最期の記憶と約束と



 絶対に守ってやるって言ったのに、あんたは消えてしまった。
 一生側にいてやるって言ったのに、あんたはいなくなった。
 嘘じゃなかった。あんたはアタシを守りとおして……そして命を落とした。
 真実だった。あんたはその一生、死の瞬間まで、アタシの横にいた。
 ――でも、そんな愛いらなかった。
 あんたがいなくなる方が怖かった。
 なのになんで、死んでしまったの?


 目の前で、自分から見ればまだ幼い少女が、落ち着かない様子でグラスをもてあそんでいる。
 細かく揺れるその手は、少女の不安を正直に表していた。
「……少し、落ち着いたらどうだい?」
 たまりかねて声をかければ、少し潤んだ瞳がこちらを見た。
「でも……でも、女将さん」
「おとなしくあいつの帰りを待つんだ。大丈夫、ここまで追っ手は来やしないよ。あいつもそれがわかっているから、あんたをアタシのとこに置いていったんだ」
 言って、煙管をふかす。横からたれてきた煩わしい髪を耳にかけ、カウンターの椅子、少女の隣りに腰かけ、顔をのぞきこんだ。
 少女は一般的に見ても可愛らしく、保護欲をそそるような顔立ちをしている。しかし、『あの男』が連れ歩くような人種には、間違っても見えなかった。
 あいつも普通の男だったってことかねぇ……?
 内で小さく呟いて、一人の男を思い出す。
 自分の経営するこの酒場の常連客。珍しい黒髪をもった、孤高の賞金稼ぎのことを。
 今までほとんど人と接することのなかった――人付き合いを避けていたあの男が、この少女を連れてきた時はとても驚いた。彼が誰かと、しかも普通の少女と行動するなど、考えたこともない事態だった。
 何者かに追われているようで、こいつを頼むと念を押された。そして少女をあずけると、追っ手を返り討ちにするために、疾風のごとく出ていった。
「あの……」
 思い切ったように声をかけてきた少女の声。
「なんだい?」
「あのっ……失礼ですけど、あの人とはどういう関係なんですか?」
 真っ赤になったその顔に、「ああ」と得心がいった。
「ふふっ、大丈夫だよ、お嬢ちゃん。あいつとアタシはなんでもない、心配なんてしなくてもいいよ」
 微笑んでいった言葉に、少女は慌てて首を振る。
「いえっ、そうじゃなく! いや、それもあるけど……ってなにをいってんるんでしょう!?」
 否定しながらも、あまりに正直な反応に、好意がわく。
 可愛らしい、そう思った。助けてやれることなら、助けてやりたいとも。
「? じゃあ、なんだい?」
 聞き返すと、言いづらそうにしながらも、少女は口火を切る。
「私……あの人のこと、ほとんどなにも知らないんです。でも、あの人が今まで、辛い思いをして、孤独だったことだけは、なんとなく知ってます……」
「……そうだね」
 あの男が辛い人生を送ってきたことは自分も知っていた。酒場の女将という商売柄、人を見ればその人物がどういう人間か、多少だがわかる。あの男にはいつも、暗い影がつきまとっていた。
「でも、その彼が『この店の女将は信用出来る』と、そう言いました。だから……あの、彼のこと、私より知ってるんだろうなあ、って」
「あいつが……そう、言ったのかい?」
「はい」
「……なんてこったい」
 嘘みたいな話。だけど、彼は実際に、こうして少女を置いていった。この少女が彼にとって大切であろうことは、先程の見た彼の表情で疑う余地もない。
 まさかあの男が、そこまで自分を信用していてくれたとは思わなかった。
「まったく……少しぐらい表情に出してくれたっていいじゃないか」
 いつも変わらぬ無表情で、それでも態度で示してくれたのは嬉しいけれど。
 ちょっとしたいたずら心で、あることを思いついた。
「――よし、お嬢ちゃん。面白いことを教えてくれたかわりに、アタシの知ってるあいつの話、全部話してあげるよ」
「本当ですか?!」
「本当だとも。さて……どれから話そうかねぇ?」


