その3 2003.8〜

2003.8.1記
九尺二間
 く〜しゃく にけんんがぁ ふ〜りだぁしぃでぇ・・・ちょっと古いが、村田秀雄の歌である。
これは取りも直さず庶民の長屋のサイズであった。テレビでも江戸の町の庶民の長屋の
大きさとして紹介されてもいた。今風に言えば2.7m×3.6mか。

 ブドウの販売開始を控え、直売所の掃除や飾り付けをしていたが、直売所の建物の大
きさが、このサイズなのである。ただし、長屋ではなく、一軒家ではあるが。我がブドウ園
以外の直売所もほとんど決まってこのサイズである。これには単純な理由があって、これ
以上の大きさの建物には税金がかかる。そのためである。

 改めてこのサイズをじっくりと眺めてみる。いったい何人の家族がこの中で寝泊りしてい
たのだろう。おそらく、入り口には多少の土間があり、水瓶や、かまどもあったのか。奥が
板の間。畳などは無い。おそらく押入れなどは無かったのだろうか。そのスペースも、いや
その中に入れる物も無かったのかもしれない。宵越しの金は持たねぇと言うが、そんなも
のは無かったのだろう。雨露をしのぐと言う言葉が思い出され、落語のはっつぁん、くまさ
んまでも出てきそうだ。

 現代の九尺二間には少なくとも電気が通り、蛍光灯・扇風機・冷蔵庫にテレビなども完備
されている。直売所とは言え豪華なものだ。人間生きていくために、いったいどれ程の物
が必要なのだろう、などと考えていたら、カミさんにほうきで追い出された。
 

2003.8.4記
ネットコミニュケーション
 今年は例年よりも多少遅れての開園となった。まだブドウの房もすべてが色付くとまで
は行かないが、天候の回復とともに急速に色も増し、糖度も乗ってきた。3日の日曜日に
はシーズン始めとは言え、待ちかねたお客様が、直売所にブドウを求め、ぶどう狩りにも
来て頂いた。有り難い事である。

 その中の3組のお客様は、ホームページを見ていらっしゃったとか。うれしい限りであ
る。ホームページを立ち上げては見たものの、自分なりに一生懸命取り組み、更新を続
け、だんだん自分が考えていた形になってきたとは言え、どこの、どなたに見て頂いてい
るのやら、まるでリスナーの居ない深夜放送のジョッキーの様な気分になることもある。

 そんな読者の方の来訪は、多いにページを作るエネルギーとなる。ページの感想なども
直接聞け、多少はお役に立てたかな?と一人ほくそえんでいる。

 しかし、そんな方々と話をしていると、初めて会うにもかかわらず、初対面のような気が
しないのである。おそらくこのページを何度か訪れていらっしゃるであろうこの人たちは、
ブドウのことも、私のことも、家族のことも、ご存知なのであろう。

 そう言う安心感、親近感が有る。その事が初対面にもかかわらず、「ホームページ見て
ますよ!」「ああ、そうなんですか!」この一言で自分の心の中にある初対面の人へのバ
リアーが一瞬にしてなくなるのだ。

 ネットを知らない人にはこんな形のコミニュケーションは理解し難いものかもしれない
が、ネットで一緒に死ぬ相手を探す人さえ居るのだから。
 

2003.8.6記
お国言葉
 地方に旅に出て、その土地の言葉に触れるのも楽しみの一つである。今や、都会はどこ
に行っても同じ。その中で出会うお国言葉には、戸惑いの中にも、そこに来たのだと実感
させるものがある。街並みはそれほどまでに画一化されてしまった。

 東京での生活を7年余り、その後群馬の彼女と知り合い、今日に至った自分には、言葉
の上で戸惑うことは無い。第二外国語で群馬弁を習った訳ではないが、「〜だんべー」も
「〜だぃのー」も何のその。医者へ行っての帰りに「おだいじなさい」と言われても平気であ
る。

 東京での経験から、関西人は関西弁を押し通し、東北人は東京弁を学ぶと言う傾向も
発見した。中学三年の息子もその例にたがわず、関西弁を通している。テレビの影響か
関西弁は今や全国で通用するようである。しかし、ここに来て問題なのは、群馬県人のう
ちのかみさんが、関西弁のままなのである。実の母親にまで「おめぇーの言うことは、分か
んねぇんだょ」とまで言われる始末である。

 しかし、考えてみれば、自分のような群馬弁をしゃべる人間も今や五十代以上か。若い
人達はほとんど東京弁である。これでは群馬県人一年生の自分も、いきなりオヤジの仲
間入りか。

2003.8.10記
遠花火
 夏と言えば花火だ。何を隠そう、自分は花火大好き人間でもある。村の近くの花火屋さ
んにも押しかけたことも有る。遠く、近くで花火の音が聞こえると、じっとしていられなくな
る。打ち上げる人の姿が見え、ズトッ、ズトッとの地響きとともに火の粉を残して上がる花
火を目で追う。やがて大輪の花が開き、間髪を入れずドーンと響く。あの爽快感がたまら
ない。

 この村は榛名山の裾野。関東平野の広がりを見下ろしながら暮らしている。この季節に
なると、県内あちこちで花火大会が催される。そのおそらく半分位は見えるであろう。林の
向こうであったり、牛小屋に隠れ、上半分だったりするがそれでも花火は花火。

