SCCトレーニング・ダイアリー
2003年9月分
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2003年9月30日(火) 
 「全日本マスターズで県記録」

 先日行われた全日本マスターズにおいて,SCCの「NO.14」さんは走幅跳で県記録を更新した。
 いつも練習熱心で一生懸命ではあったが,いやはや,すごいもんだ。
 本当にSCCのマスターズは元気な人達ばかりで,中年初心者の私も大いに励まされている。
 
 よっしゃ,10月19日のマスターズの国分記録会では,私も自己新記録を目指して頑張ろう。まだ,2回目の大会だけど(笑)

                     
              鴨池陸上競技場前のフェニックス
,南国ムードだ。




2003年9月29日(月) 
 「ダッシュをした後、腹筋が痛い」

 約2か月前から、SCCの練習の後、2,3日間は腹筋が痛い。
 良いことなのか、それとも悪いことなのかどっちなんだろ〜と思っていたところへ、にわたさんがリストラスプリンターの「なんでもQ&A」に同じような質問をした。
 おおたさんが「へその下あたりの腹筋はご存知だと思いますが「丹田」といってパワーを生み出す箇所です。そこが筋肉痛になるというところはよいことだと思います。」と回答。
 ふむ、ふむ、そうか、そうか、いいことなのか!
 
 腹筋が痛くなったのは、8月3日の鹿児島市民体育大会の自分の100Mのフォームを見て、それから体をやや前傾にすることと、低く過ぎた膝をもう少し上げるようにしてからだ。
 
 ただ走るだけなのに、あれやこれやと悩ませてくれるよね〜。

                     
            9月27日のSCCの練習はアップ,ドリルがスーパーサブ,
            そのあと,フリーレッグ,マーク走をサブで練習。


2003年9月27日(土) 
 「マスターズ」

 それにしてもSCCのマスターズ軍団は元気だ。 
 9月に行われた日本スポーツマスターズ,九州マスターズ選手権で大奮闘している。(→SCC大会記録
 Uさんは関西で職場の研修期間中にもかかわらず,「日本」を冠した和歌山での大会に出場し,2位になるとは素晴らしい。頭が下がる思いだ。
 私もマスターズの国分大会,頑張るぞ!

 と言いつつ・・・・
 昨夜はこの上なく痛飲してしまった。今朝は頭がガンガンだ。
 約20人での懇親会で,ほとんどは20代の女性。
 若いエネルギーにこちらまで乗せられて,ついつい,ゴックンゴックンと飲み過ぎてしまった。いかん,いかん。

 次女は,昨日から高校新人戦。
 走り高跳びは2位。しかし,記録が今ひとつ。
 高校に入ってから走り高跳びの練習環境が無くて,今回の新人戦も練習なしでのぶっつけ本番。記録が悪くて当たり前か・・・・
 

2003年9月24日(水) 
 「マスターズ登録」

 掲示板にも書いたが,昨日,鹿児島県マスターズ陸上競技連盟に登録した。
 ますます,熱中しそうだ。

 登録の後,わんこの運動を兼ねてトレーニングのために城山に登った。
 暑い時期はわんこがへばってしまうために,4か月近く登っていなかったためか,久し振りの城山登りはきつかった。
 いつものように,照国神社と怪しげなホテルの間の急な階段から登ったが,早足で歩くだけなのにゼエゼエと息も絶え絶えになってしまった。最後は手摺りに掴まってやっとこさ,登り切った。

 20代のころは,ここの階段を駆け足で何往復もし,ウサギ跳びでも登っていたのに,寄る年波には勝てないな〜。
 なんてことは言ってられないんだ。マスターズ,頑張るぞ!

               
               薄暗くなった城山展望台からの桜島


2003年9月23日(火) 
 「191人」

 昨日のSCCのHPを見てみたら,会員が190人を超えていた。これにスタッフを入れると200人以上になる。すごいことだ。
 もちろん,SCCが会員数の数字のみを目標にしているわけではない。
 しかし,3年前に3人から始まったSCCの成長を示す大変重みのある数字である。
 新しいスポーツのカタチを追求するおおた理事長の「理念と情熱」,それを支えるコーチ陣と事務局長,さらにはSCCを支援する協賛会員の方たちなど多くの人達の「想い」が,この数字になっているのだろう。
 
 下の写真はSCCを支える1人,Sヘッドコーチ。ヘッドコーチだから,ヘッドをアピールしたくて敢えて頭を丸刈りにしているのかも知れない。SCCの練習の中に和尚さんのような者がいたら,それがSヘッドコーチだ。
 国立の某体育大学卒のためスポーツ関係の知識・技術は高いものがあり,感心する。
 今でも救急法などスポーツに必要な資格取得,スキルアップに余念がない。

