愛おしい
橋の上で、夕焼けを見ていた。
『熟した果実が落ちるように』というどこか不吉な表現をよく聞くけど、それともまた違う透明感のある夕焼けだった。
いつまでたっても動こうとしない私に、幼なじみにして悪友のその男はいぶかしげにこちらを見つめているようだった。
「なに、してんだよ」
日が沈んでしまうだろうという文句に、私は一言「愛おしいんだ」とつぶやいた。
その瞬間、目の前の男は鳩が豆鉄砲を喰らったかのような表情をして「はあっ!?」と裏返った声を出す。
聞き間違えかと悩んでるらしい彼にもう一度しっかりと「愛おしいんだ」と繰り返せば、その表情が明らかに「こいつ、頭のネジが一本二本ぶっ飛んだんじゃねえか?」と語っていた。
あまりの形相に思わずクスリと笑いをもらす。
「……からかったのかよ?」
少し安心したような、それでも彼の持ち味らしい少しいやみったらしいその口調に、私は「残念だけど……」と口を開いた。
「本気だよ」
「……大丈夫かよ」
顔をしかめて自分の頭を指さすその仕草に、口に小さく笑みをはく。
「多分ね」
私はそのまま視線を夕日に戻すと、静かに目をつぶって『世界』を、その『息吹』を感じた。
「なにやってんだよ」
「だから、愛おしんでるの」
呆れを通り越し疲れのにじんだその声に、私はまた同じ言葉をくりかえす。
「わけわかんねえ女……」
らちがあかないとでも思ったか、それとも諦めたのか……彼は苛立たしげに自分の髪をかき乱し、黙って私の隣りに並んだ。
その行動はとても私に好都合なもので、悪いとは思いつつも、そのまま『愛おしむ行為』を続けた。
実際彼は、半ば諦めて付き合ってくれたのだと思う。
口は悪いし態度も悪いが性根は悪くない奴だし、私たちは幼なじみということでお互いの突拍子もない行動、わがままには慣れていたから。
時は黄昏、夕暮れ時。一日で一番、摩訶不思議な時間帯。
――ただ、世界を感じたいと思った。
風が、肌に触れ。
空が、目に映り。
音が、鼓膜をゆらし。
香りが、鼻腔をくすぐる。
ありとあらゆる『世界』が私を包み込んでいるのがわかった。
なぜだか、胸が熱くなる。なぜだか、ひどく切なくなる。
胸に去来するこの想いは、切ないようなもどかしいようなこの想いは、やはり「愛おしい」という言葉が、一番似合うように思えた。
どれだけたっただろうか。長いようだったけど、夕日の沈み方や悪友が大人しくしてることから言って、きっとたいした時間ではないのだろう。
しばらく続く沈黙の中で、彼もただ、夕日を見ている。
つまらなさそうにしているその顔を見たら、つい、言葉がこぼれた。
「……切り取って、全部しまっておけたらいいのにね」
「あ?」
何を言ってるのかとか、いつになったら帰るのかとか……色々な疑問を含んでいるだろうそれに、「自分でもよくわかってないんだけど……」と前置きしてから答えた。
「今というこの時を、全部この身体の内に、閉じこめられたらいいのにねって」
そしたらきっと、この切なさはなくなるのに。いや……それとももっと辛くなるのだろうか。
私の言葉をかみしめるようにして聞いていた彼は、やがて確かめるように、尋ね返してきた。
「……愛おしいから?」
「そう、愛おしいから」
二人の間にまた沈黙が広がって、夕日が沈みゆく風景を見続けた。
空が端から濃紺に染まってゆき、青と紫、そして橙の混ざったなんとも言えず幻想的な色になる。私はこの時間帯の空が、一番好きだった。
「……愛おしいんだ」
再びくり返し始めた私に、彼は気のない返事をする。明らかに、『飽きた』とその顔にはかいてあった。
それでも言葉を止められなくて、語り続けた。
「今この時、一瞬という一瞬。頬をなでる風、絶えず流れる音、変わりゆく世界……全てが、切なく愛おしい。全てを閉じこめたい、忘れたくないって思う。私という存在を、消えるその時まで包んでくれる、この……」
