その7 2005.1〜
2005. 1.3記
農業と言う生き方
 やるからには専業農家を目指す。そういう思いでこの道に飛び込んで一年半。目指すも
のと現実との狭間でもがいていたが、近頃やっと農家の生活がわが身に馴染んできたよ
うである。それは言い方を変えれば一種の諦めかもしれないが、もともと現実に即し、柔
軟に対応してきたのが農業人であるとすればそれもよしとしよう。

 ある人の紹介で近所の病院での夜勤の仕事を始めた。週に2回程度の勤務であり、夜
勤と言うこともあって農作業もこなせる。自然相手の農業とはまったく違う人間相手の仕
事。その対比が面白いなどと言う余裕も少しは出てきてところだ。

 その職場でよく言われる。ブドウと病院と二つの仕事をするのは大変でしょう・・・と。しか
し自分としては、今、二つの仕事を掛け持ちでやっていると言う意識が余り無い。確かに
二つの仕事をやっているには違いないのだが、ブドウ園は生活そのものであり、仕事でや
っていると言う物ではないのだ。 朝飯を食い、腰にのこぎりや剪定ばさみをぶら下げてブ
ドウ園に行くのは自分の生活そのものなのである。

 ここがちょっとした落とし穴であり、農業者が自分の商売としての認識が薄く、職業として
の農業が農業人自信に余り無かったと言う現実を引き起こすのである。しかし、言うまで
も無く、今は自分で作ったものは自分で売る時代。売れるものをいかに作り、それをどう
売るかは農家自身の裁量なのだ。その意識のある農家と無い農家の違いが、残れるか
どうかの違いになる。

 今や多少の米ならば、会社勤めをしながら土日百姓でも十分やれる。しかし、それに甘
んじているか、否かが農家のあり方を二分する時代となるのだろう。抵抗無く勤めに出ら
れるようになったのは、それだけ自分が農業人になったことの証でもあるのかも知れない
が、ブドウ屋という職業意識だけは持っているつもりである。

 自分で植えた苗が金を稼ぎ出してくれるまで、しばらくは二足のワラジを履く事になるだ
ろう。
 


2005.1.15記
髭剃り
 考えてみれば近頃とんと髭を剃る回数が減った。以前商売をしていた頃は毎日、下手を
すると朝夕二回髭を剃っていた。ブドウ園で作業をしていても、家族以外の人間に誰一人
として出会うことの無い日もある。ともすればその家族にも見放され、一人黙々と作業をす
る日も有るくらいだ。

 こんな日が続くと、風呂に入り、又、朝歯を磨いても、ついつい髭を剃ると言う面倒な事
が億劫になってくる。正に無精髭である。これならいっそ伸ばしてしまおうかとも思ったが、
いかんせんすでにゴマシオである。白髪交じりの髭を蓄えるほどの風格ではないし、そこ
まで爺くさくなりたくも無い。

 もちろん農業者が、皆無精髭であるわけは無く、これはまったく私個人の性格なのであ
るが、今や平気で街中のショッピングセンターなどにもそのまま出かけるのである。無精
髭のままで行ったってオレはオレなのである。それはほとんど知り合いに出会うことも無い
この土地だからこそなのかもしれないが、これが妙に気持ちがいいのだ。

 その無精髭もさすがに病院の仕事に行く時は剃る。病院という職場に行くとなれば、そ
のまま行くわけにも行かん。かくして夜勤明けにブドウ園で仲間に出会うと、「昨日は仕事
だったんかい?」などと言われる羽目になる。

 鏡に向かい髭を剃る。これは自分が二足のワラジを履き替える儀式になった。

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