お嬢と執事の変わらぬ毎日 後編


「いやあ、お月見日和ですね」
 縁側で空を見上げのんびりとうなずく重隆に、桜は「そうね」とうなずき返した。
「たしかに良い月夜ね」
 天空で静かに、けれどたしかな存在感を放つのは欠けることのない美しい月だった。雲もほとんどなく十五夜にはぴったりのコンディションといえよう。桜が学校に行っている間に用意したのか、ススキも飾られていた。
「お嬢様、十五夜団子も用意してございます」
 すっと、どこからともなく取り出されたのは白くて丸いお月見団子。ピラミッド型につまれた神々しいその姿は、まさに月見にふさわしい一品だ。
「またどこから取り出したのかわからないものを……」
 つい先ほどまで団子なんて影も形もなかったというのにこれだ。まことこの男は得体が知れないと言うか、非常識だと言わざるを得ない。
 それでもその非常識になれている自分がいるのも事実だ……認めたくないことだが。
 おとなしく団子を一つつまみ口に入れる。適度なやわさと弾力持つそれは、口の中でその甘さを広げてゆく。
「むぅ……味が良いのがまた腹立つわね」
「はっはっは。この重隆、抜かりはありません」
 悔しいが、彼の料理の腕は本物だ。色々気分次第で変な試みもするが、基本的に彼の作る料理は芸術といってもいいほどのすばらしさを誇る。
「あぅ、食べ過ぎちゃいそう」
 団子をほおばりながらの台詞に、心なしか重隆も嬉しそうに笑う。
「まだまだありますから、遠慮せずにどうぞ」
「いや、そういうわけにも……いかなくて」
「何を遠慮してらっしゃるんですか」
「あー、えっと……」
 思わず目線をそらすと、桜のすぐそばに執事が移動する。指先にピンボールのようにはさまっているのは彼特製の月見団子。問答無用の笑顔で彼は先をうながした。
「……そんなに言いたくないのでしたら、この月見団子でその口をおふさぎすることも出来ますが」
 そんなことされたら死ぬわいっ! と思いながらも、重隆ならやりかねないのが怖いところだった。答えないと喜々として実行するような気がする……というか、確実にする。
 しぶしぶと、理由を唇にのせた。かなり小さな声ではあったが。
「……増えたの」
「は?」
 聞こえなかったらしく、重隆が首をかしげる。
「だーかーらーっ、増えたのよ!」
「増えた、とおっしゃいますと……?」
「その……ほら、おにく、が」
 言葉尻が少し小さくなってしまったのは勘弁してもらいたい。乙女がわざわざこんなことを口にしたのだから。
 だが、何のことやらよくわからなかったのか、目を丸くしてきょとんとしている執事に桜はやけとばかりに叫んだ。
「し、重隆のせいだからねっ。粗食になれてる元・一般庶民の子が、急にこんな美味しいものばっかり食べるようになったから〜っ!」
 二の腕やらその他ににおにくがついてきちゃったじゃない! と抗議する。
 しばらくして。ようやく事情を飲み込んだらしい執事は、今にも吹き出すのをこらえるように肩を震わせながらこう提案した。
「運動なさればよろしいのでは?」
「へ?」
「運動です。食べた分のカロリー消費をなされば問題はないでしょう?」
「あ、うん……」
 それは重隆にしては至極まっとうな意見に思えた。
 食べたら運動をする。たしかに真理だ。だが、何をすれば効率が良いだろう。
 考え込んだ桜に、重隆はさらなる提案をする。
「なんなら私の愛車をお貸ししますが」
「……重隆のママチャリ? サイクリングしろってこと?」
「私も毎日乗ってますから……なかなか良い運動になると思いますよ」
 言われて重隆を見れば……実際彼はむだな贅肉とは無縁の体つきをしている。説得力はあった。
「そっかー、サイクリングもいいかも……」
「お手本、お見せしましょうか?」
「お手本って……自転車でしょーが」
 目をまたたく主人の目の前で、執事はチチチと指をふる。
「私の愛車をただの自転車とあなどってもらっては困ります」
 言った狐顔に広がる不敵な表情に、桜は嫌な予感が背中を走るのを感じた。
 この顔は。この顔はいけない。そう桜の本能が叫んでいた。
「あー、あー! やっぱわたし遠慮しようかなぁ……!」
 あわてて腕をふる桜の言葉は、もはや青年に届いていない。
「――ではでは。いざいざいざ」
 やる気満々である。執事は鼻歌を歌いながら愛車にまたがった。
 ……そして桜は見ては行けないものを見たのだ。そう、後悔と共に。
 
 
――次の日。
「……重隆、やっぱあんた人間じゃないでしょ」
「はてさて。あんなことをしたからと言ってそんな風におっしゃるなんて、お嬢様もまだまだですね」
「〜〜〜っ。明らかにおかしかったでしょうが!」
「いえ、せっかくの満月でしたから」
「満月だったらあんたはいつもアレをやるの」
「ええ、気が向けば」
「ってか、あんなことできちゃうのが普通のわけないでしょー!?」
 耳元でがなられてもどこ吹く風。執事はにこやかに微笑むのだ。
「ちょっと自転車で空中を散歩したからどうだっていうんですか」
「あんたは●.Tかっつーのおおおおお!!!」
「いえいえそんな。E.●なんかよりも幻想的でしたでしょう?」
「あほおおおおおおおおおおおお!!!」
 頭を抱えて絶叫する主人の横で、青年はもう一つなぞめいた笑みを口の端にのせつぶやいた。
「お嬢様、昨日のご質問に答えましょうか」
 主人が耳をすませていることを確認して、彼は歌うように言う。
「こぉ〜んなに良い執事であるわたくしめにむかって人間かどうか聞くなんて……まったくもってくだらない! それが答えですよ」
「……それは遠回しに人間であることを否定したととっていいのかしら」
「さて? ……まあ、あなたが私を楽しませてくれる限り側にいますよ。それだけは真実です」
 狐目をさらに細め、執事は甘くささやいた。
「あんまりくだらないことばかり聞くなら、遠慮なく食べちゃいますよ」
 

お嬢と執事の変わらぬ毎日  終




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