セリフは、途中で止められた。悪友の、橋を殴る音によって。
「――やめろよ……」
「え?」
殴る音にも驚いたが、彼の声にも驚いた。掠れるようなその声に横を見れば、ひどく辛そうな顔をする友人がいた。
「そんなことを言うのはやめろっつったんだよ」
なぜそんな表情をするのかと、問いかけようとしたその矢先、彼は怒りを多分に込めた口調でまくしたててきた。
「そんなしけたツラで、二度と見られねえようなこと言ってんじゃねえよ! お前にゃまだまだ見れる光景だろうが、そうだろう!? だから……」
振り上げた拳を、力なく降ろして。
「だからそんな……未来(さき)がないようなこと、言うな」
「……ごめん、ね」
ごめんと、もう一度謝る。その本当の意味に気づいているからか、彼はさらに顔をこわばらせた。
なんといわれても、私はこの気持ちを捨てられないだろう。幸せでしかたのない人生と、それを与えてくれた 周囲を、けして忘れたくないと願うだろう。
「あと十年は見れるね。忘れても、もう一度……」
タイムリミットはあと十年。生と死、その選択の時まであと十年。壊れかけのこの身体はどこまで保ってくれるかな?
十年を過ぎても、世界を愛おしめたらいいと思う。ここに来れたならいいなと思う。
そんな想いをつめこんだ言葉に、彼は吐き出すように言った。
「馬鹿野郎……最低でも六十年は保たせろ」
全てをわかっていても、そう言うんだね。
生きろと、言うんだね。
「失礼な、『野郎』じゃないんだけど、これでも」
ふざけて返せば、フン、と嫌味な笑いを一つ。
「てめえなんて、『野郎』で充分だよ…………おい」
「なに?」
続けられたセリフに、私は目を見開くはめになる。
「これから毎年、ここに来るぞ」
目をあわせずにそっぽを向いたままの理由も、どこまでもぶっきらぼうにいわれるその言葉の真意も。
「毎、年……?」
「いっとくが、俺は十年先までなんてちゃちなことはいわねえからな。最低でも、六十年先までだ」
いやみったらしい口調に隠された想いも、そのどこまでも偉そうな態度の真実すら、長い付き合いゆえに知っているから。
「いいな? この俺様が付き合ってやるっていってんだからな」
軽さを装った真剣さで「約束、守れよ」と言われて……。
――不覚にも、泣きそうになる。
涙を見せるのはひどくシャクで、こらえてわざと明るい声を出した。
「お前と?! お前とじゃ静かな時間を過ごせないと思うんだけど?」
「はっ、現実に戻してやるって言ってんだよ、このドリーマーが!」
微かに赤く染まったその頬は、夕焼けのせいだと思ってあげる。
六十年先というその言葉も、気まぐれだと思ってあげる。
だから。
「あーあ、お前とじゃ感動が半減だね」
「はっ、ぬかせ」
だから、今は見逃して? 私の目が潤んでいるだろうことも。
そして、愛おしいと思わせて。私を取り巻く全てのものを。
十年後も、そのまた十年後も、ずっとここに来れたならと思う。
愛おしいこの世界を、何度でも、刻み続けたい。
そして、君との約束を、守りたいから――。
終
アトガキ
こんにちは、刃流輝です。
あいかわらず意味不明なものを書いてます。
……書きたいことが書けたような、書けなかったような(汗)
要するに書きたいこととは、『世界を感じること』だったのですが。
さらに要約すると『愛おしい』なのですが……あんま伝わらない気がする……。
精進、します。
まあ、皆様も一度ゆっくり『世界』を感じてみてください。道端の草にも、頬を撫でるなんのへんてつもない風にだって、『愛おしい』と感じることが出来るはずですから。
もしこの話でわかっていただけたなら、雰囲気が少しでも感じていただけたなら、万々歳です。
……この話は、どんなジャンルになるのか。それが一番の問題だったりして。
2003.07,23 刃流輝
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