             
               中央の和尚さん風がSヘッドコーチ
  

2003年9月21日(日) 
 「体育祭」

 今日は朝から快晴。
 台風のため今日に延期になっていた高1の次女の高校の体育祭があった。
 
 年に一度だけの次女の晴れ姿を見に,妻と一緒に応援に行った。次女は嫌がるが(笑)
 高校の体育祭だから,父兄はそんなに来ていないだろうと思っていたら,大間違い。
 保護者はもちろん,おじいちゃんにおばあちゃん,妹に弟,などなど,朝早くから大盛況の人出であった。
 9月20日(bP)のダイアリーに書いたとおり,娘にとって,体育祭は年に一度,目立つことのできる日,ヒロインになれる日である。この日に活躍しないと,勉強嫌いの娘は,その年はな〜んにも無かったのと同じである。

 走る競技に5回,1年生全員で出る競技に1回,計6回出た。

 最初は,全学年の中から予選を勝ち抜いた選手だけが出場する女子100メートル決勝。
 次女は2位。
 1位は同じ陸上部3年生の鮫○さん。鮫○さんは,本年度の大人も入れた鹿児島県ランキングで100メートルが4位,200メートルが3位である。凄い。全国高校選手権を始めとしてあらゆる大会に出ている。「私は○っぱいも筋肉」と男子の前で平気で言っているぐらいだから(笑),人の何倍ものトレーニングを重ねているのだろう。恐れ入る。
 部活紹介のとき,全ての部活動の部員を代表して,彼女が3年間のお礼と後輩への激励の言葉を述べた。大変立派だった。

 学級対抗リレー(アンカー)は3位。
 あとの部活対抗リレー(スタート),学年対抗リレー(アンカー),女子徒歩競争(100メートル)はそれぞれ1位。
 おおたさんはもちろん,高校の先輩であるSCCのグリーンコーチやメグミーンコーチから,「何やってんの。陸上部は全部1位になるべし。」というお叱りを受けるかも知れないが,まあ,こんなもんでご勘弁を(笑)

 というようなことで,今年も1日だけヒロインになったようだ。
 それに,怪我もなく終わったのは,おおたさんの似顔絵の魔除けのご利益である。感謝。

 ちなみに,次女は昼のお弁当を親とは一緒に食べませんでした(笑)


                  
        MBCの記者もその名を知っているグリーンコーチの母校の体育祭


                    
                女子徒競走。ダントツのトップで走る次女。
                後ろの2位がカメラに入らない(親バカ)

 今夜は次女の体育祭の打ち上げ。ん〜,焼酎が旨い。




2003年9月20日(土) bQ
 魔除け

 試しに貼ってみました。>おおたさん。
 【リストラスプリンター ダイアリー バックナンバー2003年9月17日
 【リストラスプリンター 愛の掲示板 1,013-まさゆきさんのスレッド

                 
 
 防犯のために,玄関にも引き伸ばして貼ろうかな(笑)

 ただ、福の神も逃げるようで、下に書いた次女の運動会が延期になりました。>つかささん。



2003年9月20日(土) bP
 「年に一度のヒロイン」


 私には二人の娘がいる。
 1人は既に社会人。もう1人は高校1年生。
 二人の娘は性格は違うが,二つの共通点がある。
 それは,勉強嫌いであることと,もう一つは年に1回,学校のヒロインになることだ。

 普段はよくしゃべるだけで,何の取り柄もない二人の娘は,小さい頃から運動会のときだけは目が輝いていた。
 そのときだけは,体からパワーのオーラがほとばしり,生き生きと走りまくっていた。
 学級対抗,学年対抗などの運動会の花形競技には必ず顔を出し,活躍するのである。
 普段が普段だから,ちょっとした活躍でも,そのギャップが活躍したという印象を周りに与えるのだろう。大変目立つのである。で,運動会ヒロインである。
 すましているが,本人たちも気分がいいだろう。
 
 ま,SCCの皆さんほどではないかもしれないが,足が速いと言うことは,それだけで得なことだ。
 
 ということで,今日は次女の高校の運動会。
 例によって,学級対抗に,学年対抗,100メートル走やらなんやらで5回走る予定とのこと。
 2,3日前から楽しそうにしている。
 勉強もそのように楽しくやってくれれば親は嬉しいのだが,子は親に似るというから,これはもう諦めるしかないか。がくっ。


                     
       今年の4月に高校に入学したと思ったらもう運動会の季節だ。




2003年9月17日(水)
 「SCCのスタッフミーティング」


 SCCには,理事長を入れて現在12人のコーチがいる。
 理事長のおおたさんは,練習の前にコーチを集めて毎回必ずスタッフミーティングをする。
 今日一日の練習方針,トレーニングメニュー,各種注意事項を伝え指示をするのだ。
 そして,練習が終わった後に,もう一度スタッフミーティングをする。今日の練習の反省のためだ。
 このスタッフミーティングに,SCCの発展と練習するみんなの成長を願うおおたさんの気持ちがこもっている。
 
