お嬢と執事の採用試験 後編 次の日。桜が学校に行く支度をしている時に現れたのは、昨日の自称忍者であった。 「よう、お嬢ちゃん」 「忍さん、でしたよね。どうしたんですか?」 鞄を片手に尋ねると、忍はずいっと大きくピースサインをして見せた。 満足げなその様子に、桜は「もしかして……」とつぶやく。 「そう、見事に仮就職できたんだよ!」 「……仮就職?」 忍の話すところによれば、昨日あの後無事に十三郎と面会できたそうだ。しかもちょうど新しい護衛を増やそうとしていたところだったらしく、かなり良いタイミングだったのだという。 ただし、雇用に関し十三郎は一つの条件を出した。 「わたしの護衛?」 「普段は重隆がやってるんだって? まぁ、それをあいつに変わって一週間やってみろと。採用試験みたいなものかな。雇用するかしないかはその働き次第だってよ」 そんなわけで、と忍は言う。 「一週間、よろしく頼むな」 「あ、え、こっちこそ!」 そしてその日から、重隆に代わり忍が桜につくことになった。 十三郎が許可したのだからそれなりに優秀なのだろうと思ったが、実際忍はかなり護衛しなれているように見えた。 身体的な護衛としての面だけでなく、常識人という意味でも桜を安心させてくれたし、話し相手としても優秀だった。一見ちゃらんぽらんそうに見えて常に桜のことを気づかってくれる態度には大人の余裕とプロとしての自信が見える。 一緒にいることでいつ何が起きるかとひやひやする重隆とは逆と言ってもいい。兄がいたら、こんな感じかもしれない。 「さっくらちゃーん」 最終日の七日目。いつも通り校門でひらひらと手を振っている忍に桜も微笑んで手を振りかえした。 今日もピンクのシャツに黒のスーツとホストまんまの格好ではあるが、それが妙に似合ってしまうのが本宮寺忍という男だった。後ろでくくった髪が、犬の尻尾のようにぴょこぴょこ揺れていて少しかわいい。 「迎えに来たぞー」 きっと『護衛』という立場上、学校にいる間もどこかで桜を見ているに違いないのだが、そういう風に言うことで『見張られている』というプレッシャーを軽くしてくれようとする気持ちが嬉しい。 「お迎えありがとうございます。忍さん」 「今日も一日お疲れ様! 鞄持とうか?」 「いえ、大丈夫ですよ。それより今日で最後ですね」 「そうなんだよな。忍、ドキドキしちゃうー」 胸に手を当て少し大げさに言う忍に思わず吹き出してしまう。 「ひっどーい。俺は本気なのに!」 いつも通りふざけた感じにじゃれ合いながらの帰り道、一瞬忍の雰囲気が変わった。 それは重隆が何かを感じ取ったときと同じような動作で、なんとなく二人が友人であることを納得してしまった瞬間だった。 「――ちょっとごめん」 耳元で言われた瞬間、腕を捕まれ忍の背にかばわれる。忍が滑るように場所を移動するのと、彼がいた場所にとてつもない勢いで分厚い本が叩きつけられたのはほぼ同時だった。 背表紙に『No one knows me』と金の英字が印刷されたそれには、見覚えがあった。重隆の愛読書だ。これって鈍器になりますよねーと輝いた瞳をしていたので良く覚えている。 そして、件の本はぐさりとアスファルトにつきささっている。こんな非常識なまねが出来るのも、一人しかいないだろう。 ――もしいるなら、あそこしかない。 確信と共に顔を上げる。忍の背越しに見たコンクリートの塀の上、そこに奴がいた。 立つのすら難しいような場所でママチャリにまたがってるその姿は異様としか言えない。いつものひょうひょうとした狐顔のまま、執事は二人を見下ろしている。タキシードの裾がはたはたと風になびいた。 「……いよう重隆、ご挨拶だな。どーゆーつもりだ?」 