お嬢と執事の戦いの日々 後編


 思い立ったら吉日、まずは敵を知れということで、とりあえず桜は重隆の部屋の前に来ていた。もちろん彼へのリサーチの為である。
 しかし……何の変哲もない扉の前だというのに、どこかおどろおどろしい雰囲気を感じるのはなぜであろうか。
「……し、重隆? ちょっといいかなー?」
 気のせいだと思いこみ、なるべく明るい声を保って扉をノック――そのままガチャリとあけた。
「――っ!?」
 扉の向こうに広がる世界を見た瞬間、条件反射で扉を閉める。大きく息をはいて扉に額をあずけた。
「なに、今の……」
 カーテンの閉め切られた薄暗い部屋で、白衣をまとった銀髪の青年が怪しい実験をくりひろげている――ようにみえたのは、何。
 ――ガチャ。
「うひゃっ!?」
 いきなり扉が内側に開き、自分を支えるものがなくなった桜はたたらを踏みながら室内に足を踏み入れてしまった。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
 重隆の声にびくりと体を震わせ、おそるおそる顔を上げる。
「あ、れ……?」
 普通の、重隆だった。いつも通りきっちりとタキシードを着こなし、浮かんでいるのはどこか狐を思い出させる表情。
 部屋も、屋敷にある他の場所とさほど変わらないノーマルなものだ。むしろ家具が少ない上に片づきすぎていて、人の住んでいる気配が薄い。
「……?」
 白昼夢だったのだろうか。そう思うほどに、最初に見た光景とは違っている。
 首をかしげる桜に、重隆は目を細め微笑みによく似た、けれどもっと物騒な表情を作って見せた。
「なにか、見ましたか……?」
「!! なにもっ」
 その笑みにやっぱり現実だったのだと思いつつも、触らぬ神にたたり無しと首を思い切り振って否定した。「ならいいでんです」という満足げな言葉にほっと一息をつく。
「……で、お嬢様」
「へ?」
「何か話があるのでしょう、私に。わざわざ私の部屋までおいでになったのですから」
 クスリと小さく笑う姿に、何もかもお見通しかと悔しく思う。だが、それならそれでやりやすい。
「もう直球で聞くけど……重隆さ、なにか欲しいものない?」
「欲しいものですか?」
「そんなに高いものだと無理なんだけど……ブーツのお礼したくて」
「あれは私からのクリスマスプレゼントだと申しましたでしょう」
「だから、わたしもクリスマスプレゼント」
 強情に言い張る桜の言葉に、執事は負けを悟ったのか腕を組み「ふむ……」と考え込む。しばらくの沈黙の後、ぽんと手の平を叩いて桜を見た。
「そうです。そういえば、マルガリータが壊れたんでした」
「……まるがりーた?」
 一人納得してうなずく重隆に、桜は疑問符を飛ばす。そんな可愛らしい名前をつけられたものが、この部屋のどこにあるのだろう?
 その疑問を正確に読み取ったのか、重隆は一人部屋の奥に行き何かをとってきた。
「これがマルガリータです」
 そう言ってうやうやしく差し出されたのは。
「これは、顕微鏡……?」
「はい。先日不注意から壊してしまって……困っていたのです」
 執事がいったい顕微鏡を何に使っているのかだとか、なんで名前をつけているのかだとか、「ああ私のせいで! およよ……」という泣き真似がわざとらしいだとか、ひどくつっこみどころは多かったがとりあえずそこは黙っておく。
「顕微鏡って……高いんじゃない?」
 私のおこづかいで買えるかな……と思わず本音が出た桜に、泣き真似から一転重隆は自信満々に笑って見せた。
「大丈夫です、一番安いおもちゃに近いやつで。そこから自分で改造しますから」
 続いた「マルガリータ二号です!」という台詞から『マルガリータ』も改造されたものであることを知ってしまい、出来れば知りたくなかったと思う。
 なにせこの執事が自ら改造したというのだから、普通ではないはずだ。
 それでもまあ、この青年が欲しいというのだから仕方ないだろう。
「わかった。じゃあ、近いうちに見てくるから……期待しないで待ってて」
 これ以上の長居は無用と部屋から退出する桜の背にかかった声は。
「安くてもいいですから! むしろその方が改造のしがいが……なんでもありません」
 ――高くてもいいので出来るだけ改造できないやつを送った方が良いのではないかと、真剣に思い始めた桜だった。


「三十八度二分……完璧に風邪ですね」
 体温計を受け取った執事はのほほんと告げた。
「そっか……」
 先日重隆へのプレゼント(顕微鏡)を探しに行ったときに、雨に降られて少しぬれて帰ってきたのが悪かったのかもしれない。
 失敗したなぁと続ける前に、自分の咳に会話をとめられた。
「無理をしないでください。どうも扁桃腺が腫れてるようですし……声を出すのも辛いでしょう?」
 確かに重隆の言うとおりなので、うなずくことで返事にする。
 それを見た重隆は、毛布を上から重ねてかけたり水枕を持ってきたりと非情に普通かつまともに仕事をした。普通すぎて怖いぐらいだ。
 そんなことをぼうっと思いながら、揺れる視界でかいがいしく働く重隆を見続けた。
「お嬢様、薬です。飲んだらもう少し眠ってください」
 手を借りながら体を起こし、差し出された薬をやっとのことで飲み込んだ後、桜はもう一度布団に沈んだ。思い通りに動かない体が歯がゆかったが、自業自得なので誰に文句を言えるわけでもない。
 こんなにすぐ薬が効くはずはないが、はやくも消えていきそうな意識の中で重隆の「おやすみなさいませ」という言葉は、なんとなく聞こえた気がする。

