。それが、子供を育てている今、実感を伴う重い警句として心に強く響く。

 買い物の途中、デパートのプレイ・スペースで子供を遊ばせていると、他の子供(さも、意地悪そうに見えるから不思議だ!)が、私の子供を押し倒して、オモチャを略奪するという場面に出会う。助けてやりたい気持ちをグッと抑えて見ていると、私の子供は泣きそうになるのを堪えている。
 そうなんだ、それが人生の試練の始まり。人生は楽しい!でも、自分の意志通りにうまく行かない事もある。そして、それを乗り越えていかなきゃいけない。
 
 子供を持つ親なら誰でも、子供に降りかかる全ての苦難・災難や、受験や就職や結婚、経済的困難などで悲しい想いをする事を排除してあげたいと思うだろう。でも、出来ない。なぜなら、子供は生まれた時から、親とは独立した別の人生を歩きはじめているのだから。
 そうは解っていても、子供の悲しい顔を見たくないから、子供の人生の傍観者ではいられない。子供が歩んでいく人生の行く先に、いつ何時でも先回りして、ふかふかの絨毯を敷いてあげたくなる。(親が考える)安心で安全で幸せな人生を歩かせたくなる。

 自分のことを振り返えり考えれば、子供の人生に親が必要以上に干渉しようなんて、それは親のエゴだ。子供にとっては「うるさい」ことだ。
 ハイハイ、解りました(うなだれつつ、頷く)。結局、親が出来ることは、愛情を与え続けること、広範囲な学習や教育の機会を与えること、と、当事者よりも少しでも広い視野で物事を見て助言し判断の選択肢を増やしてやることくらいか。まあ、それらの全てが言うほど簡単な事ではないが・・・・・痛感!(と、いうか、その前に自分の人生をしっかりしろよ!というのが自己突っ込み)。
 
 ただ、子供の生存に係るような困難や危険性だけは、運命として受け入れるには辛すぎるから、親と親が築く社会において積極的に排除してやらなければならないと思う。生きていくだけの安全、希望を失わない社会を提供しなければならない。
 だけど、実際はどうだろう。病気や交通事故により子供が犠牲になる。通り魔的な犯罪により子供が犠牲になる。悲しい事に今の日本ではそんなニュースが多すぎる。そして今度は戦争なのか・・。子供たちは、生命の危機にさらされるほどに、殺伐とした社会の人質になっているのかもしれないと思う。無力感とともに、最近少しペシミスティックな私です。
 
 p.s.今回の対テロ報復戦争で、銃を構えるタリバンの子供兵士の映像がTVに映ったとき頭に浮かんだ言葉は「子供とは運命に捧げた人質である」と、もう一つ「君死にたまうことなかれ」(与謝野晶子)だ。戦争に行く弟を思う姉(または親の気持ちの代弁かな?)の心情を表現した反戦詩だったと思う(うる覚えの知識ですみません)。政治的宗教的な主義主張を超えた、肉親への想いっていうのは、普遍的で世界共通だと思うから、親たちはきっと泣いている。(2001/11)





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