それに「ま、なーんとなくわかっちゃうけどよ」と軽口を叩きながらも、忍は桜をかばったままじりじりと後ずさる。 白い布に包まれた人差し指を口元に持っていき、重隆はにぃと口をつり上げて見せた。 「私の主人はいつだって、私を楽しませてくれるんですよ」 そのまま人差し指をすっと忍に向ける。 「最終試験です。お嬢様を護衛するんですから、どんな者も倒さねば」 細められた目の奧に、ぎらりと物騒な光がともる。 「そんなわけで私がお相手させていただきます。見事私を倒してご覧なさいな」 「ちょっ、重隆! それって本末転倒じゃないの!?」 あほー! と慌てて叫ぶ桜の横で、予想外に冷静だったのは忍だった。一つため息をつきばりばりと頭をかいて見せた。 「あー……やっぱそう来たか。お前がお気に入りの人間とられて黙ってるわけねえもんな。そんなこったろうと思ったぜ」 茶々を入れるように言った忍のセリフに、重隆の雰囲気が剣呑さを増す。それでいて、今まで桜が見たことがないくらいに優しげな顔で微笑んだ。 「……忍。正直なところ、けっこう私、むかついてます。なので――少し本気で行きますから」 その時の重隆の笑顔をなんと言えばいいのだろう。 すごく爽やかかつ清々しいのに、奥底にどす黒い何かが渦巻いているのが桜には見えた。 忍もそれを感じ取ったのだろう、「ははは……」という乾いた笑いが口からもれる。 「まぁそれでも……負けないけど、なっ!」 言うがはやいか忍は懐に手を突っ込み、何かを取り出す。そしてそれを道路に叩きつけた。その瞬間爆発音と共に煙がもうもうと立ち上がる。 煙の向かうではさほど慌てる様子もなく重隆がのんびりとつぶやいた。 「――煙幕、ですか」 「ごめんな、桜ちゃん。ちょーっと我慢してくれな!」 言葉と共に脇に手を入れられ、そのまま肩に担ぎ上げられる。 「わ!?」 「いく!」 ふわりという浮遊間。それが忍が跳躍したせいだと理解するのに数瞬かかった。 リズムカルに、まるで足下にトランポリンでもあるかのようにはねる。 「し、忍さん!? どーやってるのこれ!」 「そっりゃあもちろん、忍法ですよ」 「…………」 やっぱりこの男もある意味で重隆の同類ということかと思いかけた時、申し訳なさそうな「ごめんな」という謝罪が聞こえた。 「なんとなくこうなるかもって予想はしてたんだがなー……あいつの怒りっぷり、想像以上だわ。完璧に巻き込んじゃう形になっちまった」 怪我だけはさせないから、もう少し付き合ってくれな。 ひどく真剣なその言葉に、桜は苦笑して見せた。 前言撤回。重隆の同類というにはこの人は性格的にいい人過ぎる。 「あのですね、忍さんには負けるかもしれませんけど、わたしだって重隆と付き合ってだいぶんたつんですよ? 大丈夫、こんなことぐらい慣れてます。……乗りかかった船です、最後までおつき合いしますよ」 「桜ちゃん……」 じわりと瞳をうるませてどこか感動した面持ちをした忍は、次の瞬間にそれを満面の笑みへと変えた。 「あーもう、マジ最高! 重隆が気に入って離さない気持ちがよーっくわかった。ますます負けらんないっ。お兄さん頑張っちゃう!」 最初に、興味を持った。 あの唯我独尊の権化とも言える藤原重隆ともあろう男が、一人の少女を護衛していると聞いたときはいったいなんの気まぐれかと思ったものだ。 しかし彼が認めたのは宮越十三郎という個人で、それでも気が向かなければ命令されたって動こうとしない。そんな彼が主人の孫娘だからというだけでただの少女の側にいるわけがない。 だから、興味を持った。見てみたいと思った。 就職先に困っていたというのは半分嘘。確かに先日まで受け持っていた護衛の依頼は完遂していたが、忍ほどの腕があれば実際の所売り込み先はいくらでもある。