プロローグ 


 鬱蒼と生い茂る木々。小鳥や小動物達が数多く生息する、静かなはずの森の中の一軒家で、その日も家庭内戦争が勃発していた。
「やっかましーーっっ!!」
 たいした広くもない室内に、我慢も限界だという叫び声が広がった。そのあまりの声のでかさに、原因となった少年は思わず耳をふさぎ、目をつぶる。
 エコーがかかったような状態で、室内はビリビリと震えた。その震えが収まってから、少年はゆっくりと目を開ける。勝ち気さをそのまま表したような、つり目がちな瞳の色は榛(はしばみ)色だ。
「〜〜こんっのバカ師匠! いきなりでけえ声だしてんじゃねえよっ!!」
 お返しとばかりに叫べば、目の前にいる『師匠』はむかつくことに、それをハン! と鼻でせせら笑った。
「ああん? てめえこそバカ弟子の分際で師になんて口ききやがる」
「人が丁寧に教えてやってるっていうのに、やかましいはねえだろうが!」
「そ・れ・がっ、うぜえんだよ! 飯はそこだの、服はどこだの、お前は俺の嫁かっ、母親かーーーっ!!」
 また大きく叫んでから、『師匠』は、疲れ切った様子で腰に手を当てる。
「大体なあ、ほんの数ヶ月留守にするだけだろうが……そこまで神経質になるんじゃねえよ。俺の心配はいいから、自分の用意はできてんのかよ」
 呆れたような言葉に、少年はスッと荷物を足下から引き上げて見せる。
「……それは?」
「荷物。もう用意は出来てる」
「……そうかい」
 用意周到という言葉がぴったりな、あまりに手際の良い弟子の様子に、『師匠』は二の句が継げなくなる。
「だから、残ってるのは師匠……あんたの心配だけだ」
 ピッと『師匠』を指さして、少年は深くうなずく。それに対する『師匠』はむっすりと顔をしかめ、
「……ここは、俺の家だぞ?」
「知ってる」
「物の置き場所ぐらい、ちゃんと分かって……」
「――分かってるのか? 本当に?」
 ずずずずい! と『師匠』の正面に近づく少年。ぐいっとえりを引っ張って、20センチ下からジロリと睨む。
 少年が小さすぎるのではない。一応は170センチあるのだから。190センチ以上の身長を誇る、『師匠』が、でかすぎるのだ。
「俺がここに来て何年になる。もうかれこれ十年だぞ? その間に物の位置なんぞ、俺が何度も変えたわい!」
 ぱっとえりを離し、くるりと回転して後ろを向く。それにあわせて、少年の後ろでひとまとめにした赤茶色の髪が一緒に揺れた。
「旅に出たらしばらく帰ってこねえんだぞ。どこに何があるか分からなくなって、俺に聞こうたって無理なんだ。備えあれば憂いなし! すぐ終わるからしっかりきいとけ」
 そうして少年はきびきびと物の位置を確かめ始める。その度にやはり、まとめられた髪が揺れる。それに『師匠』は思わず掴んで、ぐいっと引っ張った。
「いでっ。何しやがる!」
 少年の非難めかしい声もなんのその、『師匠』は髪の毛を掴んだままに、しみじみと呟く。
「……お前さあ、旅に出るんだから髪ぐらい切ればどうだ?」
「ほっとけ! あんただって髪ながいだろっ」
 『師匠』の手から髪の毛を引っ張り出し、水をかぶった犬のように、プルプルと少年は頭を左右に振る。
「俺の出身地の言い伝えなんだよ。髪を伸ばしてると金が貯まるってな」
 結構本気な顔で言う少年の姿に、世界には色んな言い伝えがあるもんだと思いながら、『師匠』はやっと覚悟を決めた。
「ったく……説明するならさっさとしやがれ、このバカ弟子が」
 ――結局、少年が『師匠』の元から旅立ちをスタートさせたのは、それから数時間後のことだったらしい。