 組織の方向性や盛衰はリーダーで決まる。これは幾多の歴史の示すところ。
 いいリーダーがいる組織はいい組織になるし,いない組織は崩壊し消滅する。組織の大小,種類を問わずどの世界でもそれは同じだ。
 では,いいリーダーというのはどんなリーダーか。
 それは,普遍性と革新性を兼ね備えた理念,哲学を持った人である,と思う。
 そして,その理念というのは,いかに未来を見据えた考え(ビジョン)を持っているか,いかに人を大切にする思想(ヒューマニズム)を持っているか,いかに信念を貫き通す強い意志と情熱(パッション)を持っているか,ということが機軸であろう。

 SCCという組織には,ビジョン,ヒューマニズム,パッションが輝いている。
 中年プチスプリンターがトレーニングを続けているのも,その魅力のなす技であろう。


                     
        練習前のスタッフミーティング。真剣である。中央背中がおおた理事長。
        そして,左からTコーチ,Sヘッドコーチ,KコーチOコーチ。いずれも
        ひと味もふた味も違ったキャラの持ち主達である。それだけで嬉しくなる。




2003年9月14日(日)
 「スタートのワンポイントアドバイス」


 昨日のSCCの練習は,メインが使えずにサブにて実施。
 メインやらサブやらのお話は,この下の9月10日の日記にちょっとあり。

 9月も中旬になってくると,あの猛烈な残暑もやや和らいだ感じだ。
 練習をしていても,前回までの,あのジリジリ肌が焼けるような強い日差しは無くなった。
 その分,練習にも力が入る。筋力はないが,それなりに。

 昨日の練習では,おおたさんがスタートのやり方について,ワンポイントの説明をしてくれた。
 あ〜,なるほど,先ず,体を飛び出させるのか!!
 これまで,スタートをいかに早くするかについて,足はどう出すのか,手はどのようにするかということを考え,そちらの方にばかり神経を使っていた。しかし,そうではなかったのだ。
 おおたさんの指導どおりにやってみると,これがいいじゃないですか,いいじゃないですか!
 体を飛び出させると,手と足は自然に動き始め,これまでのぎくしゃくした動きがな滑らかになった。中年プチスプリンターのプの字のぐらいは外してよそさそうな,スムーズな良い感触のスタートだ。もちろん,そんなに速くはないしフォームも無茶苦茶だが,一歩前進出来た気がする1日だった。


               
          昨日のサブの補助競技場でのアップ・ドリルのシーン
          右端に仁王立ちしているのが理事長のおおたさん





2003年9月13日(土)
 「秘密兵器」


 昨年 12月からSCCに入って陸上競技を始めた私は,論理性も説得力もない理屈を並べて肉体強化に取り組むことにした(詳しくは筋力アップ・ダイアリー「なぜ?」編。SCCのメンバー若干名が友情出演)。

 そして,次はトレーニング器具の準備である。
 先ず,さっそく,近くのホームセンターでバーベル×1本,ダンベル×2組を購入。
 次に,あちこちのネットショップを見て回り,下の写真のスミスマシンとユーティリティー・ベンチ,それにダンベルをもう1組購入。5月初旬に到着。

 これらをリビングに置いてトレーニングをする,のだが予期せぬことが発生した。
 家内が器具を見るたびに怒るのである。「こんなのを部屋に置いて邪魔,邪魔!早くどこかに売ってちょうだい。」と。
 その都度,スミスマシンの前でスミマシ〜ンと謝っている。
 仕方なく,昼間は洗濯物の物干し竿代わりに提供して,ご機嫌を窺っている。中年プチスプリンターの日常的な悲哀である。


             スミスマシン        パワーテックのユーティリティー・ベンチ
                    


 私はこの5分の1ぐらいです。マキリックス2さんたちはこんな感じでしょう。中国地方の某支部長は器具をきっと壊します。オソロシ〜  
 レッグ・エクステンションと レッグ・カールができる。ベンチは耐重量270キロあるが,私には宝の持ち腐れ。





