お嬢と執事の変わらぬ毎日 前編


 宮越(みやこし)家には一人の青年執事がいる。
 さらりとゆれる銀髪に少し細めの碧眼がどこか狐を連想させる、見た目は実に立派な正統派外国人である。そのすらりとした長身にまとう服も黒のピシリとしたタキシードに蝶ネクタイ、手にはめられた純白の手袋と執事の名にふさわしい。
 だがしかしそんな外見に反し、その名が実はセバスチャンではなく「藤原重隆(ふじわら・しげたか)」などという重々しい日本名であったり、その過去がいっさい謎に包まれていたりと彼には疑問に思うところが多い。……そして何よりも。
 彼は一体何者なのか……というか、本当に人間?
 そんな疑問が、少女の胸から離れない。


 高校まで歩いて登校する自分の横を愛車(ママチャリ)で併走しつつ、どうやってるのかいまいちわからないしわかりたくもないが、とりあえず紅茶を入れてる執事に、(一応)主人たる宮越桜(みやこし・さくら)は半眼でたずねた。
「重隆さあ、ほんとに人間?」
 それに執事はピンと形の良い眉を上げて見せた。
「なんですかお嬢様、やぶからぼうに。……あ、ちょうどお茶が入りましたよ」
 執事の手にはほかほかと湯気を立てる紅茶が一つ。自転車で揺られながらも、けしてカップから液体があふれることはない。
 とりあえずお茶はいらないと答えると、いつの間にやら彼の手から紅茶のカップが消えうせる。
 いったいどこに行ってしまったのかと考えるのも彼が相手だとめんどくさい。なぜならそれが彼の日常だからだ。
 だから「なんですか」と言われ、理由を答えるなら一つしかない。すなわち。
「だって重隆、変なんだもん」
 ……半ばあきらめてるし今更ではあるが。
 桜の中での彼のカテゴリーはすでに『人間規格外』、もしくは『物理法則をねじ曲げる男』となっている。そうじゃなきゃママチャリに乗りながらお茶なんていれられないし、入れたお茶が消えることもない。
 桜の端的な答えに執事はショックを受けたような顔をする。それでいて声はいつものひょうひょうとしたままで言うのだ。
「こんなにかゆいところにまで手の届く執事はいないと自負しておりますのに、なんと非情なことを仰いますのやら。私はお嬢様をそんな風にお育てした覚えはありませんっ」
「うん、とっても嬉しいことに育てられた覚えがないんだけど」
 重隆に会ったのはほんの一年前程度である。育てられた覚えなどつゆほどもないし、育てられたくもない。
「またそんな口答えをなさって。不良の始まりですね!」
 お嬢様が不良にぃぃぃ! と声を大にして叫び出しそうな執事をため息とともに思わず殴りつける。それを器用にさけながら彼は「なんということでしょう!」と悲鳴じみた声をあげた。
「ドメスティックバイオレンスですかお嬢様。執事いじめですかお嬢様。あんなに可愛らしく健気だったお嬢様がこんな恐ろしいことをなさるなんて……ああ、私がふがいないばっかりに!」
「……可愛らしいとか健気とかはともかく、重隆に責任の一端があるのは確かに間違いないわよね」
 少なくとも友人たちから『平和主義』とたたえられる自分が、「ああ、心底こいつを殴りたい」という衝動に駆られるようになったのは藤原重隆という男にあってからなのは事実である。
「いいでしょういいでしょう。しょせん私はあなた様の奴隷! 一介の使用人風情なれば。ただの犬ごときには八つ当たり対象としての価値しかないのでしょう」
 わかっておりますとも、と執事は全然わかってない口調でまくしたてた。
「しかしお忘れめされるな。犬は犬でもわたくしめはあなたの忠犬であることを……!」
「……忠犬、ねえ?」


 重隆は性格の歪みとその得体の知れなさはともかく、優秀な執事であることは認めざるを得ない。主人と召使いという関係を犬と飼い主のそれに例えたのもわかる。
 だが彼は、別に桜に忠誠を誓ってるわけではない。気が向いたから、真の主人である桜の祖父に命じられたから側にいるのだと桜は認識している。
 もし少しでも隙を見せれば、彼は桜の喉元にかぶりつきかねない。逆に自分こそが重隆の暇つぶしなのだとも言える。
 ……そういう意味で彼はけして『忠犬』などではない。むしろただの『狼』だった。
 そんな桜の心情を読んだのか、重隆はくつりと喉をならした。
「おや、心外ですね」
 細い狐目が、桜を楽しそうに見つめている。
「主人にするなら何も見ようとしない愚物は問題外です。そういう意味では、あなたは私の主人たり得ている。身の程を知っている人間は好きですよ」
「……それは褒め言葉なの?」
「ええ、最上級の」
 にっこりとした笑みが、いつもの営業用とは少し違ったので本心であることがわかる……が、なんだか微妙な気持ちである。
「あーあ。ホントうさんくさいなぁ、重隆は」
「褒め言葉ですか? ……私はご主人様に忠誠を誓っていますが、お嬢様といるのも、なかなかに楽しゅうございますよ」
「そりゃどーも」
 半ばあきらめの心境でため息をついたとき、学校の前に到着した。
「じゃ、行ってくるね」
 ひらひらと手をふれば、重隆は優雅に一礼して桜を見送る姿勢をとる。
「いってらっしゃいませ、お嬢様。今夜はお月見を行うとご主人様がおっしゃってましたので、どうぞお早いお帰りを」




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