お嬢と執事の戦いの日々 前編


 宮越(みやこし)家には一人の執事がいる。
 藤原重隆(ふじわら・しげたか)という重々しい日本名のわりに、その外見は銀髪に青の細目の狐顔という正当派外国人であるが、まあ人間である――とりあえず見た目は。
 整った顔立ちゆえに黙って立っていればいい男だろうし、百歩ゆずって仕事の方も有能だと認めてやってもいい。だが。
「――お嬢様ァァァァァッッッ!!」
 突然の声と共に巻き起こる土煙、そして耳をつんざく壮絶なブレーキ音。
 一面に広がった土煙というか土埃に、むせそうになるのを鼻と口を手で覆ってなんとか我慢する。煙幕が晴れた時そこに現れたのは。
「昼食をお忘れです、お嬢様」
 マッハの速度で愛車(ママチャリ)をこいできた銀髪執事の姿だった。
 あれだけのスピードだ、全脚力を使ってきただろうに彼の額には汗一つにじんでなく、身につけた黒のタキシードには埃一つついていない。あろうことかどこまでもうさんくさい爽やかな笑みまで浮かんでいた。
「だからなんでその自転車でそんな速度が出るのよ……!」
 どうしてこうなのかと一応彼の主である宮越桜(みやこし・さくら)は切なくなった。
 そう、宮越家の執事は物理法則を無視しまくってくれる、それはけったいな男だったのです。


 放課後、桜は大きな疲れを感じながら家路をたどっていた。
 朝方に重隆が届けてくれたお弁当。届けられ方はともかく、中身はいつもと同じ味自慢かつ見た目にも芸術的なものだと期待していたのに。わくわくとふたをあけたときの衝撃をなんと表せばいいのだろう。
 可愛らしいお弁当箱をあけたとき、そこにあったのは――食パン。
 まごうことなき食パンが、たった一枚きりの食パンが、そっと恥ずかしそうに鎮座していたのである。
 ……思わず学校の備品だということを忘れ、机をひっくり返しそうになった。
 それでもそれしかない以上食べるしかない。どうせ重隆のイタズラなんだから放っておこうと一口かじったとき、再び体に衝撃が走った。
 パンの味ではなかったのである。
 それだけではない。かじる場所を変えるたび、味も変わっていったのだ。ちなみに一口目はハンバーグ、二口目は卵焼き、三口目はおにぎり(梅干し)の味がした。
 確かに味は良かったが、奇妙な感じはぬぐいきれない。ある意味芸術的といえばそうだが、あまりに革新的かつ前衛的ではなかろうか。
 あの奇妙さを思いだし、思わずため息がもれる。
「――おやお嬢様。うかない顔ですね、どうかされましたか」
 大本の原因が来たともう一度ため息をつき、後ろを見上げる。そこには予想通り、塀の上で微笑む執事の姿があった。彼は音も立てずに着地すると桜の側に来る。
「今日の昼食は、なかなかユニークだったでしょう?」
「やっぱあんたか原因は……」
「ふふ、今までで一番の自信作です」
 ジト目でにらみつける桜にかまいもせず、重隆は機嫌よさげに語尾をはねさせた。
「ってか、あれ重隆が作ったの?」
「もちろんです。あのように素晴らしいもの、私以外に作れるはずがないでしょう」
 重隆以外に作らないという部分には、激しく同意したい。
「味は今まで通りに付けましたし、何か問題でも?」
 その言葉に嫌な考えが頭をよぎった。
 今まで弁当は屋敷の人が作ってくれていると思いこんでいたのだが、まさか。
「お嬢様には美味しいものを食べていただきたいですからね。腕をふるわさせていただいてます」
 一見まともそうな言葉の陰に隠された真実に、桜は思わず明後日の方向を向いてしまう。
 確かにすごくおいしかったし、見た目も楽しめるぐらいきれいだったけれど……彼が作っていたというだけで不安が押し寄せるのをとめられない。
「なんで執事のくせに料理までしてるのよ……」