 近くで見るような迫力は無いが、双眼鏡で見る、音さえ聞こえぬ花火もまたおつなもので
ある。

2003.8.20記
食い放題を考える
 ぶどう狩りがはじまり、樋口園にもあちこちからお客様がいらっしゃる。このページを見て
来たという方もあり、うれしい限りである。精一杯対応したつもりでは有るが、ぶどう狩りと
この周辺の観光を楽しんでいただけたかな?・・・と、気がかりでもある。
 
 そんなお客様の中には、「制限何分ですか?」「いくら食べても良いんですか?」等と聞く
方もいらっしゃる。どうやら食べ放題の事らしい。なるほど世間には食べ放題のバイキン
グなど、そういう手合の物も多い。

 以前、居酒屋をやっていた時にも、「飲み放題で・・・」という団体の話を受け、帰った後
の栓を抜いたままのビールの多さに閉口したものだ。もったいない・・・と言うだけでなく、
金を払ってるんだから、何をやっても良いと言わんばかりの態度に、二度と「飲み放題」の
予約は入れなくなった。

 観光農園でも食べ放題はある。30分食べ放題とかでやっている。ブドウに限らず、梨、
りんご、みかんなど、私自身も行ったこともある。美味しい果物がたくさん出来ました、たく
さん食べてくださいね、と言う姿勢はわからないでもない。しかし現実は、かじりかけの果
物があちこちに投げ捨ててある。未熟なものを投げ捨てたのであろう。

 これがイヤで、果物狩りをやめてしまった農園もたくさんある。自分たちが丹精込めて作
った作物をゴミにされたのではたまらない。それもあと10日経てば、立派な商品となるも
のなのだ。レストランの食べ放題とは訳が違う。なくなったからと言って、追加する事も仕
入れる事も出来ないのである。自分たちにとっては、目の前にある実った果実だけがすべ
てなのである。それが収入のすべてなのだ。

 これを考えると、「食べ放題」は、それなりの料金を頂くしかない。農家は食い散らかしを
見込んでの料金を設定し、客はここぞと食べまくる。これが悲しい現実か。

 我が村のブドウ郷は、「入園試食料」である。「食べ放題」とは謳っていない。せっかく来
ていただいたお客様に、自分たちで農園に入り、もぎ取りを体験していただいて、果物の
生産の現場を見て、生産者である農家の人達とも話し、自然と触れ合い、もぎたての果物
の美味しさを味わっていただこう、と言う料金である。

 私はブドウ園ではもっぱらぶどう狩りの担当である。子供連れの家族などでは、子供の
相手が仕事である。「ここに、こーんな良いのが成ってるよ。」「こんなのが本当は甘いんだ
よ。」「ここに、オマケ付きのブドウがあるよ。ホラ、セミの抜け殻が付いている。」そんな会
話をしながらのぶどう狩りは、子供たちにとってもいい思い出になると思うのだが。

  観光農園の果物狩りは、レストランの食べ放題とは違うのだ。少なくとも私はそう思っ
ている。

2003.8.30記
虫送り
 農薬と言うものが無かった頃は、あちこちで行われいてたであろう虫送りも、最近ではご
くわずかに民族芸能などとして残るばかりとなってしまった。稲の害虫である「ウンカ」や「ヨ
コバイ」の退散を願い、村はずれまで送ったり川や海に流したりして虫を送り出すのだ。

 最近、この虫送りという言葉をふと思い出すような作業をしている。長雨の影響か、また
我が家のブドウ園が自衛隊の草っぱらの隣にあるせいか、この夏小さな虫に悩まされてい
る。殺虫剤の使用は最小限にしているが、こんなに発生するのは珍しい。体調わずか3ミ
リほどの虫ではあるが、ブドウの葉の汁を吸う。葉が点々と白くなり、果ては黄色くなって
葉が落ちる。立派な害虫である。その名は「フタテンヒメヨコバイ」

 よほどの大発生で無い限り、ブドウ自体には大きな影響は無い。しかし、ほっておくわけ
にも行かない。何しろぶどう狩りのお客様には大迷惑である。体に付きまとい、ひどい場合
は鼻や耳にまで入ってくる。何とかしなければならない。しかし、すでに収穫期に入ってい
る園に薬を撒く訳には行かない。一時しのぎの残抗生のないものもないわけではないが。

 ある日、痛んでしまったブドウを処分し、その袋を2〜3枚ぶどう棚の下で燃やした。上か
ら葉の裏にいる虫の幼虫がバラバラと落ちてきた。これはイケル!早速バケツに袋を数
枚入れ、火を付ける。炎が上がった所でぶどう棚の下を持って歩く。瞬間的に熱気を葉に
当てるのだ。面白いようにアメアラレのごとく、虫が振ってくる。

 しかし、葉の表に居る成虫には効果が無い。バケツをあちこちのブドウの枝に当てる。成
虫が飛び出す。炎を瞬間的に当てる。成虫も落ちる。かくして、ブドウの葉には影響が無い
程度に、瞬間的に熱気を当て、このうるさいヤツラを半減させる事に成功したのである。

 しかし、一枚が二反の園である。仕事の合間ではとても回りきれないが、家に帰って焼却
していた袋を、虫退治に利用するのだからコストはゼロである。かなりの手間ではあるが、
出来るだけ農薬を使わないと言う姿勢は守れる。かくして今日も、ぶどう棚の下を燃え上
がる炎と共にバケツを持って回っているのである。

 農業一年生のこの身。はたして隣の園主にはどう映っているのだろう。その、いぶかしげ
な目線が気にかかる。 


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