 所変わってとある村。見上げれば、青い空と白い雲。憎らしいほどの上天気の下、それぞれタイプの違う三人の美男子が、どこか小動物を彷彿させる少女を取り囲んでいた。
「どうしても……ど〜しても行くっていうのかっ!?」
 と、薄茶の髪の青年が、ハンサム台無しのなんとも情けない顔で問いかけた。
「うん!」
 青年達の目の前にいるのは、空の青い瞳に夜の黒髪をした、見た目が実に幼い少女。青年の嘆きなど完璧無視し、それは無邪気に、こっくりと頷き笑っている。
「あのなあ、一人旅は危険なんだぞ!? 一体どんなことが起こるか……! 可愛いお前を危険な目に遭わせるなんて我慢できん!」
 心底恐ろしそうに身震いして、鳶色の髪の青年が説明しようとする。
「やはり……俺達の誰かがついていった方がいいのではないか?」
 顎に手を当て、黒髪の青年が、分かる人には分かる心配げな無表情で呟いた。
「もう……お兄ちゃんたち、心配性すぎ。お兄ちゃんたちは、お仕事あるんだから休んじゃダメ!」
「しかし……」
 目の中にいれてもけして痛くないほどに可愛がっている妹にふくれられ、青年三人はそれ以上、そうしつこくは言えない。
「大丈夫ったら大丈夫。あたしは一人で旅するのっ! 子供じゃないもん! お兄ちゃん達は家で待ってて!」
 自分で子供じゃないという奴が一番心配なんだ……! そんな心の叫びをシスコン兄貴三人組はかろうじて飲み込んだ。
 兄たちのそんな様子を上目遣いで見つめる妹に、シスコンどもはくらりと目眩を覚える。
 ――ああ、うちの妹はなんでこんなに可愛いんだっ! 何かあったら生きていけないっ!
 重い沈黙がその場に落ちた。三人の顔には『心配』という二文字がでかでかと張り付いている。
 そして同時に彼等の頭の中では、『誘拐』『人買い』『事故』『ナンパ野郎』……などの、まだ起きてもいない事件が、数々のマイナス思考となりぐるぐると回っていた。
 異様なその光景にも、村の人たちは動じなかった。
 いつも同じようなことが繰り返されているのだろう。「ああ、今日も平和だねえ」と、茶をすすりながら見物をしている者までいる。
「――分かった……。その代わり、手紙をきちんと出すこと、いいな?」
 しばらくして、ため息と共に一番最初に折れたのは、一番無愛想で一番妹に甘い黒髪の青年だった。
 ぱあっ! と、絵に描いたように少女の表情が明るくなった。
「兄さん!?」
「兄貴!?」
 それに反し、薄茶と鳶色の青年が各自驚いたように、曇った表情で長兄を見た。
「仕方ない。俺達は待とう」
 家長たる長兄に断言されて、残りの二人も渋々うなずく。
「変な奴について行っちゃダメだからな?」
「何かあったらすぐに手紙をよこせ。兄ちゃんがすぐ行ってやる!!」
 薄茶と鳶色が口々に言うのを、少女はただにこやかに見つめている。自分の境遇が、よく分かっていないらしい。
 ――少女が出発したのはそれより二日後。兄たちにさんざん心配された後だった。


 辺りが少しずつ暗くなり始めた夕方。村の男達が、松明を持って村中に明かりをつけている時間帯に、村で一番大きい……族長が住むそのテントを、少年と少女が連れ添って訪ねた。
「お前達……本当に行くというのか?」
 族長の言葉に、二人はこっくりと頷いた。
「お前ら二人に抜けられると結構痛いんじゃがのう……。なあ、本当に行くのか?」
 先程から何回も繰り返される問いに、少年はただゆっくりと頷き、少女は少し苛立ちつつも、なんとか頷いた。
「そうか……」
 ふう、というため息。族長の見事に禿げ上がった頭が、篝火に反射して光る。
 すごく嫌な光景だと、二人は思わざるをえないが、我慢した。
「しょうがない……うむ、仕方のないことじゃ、旅を許そう」
 自分に言い聞かせるように族長は頷く。あんまり納得してなさそうだと二人は思ったが、あえて無視した。
『ありがとうございます……』
 少女と少年は、一族特有のお揃いの金色の髪を揺らして、一応頭を下げた。かつては族長の頭にも、同じ色の髪が生えていたのだろうが……今はきれいさっぱりない。
 ――年とは怖い。
 ものすごく真剣な顔で、それの倍以上ふざけたことを思いながらも、説得の方は少年に任せ、少女はただおとなしくしていた。
「明日にも出ようと思っていますが……よろしいでしょうか?」
 少年が、これまた少女とお揃いの琥珀の瞳で族長を見た。
「ああ、明日からじゃの。門番に伝えておくよ」
「では、よろしくお願いします……御前、失礼します」
 うなずきで肯定が返され、少年と少女はその場に立ち上がった。
 そうして少年が、何も起こらなかったと安心したその瞬間だった。
「本当に……行ってしまうのか? 考え直さぬか?」
 後ろからの、族長からの情けない言葉。もう何回目になるのか分からぬその問いかけ。
 しかも今回は、一度了承して、尚かつの質問だ。少年は自分の顔から血が、ざーっと引いていくのがよく分かった。
 お願いだから……お願いだからとどまってくれ! という、その思いも空しく。
「だあああああああっ、優柔不断のクソ親父!! 男ならいったん言ったことには責任もちなさいっ、我が親ながらうっとおしい!!!!」
 相方である、『族長の娘』が、いっそすがすがしいまでに切れた。その時、ぶちっ。という音を、少年は確かに聞いた気がした。
 そう、彼女の性格はとても真っ直ぐで、とても一本気で……どこか男らしかった。
「うじうじうじうじしてるから禿げるのよっ!!」
「む……娘とはいえなんということを!!」
 赤くなったり青くなったりする族長をしりめに、その娘は不敵に笑う。そして少年は頭を抱えた。
 あれほど……あれほど黙ってろって言ったのに!!
「取り消しじゃ! 旅に出るなどゆるさーーーーーんっ!!」
 ああ……そうだ。なんとなくこうなるような予感はしてたんだ。今更さ今更……と、少年は遠くを見て思った。
 横では少女が、中指を押っ立て高らかに宣言をしていた。
「上等よ、覚悟してなさいっ!!」
 ――そして少年と少女は、まるで夜逃げのように真夜中、見張りの目をかいくぐっての旅立ちとあいなった。


