兄妹 ―3― 朝方ジンが言ったとおり、その日は朝からとても良い天気だった。ぽかぽかとした日差しが心地よく、何もないなら日向ぼっこでもしたいところである。 シェリルは洗濯が終わった後、青空に誘われるように買い出しに出かけた。 「あったかいなぁ」 のんびりと村を歩いていると、思わずそんな言葉が口からこぼれる。 長い冬が終わり、幾多の生命が活動を始めるこの季節。その温もりだけでなんだか良い気分になれるから不思議である。 「ちょっと買いすぎちゃったかな」 中身があふれ出しそうになる紙袋を抱えなおし、シェリルは家路につく。親子三人とはいえ内二人が男ということもあり、購入する食料はなかなかの量になる。特に今日はお買い得品が多く、あれもこれもと買いすぎてしまった。 「でも、まさかあんな良いものが入ってるなんて予想外だったし。おいしいものがつくれるんだもの、大収穫大収穫っ」 少しだけよたよたしながらも、ようやく家の前にたどり着く。 ――ああ、やっとついた。 ふぅ、と肩から力が抜ける。そこで緊張の糸が切れたのが悪かったのか、それまでどうにかバランスを保っていた紙袋がずるりと滑り落ちかけた。同時に袋の中身が空に浮くのが見えた。 「あっ、だめっ」 なんとか紙袋のバランスを保って、こぼれ落ちそうな食材の確保を。 とっさにシェリルの頭の中に浮かんだのはそれだけだった。 ゆえに――。 「あわ……っ!?」 足がからむ。自分の体のバランスすら崩れる。 ――転んじゃう……っ!! 反射的に目をつぶり、痛みと衝撃にかまえる。それでも食材だけはと紙袋を抱え込んだ。 ああ、またドジってしまった。お世辞にも運動神経がいいわけじゃないんだから、ちゃんと落ち着いて行動しなさいとあれほど言われているのに、自分ときたら……! 痛いんだろうな、痛いのはイヤだな、などとのんびりと考えていた。 だが。 「あ、れ……?」 いつまでも、衝撃は来ない。土のじゃりじゃりした感触もない。 その代わりとでもいうように聞こえたのは、「はぁ」という安堵とも呆れともとれるため息だった。 それと同時に、シェリルは自分が暖かな温もりに包まれていることに気づく。 「まったく……こっちの肝が冷えた」 もう一度ため息。 今度は、今度こそは呆れ一色になったそれ。よく知る低音にシェリルはほぅと体の力を抜いた。かたく閉じていた目をそっと開ける。 最初に見えたのは自分の腰に回された腕。後ろからがっちりとつかまれたことで、どうにか転倒をさけられたらしい。 後ろにいる人物がその手をいきなり離したりしないことはわかっていた。そのままの態勢でくるりと顔だけ後ろにふり返る。 そこにいたのはやはり、兄であるジンだった。いつも穏やかな蒼の瞳にほんの少しの焦りを含ませてシェリルを見ている。 「シェリル、怪我はないか?」 「お兄ちゃんが助けてくれたでしょう? 怪我がないのはわかってるじゃない」 「いや、だけどもしもってことがな」 もう大丈夫だと目配せすれば、それを間違うことなくくみ取ってくれた兄は、そっと腕を放す。 「ありがとう、お兄ちゃん」 にっこり笑ってお礼を言えば、「なんてことないさ」という返事。 そのままジンの視線がシェリルが力一杯抱きしめていた袋へと移る。 「買い物か?」 「うん。あっ、中身つぶれてないかな」 慌てて袋をのぞき込もうとするシェリルを制し、ジンが袋を取り上げた。そして眉を寄せ何かを言いかけるが、口を閉じてしまった。 「どうかしたの?」 「いや、とりあえず中に入るか」 「え、うん」 袋を持ったまま先へ進む兄の後を追いかけ、シェリルも家の中にはいる。 「ただいまー」 「はい、おかえり」 シェリルのあいさつにいちいちちゃんと返す当たり、この兄もまめだなぁと少し思う。 ジンがテーブルの上に荷物を置いてくれるのを横目で見ながら、シェリルは外出のために上にはおっていた上着を脱ぐと、ハンガーにかけた。 さて、次は買ってきた物のチェックだとテーブルに駆け寄るシェリルを、なぜかジンがじとーっと見つめていた。 「お兄ちゃん?」 