逆に言えば、金さえきちんともらえるならそれが宮越グループでもいっこうにかまわなかったというだけだ。 重隆をたずねてみて、追い出されたらそれはそれで個人的に十三郎の元へ行けばいい話だ。そのぐらいなら、忍にとって赤子の手をひねるよりたやすい。 だから本心としては『宮越桜』という人間を見に行くことが一番の目的だった。 それが当の本人の計らいもあって本気で十三郎に会えるわ、採用試験と銘打って仮とはいえ桜の側にいられるわと、うまくいきすぎて不安になるぐらいだった。 一週間、彼女の側にいてわかった。こりゃあ重隆が骨抜きになるのも無理はない。 見た目は普通の少女だ。令嬢と呼んで差し支えない立場になったのにもかかわらず、彼女の芯は本当に普通の少女のまま。そこがまず、面白くて変だ。 普通なら、変わってしまうだろう。あまりの環境の変化に、良い方向にしろ、悪い方向にしろ変化するのが人の性だ。なのに彼女は普通すぎて、それが異常だ。よほど強く自分を持っていなければこうはいかない。 重隆に鍛えられたのか生来のものか、度胸もすわっているのがさらに気に入った。 あんな真っ黒い重隆の笑みを見て、まだ忍を気づかう余裕があるなんてまずもって普通じゃない。 だいたい普通の子なら、重隆の自分勝手さにまずついていけないだろう。あの重隆の言動にめげずついていけるだけでも、かなり貴重な人材だと言える。 こんな子に仕えるのも、いいかもしれないな。 胸中でそう思いながら全速力で屋根を、壁を、木の上をはねる。 「し、忍さんっ」 「しゃべると舌かむぞー? どうしたの」 こんな抱えられて飛んでいる状態で話す気力があることに内心舌をまく。 ああ、ますますいい女だ。 「どこ、行ってるんですか?」 「んー? 桜ちゃんのおうち。うちまで送り届けるのが俺の仕事だろ?」 「重隆っ、自分を倒してみろ、みたいなこと言ってたけど」 桜の言葉に「あー、無理無理」と手を振って見せた。 「さすがに俺、重隆みたいな人外になれねーもん。人が人外に勝てるわけねーじゃん。無駄なことはしない主義なの俺は」 確かに……とつぶやいたあと、桜は心配げに「それで大丈夫なの?」と聞いてきた。 ここで言う『大丈夫』とは、『採用試験がそれで受かるのか』ということだろう。 「俺のお仕事は、あくまで桜ちゃんを守ること。ここで重隆とタイマンはったら、まず仕事の完遂は無理。だから、逃げるのが一番良い手段ってわけ」 そう、自分はあくまで『宮越桜の護衛』なのだから、わざわざ戦うことはない。あんな人外みたいに邪魔するものを全部叩きつぶすなんて無茶にもほどがある。戦略的撤退も時には必要だ。 「あー……もうきやがった」 煙幕程度であきらめるわけがないとわかっていたが、後ろからすごい勢いで近づいてくる気配を感じる。同時に全神経を集中させ意識的に向上させている聴覚が、空気を切り裂く音を感じ取った。 「――ふっ」 愛用の刀を片手で背中に回し、感覚だけで重隆の投げてきた何かをはじく。 きん! という高い音をたてそれは力をなくして下に落ちた。 「音からすると、苦無(くない)かなー……俺の専売特許とるなよな、あの人外執事め」 ぶつぶつと文句を言ってると、おそるおそるといった風に桜が刀を指さした(のだと思う)。 「し、忍さん、ソレ……」 「あー、これ? 忍刀は忍者のたしなみよん」 「いやいやいや、どこから出したの。見覚えがないんだけど」 「そりゃあもちろん、忍法、忍法♪」 「……手品の間違いじゃないの」 十分ほどの攻防戦は、桜にとって永遠にも感じた。後ろから雨のように降りかかる苦無を何本よけたか定かじゃない。 