 響くのはただ、かつかつという自分の足音。それすらこの闇の中では、吸い取られるように消えていく。
「どこへゆく、我が孫よ……」
 地の底から響くような低い……低いその声に、血のような赤色を纏う青年は、驚いた様子もなくその場に立ち止まった。
「どこへだっていいじゃねえか」
「人間界、か……」
 疑問ですらなかった。確信を持って言われたその言葉に、隠しても無駄だと言うことはよく分かっていた。だから、あっさりと自分の持ち札を明かす。
「そうだよ。それが何か問題でもあるのか?じーさん」
 振り向くと、人間でいえばまだまだ若い、中年とすら言えないような……見た目は二十歳後半の人物がいた。
「父親の、二の舞になるな……。人と我らはけして相容れぬ。貴様が戯言を抜かした日には……」
 ぎらりと光る、赤い瞳。
「私がその命、狩ってやるから覚悟しておけ……」
 幼い頃から何度も言われたその言葉に、フン、と青年はおかしくもなさそうに笑った。
「聞きあきたぜ、じーさん……そのセリフはな」
 いいながら青年は、己の色彩を変えた。血の色から、闇色へ。その出来具合を確かめてから、続きを独り言のように呟く。
「ちょっと……取り戻しに行くだけだ。旧世紀からの預け物をな」
 呼吸を止め、ピクリと反応する祖父の姿に、青年はくつくつと喉の音を立てた。
「あれを……吸収しにいく気か?」
「そうだよ、あんたらが誰も行こうとしないのでね。もうそろそろ取り返してもいい頃だろう?」
 止めるのかとは、聞かなかった。そして祖父はただ、何も言わずに見つめるだけ。
「なんの理由があってあれを取り戻しに行かないのかはしらねえが……オレは、我慢なんて出来ないんでね」
 ひらひらと手を振ると、マントを翻し祖父はゆっくりと後ろを向いた。不自然だった呼吸も、元に戻っている。
「お前は誰よりも……きっとこの私よりも王にふさわしいが、それは我らにとっては諸刃の刃かもしれぬ……」
 小さな呟きを残して、祖父の姿が闇の中へと静かに消える。その姿を見届けてから、青年は空中に魔力によって小さな画面を作り出す。
 そこに映るのは、小さな城。彼にしてみたら脆弱すぎて、城とすら呼べぬ物。何か祝い事があるのだろうか、昼間から花火が上がっている。
 にっこりと。子供のように無邪気に、残酷に笑うと、彼はそこに向かって赤い力を放出し、最初の一歩を踏み出した。
 ――そして彼も、旅だった。

 こうして五人の若者が旅立った。
 これから出逢う友人も、これから遭遇する運命の欠片すら知らず。
 これは、『運命』をたぐり寄せ、尚かつそれを気にせず生きる者達の、『いつか伝説になる物語』である……。


←BACKNEXT→