その1 2003.5〜



2003.5.8記
村役場・区長さん

 村役場。役所ではない。役場である。いい響きである。転入の手続きに始めて訪れた。
こじんまりとした「役場」らしい建物である。市民課は?いや村民課は?と探すまでも無く、
入り口を入った所が受付であった。手続きを済ませ健康保険は?と探すと、これまた探す
までも無く、右を向いて三歩であった。書類を持って廊下をウロウロ。エレベーターを探し
たり・・・も無い。左を向けば税金。すべての用がそれで足りる。役場は小さいのに越した
事は無い。
 その役場で「転入された方はその区の区長さんへ挨拶に行ってくださいね。行かないと
村からのお知らせ等が届かない場合もありますから・・・」とのご注意。区長さん?挨拶?
へーぇそうなんだ!ところで区長さんって何?・・・
 榛東村は5つの地区に別れ、21の区がある。区長さんはいわゆる町の自治会長さんの
ようなもの。そして、行政の下請けとしての性格が強い。選挙時の投票所への入場券を配
るのも区長の仕事とか。なかなかの大役である。
 早速、石鹸と瀬戸内名産、自家製の「いかなごの釘煮」を持ってご挨拶に行った。



2003.5.10記
我が家の時計?

我が家には時計が無い。まったく無いわけではないが、部屋の壁に普通に掛けてあっても
良い時計が無い。そう気づいて姫路から持ってきた時計をいくつか壁に取り付けた。
 ここでの生活に慣れ、落ち着いて考えてみると、ここでの生活に時計はほとんど必要が
無い事に気がついた。農家であれば日が昇れば仕事に出て、日が暮れれば家に帰る。そ
うではあるが、それだけではないのだ。
 まず朝から時間を追って考えてみると・・・
 朝、今頃であれば4時半頃、明るくなってきて鳥があちこちでなき始める。家のばあちゃ
んはこれで起きる。6時半、隣の自衛隊でラッパが鳴る。我が家では朝食が済んでいる。
7時。村の有線が朝を告げる。息子をたたき起こす。ブドウ園へ行く。8時。又ラッパが鳴
る。そして12時。村の有線がお昼を告げる。昼飯を食べに帰る。
 2時、自衛隊のラッパ。夕方5時。村の有線が「カラスと一緒に帰りましょ・・・」と鳴る。そ
してさらに、夜8時、9時。自衛隊の見回りのジープがファンファン〜と鳴らしながら我が家
のそばを通り過ぎる。何しろ我が家は自衛隊のフェンスの隣なのだ。
 これじぁ一日中寝ていても時刻が分かる。そうでなくとも10分や20分、どうだって良い生
活をしているのだから・・・



2003.5.12記
プリケーカードを買いに行く
 息子はプリペイドカード式の携帯電話を持っている。持たせるつもりではなかったが、プ
レゼントしてくれた人がいて、それ以来息子にとっては、なくてはならない物である。
 さて、カードである以上使ってしまえば使えない。こうなると大変である。小遣いは要らな
いがカードは必要なのだ。息子にとっては正に生命線を断たれたも同然である。カードを
買いに行かねばならぬ。いざコンビニへ・・・
 しかし、息子のプリケーカードはローソンしかないと言う。(息子はそう言うのだ)我が家の
近くにも(といっても2キロ程あるが)数年前コンビニが出来た。しかし、このあたりはセブン
イレブンの天下。ローソンはない。電話帳で探す。一番近いと思われるローソンは・・・渋川
まで行かねばならない!結局プリケーカード1枚を買うために、往復18キロを走る事に。
 多少距離はあるが、信号もほとんどない田舎道。そうも時間はかからない。まあいいか。
ちなみに姫路の我が家からローソンまでは・・・50mであった。



2003.5.15記
農村の近所付き合い
 いまだご近所にも挨拶回りはしたものの、それ以後ほとんどご近所の方と顔を合わせる
事がない。忙しい時などは家族以外の人間と、まったく顔を合わさないという日も多いの
だ。とかく田舎の付き合いは・・・などと言われ、それなりの覚悟もし、地域に溶け込もうと考
えてはいたものの、何か拍子抜けの感じさえする。
 とにかく、ブドウ園の中に入ってしまえば、誰にも会わないのは当たり前。広い農地では
向こうに人影があっても、誰の畑か分からぬ自分には、ご近所の人であっても気が付かな
い。ひょっとして向こうは「今度越してきた・・・」と思って見ているかも知れないのだが。
 街中では向こう三軒両隣。顔を見合さぬ日はないだろう。さてさて、これではご近所の顔
を覚えるまでどのくらいかかる事か。



2003.5.19記
超高速通信網
 我が家のインターネットはブロードバンド。ではない。今まではケーブルテレビの回線を
使い、そこそこ速い環境であった。64kでも見やすいページをとシンプルな構成を心がけて
いる。(本当は難しい事が出来ないだけなのだが・・・)村でも8Mが来ている所もあるが。
 さてここで言う「超高速通信網」とは村の有線放送である。これをうるさく感じる人もいる
だろうが、なかなか優れものでもある。
 「長寿会の○○さんがなくなりました。○日の○時から○○で・・・」と言う案内や、「△△
のおじいちゃんが居なくなりました。心当たりの方は・・・」とか、「今日の幼稚園の遠足は
雨天のため・・・」など、急いで知らせなければならない事は瞬時に全村に伝わるのだ。
 先日、村で珍しく火災があった。すぐに防災緊急情報が有線で流れた。その数分後、サ
イレンもけたたましく消防車が走って行った。この有線は消防車より早い!
 そして今回の村長選挙。開票状況が逐一報告されるのだ。ばあちゃんに聞くと村議会選
挙でも同じ様に報告されるとか。負けじと上毛新聞のインターネットでより早い情報をと試
みては見たが、何せ出所はひとつ。そのまま放送する有線放送にはかなわない。
 村の有線。こんな時代遅れの、ローテクのとあなどるなかれ。しっかり有線は生きてい
る。それも現役バリバリである。
 