「……ずいぶん、たくさん買ったんだな」 「うん、お買い得だったから」 はぁ、と本日何度目かわからないため息。 そして彼は不満げにこうつぶやいた。 「こんなにたくさん買うなら、買い物ぐらい俺が行ったのに……」 「でも、今日の晩ご飯のおかずだよ? お兄ちゃんにわかる?」 さらりと返した真っ当な答えに、兄がうっと言葉をつまらせる。 他のことならなんでも器用にこなすが、料理に関してはシェリルに一任しているため門外漢であることは、ジン自身一番わかっているのだろう。 だがそれでも、彼はめげなかった。 「じゃあれだ。俺が荷物持ちについて行く。それならいいだろう?」 名案だとばかりに笑う兄に、今度は妹であるシェリルがため息をつく。そしてわざと強めの口調で「お兄ちゃん!」と言ってみせた。その瞬間、まずいとジンの顔がゆがむ。 「このぐらいの荷物、ちゃんと私だけでも持てますっ。お姫様じゃないんだからね!」 兄が過保護気味なことはシェリルもわかっていた。ここできちんと自分で出来るのだと主張しなければ、こっそりなんでもやってくれそうだ。それこそシェリルが気づかない間に、気づかないままに。 それじゃあ嫌だった。もちろんジンが嫌なのではない。ちょっと過保護ではあるが、彼はそれを含め自慢の兄だ。 けれどそのまま甘えていては兄が呆れてしまうほど何も出来ない人間になってしまいそうで、シェリルにはそれが怖い。 妹の心兄知らず。なお「でも」だの「やっぱり」だのともごもご言い続ける兄を、きっと正面からにらみつける。 「お兄ちゃんだって、仕事があるでしょう?」 これ以上ない正論に、ジンはうろたえたように目をさまよわせた。その後気落ちしたようにぽつりと言葉を落とした。 「お前に何かあったんじゃないかって心配するよりも……一緒に荷物持ちでもした方がよっぽど、いい」 しゅんと肩を落とすその姿に、決意がぐらりと揺れ動くのがわかった。 シェリルだって本当はこんな風に怒りたくない。正直甘えてしまいたいのだ。だからこそ、心が揺れる。 だけどここでうなずいてしまってはいつもと同じ。今日こそはきっぱりした態度をとるのだ。 心を鬼にして拒絶の言葉をはき出そうとした瞬間。 「……毎回なんて無理は言わないさ。でも、俺の手が空いているときぐらいは……な?」 忠犬顔負けの眼差しをむけられ、シェリルの思考がフリーズする。 なんて卑怯な表情をするんだこの人はと思いつつ、どうにかかたまった思考を回転させようとした。 だがそこに、とどめとばかりに「そのぐらいは甘えてくれてもいいだろう?」なんていうセリフが飛んできた。シェリルの気分的には、かたまった氷を思い切り鈍器で殴られて粉砕しちゃった――そんな感じである。 「う、うー……」 見つめ合うことしばし。 折れたのはいつものごとく、シェリルだった。 「……わかった」 その一言に、ジンの顔にぱあっと笑みが広がる。 「手が空いてるときだけ! お仕事がないときだけだよ!?」 「そっか!」 慌ててもう一度条件をあげたが、わかっているのかわかっていないのか。今にもスキップをしかねないぐらいのテンションだ。 ああ、結局また負けてしまった……。なんだかんだと言って、自分のこの踏ん張りのなさが兄の過保護を増長させてるのではないだろうか。 そう自己嫌悪に陥るシェリルの頭を、ぽんぽんとかるく撫でる手。 そんなことをする人間は今一人しかいないわけだが、思わず顔を上げる。幸せそうな、照れくさそうなジンがそこにいた。今にも花が飛びそうなその顔は、ふぬけた、まぬけなと言った表現がよく似合う。 「シェリルはほんっとーに、兄思いのいい子だなぁ」 そのままわしゃわしゃと頭を撫でるというか、髪をかき回される。それで気分良くなってしまう自分も自分なんだろう。 それでも嬉しい気持ちは止められなくて、兄がそれをわかっててやってることも明白で。悔しいけれども降参の代わりにそっとつぶやくのだった。 「お兄ちゃんも……私の自慢のお兄ちゃんだよ」 なんのことはない。シェリル自身もまた妹馬鹿だったのである。 進む 戻る 物語TOPに戻る |