「私に出来ないことなどありませんから」
 つらっとした顔でつむがれた台詞に、思わず「なるほど」と納得しかけ慌てて首を振る。
「と、とりあえず。わたし、今日はちょっと寄るところがあるから重隆は先に帰ってていいよ」
「寄るところ?」
「うん、買い物してから帰る」
 手で早く帰れというジェスチャーをすると、重隆はその狐顔にうっすらと面白くなさそうな表情を浮かべる。
「なんでお嬢様をおいて私が帰らなければならないんですか」
「だって、重隆が来ても面白くないだろうし」
 というか、自分がタキシードの男と共に買い物する姿を想像すると違和感どころの話ではないのが一番の理由だが。
「私に見られては困るものでもお買いになるつもりで?」
「なんっでそうなる!」
 思わず放った高速裏拳つっこみを執事は華麗によけると、「まったくあなたは」と大げさに肩をすくめて見せた。それでもそのにこやかな表情と慇懃無礼な口調に変化はない。
「学習能力のない方だ」
「なによ」
「つい先日もさらわれかけたというのに、まだ一人で外出なさろうとしますか」
「……うっ」
 それを言われると、少し痛い。
 だが、それは重隆が普通の執事だった場合の話だ。幸運なことにと言っていいのかわからないが、この男がどこまでも規格外な存在なのは今更確かめるまでもない。
 だから自分は確信を持って言える。
「大丈夫よ」
「また何を根拠に」
 笑顔の下にあるのは仮にも主に向けるものとは思えない少し小馬鹿にした表情。
 それを真っ向見つめると、桜が別に適当なことを言っているわけではないと気づいたらしく、少しだけ彼の雰囲気が真っ当なものへ変わる。
 彼がこんな風な雰囲気をするときは、その注意が自分に傾いてるとき。長くはないつきあいだが、そんな違いが分かるようになったことを喜ぶべきなのか。
 あきられる前に、短く要点だけを言った。
「だって、来てくれるでしょう?」
「は?」
「いざとなったら、重隆が来てくれるでしょう?」
 例え重隆どこにいたって。例え桜がどこへ行ったって。
 それはおごりでもなんでもなく、ただの事実。
「だから、大丈夫だって言ったのよ」
 しばらくの沈黙の後、重隆はお気に入りのおもちゃを見つけた子どものように笑んだ。
「……この私相手にそこまで言う人は、ご主人様とあなたぐらいですよ。ま、だから面白いんですけれど」
「重隆はその方が良いんでしょう?」
「ええ」
 人を食ったような笑顔を見せる執事に、あいかわらずわけのわからない男だと思う。
「じゃ、話もまとまったことだしわたし行くよ?」
 はやく行かなければゆっくりする時間もなくなってしまう。
 そう話を切り上げようとした桜の前に、重隆は腕を出してきた。
「――お待ち下さい」
 さりげない動作ではあるが、それは隙なく桜の進路を阻んでいる。
「なによ。まだなにかあるの?」
「おやおやお嬢様、お買い物について行かないとは一言も申しておりませんよ?」
「げっ」
 どうにかしてまこうとしたのに、逆に執事の興味をひいてしまったらしい。
 思わずこぼれた正直な言葉に、重隆は形だけは主人思いの執事の顔をする。
「げっ、とはなんですか。げっ、とは。まったくはしたない。それに、私がお嬢様を放って帰るわけがないでしょう?」
 限りなく嘘くさいと思いつつも、最後の抵抗とばかりに最初と同じことを言ってみる。
「絶対面白くないよ。むしろつまんないと思うけど」
「けっこうです。私は私が面白いと思ったことをやらせていただきます」
 結局重隆の強引さに押される形でタキシード野郎つきのウィンドウショッピングになってしまった。
 こうなってはもう仕方がないと、なるべく重隆を気にしないようにしながらあちこちを見て回りそれなりに楽しんで帰ることにした。