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 雨が降っている。音も立てずに降る雨は、どこまでもあの日と同じだった。
 ああ、これは夢なのだろう。あの日の光景を、自分はまた夢に見ているのだ。
 やがて桜の視界に自分の姿が映った。今よりも少しだけ髪が短いそれに、やはり『あの日』なのだと桜は確信する。
 突如響き渡る電話の音に、夢の中だというのに体を揺らした。夢の中の自分は、何の疑問を持つこともなく受話器に手を伸ばす。
《――はい、もしもし。……え、お父さんとお母さんが……?》
 するりと手から滑り落ちる電話。「うそ」と、その唇が言葉を刻んだ。
 それを見た次の瞬間、視界にノイズが走る。再び視界が開けたとき、場面は転換していた。
 広い執務室で、初老の男性と銀髪の青年が立っている。
《ああ、本当によく息子(あれ)に似ている》
 そう言って寂しげに微笑んだのは、その日初めてであった祖父だ。
《すぐに迎えに行けずすまなかったね……寂しい思いをしただろう?》
 ぎゅっと抱きしめられて、久しぶりの人の温もりに思わず涙が出た。
《もう、お前は一人じゃない。お前は大事な、わしの孫娘なのだから》
 桜を抱きしめたまま、祖父は《……重隆》と後ろにひかえる青年を呼んだ。
《は。なんでございましょうか》
《今日からこの子をもう一人の主とせよ。常に側にあり、その身を守れ》
 主人の命令に顔色一つかえず、青年は《お言葉ですが……》と言った。
《私がその方を守るか否かはご当人にかかってらっしゃいますが》
《……仕方あるまい。ならばしばらく側につき、まずはお前の望みを叶えることが出来るか見極めよ》
《理解のある主人を持って幸運にございます》

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 ひんやりとした気持ちよさに、桜は意識を浮上させた。うっすら目を開ければ、すぐ目の前に重隆がいた。ここちよい冷たさは、どうやら彼の手によるものだったようだ。
「重隆……?」
「おや、起こしてしまいましたか。申し訳ありません」
「ううん、気持ちいいから……いいの」
 熱のせいか、ふわふわと浮遊するような意識の中で、先ほどの夢を思い出した。
「ねぇ、重隆」
「はい?」
「わたしは、あなたの望みを叶えられてる?」
 重隆は一瞬驚いたように目を見開き、そのあとにぃっと笑った。いつものうさんくさい笑みではなく、純粋な彼自身の顔で。
「私がこうして側にいることが、何よりの答えでございましょう」
「そっか。うん、そうだね……」
 そう、もし自分が彼の興味を引き続けられなかったら、きっとあっさり祖父の元に戻るのだろう。彼が求めているのはどうやら、彼自身を楽しませるものらしいから。ある意味非情にスリリングな関係と言える。
「さ、もう一度お眠りください。その扁桃腺のはれ、なかなかひきませんよ」
「もう寝るのあきた……」
「いいから寝てください。……はやく元気になっていただかないと、私も張り合いがなくて困ります。私はあなたを、気に入ってるんですから」