2003年9月10日(水)
 「スーパーサブ」


 SCCの練習場所は,
   メインが本拠地の県立鴨池陸上競技場
   サブがメインの隣にある補助競技場
である。
 サブは,メインが使えないときに利用することになる。
 じゃ,サブも使えないときはどうするかというと,じゃんじゃーん,はい,下の写真のスーパーサブで練習するんです。
 ん,スーパーサブって,意味が違うんじゃないかって?
 いやいや,いいんです,いいんです,そんなこと。
 南国ムード漂う陽気な雰囲気の素晴らしいロケーションで練習できるなんて,どこにもない。
 だから,スーパーサブの練習場なんです。
 青空のもと,椰子の木の間の芝生を駆け抜ける爽快さは,例えようもなく気持ちが良く素晴らしい。
 でも,後はいつものように,中年プチスプリンターは息が上がって,景色どころでは無くなるんです(笑)
 
                 
      SCCご自慢のスーパーサブ練習場。後ろに少し見えるのは桜島。
      ん〜,走るよりも芝の上でビールを飲んだ方がよさそうな雰囲気である。  





2003年9月7日(日)
 「暑い〜」


 昨日の練習も暑かった。
 9月になって,鹿児島県内では,観測史上,最高気温を記録したところもあるぐらいだ。ホントに暑い。
 暑いときの練習は熱中症が怖いが,知識があれば対処できる。SCCの事務局が熱中症対策の号外を作ってくれた。なるほど,熱中症にも四つの形態があったのか。熱射病は熱中症の一つの形態であることを,恥ずかしながら初めて知った。

 昨日の練習は,アップ,ドリル,流しの後,70メートルのリズム走を3本×3セット。このようなメニューって,結構,中年プチスプリンターにはキツイのだぁ〜。
 が,しかし,怯んではいられなかった。我が最大のライバル,中2のM修司が突如,挑戦状を突きつけてきたのだ。よし,果たし合いは何が何でも勝たねばならぬ,と気合いを入れて受けて立った。中2と47の火花散る壮絶なバトルである。
 でも,1本だけにした。
 2本以上真剣勝負をすると,中年プチスプリンターは脚がつって歩いて家に帰れなくなるんですぅ(笑)。
 それにしても、M修司、1週間前よりも速くなったんじゃないの?
 
 昨日の練習には,最近顔を見せなかったHeavy drinkerのT氏が,焼酎焼けした顔で久し振りに参加した。


     
 ハードルの上の黒っぽいトレーニングシャツを着た中年プチスプリンターに,その右隣の白いトレーニングシャツのM修司が「おじさん,勝負しよう。」と宣戦布告をしてきた。





2003年9月5日(金)
 「親子3代」


 写真はSCCの練習風景。アップは小学生から70歳まで一緒にする。親子2代も多い。おおたさんが求めるスポーツのカタチの一つのシーンだ。
 おおたさんは親子3代の誕生を楽しみにしている。和気あいあい,笑い声が絶えない。ただし,それもアップの時まで(笑)

          





2003年9月4日(木)
 「筋力アップ・トレーニングにランジ追加」


 故障のため,約1月中断していた筋力トレーニングを9月1日から再開した。→筋力アップ・ダイアリー
 1日に5種目程度を3日サイクルで繰り返すメニューである。
 しかし,どぉぉぉぉlも,しっくりとこないメニューだな〜と思っていたら,そうか,短距離競技のための筋力アップトレーニングなのに,脚のトレーニングが少ないのだ。そのヒントはマトリックスさんのアドバイスにあったランジだった。
 さっそく,今日のトレーニングからランジを取り入れて,えっちら,こっちらやった。大腿部の付け根あたりと二頭筋にググッくる感じが,ん,こりゃ,速くなるぞという気にさせてくれる。気にさせてくれるだけかも知れないが,それでも中年プチスプリンターは明日を信じて筋力アップに励むぞ。

         



2003年9月1日(月)
 「SCCの若手たち」


 8月30日の土曜日はSCCの練習。
 この日も暑かったので,熱射病予防のための水分は練習の1時間前から十分に摂った。
 この日の練習は,30,40 ,50メートルのスタンディング・スタートダッシュ。
 先日、スタンディングスタートの大切さをカミクリコーチから指導してもらっていたので、1本1本、気持ちを込めてスタート位置に着いた。でも、気持ちは込めているのだが、体の方が思ったように動いてくれない。
 イメージが悪いのか、それとも体が悪いのかと考えても仕方がないと直ぐに気がついた。
 どちらも悪いのだ(笑)
 
 よし、こうなったらがむしゃらに走ってみようと思って、スタートダッシュの最後は、目下、我が最大のライバル、中2のM修司を名指しで相手に指名し、競争をした。が、しかし、げげ、スタートが断然速くなっているじゃないか。今年の春あたりまではこちらの方が僅かながら速かったような気がしていたが、この年頃は日々成長している。
 あと、半年もしたらますます差を広げられてしまうのだろうが、そう考えると、逆に嬉しい。みんな、どんどん成長して、大きく羽ばたいて欲しい。

 練習の最後は、末続銅メダル記念200メートル走で締めくくり。吐きそうだった。