2003.5.21記
あさがき(浅掻き)
 道具と言うものは必要に迫られ、先人たちの工夫の積み重ねで完成して来たものであろ
う。大工道具であれ、漁具であれ、そして農具であれ、それがシンプルなものほどその完
成度に感心したりするものだ。農民も長い歴史の中でそれを行ってきた。
 今でもブドウ園の作業の中で、各自がそれぞれに工夫をし、あるいは隣のまねをして、
いかに作業が楽に、効率よく出来るかを工夫している。すでにそれが商品化されている物
も多い。もともと農民は、必要なものは自分で作ってしまうと言う、生れ付いての発明家な
のである。
 さて、「あさがき」である。もっぱら草取りの為に用いられる農具であるが、春以来お世話
になりっぱなしである。農業一年生の自分にとって(家庭菜園は3年ほどやったが)、その
扱いに慣れるにつけ、何と完成した道具なのかと感心する事しきりなのだ。
  棒の先に半月型の刃がクワのように付いている。その上半分は枠だけで中が抜けて
いる。この、中が抜けているのがミソだ。草の生えている地面を浅く掻き取る。小さな草な
ら、根こそぎ掻き取り、砕けた土と草がその抜けている穴を通過する。その瞬間、草は横
倒しとなり、次の瞬間、土と草はその比重の違いと空気抵抗の違いにより分別され、哀れ
雑草は土の上に根を出し、横たわるのである。
 湿っぽい土ならば、勢い良く手前に掻き取れば、土とともにはじき出された雑草はこれま
たその比重と空気抵抗の違いにより、土の上に横たわるのだ。後は日に当たり枯れる。
 この「あさがき」の上半分に穴を開けたのは誰なのかは知るよしもないが、今ならさしず
め専売特許物である。その絶妙のバランスで、長時間の作業も苦にならない。いや、苦に
ならないのは、こんな事に感心しながら作業しているせいかも知れないが・・・



2003.5.22記
ジャージ通学
 我が家の息子は中学三年生。地元の榛東中学校に通っている。姫路に居た時より距離
は短く、息子は喜んでいる。転校の際にはカバンや服装など大いに出費がかさんだ。
 ジャージ上下に半パン、Tシャツ、靴、上履き、冬のトレーナー上下にカバン・・・
しかし、学生服は標準学生服でボタンのみ取り替える。これは助かる。
 姫路に居た頃は通学時は学生服である。もちろん衣替えで夏場は脱ぐが、ズボンは黒
の学生服である。全国的にどのくらいの中学校が学生服で通学しているのか、定かでは
ないが、公立の中学校は学生服が多いと思うのだが・・・
 榛東中学校を含む周辺部では通学時はジャージの所が多いらしい。学生服を着て行く
のは年に数回の節目の儀礼的なもの、つまりは入学式や卒業式などである。そう学校で
は聞いた。しかし、入学後しばらくして学生服で登校した。いったい何があったのか・・・
 聞いてみるとテストである。テストの日には学生服で登校する。これには恐れ入った。中
学生の本分は勉強である。普段の授業は実用的でのびのびとリラックス出来るジャージで
行い、テストの時は身を引き締めて詰襟の学生服で登校する。イヤでも今日はテストの日
なのだと言う緊張感がある。
 群馬は教育県だと聞いている。なるほどと思った。教育に対する姿勢は全国一様ではな
い。それぞれに特色があって良いと思う。こう有るべき、と言う姿勢は必要だろう。



2003.5.26記
10時と3時
 これは自衛隊のラッパではない。この時間に鳴れば良いのにと思うが、そう都合よく鳴っ
てはくれない。これはお茶の時間だ。ブドウ園での作業中「お茶にすんべぇーや」と声がか
かる。ほっと一息入れる時間である。
 これは昔からの習慣で、農作業の合間に一息入れて、お茶を飲む。昔とは違い、大変な
力仕事と言うものは機械化により少なくなったが、ぶどう棚を見上げてばかりの作業も結
構疲れるものだ。たまには下を向かないと首が固まってしまう。
 ぶどう棚の下でのティータイムはなかなかおつなものだ。アウトドア大好き人間にとってこ
れでは毎日ピクニックに行っているようなものである。とは言うもののまさしく「お茶」の時
間であって、漬物でもかじりながらお茶を飲み、「どうだんべー」「なっからいいあんべーに
なって来たいのー」などと話しているのである。
 のどかな風景に見えるが、こうした方が後の作業の効率が上がり、疲れも少ないと言う
経験から生れた生活の知恵なのである。「昔はよく隣の畑の○○ちゃんと、一緒にお茶に
したもんだぃのー」とばあちゃん。 単純作業を長時間、同じペースで続けなければならな
い農民のささやかな楽しみでもあったのだ。
 しかし、雨で作業が出来ずに家でごろごろしていても時間になると、「さぁ、お茶にすんべ
ー」。 別にノドが乾いたわけでもないのだが・・・。この習慣はやめられそうにない。

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