 しばらく。男の武勇伝を話し続けても、噂の主は帰ってこなかった。
「……どうしたんだろうね。いくらなんでも遅いよ」
 目の前の少女は、すでに泣き出しそうだった。
「まさか……何かあったんじゃ……」
「縁起でもないことお言いでないよ。大丈夫、あいつの強さはあんたもよく知ってるだろう?」
「でも……」
 不安に体を揺らしていた少女が、なにかを決意して立ち上がった。
「女将さん!」
「なっ。ど、どうしたんだい?」
 それまでの儚げな様子が嘘のように、少女は真っ向からこちらを見つめてきた。
 瞳の中にあるのは、強い意志。
「女将さん、私を彼の元へ行かせてください……!」
「なにを馬鹿なことを! あんたが行ったって、なんにもならないだろう!?」
「でも!」
「でも?!」
「彼は……私を守ってくれるって言ったんです……」
 少女の言葉に、過去がフェードバックする。
 ――絶対に、オレが守ってあげるよ……。
「側にいるって……言ってくれたんです……」
 ――オレが一生、側にいるから。
 くらくらと回る世界で、ろれつの回らない舌を無理矢理動かした。
「だったら尚更……あんたが行く必要は、ないだろう?」
 少女が、首を左右に振る。
「約束したんです……」
「……約束?」
 ――約束するよ。オレは君の側で、君を守り続ける。
「彼は私の側で、私を一生守る……その代わりに、私も彼の側で、彼を一生守るって……だから、私は行きたい……行かなきゃならない!」
 真っ直ぐな瞳が自分を射抜く。
 ……自分は。自分はあの時どうした。彼の人が誓いを立てた時、自分はどうしたんだっけ?なにをしてあげられたんだっけ?
 ――ごめん。約束はここで終わりだ……とりあえず、破棄はしないですんだね。良かった……君を守れて。
 思い出すのは始まりではなく終わりの記憶。
 粉雪が舞い散る中、赤い花を咲かせて散ったあの人の最期。
 全身を赤く染めながら戦って……あくまであの人は約束を守ったのだ。
 知らず、涙が流れる。
 後悔と、喜びと、悲しみと……色んな感情がごちゃまぜになり、頬をぬらした。
「えっ、女将さん!?」
 いきなり涙を流したことに少女は驚いて、それでもハンカチを渡してくれた。
 渡されたハンカチをありがたく使わせてもらいながら、扉を指さす。
「……おゆき」
「え?」
 目を見開きぽかんとする少女に、小さく笑みを見せる。
「アタシャなんにも見てないよ。目を離したすきに、あんたはうまいぐあいにあいつを追いかけた……そうだろう?」
 しばらく少女は呆然としていたが、我に返ると満面の笑顔を浮かべ「ありがとうございます!」と頭を下げた。
「ふふっ。なーんにも見えないねえアタシには」
 もう一度頭を下げ、少女が出ていく。
 それを見届け、棚に飾ってあった写真立てを手に取った。写っているのは、あの人と、自分。もう、今となっては一枚しかないあの人の姿。
 約束だけが鮮明に残り、遠い記憶は薄れつつある自分にとっての、唯一の道標だ。
「アタシも、あの子みたいにしてりゃよかったのかねえ?」
 守られるだけでなく、側にいてもらうだけでなく、もし、自分もその分の愛を返していたなら……結果は変わっていたかもしれない。
 指先で、写真をなぞる。ぽたりと、涙がガラスの上に落ちた。
「ごめんよ……アタシに勇気が足りなかったから、あんたは死んじまったんだ」
 なんで死んだのかと、彼の人を責められる立場ではない。むしろ責められるべきはこちら。守られることしか考えてなかった自分。
「ごめんよ……」
 呟いて、写真を抱きしめる。その時、声が聞こえた気がした。
 ――泣かないで。自分を責めないで。それが、オレの最期の願い、約束だよ。
「あんた……」
 はっと、抱きしめていた写真を見つめる。写真の中の彼は、あいかわらず優しい笑顔を見せていた。
「そうだったね……」
 白銀と深紅の世界で、彼と自分は、最後の約束を交わしたのだ。
 けして自分を責めるなと、優しい、優しすぎる彼の約束。
 悲しみにくれ、忘れるところだった。
「忘れないよ、あんたも、あんたとの約束も」
 写真立てを置いて、窓の外を見つめれば、ちょうど黒髪の男と、少女が帰ってくるところだった。怪我をしたのか、男が少女をおぶっていた。
「無事だったんだ! 良かった……」
 どうやら怒っているらしい男と、困った顔の、それでも嬉しそうな少女。
 愛しい記憶を抱きながら、今はこの二人の行く末を見守ろうか。
 誰よりも強く優しい少女と孤独だった男の幸せと、その二人の約束の完遂を願いながら……。




アトガキ
こんにちは、刃流輝(ハル・アキラ)です。
『最期の記憶と約束と』をおおくりしました。
書きたかったのは女将の最初の独白と、守られるだけでなく……のあたり。
本当ならば、もっとダークになる予定だったのに、なんか違っちゃいましたねえ……なんでだろう?
今回は、全員名前が出てません。だから、ちょっと苦労しました。名前ってないと不便ですね……。
実際に出て、動いてるのは女将と、少女。セリフ(?)だけ登場が、女将の『彼の人』。賞金稼ぎの男は『彼の人』にも負けてます……。(あれ?メインのはずが)
世界観も、背景も、まったくもって考えてません。いつか書けるなら書いてみたいけど……無理そうだなあ。
――それでは、読んでいただき、ありがとうございました!!
2003,02,06


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