 風邪もすっかりよくなった日曜日の朝、桜は買ってきた顕微鏡を重隆に渡すことにした。
「はい、これ」
「なんですか?」
「約束の、クリスマスプレゼント」
「おお、マルガリータ2号ですか!」
 やっぱり『マルガリータ』なのかとあきらめの境地で思いつつも、重隆が意外にも本気で嬉しそうな表情をするので余計なことを言うのはためらわれた。
 こんなに素直な重隆は、あまりお目にかかれない気がする。あの程度のもので喜んでくれるなら安い買い物と言っても良いだろう。少しだけ得をしたような気分になった。
 今にも鼻歌でスキップをしだしそうな銀髪の執事は大事そうにマルガリータをしまうと、それは楽しそうに「快気祝いによいものをお見せしましょう」と言った。
「いいもの?」
「そうです。実は先日、おもしろい物を手に入れまして……」
 そう言うが早いか、どこからともなく彼は一振りの刀を取り出した。
「日本刀……?」
 鞘に収まったそれは教科書などでよく見るが、こうやって直に見るのは初めてだった。
「ご名答です。素晴らしいでしょう? 素晴らしすぎて、私、ほら涙が……」
 重隆は珍しいその刀にじっと見入る主を満足そうに見つめると、これまたどこから取り出したのかわからないハンカチで涙を拭きながらも、器用に日本刀をすらりと抜き放つ。
 窓から入る光を反射し、ぎらり……と刀身が光った。
 美しいがどこか凄みのあるそれに、桜は思わずあとずさる。
「ま、まさかそれ、本物……とか言わないよね?」
 重隆ならあり得る。
 不安そうに尋ねた桜に、重隆はその刀で素振りをしながら答えた。
「これは映画のロケで使った物だと、これを売っていた老人が言っていましたが?」
「そ、そう……」
 そう言われたものの、安心しきれないのはなぜだろう。
「ふむ……」
 しばらく素振りを続けていた青年は、ふと思いついたように花瓶の前に移動した。花瓶には先ほどいけられたばかりのカサブランカが、その豪奢な姿を誇っている。
「重隆?」
 桜が「どうしたの?」と聞く暇もなく、彼は流れるような動作で刀を一閃させた。
 ――ぽとり。
 次の瞬間には、まるで椿のように花を落とした哀れなカサブランカの姿があった。
「な……な……な……!!」
 驚きのあまり、口をぱくぱくさせる桜。同時にやっぱりかという言葉が脳裏を駆けめぐる。
「重隆ーーっ! それ本物じゃないのっ!!」
「そうですよ?」
 さも当然といったふうに平然と言う重隆に、怒りはさらにつのる。
「いや、『そうですよ』って……これはロケで何とやらって言ってなかったっけ?!」
 もっともな反論ではあるが、そんなものが重隆にきくわけがない。首を振りつつ重隆は答えた。
「いやですねえ、お嬢様。それは早とちりというものです」
「早とちり?」
 重隆は鷹揚にうなずき、ちっちっちっと指を振った。
「そうです。私は確かに、『ロケで使った』とは言いましたが……『本物ではない』などとは一言も言った覚えがございません」
「〜〜〜っ!」
 もはや桜は疲れ切って声も出ない。がっくりと肩を落とし、側にあった椅子に座り込む。
 それを見た執事は抜き身の刀を手にしたまま、音もなく側に寄ってきて桜の顔をのぞき込んだ。
「お嬢様、元気がありませんね」
 あんたのせいだ、あんたのっ!
 そう怒鳴りたいのを必死にこらえ、桜は無言に徹した。
「ふむ。では、そんな元気のないお嬢様に、私が『剣の舞い』をば……!!」
 嫌な予感。えてしてそういうものは当たるものである。
 桜が制止するまもなく、重隆は日本刀を振り回しながらわけのわからない『剣の舞い』(本人談)とやらをやり始めた。しかも歌つきである。
「♪あっそーれ、日本刀っ、ふっしぎな日本刀っ、あやかしの刀だ日本刀っ、斬るぞっ斬ーるぞ、ばっさばさ♪」
 リズムはいいとしよう。しかし、いかせん歌詞と声が暗い、暗すぎる。
 元気が出るというよりも、悪魔召還でもやってるがごときそれは嫌がらせ以外の何物でもない。
「なんっなのその歌っ!」
 無視に徹しようとしていた桜も、あまりの不気味さにとうとうこらえきれずに叫んだ。
 主の叫びに、重隆はなぜ怒鳴られるのかわからない――そんな表情をして首をかしげる。
「何といわれましても……『剣の舞い〜日本刀の謎』、一番ですが?」
「そ・う・じゃ・な・く・て。本当にそんな歌があるわけ!?」
「はい、これをご覧ください」 
 大きくうなずいて、重隆は一枚の紙切れを懐から取り出した。
 それは楽譜だった。原版らしく、色々迷って、何回も書き直したような跡や、思いついたことをそのまま殴り書きしたメモなどがかかれたままだ。
「えーと、『剣の舞い〜日本刀の謎』……ええ!? 本当にあるっ!?」
 目を丸くして驚いた桜だったが、あるものに気づき頭を抱えた。メモの右上には、丁寧な字でこう書かれていた。
「……さ、作詞、作曲・偉大なる執事、藤原重隆……」
 一瞬にして場が明暗にわかれた。明るいのはやはり重隆で、ただ一人で『剣の〜以下略』を踊り狂っている。ちなみに歌のほうは二番に入ったようだ。
 どんどこどこどこ♪ どんどこどこどこ♪
あからさまに怪しい太鼓の音も、どこからともなく響いてきた。
「きえええええええっっ! しょーっっ!」
 太鼓の音をバックにし、重隆の奇声が響き渡る。
もはや、彼を止めれる者はいない、いや、正確に言うと『止まらない』だ。柱に縛り付けようが何しようが、縛っている縄をもひきちぎり踊り続けるだろう。
 なんで自分は風邪からの回復早々こんなものを見ているんだろうと、至極真っ当な感想が浮かんだものの、藤原重隆という男の前では全て無駄とも言える。
 ただ一つ言えるとしたらそれは『素直な重隆なんてろくなもんじゃない』、これにつきる。
 大きくため息をついて、桜は半目で重隆を見つめた。
 ああもう。きっとこの男に気に入られてしまったのが運の尽きなんだろう。

 お嬢と執事の攻防戦は、これからも続く――。 


お嬢と執事の戦いの日々    終


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