その2 2003.6〜

2003.6.10記
飯米農家の米価
 田植えをした。ブドウ農家である我が家にも田んぼはある。とは言っても出荷はしていな
い。自家消費分を作る、米に関して言えば飯米農家である。2反ほどの田んぼで米を作る
ために、いったいいくらのコストがかかっているのだろう。

 細かい金額は挙げるつもりもないが、まず土地の税金、用水の分担金・使用料、苗代、
肥料代、薬代、田植え以外に使い道のない田植え機の償却費、面積の狭い我が家にはコ
ンバインはないが、その代わりに業者に稲刈り・もみすりを委託している。玄米にして収め
てくれるので真に手軽ではあるが、かなりの金額である。

 すべてを自らの汗で賄っていた時代と比べれば、ずいぶん高い米になる。これじぁ買っ
たほうが気楽だ、という声も聞かれる。

 しかし、だからと言って米作りはやめない。米は何と言っても農家のバックボーンである。
米が作りたくて、田んぼがほしくって、と言う時代を生きてきた人間が、やめるわけがな
い。それが農家の意地であり、誇りでもあるのだから。

2003.6.15記
集団の中の孤独
 よく聞かれる言葉である。一人でいるときは感じない孤独感も、見知らぬ大勢の中にい
ると、改めてその孤独感を感じるというものだ。 そういう意味では山に一人暮らす仙人
は、孤独感など感じなかったのかもしれない。

 畑やブドウ園で一人作業をしていても、作物のことを考え、また次の段取りなどを考えて
いればそれが当たり前なのであって、改めて自分が一人である事を考えることもない。

 この村に来て間もなく3ヶ月になるが、作業に追われ、家族以外の人間との交流がほと
んどない毎日ではあっても、ここには友達がいない、孤独だ、などと感じる事はなかった。

 先日息子が関西方面への修学旅行へ行った。姫路にいた息子にとっては、小学校の修
学旅行をやり直すようなものであったが、暗くなってからの帰着ということも有り、学校まで
迎えに来るようにと言うことである。

 学校へ行くと三々五々父兄の車が集まり、駐車スペースは満車状態。三年生160人の
父兄と、小さな兄弟も集まり帰りを待ちわびている。そのうちあちこちで井戸端会議が始
まる。そして、その中に周りのいくつもの話の輪の中に入れない自分、誰一人として顔を
知るものがない自分が居る事に気づき驚いた。

 地域の役職、特に子供会やPTAが長かったせいか、学校という場所には特別な思い入
れがある。その学校で誰一人知る者がいないという事態に困惑した。正に孤独である。

 思えば数々の地域の役職に振り回され、嫌気が差したこともあったが、仲間とともにや
ってきた年月を思い返し、いかに地域の中で自分が生かされてきたかを思い知ったひと
時でもあった。

2003.6.25記
親と子
 親と子の意見の相違というものはどこにでもあるものである。農家とて同じだ。人間年と
共にだんだん保守的になり、新しいことには手を出さなくもなり、意欲もなくなるものかも知
れない。〔人にもよるが〕

 しかし、日本の社会はここ数十年で大きく変わった。農業とて、ばあちゃんの世代には開
墾・開拓は普通の話であり、この村でも最初の家は自分で建てたと言う人もかなりいる。つ
まり掘っ立て小屋から始めた世代である。

 いまさら書くことでもないが、経済、流通、作物、消費者の嗜好、農政などすべてがすっ
かり変わった。ブドウ農家は今や観光施設としての一面を併せ持つ、食品の製造販売業
という商売である。そういう意識を持たないとやっては行けない。

 そういう中で、親子二世代で同じ果樹園をやってはいても、品種、栽培方法、房作り、等
で意見が合わず、木や園を分けていると言う果樹園も結構あると聞く。

 しかし、考えてみればそういう「こだわり」を持つ若い世代がいるからこそ、時代に即した
農業の明日があるのだろうと考える。自分も若いとは言えないが、応援したいと思ってい
る。

2003.7.1記
農家の作物知らず
 何にしてもその職業に有ると言うことは、その道のプロであって、周りの人間から見れば
分からない事は聞いても見たくなるものだ。たとえ自分の領分以外であっても、職業上の
好奇心からあれこれと知識を得ていると思うのだが・・・。

 洋服屋ならば商品の知識はもちろん、今年はどんなものが流行りそうだとか、自分の店
には無くともよその店にある物まで、聞けばたいてい分かるものである。
 
 しかし、農家の場合は少し様子が違う。自分が今まで手がけて来た作物の事は、事細か
く、又、自分のやって来た方法が最も正しいかのように教えてくれる。しかし、それ以外の
作物に付いての知識はほとんど無い事が多いのだ。
 
 「そんな物、オラ知らねー。」「そんな物、見た事たーねぇ。」である。今流行の中国野菜や
西洋野菜などはもちろん、隣の村で最近作りはじめた作物まで知らない人が多いのには
驚く。これではその辺の主婦の方が、よほど多くの作物の知識を持っていることになる。

 すべてがそうだとは言わないが、農家の年寄り連中にはこんな人が多いのは事実であ
る。もちろん積極的に情報を集め、研究している農家も有るが、その落差が激しいのであ
る。隣の畑で実際の作物を目にするまでは、やってみようという気にならないのかも知れな
い。

 植えてから収穫まで半年はかかる植物だけに、得体の知れないものを植えるのには勇
気がいる。しかし、少なくとも今、消費者が何を求めているのかを考えないと農業の明日は
無い。

2003.7.5記
蛍はどこへ
 たんぼに水が入ると、姫路では蛍の季節である。子供が小さかった頃は蛍を見に行くの
が年中行事でもあり、最近でも街中の近所の川に蛍が居る事を発見し、大いに宣伝もした
ものである。
 
 榛東村には姫路の我が家でも歩いていける所に居るのだから、もっとたくさん居るので
はと期待を持っていた。しかし、である。その姿は無い。最近は都市化が進んでいるとは
言え、自然度は格段に良い。あのあたり、このあたりと探しては見たが、見つからない。

 そんなある日、新聞に村の八幡様の公園に居るとの記事を読み、早速見に行った。居る
居る。あの光り方や、飛翔能力から言って、多分源氏ボタルである。しかし、記事によると
この蛍は人工的に飼育し、放流されたものとか。

 河川の改修や農薬による汚染のためか?ばあちゃんも昔はいっぱい居たと言う。最近
はあちこちで蛍が復活したという話しも聞く。ここだけが特別多くの農薬を使っているわけ
でもないと思うのだが。

 先日、近くをブラブラしていてハタと気が付いた。覗き込んだ小川は見事に三面張りの護
岸が整備されている。それも山の小さな沢筋まで、結構工事が行われているのだ。この村
の財政状態はそんなに良いのだろうか?

 おそらく、ここからは大いに私の推量ではあるが、自衛隊である。自衛隊の駐屯地と演
習場があるこの地域には、基地周辺整備などの名目で、かなりの金が出ているのだろう。
その周辺の河川の整備が重点的に行われていることを見ても、そう考えざるを得ない。

 よって、駐屯地のフェンスの隣の我が家の周りには、蛍は居ないのである。
 


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