それでもどうにか、ゴールである桜の自宅にたどり着く。だがそのまま玄関では止まらずに、忍はさらに屋敷の奧へと駆けていった。 すれ違う使用人たちが、目を見開いてこちらを見ているのが少し恥ずかしい。 「忍さーん、うちについたんだからおろしてくれてもいいんじゃない?」 「だーめ。まだ後ろから重隆がきてる。あいつ、隙さえあれば俺を殺る気まんまんだぜ?」 このままゴールに行かせてもらう、そう言って忍はさらにスピードを上げた。 やがて大きな扉の前に突き当たる。ためらうことなくそこを開け中にはいると、そこでようやく忍は桜をおろした。 「はい、到着。……会長、桜さんをお連れしました」 そこはこの屋敷の主、宮越十三郎の部屋であった。部屋の主である十三郎は、ゆっくりと立ち上がると桜をまじまじと見つめほっと息を吐き出した。 「護衛ご苦労……重隆もな」 言われて後ろをふり返れば、しわ一つ無いタキシード姿のままの重隆がいつの間にか到着していた。 どこか憮然とした表情の重隆に、祖父はそれは面白そうに語りかける。 「重隆、納得したか」 「したくはありませんが、基準を満たしたのは認めましょう」 「ならばいいか」 「気にくわないですが、しかたありません」 二人だけに分かる会話を終了すると、十三郎はぱん、ぱんとかるく拍手をした。 「おめでとう、本宮寺忍。試験は合格だ」 要するに、この一週間で行われた試験は重隆のわがままにより発生したらしい。十三郎は別に試験などしなくても忍を雇うことに否やはなかったそうなのだ。 一週間桜の護衛をさせ、重隆が提示した条件を忍がクリアできればよし、無理ならば足手まといになると判断する、そういう約定が交わされていたそうで。 それを聞き、忍は重隆をぎろりとにらんだ。 「重隆、お前……そんっなに俺を陥れたかったのかよ!!」 「だって邪魔ですから」 「うっわ正直。この正直者!」 「褒めてるんですか? というか、もっと条件あげとけば良かったですね……甘くしすぎました」 「なにそのわけわかんない理屈!」 「だって、死ななかったですし」 「つーか、殺す気だったわけ本気で!?」 「ええ、わりと本気で。邪魔ですし」 非人道的なことをすっぱすっぱと言い放つ重隆に、忍が頭を抱える。 「あーもー……言っとくが、わかってんだからな。お前がそーゆー風に言うのは嫉妬だろ!?」 ずびし! と指をさされ、重隆がぴんと眉をはねさせた。 「……はい?」 「そんなに俺がお前のお気に入りの桜ちゃんと仲良くしたのが悔しかったかよ。悪いけど、俺も桜ちゃん気に入ったし? 晴れて採用されたので、べったべったさせてもらうから」 「…………」 晴れ晴れと言い放った忍が気にくわなかったのか、重隆は黙ってどこからか取り出した日本刀を抜いた。それに忍も愛刀を抜き放つ。 そのままなぜか、つばぜり合いが始まった。剣を境に額を付き合わせながら、二人はどちらかが折れることなくにらみ合っている。 「めんどくさいんでやっぱここで殺しときます。速やかに成仏してください」 「はっ、せっかく就職したのにそう簡単にやられてたまるかよ……!」 本気で殺し合うんじゃないかという執事と忍者を見つめ、桜はため息をついた。 「おじいちゃん、いいの?」 このまま放置して、という言葉を聞きながらも、祖父は孫娘のために手ずから紅茶を入れている。まったくもって余裕の表情だ。 「重隆が本気なら、忍はもう何太刀かあびてるだろう。そうじゃないならじゃれてるだけだ」 「ずいぶん物騒なじゃれあいよね……」 「まぁ、面白いからいいだろう?」 こうして宮越家に忍者が加わった。 破天荒な採用試験は、どうにか集結したのである。 お嬢と執事の採用試験 終 前編へ戻る 物語TOPに戻る |