|
農家の財産は土地である。それが全てと言っても過言ではあるまい。我が家も決して規
模の大きな農家ではないが、遊休農地を含めれば一丁ほどの土地がある。ブドウ園はそ
の約半分である。
農家の収入はその耕作面積と、反収である。これだけの面積に、この作物を作っていれ
ば、ほぼこれだけの収入になる・・・と言う計算である。単純明快に思えるこの計算式も、な
かなかそうは行かない。
食糧不足で作ったものは片っ端から売れる、と言うような時代ではない。特に嗜好食品で
ある果物にあってはなおさらである。消費者が求める品質のものを生産しないと、「売る」
と言う事が出来ない。求められるだけの「品質」を提供できるものだけが、「金」に換えるこ
とが出来る・・・と言う時代である。
同じ村の、同じブドウ園の、そして同じ面積のブドウ園でも歴然とした収入の差が有る。
その違いの根本は、ブドウ栽培に賭ける意識の差である。シーズンオフとも言える冬場の
管理から、芽が出、花が咲き、収穫を迎え、来年の種枝を作り、選ぶまでのそれぞれの時
期において、どれだけブドウを見て管理をして行くかである。
「足跡はブドウの肥やし」と言う。手間をかけるほど良いものが出来るとも聞く。必要最低
限の世話で済ませるものと、十分な管理の行き届いた園では品質の差があるのは当然で
も有る。そうでなくては寒風の吹きすさぶ中、ブドウ園には誰も居ないはずである。
ブドウ園にどれだけ足を運び、どれだけの世話、管理をしているか。ブドウは正直に答え
ているのだ。良くしたもので、農家はいくら面積があろうと、それに携わっている人間以上
の者が十分に食って行けるものではないようだ。それが自然の、そして経済の真理であろ
う。
しかし、であるからこそ、本気で取り組めば十分に収入を上げられる産業であることを示
さなくては、後を継ぐ者が無くなる。職業人としての農業、その自覚が必要だ。
|