 だがその帰宅後、桜は少々頭を悩ますこととなった。きっかけは、一足の厚底ロングブーツだった。


 ウィンドウショッピング中に通りかかったとある店のショーウィンドウ。そこに飾られたブーツは、派手すぎず渋すぎず、それでいて可愛らしささえ備えていた。
「かわいい……」
 思わず足を止め見入ってしまう。
「――なにかめぼしいものでもあったのですか?」
「うん、ちょっとね」
 本当におもしろがっているのか定かじゃない執事兼護衛に声だけ返し、桜はブーツを見つめ続ける。主の視線をたどり、執事はピンと眉をはねさせた。
「靴、ですか。しかしずいぶん底の厚い……ああ、お嬢様ならちょうどよろしいのですね」
「もー、うるさいな。小さくて悪かったね」
 あまりに熱心に見ていたせいか、珍しく重隆が呆れたようにつぶいやいた。
「そんなに欲しいのでしたら、お買いになればよろしいでしょう?」
「んー? ……無理だわ。0が多いもん」
 ちらりと値札を見てみれば、見た目の可愛らしさに反し値段はかなりヘビーだった。購入するのはかなりの勇気がいるだろう。
「ご主人様からカードを渡されてるはずです。なぜそれをお使いにならないのですか」
 確かに、祖父からいざという時のためにとクレジットカードを渡してもらっているが。
「カードは嫌いなの。自分で払うときは現金がいい。それに……絶対に必要ってわけでもないから、もったいないよ」
 どこまでも真剣な答えに、対する重隆はこらえきれないとばかりに吹き出した。
「ちょっ、なんで笑うの!?」
「いえ……失礼、くくっ。本当に、あなたって人は……いつまでたっても……くくっ」
 そのうち腹を抱えて笑い出すんじゃないかというぐらいの様子に、恥ずかしさがこみ上げてくる。
「いったいなんなのよ!」
「……いいんですよ、それで。いえ、逆に安心しました。あなたが『家』が変わったぐらいで性格まで変わるような方ではなくて」
 それでこそ、という執事に、桜は彼がなぜ笑ったのかなんとなく気づく。
 一応褒め言葉なのかと思ったので、にっこり笑って言い放った。
「なにせ元・貧乏人ですから? 性根まで貧乏根性がしみついてるのよ」
 ない袖は振れないのだと、多少名残を惜しみつつ帰ってきた。
 ――ところがだ。帰ってきた今桜の目の前には先ほどのブーツがある。間違いなく先ほどまで見ていた憧れのブーツである。
 部屋に戻って少しした頃、突然重隆が持ってきたのだ。「いつもお世話になっているお嬢様に、少し早めのクリスマスプレゼントです」と言って。
 にっこりとしたその笑みに、いつものような邪気やうさんくささはなかったように思う。
 ブーツと自分をくり返し見る桜に重隆がどう思ったのかはわからないが、こう続けた。
「ご心配なさらず。私のポケットマネーで買いましたから」
 なお悪い! と桜は思った。一応自分は『主人』という立場ではあるが、守ってもらっている以上世話になっているのはこちらなのである(同じくらい迷惑をこうむっている気もするが)。
「どうしよう……」
 受け取れない、と言うつもりだった。しかし。
「言っておきますが返却はナシですよ。レシートもないですし、私には小さすぎますし……お嬢様が受け取って下さらないと『無駄』になってしまうんですけれど」
 立石に水のように正論を並べられては反論のしようがなかった。こういうときだけまともなあの男は、本当にずるい。
 そっとブーツに触れてみれば、革独特の指ざわりがする。これが本物で、都合の良い夢ではないことを確かめた桜は「よし」とつぶやいた。
「もらったからにはお返ししなきゃね」


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